サーカス学ゼミ

2018年11月 30日 (金) 11:01
なんとなく原稿の見通しがついてきた。あとはブラジルでの発表の準備、ただそのブラジルでの予定がまったくたっていない、来週の出発なのに航空券さえ来ていない、どうなることやら。ただ準備はしておかない。
3時すぎに家を出て、薬屋に寄って、横浜へ。有隣堂で来年の手帳を購入してから、王子に向かう。
6時半からくしゃまんべでサーカス学ゼミ、今日はサンクトの報告。見せたかった写真をUSBに入れ忘れ。
タカシマの道具をジャグリング関係の人に見てもらいたかったのに。
帰りは直通がなく、白金高輪と武蔵小杉で乗り換え。電車も混んでいた。24時前に帰宅。

大往生

2018年11月 28日 (水) 9:51
そろそろ日の出とウォーキングする時間がかさなりあうようになってきた。ラジオを聞いていたら日の出は6時半ぐらいになっている。船溜まりのカメラマンたちの姿はなく、鳥たちも増えたような気がする。渡来してきたのだろうか。運河にもたくさんの鳥たち。
朝飯を食べてから阿久根さんの自宅に電話、すぐに奥さんが出た。まるで電話を待っていたようにすぐに阿久根さんの臨終の模様を話してくれた。朝4時ぐらいのことだったという、寝言で奥さんの名前を呼んで、ダイスキだと言ってからそのまま息をひきとったという。まさに大往生であった。奥さんは生れてこのかた一度も言われたことがないのに、言われちゃってねと笑っておられた。ちょっとほっとした。阿久根さん、格好いいよな・・・奥さんとは近々お茶でも飲むことにした。
終日原稿書き、ブラジルに行くまでになんとか6本の原稿書かないと、全部ただ仕事だが、仕方がない。

クラプトンに泣く

2018年11月 27日 (火) 9:53
久しぶりにベイサイドにウォーキング。ベイサイドの解体工事はかなり進んでいる。ホテルがあったところと駐車場がすっかり空き地になっていた。
今日は病院デー。まずは歯医者。ここで残念なことが・・・この一年間メンテをしてくれた人が12月で終わりだという。寿というか出産なのだろう。とても親切にしてもらっていたので残念。そのあと糖尿の検診が意外に時間がかかり昼飯を食い損ねて日比谷へ。なんとかファミマでサンドウッチを買ってクラプトンの映画を見る。これはあらためて感想を書きたい。ほんとうに泣ける映画だった。まわり(ほとんど自分より上の世代)ですすり泣きが聞こえてきた。そのあとお茶の水に出て、とても天井の低い二階の洋食屋さんでやっとまともな食事をとる。このあと神田のスタジオへ。安田君プロデュースの「サーカスだん」というトークショーに出演。貸しスタジオらしいのだが、ここからyouチューブなどで生中継するということらしい。信じられないことだが230人がこの中継を生で見ていたらしい。例によってサーカスにちなんだ馬鹿話を70分ほど披露。これはここでも見れる。https://www.facebook.com/mikio.ohshima.5
23時過ぎに帰宅。机の上にこの時期たくさんくる喪中の挨拶ハガキ。なんと阿久根さんが10月に亡くなったという奥さんからのハガキだった。94才だったという。明日の朝電話することにする。

文春書評

2018年11月 25日 (日) 19:33
いま発売中の『週刊文春』(11月29日号)の立花隆の「私の読書日記」で拙著『語り継ぐ横浜海軍航空隊」がとりあげられました。

浜空掃除

2018年11月 25日 (日) 5:49
今日も昨日と同じコース。今日も船溜まりの池には大きなカメラをもった人が群がっている。そんな喧騒を離れて運河ではキンクロたちがスイスイ。彼らの数もこれから増えていくのだろう。浜空碑の掃除。二日がかりでなんとかきれいになる。早めに昼飯を食べて、富岡のジョナサンで浜空の事務局長さんと年末の掃除について打合せ。29日にやることを決定。この掃除をひとつの契機として浜空会を少しずつ広げていきたいと思う。また浜空会の皆さんから寄せられたいろいろな本の感想を見せていただく。やはりぎりぎりのところで出た本であったことがわかる。年末の掃除の時にお目にかかった方が、亡くなったこと、亡くなる前にぎりぎりでこの本を見て、病院で涙ぐんでおられたという。
帰り道久しぶりにライオン君と遭遇。久しぶりと声をかけるのにブスッと目を閉じたまま、耳は動いているのに。
来週は原稿を書きまくらないといけない。その前に気になるのはブラジル行き。わりと迫っているのだがまた最後の詰めの段階で返事が途絶えてしまった。催促のメールを入れる。このための準備もしないといけなくなる。
今日は久しぶりに休肝日。そして早めに就寝。

桑野塾

2018年11月 24日 (土) 17:16
昨日は22時半すぎに就寝。6時半まで寝たので、たぶん時差ぼけはないのではないか。気になっていることがあったので朝ウォーキングへ。ひとつは渡り鳥たちがどうなっているか。船溜まりの池の鳥たちは増えているが、それ以上に驚いたのはカメラマンがたくさんいたこと。飛来してくる瞬間を写そうとしているのだろうか。もうひとつは浜空碑。やはり落ち葉で道が見えないぐらいになっていた。今日は碑のまわりを掃除、参道を半分ほどブロアーで掃除。
10時半すぎに家を出る。東中野のポレポレカフェで開催中の本橋成一のサーカスコレクション展を見る。ただの写真展かと思ったら、いろいろ珍しいサーカスの幕や高玉サーカスの写真などが見れた。なかなか充実した内容だった。高田馬場に出て、歩いて早稲田に向う。途中えぞ菊で味噌ラーメンを食べて、中央図書館で本を返却してから文キャンへ。
3時から桑野塾。今日はジンタラムータさんの大熊さんとみわぞうさんのふたりによるワルシャワレポート。ジンタラムータがクレズマーという音楽で世界に向って確実に歩んでいるという実感がひしひしと伝わってくる。最初は参加者7名の予定だった懇親会も、ふたりの話しの熱気に煽られ、14名が参加。なかなか熱い懇親会になった。こういうところではウォッカよりも焼酎だわな。
23時過ぎに帰宅。上の娘が来ていた。録画はしておいたのだが日本とロシアのラグビーのテストマッチを最後まで見てしまう。リーチはすごいな。このような僅差の勝利で良かったのではなかったか。

サンクトの旅8

2018年11月 23日 (金) 16:41
帰国の日。チェックアウトは12時までなのでギリギリまでいて、片づけ、荷物の整理、メールなどなど。11時すぎには何もすることはなくなり、パソコンもしまい、部屋の中をうろうろ、自分でも馬鹿じゃないかと思う。
チェックアウト。最初の日チェックインしたときのおばちゃんがいた。愛想のいいおばちゃんだ。もう行っちゃうの、どうだったと聞くから、とても良かった、どこがとまた聞いてきたので、朝食も部屋、すべてですと答えるととても喜んでいた。でもほんとうにこのホテルのおかげで拠点ができて、いろいろ動けたし、なぜか他ではだめなのにラインもできたし、有意義な4日間を過ごすことができた。
下に降りて、タクシーで空港まで向う。セルゲイが使っていたヤンデックスタクシーのアプリをダウンロードしていたので、それを使ったみようとしたが、返信のパスワードをもらうところでつまずく。仕方がないのでモスクワ駅まで出てタクシーに乗る。セルゲイの話だと空港まではヤンデックスだと1000ルーブル前後ということだったが、いくらになるのだろう。手持ちのルーブルは3000ほど。足りるだろうか?30分ほどで空港へメーターは2020ほどだった。フライトは4時なので時間はたっぷりあるのだが、チェックインできそうなので荷物を預けて身軽になる。空港の中はなんでも高いので、自動販売のコーヒーを飲んで待合で持ってきた藤山新太郎の「たけし金かえせ」を読了。澤田さんが涙がでてきたというのは、やはり現場となっている松竹演芸場をよく知っているからだろう。たけし論にはなっていない。そろそろチェックインの時間になり搭乗口にいくと、韓国の若い人たちの団体が列をつくっていた。なにをしに来たのだろう。定刻にフライト、この韓国人グループの中にいたのだが、結構笑わしてくれた。機内サービスは水かコーヒー、紅茶しかないのに、ジュースといい、ないと言われるとオレンジジュースと答える。
ターミナルBに1時間のフライトで到着。今度は移動は余裕。ターミナルDはかなりの人ででいっぱい。酒がでないのでワインとビールを購入。搭乗口に行って驚いたのはたぶん5才ぐらいの少年が係員と一緒に待機していたこと。この少年ひとりで東京まで行くということなのだろうか。とても賢そうなハキハキしていた少年。そういえば昔「小さな逃亡者」という映画があったが、あのときも確か日本人の少年がひとりでモスクワに行ったのではなかったろうか?それにしても国内線とかでひとりはわかるが、国際線で日本まで一人で行くとはたいしたもんである。
離陸する前に持参したビールをビシュッと開けて、気持よく飲んでいたら客室乗務員の人がやってきて、何やっているの、アエロフロートはアルコールは禁止ですという。だから出さなかったのかと思う。とりあえず一本は飲みきる。
機内で持ってきた高田渡の「バーボン・ストリート」を読む。とても面白い。最近すっかりはまってしまっている。食事の時ワインをこそこそ出して飲む。酒飲みの嫌らしさ。
そこそこ寝れたのではないかと思う。目が覚めてからくる時も見た「ハン・ソロ」を見る。字幕がないからストーリーがよくわからない。気になる最後、下手すると帰国してまたどこかで見るようになるかも。
定時通り23日11時40分過ぎに到着。家にラインで連絡。荷物も早くに出てきて、12時すぎにゲートに出る。借りていたモバイルルーターを返却。荷物を送ろうかと宅配のところに行ったが値段を見て、がんばって持って帰ることにする。リムジンでYCATへ向う。
着いて腹が減ったので、どこかで食事をと思ったのだが、今日は祝日、ポルタの中のレストランはどこも混んでいる。空いていたところが立ち食いそばに毛のはえたようなそば屋。ちょうどそばが食べたッた。つけとろそばの大盛りを食べる。大満足。富岡からタクシーで帰宅。
親友の死の件で連絡をくれた友人に電話。お礼をいう。そして親友の自宅に電話。奥さんになにもできずに申し訳なかったと電話。自分の書いた別れの言葉を司会の人が読んでくれたこと、そしてその時みんな泣いていたということ、9月見舞いに行ったとき、とても喜んでいたという話しを涙ながらに語ってくれた。それだけ喜んでくれたのなら、なぜまた行かなかったのだという思いがこみあげ、こっちも泣いてしまう。
いずれにせよ早いうちに弔問にいかないと。
これで今回の旅は終わり。

サンクトの旅7

2018年11月 21日 (水) 15:08
昨日は完全に酔っぱらっていたので友人の死をみんな知らせることができなかった。起きてすぐに漂流民の会の人たちに通夜と告別式の日取りをメールで知らせる。そのあと家に連絡して自分からの供花を告別式に間に合うように手配してもらう。漂流民の会からも供花ということで理事さんに連絡、木村会長に手配をお願いする。ここまでやってからホテルを出る。うそのような青空が広がる。サンクトに来てこのような青空を見るのは初めてだ。友人が永遠の旅につくのを見送ってくれるためではないかと思うと、また涙が込み上げてきた。
歩いて東洋学研究所へ。シャープキンさんの案内でまずは東アジア研究室へ行って部屋を案内される。ここにはネフスキイもいたのである。そしてゴレグリャド先生も。シュープキンさんのデスクでいろいろ興味深いアイヌ関係の資料を見せてもらう。これだけでも今日来た意味はあったような気がした。一応ないとは思いますが、アルヒーフに行ってリストももう一度確認しましょうということになった。アルフーフの部屋おおばさんはとても感じのいい人だ。日本関係のアルヒーフのリストを見て、シェープキンさんがおもわず「あった」と言う。みると間違いなくレザーノフの長年探し続けていた辞書の表題があるではないか。これにはシェープキンさんもびっくり。とにかくこれを出してもらう。他の2冊とは違って茶封筒にはいっていた。ノートが4冊ほどまとめられている。そしてあの見慣れた字が。レザーノフの字である。あの2冊も間違いなくレザーノフが自分で書いたものであることが証明されたのではないかと思う。気持ははやる、早くページをめくりたい。しばらく一緒にシェープキンと一緒に前の辞書と見比べながら見ていく。これは増補版というより改訂版と言ったほうがいいようだ。もちろん前の辞書にない語彙もある。ただこれは語順も違っていたりするので、そうとうしっかりと比較研究しなければならない。とても今日だけなのはわかる。とにかく今日できるだけやれるところまで見ることにする。研究室に戻って荷物をとり、ノートを出して見ていく。今日はたぶんすぐにサーカス博物館に行けるだろうと昨日ユリアに言っていたので、Whatappで何時まで博物館にいるか聞く。5時半ぐらいに行くことにして、必死になってノートをとる。これはシェープキンさんも言っていたが、あきらかに最初の頃と最後の方の筆致が違っている。丁寧に書かれていたのがかなりうしろの方はあせって書いているような感じだ。急いでいたのだろう。おそらく長崎でとられていたノートや松前やサハリンでアイヌから聞き取った言葉をあつめたノートを見ながら、清書しようとしたのが、だんだん時間がなくなってきて焦っていったのだろう。それはシトカに向う前のことであろう。この改訂版こそを翻訳しないといけないのではないかという思いを強くする。5時前までかかってノートをとれるだけとって、語数をカウントして作業を終える。あとはこれのコピーがもらえるかどうかなのだが、前とはちがって手続きがいろいろ大変そうだ。今後はメールのやりとりをしながらやっていこうということになった。共同で翻訳して出版できないだろうかと思う。そんなことを話してシェープキンさんと別れる。ここちよい疲労感だった。外は初めてみるサンクトの夕焼けがひろがっていた。友人はこの空のむこうに逝くのだと思った。
途中ドームクニーガによってユリアおすすめのチョコレートを買ってからサーカス場に向う。ユリアは今日はいくつもの団体が来て博物館見学をしているので大変な一日だったようだ。またお茶室でオーリャも交えながら、お茶会。
19時に約束があったので30分ほどいてここを出る。ユリアが地下鉄の駅まで送ってくれた。きれいな丸い月が見えた。駅前でユリアと抱き合って別れる。ほんとうに彼女には助けてもらった。そしてとてもいいお嬢さんだ。とにかく彼女やサーカス博物館を支援しつづけて行こう。
サンクトで地下鉄に乗るのは初めて。次の駅で降りるとちょうど19時前、約束通りで駅でカテリーナさんが待っていてくれた。歩いて彼女のアパートへ。途中レンコムのスタジオを通る。彼女のアパートもレンコムの関係者用の住宅だったらしい。ここで犬と88才になるお母さんの出迎えをしてもらう。お土産のセルゲイからもらった魚をプレゼントしたらえらく喜ばれた。彼女のお手製のボルシチとグルジアのピローグをいただきながら、いろいろな話しをする。今回は3人いるうちふたりの日本学者と会えたということは大きな収穫だと思う。今後の辞書をめぐる展開についていろいろアドバイスをもらう。これはシュープキンさんも言っていたことだが、東北大が訳した辞書のなかに入っていない教科書の部分こそ翻訳にする価値があるのではないかとも言っていた。これは自分も今回あらためて教科書をみながら思ったことでもあった。今後は共同作業ということで進めていくべきだろう。犬が散歩の時間が待ち遠しいようで、テーブルの下にもどって自分の股間を何度もなめるのには参った。21時過ぎにお母さんにお別れ、カテリーナさんは犬の散歩のついでに通りまで送ってくれた。
22時過ぎに部屋に戻る。通夜が無事終わったこと、自分の書いた別れの言葉は友人が家族に渡してくれて、どうするかは家族の判断に委ねたというメールが届いていた。こちらの時間で明日の早朝5時から告別式となる。

サンクトの旅6

2018年11月 20日 (火) 14:22
テレビのニュースは日産のゴーン逮捕ばかり。詳しく報じるというよりはトップニュースとして大事件的な扱い。例によって歩いてクンストカーメラに。スマホのランニングアプリをつかい距離を計ってみる。だんだん寒くなっている感じはある。途中また尿意を催し昨日の30ルーブルの有料トイレへ。トイレに関しては目ざとい自分なのだが、絶対トイレだと思っていた箱がみんな鍵がかかっている。やはりトイレなのだがこの青箱はみんな閉まっていた。11時にクンストカーメラの通用口でシニツキィンさんと待ち合わせ。2年ぶりの再会になる。2年前と同じく隣のフォンドへ向う。昨日無事に許可をもらいレザーノフの辞書を見れたことを報告、そして実際に自分が見たかったものではなかったという話しに、これ以上は無理なのではというような反応だった。すべてやれることはやっていただている、それもとても協力的にやってもらったのでなにか申し訳なくなる。日本の着物を保管している部屋で2年前にも見た着物がすでに用意されていた。前回は遠慮していたのだが触ってみる、手袋を着用するように注意される。思ったより厚手でしっかりしている。問題はこの状態ひっくり返してみると、亀井高孝さんたちが見たものと同じものになった。要は同じものだったのだが、裏返しになっていたということである。おもわず震えが。まさに多賀丸の乗組員が着ていた250年以上前の刺し子の着物が目の前にあるのだ。これをずっと見たかった下北の佐藤さんにすぐに報告しなくてはなるまい。写真を撮影させてもらう。裏返しではないかと最初に発見したのはアイヌ関係の資料を集めに着ていた北海道の佐々木史郎さんだったという。このあとクンストカーメラに戻って日本コーナーにある光太夫が持ってきた扇と硯を撮影させてもらう。一時間ほどの訪問だったが有意義な訪問となった。
このあと歩いてサーカス博物館へ。今日は暇そうで最初はユリアとオーリャとお茶を飲みながら日本の歌舞伎や宝塚の話しをする。ユリアはほんとうに日本のことが好きなんだろうな。去年は上海に3週間旅行したという。
だべり時間が終って、作業に入る。まずはタカシマの道具をもってきてもらい撮影。前回は陳列された状態でガラス越しの撮影だったが、今回は手に触りながら撮影させてもらった。ここでひとつきっとこの道具がここに来たときの経由という記録があるのではないかと聞いたら、それだということですぐにその台帳のようなものを持ってきてくれた。そこにはタカシマの奥さんから買い取ったとあり、1931年何月何日という日付、そしてその中身が書かれていた。驚くべきことにこの中には着物や扇などもあったことがわかる。それはいま保管されていない。ここに移る前にすでになくなっていたという印がついていた。番号を確認して撥とまりの他に保管されている道具を持ってくる。コマとディアボロの道具、そしてなにかわからない道具もあった。すべて写真撮影。そのあと保管されているドイツのショー雑誌「オルガン」のバックナンバーを見る。日本人芸人の広告がないかということだったのだが、この雑誌えらい厚く月間なのだが情報量がえらい多い。この間ユリアはカードを探り日本人芸人の写真を探す。彼女はレスラーという項目の写真の中から日本人のレスラーを探し出す。ここにもいろいろ面白いのがあった。彼女はすでにここで働いて10年近くになるという。だいたい資料のありかはわかっているとのこと。自分も今回探す手順をいろいろ見ているうちにその手作りのシステムが少しずつわかってきた。たぐりよせる方法はまだいくらでもあるような気がした。現にタカシマの情報もいままでのすくなくても3倍は得ることができた。
途中電話が入り今日3時半にくる予定の子どもたちの見学グループが時間が早いがもう着いたので案内してくれというのでユリアは大慌て。こうした見学もここの博物館の大事な仕事。さらにフォーラムの会場となったホールでのさまざまな展示もまた大事な仕事だという。最近面白かったのはサーカスの匂い展。楽屋の匂いや舞台裏の匂いを実際に嗅がせたという。今回のショーのプログラムはえらい立派なものだったがこれも編集しているという。なんかこういう時間って貴重でいとおしいものに感じる。時間が経つのをすっかり忘れてしまった。モバイルリーターのスイッチをオンにすると、とんでもないメールが奥さんから来ていた。今朝親友が亡くなったという。9月にまた具合が悪くなって入院したというので見舞いに行った。一時はずいぶん元気になったように見えたがまた弱ったかなという感じだったので気にはなっていたが、いつものように淡々と話す姿に養生すれば大丈夫かなと思っていた。小学校一年の時からの友人の通夜は21日、そして告別式は22日という。間に合わない。60年近く付き合ってきた男と最期のお別れさえできないのかと悲しくまたなさけなくなってくる。このことはユリアには関係ないので、このことは告げず、時間も時間なのでここを出ることにした。
ホテルまでの帰り道なんども自分のことをののしり、そして友よ、なんでそんな早く逝ってしまうのだとののしった。
部屋に戻り、ネットもラインもつなかったところで情報の整理。ラインはなぜかこのホテルだとつながる。親友の死を伝えてくれた友だちが、告別式で俺が代読するからお別れのことばを書いてくれと言ってくれた。これは救いになった。すぐに書き始める。そしていままでたまっていたものがとめどなく吹きあふれ、号泣していた。ほんとうは友の写真を見て仲間と一緒に泣きあいたかったのだが、ひとりでしゃくりあげるように泣いていた。そして書き終わり友だちに送ったところでベットに倒れ込む。せめて夢の中にでもでてくれるといいのだが。

サンクトの旅5

2018年11月 19日 (月) 3:51
7時過ぎに起床。8時前にノック。朝食のルームサービスだった。小さいホテルなので食堂がないということなのだろうが、それにしてもありがたい。内容も立派な朝飯。ますますこのホテルが気に入った。しかも持ってきたお姉ちゃんが美人。今日のアポは13時なので、ゆっくりもろもろ整理。距離感がいまいちわからないので早めに11時すぎに部屋を出る。今日もちょっと寒いかな・・・活気あるネフスキイ通りを歩くのは気持がいい。あちこちにスタチューを見かけるのだが、彼らは月曜ということもあるのだろうが、半分ぐらいはたばこを吸っていた。だいたい1時間でネフスキイ通りを縦断できる。トイレに行きたくなるが、ネヴア川沿いには見当たらない。ピンチと思ったときにエルミターシュに行ったらトイレの屋台。30ルーブルの有料トイレ。助かった。観光地は有料になる。
エルミターシュから歩いて5分ぐらいのところに東洋学研究所がある。ここを訪ねるのは何年ぶりなのだろう。今日で3回目、最後に来たのは東北放送で番組をつくったときだったと思うので、20年以上前のことになる。
今日お目にかかるのはシュープキンさんという日本学者。挨拶をしてすぐこの前テレビで放映していた「ゴンザ」の番組に出ていた人であることがわかる。今日は今後の閲覧についての打合せかと思ったら、もう許可が出ているので申請している本は見れますという話しにびっくり。申請書を出してずっと返事がなく、いらいらし、昨日のカテリーナさんの話しでほぼ閲覧は無理だと諦めていた。まさか今日閲覧できるとは。ずっと見たいと思っていたアルヒーフはレザーノフの辞書の増補版。いままで何度アタックしたことか。それが今日見れるという。驚きはしたが、どこかで見れるわけがないという気持もあった。この資料はそんな簡単なものではないのである。案の定アルヒーフ閲覧所で出された資料は、かつて見た2冊の辞書と教科書であった。シェープキンさんは来週ある大きなイベント東洋学研究所開設200年でとても忙しいと言っていたので、このあとは会うことができなかった。自分も3時に約束があったので1時間ほど閲覧してからここを出る。正直もうこれまでかなという諦めの気持になった。きっとないのだと思う。それをひとつ明らかにしているのが閲覧リスト、自分もよく知っている日本人の2人の学者さんの名前があった。彼らは増補版のことを知っている、もしもここで見れたのなら絶対にどこかで発表しているはずだ。しかしいままでこのおふたりがこの件に関して書いていないと思う。ということは見れなかったからだ。ここまでやったんだからもういいだろうという気持にはなった。
15時過ぎにサーカス場へ。警備員の案内で3階の博物館へ。ちょうどユリアは見学者グループへの解説中。美人の館長さんがお茶でもいかがと連れて行かれところにスゥエーデンとデンマークのクラウンがいた。小一時間ほど彼らと話したあと、ユリアが戻ってきて、博物館の分類法について説明を受ける。今日は彼女も忙しそう。明日またゆっくりくることにして別れる。
ホテル近くのベトナムレストランでフォーを食べる。これがダメフォーで、インスタントラーメンだった。しかたがないかな。
ホテルに戻りテレビを見ているうちに寝てしまう。たぶん今日は8キロぐらいは歩いている。
気になるのはレザーノフの辞書。カテリーナさんから来たメールをもう一度チェック。彼女はこの増補版を見ているとはっきり書いていた。ないのかなと思ったが、やはりあるのでは。カテリーナさんに事情を説明して助けてくださいとメール。シェープキンさんには自分が見たかった資料ではなかったとメールする。シェープキンさんからすぐに返事。レザーノフ関係ではこの2冊だけしかないという。ただ明後日一緒にアルヒーフを見てみましょうという。こうなると最後の頼りはこれを実際に見たと言っているカテリーナさんだけだ。さあどういう展開になるのだろう。
クマのイチオシ
東映映画「鯨と斗う男」鮎川上映会決定!

「鯨と斗う男」上映プロジェクト

ロケ地鮎川での上映会決定!
高倉健が主演し、60年以上前の鮎川や石巻の活気がいきいきと描かれているこの映画を、ぜひ皆で一緒に見ましょう!

2019年11月30日(土)
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