『二人の少年の関係』 

2007年10月17日(水) 3時31分
・ジョバンニとカムパネルラは親友か?

初めて作品に触れたときから、この点に疑問を抱いていた。

【第四稿(最終稿)】
この稿では、ジョバンニの台詞から二人が幼い頃はよく一緒に遊んでいたという表記がある。
つまり幼馴染であるわけだが、では何故今現在は一切の交流が無いのか。

ジョバンニ自身は、(自分が仕事が忙しくて疲れているからだ)などと理由を推測?しているが、だからといって昼間は同じ教室に居るクラスメイトなのに、口を利く機会が一切無いなどありえるのだろうか。

ジョバンニはクラスではいじめられっこである。
今から考えてみると、

(下手にジョバンニを庇ってしまったら、今度は自分がいじめの対象になってしまう)

というところだろうか。

しかし、カムパネルラは級長も務め、クラスメイトからは慕われている云わば人格者である。
カムパネルラがジョバンニ側に立てば、恐らくいじめ(嘲笑)は(うわべ的にはとりあえず)無くなると思うのだが。

カムパネルラはあくまで「ザネリ側の人」である。
気の毒そうな顔をして見せ、決して一緒になって悪口を言ったりはしないが、何も言わずに立っているだけだ。


これではジョバンニの、カムパネルラに対する一方的な憧れである。


では何故、ジョバンニはカムパネルラと旅をしたのか。
旅をした結果、「ぼくはほんたうの幸いを探しにいく」と、今後の人生に関わる重要な決意をする。
そのたびをするのが、一方的な憧れでしかないカムパネルラでよかったのか。



以上が自分の疑問である。

いくつかこの作品を扱っている研究所を読んだが、ほとんどの研究では「二人は親友である」ということが前提で語られており、「二人はほんとうに親友なのか?」という点を上げたのは今のところ1人の研究書にしか出会っていない。



ジョバンニ→カムパネルラ

ジョバンニ→←カムパネルラ



どうしても自分には、この二人が唯一無二の親友とは感じられない。

やべぇ。 

2007年09月03日(月) 22時29分
九月になりました。



……


………







や ば い ! !




本気で先が見えていません。
やばいです。

そもそも何を目指しているのかすら判らなくなりました。

いろいろ調べるのは楽しいのです。

しかしこれが卒論の為の一歩となっているのか、と言えば答えはNO。

なんの意味も無い。


教授に相談するにもなにを悩んでいるのかも判らない。

提出まであと3ヶ月きりました。



やばいyo。

【初期形1】 

2007年08月06日(月) 21時55分
初期形1には二人の関係等についての章は無く、列車内でのシーンから始まる。
恐らく最終稿で言う「カヲルとタダシと青年が乗り込んでくる」シーン。(ジョバンニがカヲルにヤキモチを妬くシーン)


・カムパネルラが列車から消える。(P27)
『さあ、やっぱり僕はたったひとりだ。〜』

孤独のジョバンニ!

カムパネルラが死んだ表現は無いが、孤独。
『やっぱり』とは?

カムパネルラとも、結局はずっと一緒には居られない。
友達か否か。



・ブルカニロ博士登場。

金貨をくれる。

博士が大きな金貨を1枚出し、ジョバンニが「いりません」と断るシーンが削られている。


カムパネルラについて→【二、活版所】・【三、家】 

2007年07月27日(金) 2時48分
引き続き、カムパネルラについてのシーンを抜き出す。


【二、活版所】
・ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七、八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭のすみの桜の木のところに集まっていました。
→放課後、仕事に直行するジョバンニに対して仲間に囲まれているカムパネルラ。やはり、特別親しい間柄には感じられない。

二章での登場は以上。



【三、家】(帰宅したジョバンニと母親の会話となる)
・「お前に悪口をいうの。」
「うん。けれどもカムパネルラなんか決していわない。カムパネルラはみんながそんなことをいうときは気の毒そうにしているよ。」

だから、気の毒がるだけか!しかしジョバンニはそれで満足している。

・「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからの友達だったそうだよ。」
→二人が幼ない頃からの友人ということ。『あの人』は恐らくカムパネルラの父親のことを指すが、唐突に会話の中に登場し、前の会話とつながりが無い。(作者のミス?)

・「ああ、だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。〜」
→昔を懐かしむ=今はそういった交流が無い。

・「カムパネルラさんといっしょなら、心配はないから。」
→ジョバンニ母の台詞。カムパネルラを相当信用している様子。
川にはいるんじゃないよ、という忠告の後の台詞だったが、心配ないはずのカムパネルラはその後川に落ちて命を落とすことになる。


三章、以上。

カムパネルラについて→【午後の授業】 

2007年07月27日(金) 2時28分
*謎多きキーキャラクター・カムパネルラの登場シーンを抜き出してみる。
(注)本文引用は斜体使用、テキストはひとまず岩崎書店フォア文庫のものを使用する。


【一、午後の授業】(最終稿)

・カムパネルラが手をあげました。
→物語の中で一番初めに登場する固有名詞は彼。ジョバンニよりも先。

・〜それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちで、カムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それで〜美しい写真をふたりでいつまでも見たのでした。
→二人が幼馴染であることを示す。

・カムパネルラともあんまり物をいわないようになったので〜
→現在の二人の距離。

・カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほどじぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
→…え?気の毒に思うなら何故普段ジョバンニがからかわれている時にかばったり助けたりしないの?




【一、午後の授業】におけるカムパネルラの表記は以上。
幼馴染であることはわかるが、現在も親しい間柄なのかは不明。


教授への中間発表。 

2007年07月25日(水) 0時49分
23日(月)、教授室にて卒論の中間報告。

先月特別演習内で全員が第一次報告を行っているので今回は二度目の報告。

未完のままで作者がこの世を去ってしまったため、現存する原稿から答えを導くことは可能なのか。
→作者が死亡している限り、現存する原稿がすべて。

「答え」とは?
→作者本人に問わない限り、答えを出すことは不可能。

「宮沢賢治」本人の意思に基づいた論文の結末は難しい。
→完全に読者としての立場にたつのならば、「宮沢賢治」の名前を一切出さずとも論文執筆は可能。
 が、「私はそう感じたのだ」というスタンスで書き続けると自分中心の、第三者に納得させる論文は書けない。
 そのため、裏付ける為のさまざまな事象などが必要となる。

作者本人がこの作品について語っているものはないか。
→それは実在すれば話しは早いのだが、恐らく無いものと思われる。

…難しい。

卒論というと、大抵の学生がいきなり一番困難な部分に取り掛かろうとする傾向がある。
→証明の簡単な部分(本文に明らかに書いてある、など)から順を追っていくほうが効率的。


今回取り扱いたいのは、ジョバンニとカムパネルラの関係性である。

二人は親友という設定だが、初期段階ではそういった表記はない。
→では、親友でなかったのなら物語にどう影響してくるのか。

ブルカニロ博士が消え、主人公二人の父親の存在が新たに登場する。
→父親同士もまた、親友同士だったと考える説がある。
 ジョバンニの父親は行方不明であり、カムパネルラの父親は一人残された今のジョバンニと重なる。
 (が、子供が友達であるなら家の付き合いも当然あるため、親友という特別な存在だったかは判らない。前述の
、難しい証明にあたる。)

と、いうかどちらにしてもカムパネルラ一家は貧しいジョバンニ一家にノータッチ?援助などはなかったのか。
ジョバンニの家よりも先にカムパネルラの父親の方にジョバンニ父からの手紙が届いているため、通常よりも親しい
間柄だと思うのだが。

カムパネルラが死ななかったらジョバンニはどうなっていたのか。
→「孤独」という状況にならない。
 この作品はラストで、カムパネルラを失い、「孤独」になったジョバンニというのが印象的なので、物語全体に影響が生じるのでは?


このような事を教授室で約一時間話してきた。
さて、どうしたものだろうか…。

【参考資料】 

2007年07月21日(土) 2時03分
【参考文献】

『新校本 宮澤賢治全集第十巻』 筑摩書房

宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』 岩崎書店 1981

ますむらひろし 『銀河鉄道の夜』 扶桑社 1995

千葉一幹 『賢治を探せ』 講談社選書メチエ 2003

草下英明 『宮沢賢治と星(宮沢賢治研究業書1)』 学藝書院 1975

渡部芳紀 『宮沢賢治名作の旅』 至文堂 平成4年








*このカテゴリでは参考資料として目を通したものも含めて記載します。
 こちらもメモ感覚なので、西暦表記などを揃えておりません。
 原文引用は、筑摩書房の新校本を使用します。
 「これは読むべき!」という資料がありましたら是非教えてください。

序章。 

2007年07月20日(金) 17時47分
はじめまして、都内私立大学の日本文化学科四年・篠崎克也と申します。偽名です。

このブログでは、四年生の一大イベント「卒業論文」に関しての製作過程を記して行きたいと考えております。
取り扱うテーマは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』となります。

教科書でも取り扱われる有名なこの童話、実は未完の作であります。
通常書店に並ぶ際に使われているのは「最終稿」とされる「第四稿」です。
当然、「第一稿」・「第二稿」・「第三稿」も存在します。

この作品、「第三稿」までと「第四稿」では大きくストーリーが変わります。
大きな変化として、ブルカニロ博士の存在があります。
この博士、カムパネルラが消え失意の中にいるジョバンニに列車の中で語りかけ(この人物が博士であるという表記は無いため、別人の可能性もある)、更に目覚めたジョバンニに、「列車での出来事が博士による実験であった」ことを明かし、実験協力の報酬としてジョバンニに金貨を渡します。

なかなか重要なキャラクターのようですが、「最終稿」で博士の存在は無かったことにされてしまいます。
代わりにカムパネルラの父親の登場があり、これについてはさまざまな研究が成されているようです。


本題に入ります。

卒業論文のテーマとしてこの作品を取り扱うにあたり、私が注目したいのはカムパネルラの死であります。
最終稿で彼は、川に落ちた友人(ザネリ)を助ける為に自ら飛び込み、ザネリを岸へ押しやると自分は力尽き水の中へと消えてゆきます。
しかしこの描写、第三稿には存在しないようです。
列車のなかで姿は消してしまうものの、「カムパネルラが川に入った」というシーンはありません。
つまりカムパネルラが死んだという表記が無く、生きている可能性もあるわけです。

何故、カムパネルラは最終稿で死ぬ必要があったのか。

四つの稿を比較し、「カムパネルラ殺人事件」を解き明かして行きたいと考えています。
P R
プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:galaxy_night24
  • アイコン画像 誕生日:1985年9月24日
  • アイコン画像 血液型:A型
  • アイコン画像 現住所:神奈川県
  • アイコン画像 職業:大学生・大学院生
  • アイコン画像 趣味:
    ・音楽-L'Arc~en~Cielとラーメンズがあれば日々を生きていける気がする。
読者になる
都内の大学に通う21歳。
今年を乗り切れば無事卒業。
卒論と就職活動が目下の不安。
音楽はラルクやポルノ、椎名林檎を好んで聞き、遊びはもっぱらカラオケボックス。
舞台の世界に憧れ、お笑いも意外と詳しい。
嵌ればとことん突き詰めるので、周囲にとってはうざいことこの上なし。

生まれ変わったら大正浪漫を生きたいと思う。

卒論テーマは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。
ちなみに『銀河鉄道999』はマイバイブル。