「対話」育てる普通教育

October 15 [Sun], 2017, 16:22
 北朝鮮の度重なるミサイル発射や核実験がわが国をはじめ近隣諸国、世界全体に脅威を及ぼしている。この事態を打開するために北朝鮮に対話の席につかせようと各国はさまざまな努力を続けている。
 この機会に、あえて別の視点から必要条件と十分条件の問題として、この問題を考えてみたい。 
 各国の努力は必要条件であるが、注目されるのは日米両国政府の姿勢である。アメリカ政府は制裁や圧力などとともに対話を含む幅のある政策をとるとしている。一方、安倍首相は「対話のための対話には意味がない」「対話につかせるための圧力」などという理屈で対話路線を拒否している。北朝鮮に対して国民が納得できるような対話の努力を政府としてやってきたのだろうか。
 十分条件とは、この必要条件をより確実にするための方策である。対話路線を堅持するには、対話の当事者・関係者がすぐれて理性的判断力を有していることが求められる。このことについては迂遠に見えてもあえて述べてみたいことがある。
 主権者にふさわしい理性的判断力を習得する道筋を思想として初めて提起したのは18世紀フランスのルソーであった。その思想はのちに普通教育思想として発展し、今では各国において事実上充実した普通教育制度を確立することが目指されている。 
 わが国において普通教育の思想は明治初期において自由民権思想とともに紹介され、普通教育は当時の教育令にも採用されたが、その後は国民教育という概念のもとに死語となった。
 戦後、「憲法ノ指導精神」と結びついて、すべての子どもは普通教育を受けるべきものとして日本国憲法にも規定された。
 子どもたちは大人になるまでの18年間、いくつかに区分される発達段階のそれぞれの段階で、人間的諸能力を成熟させながら徐々に主権者として必要な生きた理性的判断力を習得していく。
 しかし、その理念は現実には、とりわけ1951年の政令改正諮問委員会が出した「普通教育を偏重する従来の制度を改める」という方針以来、自民党政府によって今日に至るまで形骸化され、今日、子どもたちは主権者にふさわしい理性的判断力を習得できず、未来への展望を失っている。
 普通教育の理念を実現するには、学校、教職員をはじめ、その意義を理解した人々の努力に待つほかにはない。この事業を少しでも前進させることが、大人の世界を刺激し、生きた理性的判断にもとづく「対話の論理」を広げることになるのではなかろうか。(盛岡市、元大学教員、74歳)
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:ganjusan
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1943年
  • アイコン画像 職業:
読者になる
2017年10月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
最新コメント
アイコン画像丸沼の監督
» つきつめて(その2) (2017年01月05日)
アイコン画像ganjusan
» つきつめて(その2) (2017年01月04日)
アイコン画像丸沼の監督
» つきつめて(その2) (2017年01月04日)
アイコン画像岩崎 稔
» ブログ版講座 第1回 (2016年02月04日)
アイコン画像岩崎 稔
» ブログ版「普通教育入門講座」開講のご案内 (2016年01月21日)
アイコン画像武田晃二
»  つきつめて (エッセィ) (2013年03月29日)
アイコン画像兵庫の友松悦子
»  つきつめて (エッセィ) (2013年03月29日)
アイコン画像友松悦子
»  つきつめて (エッセィ) (2012年12月18日)
メールフォーム

TITLE


MESSAGE

https://yaplog.jp/ganjusan/index1_0.rdf
P R