大阪の歌シリーズNo.4「河内のオッサンの歌」

March 16 [Wed], 2016, 21:47

久し振りの「大阪の歌シリーズ」です。

このシリーズで採り上げた
「酒と泪と男と女」⇒「ここをクリック」
「大阪で生まれた女」
「悲しい色やねん」
の3曲は、故河島英五氏が大阪の歌として選んだものだっただけに迷いは無かった。

今回の「河内のオッサンの歌」は完全にtontonの好み!
恐らく異論もあろう。

しかし、まあ これを聴いてみてちょ!
この河内弁の 圧倒的な下品さ、
しかし、この中に秘められた人間味と温かさ、
これはtonton好みだ。
やはり、大阪の歌 と言った時、この曲を入れない訳には行かないのだ。
「河内のオッサンの歌」はここをクリック

これを歌っているのが、ミス花子
本名:鍵谷和利、1953年生まれの大阪で活動する男性シンガーソングライター。
奈良県吉野郡東吉野村出身。

1976年8月発売の「河内のオッサンの唄」の大ヒットを受け、
同年に東映で映画化もされている
(監督・斎藤武市、出演・川谷拓三、夏純子、ミヤコ蝶々ほか)。
この曲は当初テイチクからの発売が決まっていたが、
上層部から「品がない」と断られ、最終的に日本コロムビアから発売された、という曰くつき

追伸;
ブログ仲間の かんままさんから ご紹介頂いた「ぼくたち大阪の子供やで」はここをクリック
  ↓↓↓
「ぼくたち大阪の子供やで」

大御所 西岡たかし氏 作詩・作曲、1976年10月-11月.NHKみんなの歌で採り上げた曲らしい。




大阪の歌シリーズNo.3--悲しい色やね

November 13 [Fri], 2015, 20:08

久し振りの「大阪の歌シリーズ」第三弾です。

大阪で生まれた昭和の名曲
河島英吾「酒と泪と男と女」
BORO「大阪で生まれた女」
に次ぐ三回目は、上田正樹の「悲しい色やね」

先ずはお聴き下さい。
悲しい色やね

何なのか?! この魂の叫び! 
緊張したハスキーな激白 吐き出す様な叫びは 一度聴くと耳と頭に一生残る。
これはブルースの範疇を越えているのでは?
歌と言う物が 人間の感情の爆溌の はけ口として存在意義を示している?

この曲が何故 大阪の歌なのか?
歌詞のなかに「大阪の海は 悲しい色やね」
と歌ったのは何故?
河島英吾は生前 この歌を上の大阪の歌3曲に入れていた。




作詞:康 珍化 作曲:林 哲司


にじむ街の灯を ふたり 見ていた

桟橋に停めた 車に もたれて

泣いたらあかん 泣いたら せつなくなるだけ

Hold me tight 大阪 Bay blues

「俺のこと好きか」 あんた聞くけど

Hold me tight そんなことさえ わからんようになったんか・・・?

大阪の海は 悲しい色やね

さよならをみんな ここに捨てに来るから・・・

夢しかないような 男やけれど

一度だってあんた 憎めなかった

逃げたらあかん 逃げたら くちびる噛んだけど

Hold me tight 大阪 Bay blues

河はいくつも この街 流れ

恋や夢のかけら みんな海に流してく

Hold me tight 大阪 Bay blues

今日でふたりは終わりやけれど

Hold me tight あんたあたしの たったひとつの青春やった

Hold me tight...





大阪の歌シリーズNo.2−−「大阪で生まれた女」

September 17 [Thu], 2015, 4:55
シリーズ二回目です。

BOROの「大阪で生まれた女」はご存知の方も
歌詞が18番まであることや、その歌詞を全部御存じの方は少ないのではないか?
まともに歌うと30分を超える大作。
作詞・作曲ともBORO。

1番から16番までに高校生時代から始まる恋の物語が綴られ、
最後の17番と18番ではBOROの人生観が語られている。
当時シングル盤にされた一般に知られるバージョンは、
その中でも描写が秀逸な4番と6番の歌詞を中心に構成されている。



「大阪で生まれた女(一般バージョン)」

踊り疲れたディスコの帰り
これで青春も終わりかなとつぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい
東京へはようついていかん
踊り疲れたディスコの帰り
電信柱にしみついた夜

たどりついたら一人の部屋
裸電球をつけたけど又消して
あなたの顔を思い出しながら
終わりかなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やけど 大阪の街を出よう
大阪で生まれた女やけど あなたについて行こうと決めた
たどりついたら一人の部屋
青春に心をふるわせた部屋

歌をお聴き下さい。
一般バージョン
大阪で生まれた女
  ↑↑↑
一般バージョンはこちら

大阪で生まれた女
    ↑↑↑
フルバージョンはこちら

◆本当に心にしみる歌だ。
  女や「さかい」とか、「よう」着いていかん とか
  こんな コテコテの大阪弁を歌詞にした斬新さにも脱帽だ。 
  個人的な感想だが、2番までの一般バージョンでも十分に物語が伝わって来る。
  こんな中身の濃い描写力は なかなか無い。
  大阪の歌 は勿論、昭和の歌 にも挙げたい一曲だ。

−−−−−−−−−−−−−−−
それにしても、BOROと言う名は何なんだ?
調べると−−−−
BORO(ボロ)という名前の由来は、
幼少の頃にオンボロ自転車を乗っていて付けられたニックネーム。
本名、森本尚幸、1954年3月11日生まれ、伊丹市の出身だ。
1970年代の中頃、当時まだ20代前半の彼は、
北新地の夜の盛り場でギター1本で弾き語りをしながら歌手デビューを夢みていた。
「大阪の若い人が歌える今風の歌がない」
客席からのそんなリクエストに応えて、彼はこの歌を紡いだのだという。 
ちょうどその頃、彼は内田裕也に才能を見いだされる。
1977年の暮れ、酔客あいてに歌う「大阪で生まれた女」を聴いて
内田は直ぐさま「いける」と確信し、さっそく歌手BOROのデビューを画策。
フォークでもロックでもないこの楽曲を、内田は
「ストリートミュージック!あるいは関西人にしか作れないブルースだ!」
と評した。
この楽曲と歌手BOROを売り出すにあたって、
内田は、この歌を東西で二人の歌手に唄わせるという戦略を採った。
一人はもちろんBORO、もう一人は“ショーケン”こと萩原健一だった。
テンプターズで一世を風靡した萩原は、
当時すでに俳優に転身しテレビや映画を通じて人気沸騰中。
1979年の5月にショーケンのバージョンを、
そして8月にBOROのデビューシングルとして同曲の連続リリースを実現させた。
内田の思惑通り、相乗効果もあって曲は見事にヒットし、
長きに渡って愛されつづける“大阪の歌”となった。




 
フルバージョンの歌詞
(ネットサイトより→http://www.geocities.jp/scubadive21/sub/ohanasi/boro.htm)
■1■
放課後のグランドで待ち合わせて帰る
二人を西陽がつつんでいる
生徒手帳の中の写真が
愛を教えていた
大阪の風をうけて歩いた
まだなにも知らなかった
大阪は二人にとって大きすぎて
怯えるようにながめていた
放課後のグランドで待ち合わせて帰る
風にほこりが笑ってた
■2■
ある日 母が眠った朝
ただとまどっていた二人
すべてがその日から変わりはじめ
男は夢にむかいはじめた
大阪の街を二人で歩き
少し大人を演じていた
大阪の街は二人を見ていた
小さな恋人達を見ていた
ある日 母が眠った朝
小さな男が歩き出した

■3■
卒業をむかえた 3月のある日
二人はもっと愛しはじめ
この愛のくずれることだけが
とても怖かった
大阪でぎこちなく生きていても
夢を見れないと思ってた
大阪を出ることでそれに変わる
夢を手にいれようと思った
卒業をむかえた3月のある日
愛はより深くなった
■4■
踊り疲れた ディスコの帰り
これで青春も終わりかなとつぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街 よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい
東京へはようついていかん
踊り疲れたディスコの帰り
電信柱にしみついた夜

■5■
男は夢に 立ちむかうけれど
女はまもるものがある
男は壁をのりこえるけれど
女は愛をさがした
大阪で生まれた女やさかい
この街をまもりたい
大阪で生まれた女やさかい
この街で何かをさがしてた
男は夢に立ちむかうけれど
女はまもる愛をみた
■6■
たどり着いたら 一人の部屋
裸電球をつけたげど 又消して
あなたの顔を思い出しながら
終わりかなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街を出よう
大阪で生まれた女やけど
あなたについて行こうと決めた
たどり着いたら一人の部屋
青春に心をふるわせた部屋
■7■
ひかり32号に乗って 東京へと
涙がとめどなく流れつづけた
街をすてることの涙と
止める言葉をふりきる涙
大阪の街をふりかえると
そこにも夢はあった
大阪の街をふりかえると
そこにも愛は確かにあった
ひかり32号に乗って東京へと
二人きりの夢を持って……
■8■
立教大学の近くの小さな部屋
それが二人の愛のかたまり
夢を追いつづける二人は
現実のすべてを見た
大阪で生まれた女やさかい
負けられへんと思った
大阪で生まれた女やさかい
がんばらなあかんと言いつづけた
立教大学の近くの小さな部屋
何もないけど輝いていた

■9■
学生達でにぎわうこの街に
似合いもしない二人のくらし
求人広告を目でおいながら
なんとかなるよとつぶやいた
大阪で生まれた女やもん
夢をもたんとよう生きていかん
大阪で生まれた女やもん
負けられへんそれが口ぐせ
学生達でにぎわうこの街に
今夜小雨の空の色
■10■
今日 西口のロータリーでのもめごと
警官が学生を追いかけてた
生きることに必死の二人には
馬鹿げたことだと思えた
大阪で生まれた女にとって
夕焼け色のビルは喜び
大阪で生まれた女にとって
明日を感じる何かがほしい
今日 西口 ロータリーでのもめごと
テール・ランプに揺れる人影
■11■
あつい日々を生きてた二人
夢は現実にくずれ去ろうとする
苦しみの中で二人の愛だけが
ただ一つの本当のこと
大阪で生まれた女にとって
喜びはどこにあるのだろう
大阪で生まれた女にとって
悲しみはどこにあるのだろう
あつい日々を生きてた二人
愛しか信じるものはなかった
■12■
ゆうべ二人の部屋に届いた手紙
つらいメッセージだった
そんな暮らしをはやくやめて
大阪へ帰れと言っている
大阪から飛び出した若い二人は
とまどうばかりだった
大阪から飛び出した若い二人は
この街で怯えていた
ゆうべ届いた手紙に
目をふさぐ二人がいた

■13■
なすすべもなく眠る人よ
あなたの夢は終りじゃない
現実にくずれ去ることよりも
現実を生きてほしい
大阪で生まれた女が今日
東京を一人 出て行く
大阪で生まれた女が今日
生まれた街へと帰って行く
なすすべもなく眠る人よ
自分をこわさないでほしい
■14■
扉をあける 扉をしめる
きしむような 音がする
心に扉があったら
二人の扉に鍵がかけられた
大阪からの手紙はやがて
色あせた悲しみに変わり
大阪からの手紙はそして
色あせた人生の事実となった
二人には好きな人が出来
やがて大人の扉をあけた

■15■
やがて愛する子供が出来
あの青春を思い出す
やがて愛する子供が出来ても
あの日々は消えない
大阪はめまぐるしく変わって行く
時代を創る人達の手で
大阪を変えて行く時代の中で
あなたのうわさを聞くことがある
ここで愛する子供が遊んでいる
あの日の思い出にありがとう

■16■
最後の手紙
夢をつかんだ人へ
すばらしい人生を創る人よ
あなたがくれた日々に乾杯
大阪は今日もあの日のまま
あなたの青春が残っている
大阪は今日も活気にあふれ
又どこからか人が来る
最後の手紙
夢をつかんだ人へおめでとう
大阪で生まれた女より
大阪で生まれた女より

■17■
すべてをつつむ力があれば
愛は終わらない
たとえばあの陽のように
すべてをつつめば……
そこに 街があり人が住む
そこに 川が流れ、鳥が舞う
そこに 小さなアパートがあり
そこに 永久の愛があるかも知れない
でも それを
大人達は知らない

■18■
青春は何かを
つかもうとする時
ゆがんだ正義を
つかまされもする
それを否定することは出来ない
たとえ小さな過ちでさえも
それは小さな二人の
愛のせいではなく
青春そのものが
ゆれ動く時代



   

【大阪の歌シリーズ No.1】 酒と泪と男と女

September 04 [Fri], 2015, 6:08

新シリーズ「大阪の歌」を立ち上げます。
今後、「悲しい色やねん」「大阪で生まれた女」「河内のあっさんの歌」などを採り上げる予定です。

下の記事では敬称を略します。

最近は、テレビもラジオも面白いものが無く、
目が悪くなって本が読めなくなった先輩が何時も聴いているという「FM伊丹」(79.4 MHz)
を 昼間 よく聞いている。
今日、買い物に行く車中で聴いたボロの「酒と泪と男と女」には胸を揺さぶられた。
ボロがこの曲をカヴァーするにあたって、
生前の河島英五がバックでハモッたのを入れてある。

「酒と泪と男と女」はコチラ

 酒と泪と男と女

 忘れてしまいたい事や どうしようもない寂しさに
 包まれたときに男は   涙流すのでしょう
 飲んで飲んで飲まれて飲んで  
 飲んで飲みつぶれて寝むるまで泣いて
 やがて男は 静かに寝むるのでしょう

 忘れてしまいたい事や どうしようもない悲しさに
 包まれたときに女は   泪みせるのでしょう
 泣いて泣いて一人泣いて  
 泣いて泣き疲れて寝むるまで泣いて
 やがて女は 静かに寝むるのでしょう

 またひとつ女の方が偉く思えて来た
 またひとつ男のずるさが見えて来た
 俺は男 泣き通すなんてできないよ

 今夜も酒をあおって 眠ってしまうのさ
 俺は男 泪見せられないもの 
 飲んで飲みつぶれて寝むるまで泣いて
 やがて男は 静かに寝むるのでしょう

このような挫折した男の心、女の心
19歳の河島がこの歌を作詞作曲したと言う事に、驚く。
彼の叔父の姿を見て作曲したという。

挫折の名人のtontonは、呑んだ後のカラオケでは、必ずこの歌を歌っていた。
歌詞が自分の日常に近いので思わず気持が入り込む。



それにしても、184cmの大男、英五の生きざまは男らしく、
歌も技巧とかじゃなくて、魂で聴き手の心を揺さぶるのだ。
彼は、2011年には肝臓を病んで入退院したりしながらも 
4月の死の直前まで大阪でトーク&ライブショーに出て、
その後に吐血、意識の境を彷徨いつつも「ギターを持って来て」と
息を引き取るまで言い続け、壮絶な最期を遂た。

tontonは当時サラリーマンだったが、彼の死を知って、迷わず、通夜に駆け付けた。
600人の知人・関係者が駆け付けた葬儀とは異なり、
通夜は、奈良の山間の会館でご家族中心にひっそりと執り行われた。
あの大きな身体が収まっている棺が極端に小さく思えて、
その場で涙をこらえきれなかった。
会葬御礼に立たれたご家族に御挨拶したとき、
48歳の若さで逝かれた夫・父を亡くされた悲しみがひしひしと伝わって来て 
また 涙がこぼれた。
気丈にふるまわれていた奥さん、
「野風僧」の様に親父と酒を酌み交わすには少しだけ歳が足りなかった息子翔馬さん、
つい先日、自身の結婚式に出て呉れた父親の死が受け止められない長女あみるさん
歌手活動を始められたばかりで、まだ幼さの残る二女アナムさん。

会葬御礼に頂いた遺作CD「旧友再会」は病院のベッドで英五氏がしたためられたもの。

「旧友再会」はコチラ
  ↑↑↑
 英五氏の死後、追悼と 阪神大震災の復興を祈って開催されるコンサートで
 親友だった南光氏や息子・娘 歌の仲間等々皆で歌うバージョン 


奈良市のお墓には「心から心へ」の文字が掘ってあって
墓の裏側には、
河島英五の手帳に書かれていたという奥さんへのメッセージが彫られている。

「ふりかえると いくつもの幸せ

ふりかえると いくつかの哀しみ

いそがしさを いいわけにして

あなたとゆっくり話すこともなかったが

あなたがいてくれたから

がんばってこれたんだ

あなたを支えにして

あなたに ほめられたくて・・・・

英五


「酒と泪と男と女」の曲が何故 大阪の歌 なのか?
「北新地との縁が深い歌」として、彼自身が大阪の歌と言っていたという。

今年の3月22日から、JR環状線の「桃谷駅」の電車の発着時のメロディとして
この曲が流れていて、先日の大腸検査の際にも聴いた。
桃谷に住んで、録音スタジオもあった縁らしい。


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最近は 近辺散策、野菜作り、お店巡りなど身近なテーマからも色々採り上げて「雑多煮写真ブログ」化しています。
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