毛利元就を中心とする安芸・毛利一族を探求します。同時に、元就研究家・福原雅俊の独自の史観から世相を斬る。そして、天衣無縫の旅遊記・映画・文芸評論・作品集。

2005年07月
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造賀への道(上) / 2005年07月21日(木)
近畿大学の敷地を横切るように道を選び、山手(字)の車道に出る。

この車道を国道375号線に向って進みながら、右手の細い道へ入っていく。

軽トラックなら通れるほどの舗装道路だが、杵原川沿いに上るこの道は、車が通るための道ではなく、自転車や単車用である。逆に国道375号線は、人が歩くようには出来ていないし、実際、国道を歩く人はいない。きついカーブの坂道を自家用車やトラックがしきりに往来している。

東広島市高屋(大字)と、これから向おうとしている造賀(大字)は、標高差が100mほどある。国道は杵原川に迫る崖面を削って作られたものである。

ただ川の反対側の石挟(字)は、多少の耕作地が広がり、民家が散在する。いわゆる旧道がその中を蛇行しながら、登っていく。車の危険も、蛇の危険もなく、道は舗装され、上りとはいえ傾斜は緩やかで、おまけにのどかな田園風景の中を歩くので、格好のウォーキング・コースである。

造賀方面から、時々男子高校生が自転車で降りてくる。さながら高屋地区の女子高校生のもとへ遊びに出かけているような風情だ。高屋地区は振興の団地があちこちに出来ている。それで人口が急増といえば急増だが、顕著なのは、住人の世代の偏りがあるという点である。一戸建てに移り住んだ時、幼児だった子らが、現在、高校生前後となっている。

この年代の人口ウェートが非常に高いのだ。これは広島県の平均的老齢化と大きく異なる様相を呈している。造賀地区は、過疎化とベッドタウン化のきわどいバランスの上に立っているが、基本的に人口は少ない。そこに棲んでいると、隣町の団地群は、異性交遊の巨大マーケットに見えるだろう。

もちろん、どの町も男女比は、ほぼ均衡しているのだが、男の方が機動的であり、特に行きが下りということで、出かけるには容易なわけである。


Posted at 21:44 / Z軸 東広島市内 / この記事のURL
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