家庭科が教えてくれるもの☆「痴呆症」「自己肯定感」

2006年08月27日(日) 0時07分
  『教育とはなんだ』 より家庭科が教えてくれるもの
          重松清 氏 著
             1963年岡山生まれ。早大・教育学部卒。
       『ナイフ』で坪田文学賞・『エイジ』で山本周五郎賞・『ビタミンF』で直木賞受賞。

 この本は面白いです。教育について全く知らない私は「へーそうだったんだ!」と思います。

 この夏、甲子園で活躍した早実の斉藤君のお兄さん。弟と2人暮らしの中で、家事もアルバイトも学業もこなしている。TVのインタビューで彼は「これからは弟にも家事を教えて分担して行きたい。」と答えていました。
 私の中の今時の若い男の子のイメージが変わった瞬間ですね。今の多くの男の子が出来るとは思わないけど、‘ちゃんとできる子もいるのだ’‘そういうように育てたご両親もいらっしゃるんだ’という事に感激しました。
 ちょうど今、上記の本の≪家庭科≫の項目を読んでいた所だったので、今の時代の教育とリンクした角度からこの状況が見れて、興味深かったです。
 このお兄さんの‘生活力’ある姿は、暮らしや子育てというもの中で、今後の男性の理想像として捉えられて行くのではないでしょうか。

 家庭科の男女共修が始まったのは、中学1993年・高校1994年で、ごく最近の事。男女共修の流れは、女性サイドからの働きかけに、国連の『女性差別撤廃条約』を日本が批准した事から、1985年男女共修が制度化された。「家庭科というのは、良妻賢母教育だけでなく、‘人が生きる力’を教えていく教科ではないか」と早くに気づいた人たちがその後広め、同時に、教科の中身を男女共修に耐えうるものにして行ったそうだ。
 今の家庭科の内容は、料理・裁縫・掃除といった‘家事’の作法レベルを超えて、高齢化社会をどう生きるか・消費者としての意識をどう高めるか・環境保護にどう取り組むかなど‘市民’教育の範疇にまで踏み込んでいるそうである。

 この本は、著者が教育の最前線で活躍している先生からインタビューする形式で書かれている。ここでインタビューを受けているのは、大阪府立の高校の家庭科教諭南野氏。1992年に『家庭科教育をめざす男の会』を設立し、今も代表世話人をなさっている。元は英語教師。資格を取り直して転身した。家庭科教員の男性の割合は1〜2%

 彼が転身したきっかけは、子育てだそうだ。・・「全然分らなくて、今まで偉そうにしていたのが、妻との立場が逆転しちゃった。これはどうも高校で家庭科を習わなかったせいではないか。また妻の言う事にも「ほんとか?」と確かめたくなった。それで家庭科の勉強を始めた。勉強をしてみると、食べ物の事とか、家族の事とか、色んな事に気付かされた。英語の授業で「この単語を覚えろ」とか「これは入試に出る」とか、そんな事よりも大切な教科に思えた。家庭科は「自分はどう生きるか」を考える教科。だから色々なやり方、考え方は紹介するけど、「どれが正しい」「こうじゃなきゃいけない」という事は言わない。自分の考えとは反対の考えも紹介し、あとは自分で決めて欲しいと言う。また、家庭科が扱うのは「生活」。女性の先生が「家事も育児にも男性も参加すべき」と言っても、男性生徒には「そんな事言ってもできないよ」という反発で終わっちゃう恐れがある。でも同じ事を男性の先生が言うと受け止め方が違って来る。」
 「家庭科は、大学に入ると学べない。進学校でレベルの高い大学を目指して日本をリードして行く立場になる生徒にこそしっかりと家庭科を勉強して欲しい。政治家・官僚・企業のトップであったりするのと同時に、生活者であって欲しい。‘暮らし’‘生きる’という視点をきちんと持った上で、それを仕事に生かしてくれればと願う。」
 「本来家庭の中でしっかりと子供たちに、哲学や文化や倫理のようなものを教えて行けば、本当は家庭科を教える必要はないのかもしれない。でも現実的には、現在の家庭は孤立している。他の家庭の状況はつかめない。「こうしておけば間違いないかしら」みたいな不安な思いで家庭生活を営んでいるのではないか。家庭科の授業通して色々な家庭の状況を知って、そこから自分の作る家族を考えて行く・・そういう場になってくれれば良いと思う。」


 
  {ダウン}「痴呆」「自己肯定感」つづく

体験記入賞作品集より☆2☆ 「A先生と母」

2006年08月19日(土) 17時43分
 『心に残る医療・体験記コンクール第24回入賞作品集』より私の心に残った作品 ☆2☆
 主催:日本医師会/読売新聞 
どの作品も素晴らしいものでした。次は、私も最期の時はこうでありたいと思った作品をご紹介します。(・・一部省略しています)

  「A先生と母」北海道 主婦 58歳 

 千葉に住む母は末期ガンで余命幾ばくもなかった。自宅で最後を迎えたいと希望する母の為、主治医のA先生に相談した。病院と自宅が近かった事もあり先生はやってみましょうとおっしゃって下さった。女医さんだった。急な時でも決して嫌な顔をせず常にやさしく、また適切な処置をして下さる先生に、母は全幅の信頼をよせていた。

 ・・80歳という高齢と末期ガンという事実を母は冷静に受け止めていた。母の意志をくみとり、先生は痛みなど不快な症状に対応するが、・・入院を強要しなかった。多忙を極める勤務の中、時間を作っては顔を出して下さる先生を心待ちにし、母は身だしなみを整え、ベットの上でお花を活けて待っていた。・・先生という心強い後ろ盾があったから母は、死への準備を充分にする事ができた。九州に住むきょうだいを呼び、昔話に花を咲かせ「お世話になりました。ありがとう」とおみやげまで持たせた。好きな卓球は歩けなくなるまで続け、ボケ防止と言って毎日ピアノを弾いた。障子を張り替え、タンスを整理し、かたみ分けも済ませた。入院していたら、どれもできなかったに違いない。
 
 母が最後まで痛みを訴える事無く穏やかだったのは、やはりどんな時でもすぐ飛んで来てくれる先生の存在があったからだと思う。身内がどんなに親身に看病したところでこの安心感は与えられない。・・さらに多忙さを増したであろうA先生。しかしそのようなところは微塵も見せず、明るい笑顔でやって来る。母の手を握り「今日は顔色がいいわね」と言い、母の話をゆっくり聞いている。 

 私は「先生は何か特別な信条をお持ちなのですか?」と聞いてみた。 
「いいえ。何も。ただ私が患者だったらお母さんのような生き方を選択したいと思います。お母さんの選択を尊重します。現在の医療の発達は、昔のように自然に死ぬ事ができなくなっています。終末期に多くの医療を施されるのが当たり前だからです。その結果、患者は苦痛を増し家族と話す事も出来ないまま亡くなります。お母さんの意志は決してわがままではありません。人は生まれた時から自分で意志決定をしながら人生を歩みます。それなのに最も輝いて安らかに締めくくりたい終焉(しゅうえん)を、なぜ自分の意志ではなく家族や医師の手にゆだねてしまうのでしょう」
 
 先生は母の布団をそっと掛け直すと、看護師さんと帰って行かれた。私はしばし電気に打たれたように動けなかった。・・胸がつまった。母がもう起き上がれなくなってから知った事だが、A先生は母が保母として働いていた頃の園児だった。そして今先生のお子さんは、私の弟のお嫁さんの教え子として小学校に通っている。そんなつながりが楽しい話題となり母をずいぶん喜ばせた。先生が地域の人で、コーラスや卓球の仲間と同じように昔話が出来る事は、母にとってはどんなに楽しい事だったろう。・・自分が生きた思い出いっぱいの土地でA先生に見守られて全うする生こそ幸せなのだとしみじみ思った。

 ・・母は、3ヶ月と言われた命をなんと1年3ヶ月も生きた。身体は見る影も無くやせ細っていたが、目は輝いていた。亡くなる数時間前まで話をし、その望み通り「木が枯れるように」スーッと息を引きとった。桜の花弁の散る4月初だった。
「見事でしたね」A先生の言葉の前に私は深く深く頭をさげた。・・・


体験記入賞作品集より☆1☆「アレルギーで得たもの」

2006年08月18日(金) 22時27分
 『心に残る医療・体験記コンクール第24回入賞作品集』より私の心に残った作品☆1☆
 主催:日本医師会/読売新聞 
どの作品も素晴らしいものですが、2つの作品をご紹介します。(・・一部省略しています)

 「アレルギーで得たもの」 岡山県 主婦27歳 

 ・・23歳で息子を授かり、頭に描くものは楽しい子育てばかり。周りの人のように笑顔で家族3人暮らす姿、それが、普通だと思っていました。
 息子が生後1ヶ月の頃、ひどい乳児湿疹で病院通いの日々。薬を毎日塗る生活。・・まったく知らない人から、「うわ、汚いね。気持ち悪い・・」と、人とは思えない言葉を浴びせられ、疲れていた私は、息子を第三者的にみてしまい愛情を持てなくなってしまいました。追い討ちをかけるように、離乳食を始めた頃から湿疹だけでなく、ゼイゼイと呼吸したり下痢が続いたりと頭が混乱する日々になりました。血液検査などでアレルギーと診断・・、母乳をあげている私はアレルギーのもとになる食べ物を食べられなくなり、息子は完全除去法の他に、飲み薬を大量に摂取する事になりました。薬を飲ませる度に涙。離乳食の事を考える度に涙。私は現実の育児に疲れきっていました。
 
 ある時息子は風邪をひき、小児喘息の症状がでたので大きな病院へ行く事になりました。・・・「お母さん、除去なんだね。大変でしょう。若いのに頑張ってるんですね」先生の一言が、枯れた私の心を潤してくれました。涙が溢れてとまりません。私は思いきって除去法に納得していない事、息子への愛情が薄れている事を話しました。限界が来ている私に、「入院して、一度ちゃんと調べてみませんか?」・・「もう嫌です。疲れたんです」・・「大丈夫です。お母さんと息子さんのバカンスだと思ってください。お母さんも休息した方がいいですよ。治療を兼ねたバカンス・・。」私は、心の中でいっぱいの怒りや悲しみでパンク寸前でしたが、休息というものを忘れていた事に気付きました。「よろしくお願いします」息子が9ヶ月になったばかりの秋でした。 
 
 入院生活に不安があった私ですが、本当に幸せな日々でした。・・入浴後の息子に語りかけながら全身体に薬を塗ってくれる看護師さん。息子の笑顔を見て『こんなかわいい顔するんだ』と知りました。息子とオモチャで遊んだり、語りかけたり、抱きしめたりしていると、息子は応えてくれるように初めて「おすわり」をしてくれたのです。情けないけれど、この時出産以来の「愛しさ」を感じました。看護師さんが、・・「2人共、いい笑顔ね」と声をかけてくれた事。それが毎日、心を温かくしてくれました。
 
 心も安定した頃、検査の結果により離乳食もいろいろトライする事になりました。先生のアドバイスで栄養士さんから、息子のためのレシピを沢山教えてもらいました。・・ 私の中で離乳食作りが楽しみになった事は、一番の変化でした。

 ・・退院前の主治医検診の時・・「・・お母さんの今まで頑張ってる姿をみていると、若いお母さんなのに立派だと思います。子供を傷つけない限り、母親失格なんてレッテルを自分につけないで下さい。そして治療方法は選択出来る事を忘れないで下さい。でなきゃ、お母さんも息子さんも苦しくなるからね。」
 先生の言葉を聞いている時、私は感じました。息子の病気はもちろん、私の心も治してもらったんだ・・と。
 私はこの入院生活で、とても前向きな子育てができる自信を得たように思います。今では息子も4歳。月に1度の通院で、アレルギー症状も軽くなり元気に暮らしています。先生、看護師さん、栄養士さんのおかげで母としての私が輝いています。ありがとう。
                                     

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