再開します、まずは修士論文編。
January 03 [Thu], 2013, 19:54
お久しぶりです、更新しないこと2年弱、やっと更新する気になりました。
実は、ここではない、あるウェブサイトで留学記を書いていまして、
今11話だか12話だかまでいってます。
ここでは、修士論文を書く直前で更新が止まりまして、
というのも、正直な話、ブログどころじゃなかったんです。。。
もう、修士論文が辛すぎてですね。。。はぁ。。。思い出すだけでブルーになる。。。
この更新しなかった2年弱のあいだを、今日から少しずつ埋めていって、
現在のことまで書けるように、
また更新をがんばりたいと思います。
ということで、今日は、その別のウェブサイトにも乗っている「修士論文」について、
ちょっとエディットしたバージョンを下に紹介したいと思います。
**********
私が勉強していた学校では、2万ワードの論文(Dissertation)を書くことが要求されていた。
通常、授業で課されるエッセイは5千ワードなので、修士論文はその4本分ということになる。
2011年に入ってすぐの頃だっただろうか、指導教官の割り当てのため、
何について論文を書くのか決めてアドミニストレーターに報告する機会があった。
マスターコースが始まってまだ3カ月ほど、最初の1タームが終わったばかりの時点で、
もう何を書くか決めなければならない。
友達は、ものすごく具体的に、テーマを報告していた。
かなり焦った、だって、私の頭の中には、「万人のための教育(EFA)」っていう、
ものすごいぼんやりとしたテーマしかなくて、
一体どこの地域の教育の何について研究するのか、見当もついていなかった。
報告締切日まで散々悩んだが、まったく絞り込めない。
仕方がないから。"EFA Today"という超大雑把過ぎるテーマ報告になってしまった。
私のあまりに絞り込まれていない内容に、周りの友人たちは逆に驚いており、
親友のLisaなんかは、「本気!?」と、お腹を抱えて笑っていた。
この大雑把すぎるテーマ設定が功を奏したのか、
大ファンの教授が私の指導教官に決定。
ラッキー!!!!
私の指導教官は、私が研究内容を絞れていないことに幻滅せず、
私との会話を通して、私が何について書きたいのか、
混沌とした私のアイデアの交通整理をするような形でサポートしてくれた。
私が私の指導教官のどこが好きって、白でも黒でもないところ、
もやもやしたものはもやもやしたものとして扱うことを許してくれるところである。
その教授の授業ならびに対話を通して、私は自分が教育哲学にだいぶ傾いていることがわかった。
そしていよいよ研究開始!
1) 膨大な数の文献を読んだ。
2) 研究対象地域と内容を絞り込んだ。
3) 関連する研究論文、研究対象地域に関する文献、研究手法に関する本、哲学の本を読み漁った。
この哲学の本は、本当に苦労した。
3行読んでも、一体何が書いてあるのかさっぱりわからない。
むりやり読み進めていって章の最終文まで読んで、自分が本当に理解したのか全く自信が持てないので、
また最初に逆戻り。。。。
はっきり言って、気が狂いそうになる。
そこに書いてあることが、自分の研究内容に関連しているのか、
はたまたなぜその本を読んでいるのかさえ見失う。
常に自分の研究内容を精査し、リサーチクエスチョンを思い返し、本と向き合う。
期間にしたらおよそ5カ月、この繰り返しである。
読む合間に書く、書いては読む、消す、書く、消す。。。
途中ですべて投げ出して、地球の果てまで逃げようかと思ったことも何度もあった。
修士号が取れなかったら、もうどんな顔をして日本に帰れるというのか。
文献は、読めば読むほどにわからなくなり、
書けば書くだけ自分の無力さに絶望すら覚えるようになる。
不安で眠れない。。。ベッドに横になっても一睡もできない。
パソコンの電源を切るのが恐ろしい。
部屋の電気を消すのが恐ろしい。
特に5月から8月の4ヶ月間は、死神に取りつかれたかのような顔をしていた。
何を食べてもおいしくないし、お酒を飲んでも楽しくない。
指導教官との最後の面談、運命の7月31日。
教授はロンドンに居なかったので、スカイプでの面談となった。
面談日の数日前までに、出来ている12000ワード分は教授に提出した。
面談で教授は、私のここまでの流れはまずまずのところだが、
途中まで進めた分析結果のパートに対して、いともあっさりと、
「これ、別に新しいこと書いてないからいらないよね、だから切って、書きなおして」と。
一瞬、目の前が白くなって、黒くなった。
提出まであと1カ月しかないのに、9000ワードに逆戻り。
しかも書きなおし、つまりまた本を読みなおすということを意味する。
まだこの先、論文の核であるディスカッションの部分は手つかずで残っているのだ。
指導教官は「Good luck」と言い残し、スカイプ通話は切れた。
あぁぁぁぁ〜!!せんせぇ〜〜〜(泣、まってぇ〜、いかないでぇ〜(泣
しかし、ここで泣いていても何もすすまない。
やるしかないのだ。やるんだ私!!!
そこから、相当頑張った。
ほぼ不眠不休の1カ月。
何日もシャワーすら浴びず、ぼさぼさの頭で、
眼の下にクマを作り、本とパソコンにかじりついていた。
泥のような濃いコーヒーを飲み、なんだかよくわからないものを食べ、
ひたすら書いた。
。。。あんな1カ月は、もう私の人生に2度と訪れないことを切に願う。
思い出しただけでも、気分が悪くなる。。。
8月の下旬、プルーフリーダーという、
英文校正をしてくれる人に書きあがったものを送り、文法のミスを直してもらった。
数日後、プルーフリーダーから原稿が返ってきて、間違いを直したりなどのエディット作業。
締切が迫り、焦りはピーク、体力も限界を超えているような状態。
でもここを超えたら終われるという思いだけに突き動かされている感じだった。
8月30日、やっとすべてのものを書きあげ、最後の文にピリオドを打つ。
あの達成感は、一生忘れない。
じわじわと、おへその下のあたりから、
ギネスの泡のような、解放感と達成感が合わさった感情が込み上げてくる。
終わった…終わった…終わったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
狭い部屋の中、ひとりでぴょんぴょんと飛び跳ねて、ものすごーく、安心した。
翌8月31日、提出日前日だが、やっと印刷/製本所に駆け込む。
朝9時に原稿データを持って製本所に乗り込む。
6時間のスピード製本コース。
当然、料金は通常の印刷/製本コースより高い。
ええい、金額なんてどうでもいいんじゃ!
締め切りに間に合わせるんだから、高くても払う!払う払う!
同じ業者に、別の友人も原稿データを持ってやってきた。
。。。やはり死神に取りつかれたような顔をしていた。
みんな、同じなのね。。。。笑
6時間後、ブルーの表紙に金色で印字された修士論文を手にした。
まるで私のベイビーのようなものだ。
大事に大事に持ち帰った。
9月1日、午前11時、提出。
その後はコースメイト達と学校のバーで飲んだ。
まさしく祝杯である。
夜は、彼氏くんが老舗のレストランに連れて行ってくれて、お祝いしてくれた。
その次の日もそのまた次の日も、友達と集まって飲んだ。
一連の祝勝(?)パーティが一段落したある朝、目が覚めて、不思議な感覚に見舞われた。
何もすることがない。。。。
もう論文は書かなくていい。
でも論文以外に何をしたらいいのかわからない。
いわばこれは燃え尽き症候群なのだと思うが、ベッドで一日中まどろんでいることが数日続いた。
提出から待つこと2カ月半、11月中旬になって成績が判明した。
「合格!」
これで晴れて、私は修士号保持者になれた。
2年間イギリスで頑張った甲斐があった。
2年間、やりきることができた。
数年来の目標を達成した瞬間だった。
**********
あー、もう修士論文は書きたくないなぁ。
でも、あれをやり切れたんだから、他の事も、
たいていのことは大丈夫なんじゃないかと思えるようにはなった。
修士論文のネタはこれでおしまい。
次は、ロンドンでの就職活動の話を書きたいと思います。
実は、ここではない、あるウェブサイトで留学記を書いていまして、
今11話だか12話だかまでいってます。
ここでは、修士論文を書く直前で更新が止まりまして、
というのも、正直な話、ブログどころじゃなかったんです。。。
もう、修士論文が辛すぎてですね。。。はぁ。。。思い出すだけでブルーになる。。。
この更新しなかった2年弱のあいだを、今日から少しずつ埋めていって、
現在のことまで書けるように、
また更新をがんばりたいと思います。
ということで、今日は、その別のウェブサイトにも乗っている「修士論文」について、
ちょっとエディットしたバージョンを下に紹介したいと思います。
**********
私が勉強していた学校では、2万ワードの論文(Dissertation)を書くことが要求されていた。
通常、授業で課されるエッセイは5千ワードなので、修士論文はその4本分ということになる。
2011年に入ってすぐの頃だっただろうか、指導教官の割り当てのため、
何について論文を書くのか決めてアドミニストレーターに報告する機会があった。
マスターコースが始まってまだ3カ月ほど、最初の1タームが終わったばかりの時点で、
もう何を書くか決めなければならない。
友達は、ものすごく具体的に、テーマを報告していた。
かなり焦った、だって、私の頭の中には、「万人のための教育(EFA)」っていう、
ものすごいぼんやりとしたテーマしかなくて、
一体どこの地域の教育の何について研究するのか、見当もついていなかった。
報告締切日まで散々悩んだが、まったく絞り込めない。
仕方がないから。"EFA Today"という超大雑把過ぎるテーマ報告になってしまった。
私のあまりに絞り込まれていない内容に、周りの友人たちは逆に驚いており、
親友のLisaなんかは、「本気!?」と、お腹を抱えて笑っていた。
この大雑把すぎるテーマ設定が功を奏したのか、
大ファンの教授が私の指導教官に決定。
ラッキー!!!!
私の指導教官は、私が研究内容を絞れていないことに幻滅せず、
私との会話を通して、私が何について書きたいのか、
混沌とした私のアイデアの交通整理をするような形でサポートしてくれた。
私が私の指導教官のどこが好きって、白でも黒でもないところ、
もやもやしたものはもやもやしたものとして扱うことを許してくれるところである。
その教授の授業ならびに対話を通して、私は自分が教育哲学にだいぶ傾いていることがわかった。
そしていよいよ研究開始!
1) 膨大な数の文献を読んだ。
2) 研究対象地域と内容を絞り込んだ。
3) 関連する研究論文、研究対象地域に関する文献、研究手法に関する本、哲学の本を読み漁った。
この哲学の本は、本当に苦労した。
3行読んでも、一体何が書いてあるのかさっぱりわからない。
むりやり読み進めていって章の最終文まで読んで、自分が本当に理解したのか全く自信が持てないので、
また最初に逆戻り。。。。
はっきり言って、気が狂いそうになる。
そこに書いてあることが、自分の研究内容に関連しているのか、
はたまたなぜその本を読んでいるのかさえ見失う。
常に自分の研究内容を精査し、リサーチクエスチョンを思い返し、本と向き合う。
期間にしたらおよそ5カ月、この繰り返しである。
読む合間に書く、書いては読む、消す、書く、消す。。。
途中ですべて投げ出して、地球の果てまで逃げようかと思ったことも何度もあった。
修士号が取れなかったら、もうどんな顔をして日本に帰れるというのか。
文献は、読めば読むほどにわからなくなり、
書けば書くだけ自分の無力さに絶望すら覚えるようになる。
不安で眠れない。。。ベッドに横になっても一睡もできない。
パソコンの電源を切るのが恐ろしい。
部屋の電気を消すのが恐ろしい。
特に5月から8月の4ヶ月間は、死神に取りつかれたかのような顔をしていた。
何を食べてもおいしくないし、お酒を飲んでも楽しくない。
指導教官との最後の面談、運命の7月31日。
教授はロンドンに居なかったので、スカイプでの面談となった。
面談日の数日前までに、出来ている12000ワード分は教授に提出した。
面談で教授は、私のここまでの流れはまずまずのところだが、
途中まで進めた分析結果のパートに対して、いともあっさりと、
「これ、別に新しいこと書いてないからいらないよね、だから切って、書きなおして」と。
一瞬、目の前が白くなって、黒くなった。
提出まであと1カ月しかないのに、9000ワードに逆戻り。
しかも書きなおし、つまりまた本を読みなおすということを意味する。
まだこの先、論文の核であるディスカッションの部分は手つかずで残っているのだ。
指導教官は「Good luck」と言い残し、スカイプ通話は切れた。
あぁぁぁぁ〜!!せんせぇ〜〜〜(泣、まってぇ〜、いかないでぇ〜(泣
しかし、ここで泣いていても何もすすまない。
やるしかないのだ。やるんだ私!!!
そこから、相当頑張った。
ほぼ不眠不休の1カ月。
何日もシャワーすら浴びず、ぼさぼさの頭で、
眼の下にクマを作り、本とパソコンにかじりついていた。
泥のような濃いコーヒーを飲み、なんだかよくわからないものを食べ、
ひたすら書いた。
。。。あんな1カ月は、もう私の人生に2度と訪れないことを切に願う。
思い出しただけでも、気分が悪くなる。。。
8月の下旬、プルーフリーダーという、
英文校正をしてくれる人に書きあがったものを送り、文法のミスを直してもらった。
数日後、プルーフリーダーから原稿が返ってきて、間違いを直したりなどのエディット作業。
締切が迫り、焦りはピーク、体力も限界を超えているような状態。
でもここを超えたら終われるという思いだけに突き動かされている感じだった。
8月30日、やっとすべてのものを書きあげ、最後の文にピリオドを打つ。
あの達成感は、一生忘れない。
じわじわと、おへその下のあたりから、
ギネスの泡のような、解放感と達成感が合わさった感情が込み上げてくる。
終わった…終わった…終わったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
狭い部屋の中、ひとりでぴょんぴょんと飛び跳ねて、ものすごーく、安心した。
翌8月31日、提出日前日だが、やっと印刷/製本所に駆け込む。
朝9時に原稿データを持って製本所に乗り込む。
6時間のスピード製本コース。
当然、料金は通常の印刷/製本コースより高い。
ええい、金額なんてどうでもいいんじゃ!
締め切りに間に合わせるんだから、高くても払う!払う払う!
同じ業者に、別の友人も原稿データを持ってやってきた。
。。。やはり死神に取りつかれたような顔をしていた。
みんな、同じなのね。。。。笑
6時間後、ブルーの表紙に金色で印字された修士論文を手にした。
まるで私のベイビーのようなものだ。
大事に大事に持ち帰った。
9月1日、午前11時、提出。
その後はコースメイト達と学校のバーで飲んだ。
まさしく祝杯である。
夜は、彼氏くんが老舗のレストランに連れて行ってくれて、お祝いしてくれた。
その次の日もそのまた次の日も、友達と集まって飲んだ。
一連の祝勝(?)パーティが一段落したある朝、目が覚めて、不思議な感覚に見舞われた。
何もすることがない。。。。
もう論文は書かなくていい。
でも論文以外に何をしたらいいのかわからない。
いわばこれは燃え尽き症候群なのだと思うが、ベッドで一日中まどろんでいることが数日続いた。
提出から待つこと2カ月半、11月中旬になって成績が判明した。
「合格!」
これで晴れて、私は修士号保持者になれた。
2年間イギリスで頑張った甲斐があった。
2年間、やりきることができた。
数年来の目標を達成した瞬間だった。
**********
あー、もう修士論文は書きたくないなぁ。
でも、あれをやり切れたんだから、他の事も、
たいていのことは大丈夫なんじゃないかと思えるようにはなった。
修士論文のネタはこれでおしまい。
次は、ロンドンでの就職活動の話を書きたいと思います。









