帰国

2013年02月 28日 (木) 22:03
ずいぶん酒を飲んで搭乗したので、そこそこ寝ているとは思うのだが、帰りは気流の関係なのか5時間ほどのフライトで仁川に着いた。その間二度の食事が出たが、何も食べず、飲まず。なによりもう何も口に入れたくないという感じ。寝酒用に免税店でウィスキーの大瓶を買ったのだが、一口も飲まず。現地時刻午前11時半に仁川着。乗り継ぎのセキュリティーでウィスキーは取り調べ係員にプレゼントすることに。うっかりしていた、液体はダメだったことをすっかり忘れていた。
仁川はワイファイはただだし、コンセントもあちこちにあるし、退屈しない。コーヒーを飲みながら、持ってきた本を読んでいるうちに搭乗時間、飛行機の中で本日初めての食事をとる。
17時30分に到着。荷物がなかなか出てこなかったのだが、この間に若い男性に声をかけられる。「教授ですよね」と言われたのだが、「非常勤で教えたことはあるけど」と答えると、「先生のサーカスの授業出ていました、とても面白かったです」と言われ、すっかり調子にのり、「実はいまもサーカスの仕事でタジキスタンとカザフスタンに行っていて、ソウル経由で帰って来たんだよ、今度サーカスの面白い本書いたから読んでね、一年生なのか、若いうちにどんどん海外でいろんなことを見た方がいいよ」なんて、聞かれもしないことをペラペラと、すっかり世話焼きおっさんになっていた。でも面白いことがあるものである。
リムジンに乗って、YCAT、それから京急に乗って20時半すぎに帰宅。
やはり家の飯がいちばん、ただ昨日からの腹の調子が悪いのは相変わらず。たまっていた新聞を流し読みだけして、就寝。さてこれからはリトルモートだ。トゥイチーがスカイプで読んできたが、悪いけど明日にしてもらう。

さらばアルマトゥイ

2013年02月 27日 (水) 20:19
夜中に何度も目が覚める。ちょっと腹も痛い。昨日食い過ぎなのか、なにかまずいものを食べたのか・・・
6時ぐらいには完全に起きて、パソコンの前に座る。二度ほどトイレに。シャワーを浴びているうちにローマがやっと起きる。彼も腹がちょっと痛いということで、朝は何も食べずにサーカス場へ。ラクダの稽古。昨日より5頭のラクダが指示通りに動いている。ハデルハーンも覗きにくる。ほぼ指示通りに動いていたのではないだろうか。ローマもみんなも満足そう。
ハデルハーンの部屋で軽く打ち合わせ。彼とこんなにみっちりいろんなことを話したことはないかもしれない。ジギドの芸人さんだったのでサーカスのことはよく知っているし、きちんとしたビジネスプランも持っているし、タジキスタンサーカスに対しても援助を惜しまないと言っていただけでなく、実際にムラトやローマを派遣している。サーカス野郎の仲間である。
オリガグループのアーニャが、リングの演技を見せてくれるというので稽古場へ。ハデルハーンも見に来た。こういうところが彼にはある。アーニャはほんとうにいい素質をもった少女である。こんなところでも全然臆することがなく演じた。ハデルハーンがトリックの繋ぎのことでアドバイス。最後にオリガ一家と記念撮影。
ハデルハーンがまた昼飯をご馳走してくれるという。なにがいいというので、できたら軽い食べ物がいいなあ、ということで3年前に行ったことがある日本レストランへ。自分はでかい月見うどんを食べる。この「おすもうさん」という店、なかなかいい日本料理をつくってくれる。ランチタイムだったのが、ほぼ満席。
やはりあまり腹の調子がよくない。
このままローマの部屋まで送ってもらう。メールをチェックしたあと、昼寝。ムラトがやってきたということで起こされる。タジキスタンの音楽や踊りがよくわかるDVDを買ってきてくれた。タジクの民族衣裳はほんとうにカラフルできれいだ。
桃太郎のビデオを見せたり、パルーニンがサンクトのサーカスのアートディレクターに就任したとかの話で盛り上がり、ウォッカを飲み始める。
びっくりしたのはサンクトのサーカスの団長が代わり、新しい役人が就任したときに、パルーニンが自ら手をあげて、アートディレクターを志願したという。
ムラトに送ってもらいサーカスへ。ラクダの稽古を見る。どんどんよくなっているのがわかる。たいしたもんだよなあ。
ローマもとても満足したいみたい。
最後の晩餐ということでもないが、ハデルハーンとローマと3人でヨーロピアンのカフェで食事。
これだけハデルハーンと一緒に過ごしたことはいままでになかった。いろいろなビジネスの可能性について話し合う。
22時にローマのアパートに戻り、メールを再度チェック。そのあとスカイプでローマの奥さんのイリーナと、いま真剣に愛し合っているというスベータと話すはめに。
出発前に景気ずけをということでウォッカを3杯のみ出発。外は雪が降り、つもりはじめている。
空港に24時すぎに到着。とりあえずは遅れずに出発しそうな感じ。問題なくチェックイン。ローマがぎりぎりのところで見送りにきてくれた。相変わらず充実しすぎるぐらいのローマとの旅立ったが、残念だったのはハーリックがつかまらなかったこと。ローマに本は託すことにしたが、ローマも心配していたし、どうしたんだろう。
1時間ほど遅れてチェックイン。明日インチョンでは時間がたっぷりあるのでこのくらいの遅れは問題ないだろう。
座席につき、すぐに深い眠りの世界へ。

アルマトゥイサーカス試演会

2013年02月 26日 (火) 20:08
そろそろ疲労感をつよく感じるようになってきた。ローマは8時に起きて、いま調教中のラクダの稽古に行くと言っていたがこっちもお疲れのようで9時すぎまで寝ていた。シャワーを浴びて朝飯を食べて歩いてサーカス場へ。バンブーのオリガが受け付けのところにいた。3年前のルスツに来ていたヨーカとばったり。すっかり女らしくきれいになっていた。会うなりすぐにフクシマはどうなっていますかと聞いてくる。オーリャの長女ナースチャもコスチュームを着て、スタンバイ。もう8歳になるという。
総裁のハデルハーンもやってきて、彼の部屋で打ち合わせ。そのあと12時から試演会を見る。このサーカス団は基礎がしっかりしているからいい若者たちが育っている。今日見たのはほとんどがサーカス学校卒業したばかりの若者。みんないい演技だった。一番の収穫はオリガとナースチャとアーニャともう一人の女性の4人によるペンギンアクロバット。可愛い!大笑いしてしまった。
総裁が昼飯を食べに行こうというので中華レストランで食事。この人たちはどうしてこんな多く注文するのだろう。あまり美味しくはなかったが、肉ばかり食べていたので、ちょっと胃が楽になったというか、機能し始めたという感じ。
このままアパートまで送ってもらい、部屋で休憩。
17時半にアパートを出て、サーカス場へ。2週間前から稽古がはじまっているというラクダの調教を見学。ローマはめちゃ格好よかった。マネージの真ん中に立ち、笞をもち、大声でラクダに合図を送る。その姿はまさに真のサーカス野郎。ウォッカ飲みのおじさんの姿はそこになかった。2歳前後のまだ若いラクダたちは全部で5頭、いろいろな手続きの費用を含めて一頭5千ドル購入したという。いまカザフサーカスがすすめているドバイでのサーカス公演のために購入されたという。あとで聞いたらローマはずいぶん前にラクダの調教をしたことがあるという。たいしたもんだ。
このあと今日はオーリャの家に招待されているので、迎えに来たサーシャの車に乗ってアパートへ。
肉はなく魚主体のご馳走だったのだが、完璧に食い過ぎ。鏡で見ると顔を丸くなっている。もしかして相当太ってしまっているかもしれない。
24時近くにお暇しタクシーを拾い帰宅。モルダワにいるローマの奥さんとスカイプで話す、そのあとムラトが送ってきたタジクの踊りの映像を見ていたのだが、完璧に瞼が落ちてしまっているので、そのままベットへ。

アルマトゥイへ

2013年02月 25日 (月) 19:56
サーシャの「ローマ、大変だ、飛行機に乗り遅れるぞ」という叫び声で目を覚ます。時計を見ると、8時半。確か飛行機は12時15分発、時間はたっぷりあるはずなのだが・・・今度はローマが「オオシマ、起きろ、大変だ」と起こしに来る。しかたないのでしばらく言う通りにする。お茶だけでも飲めというあたりから、みんな勘違いしていたことがわかり、落ち着いてくる。お茶を飲んで、支度をして下に行くとジャンボが迎えに来てくれていた。どうやらホテルの鍵をなくしてしまったようだ。いったんホテルに戻り、荷物をとり、チェックアウト。鍵のことを言うとサーカスの招待券一枚で話がついたようだ。途中サーカス場の外観の写真をとるこめにサーカス場に寄ってもらう。
空港について時間があるというので、ラグマンとシャシリクの朝飯。ウォッカを三人で300グラム。時計を見ると11時半、今度はやばい、チェックインの時間が終わってしまうとあわてだす。面白い人たちである。空港はものすごい人で混雑している。なんとかチェックイン、このときサーシャがサーカスに招待してあげるよと声をかける。おかげで2列目の席にしてもらった。サーカスのチケットがまだ有効というのはまあ、いいことだ。慌ただしくジャンボとサーシャに別れを告げ、セキュリティーへ。ここもすごい人。なんとか乗りこえ、パスポートコントールを通過。すぐにバス乗って飛行機へ。離陸だよと言われ、飴をもらったところで何故かまったく動くようすがなくなる。なんでもアルマトゥイの空港がどこかの国の代表団が来たので、閉鎖されているという。最初は30分という話だったが、それを過ぎても動く気配はなくなり、いつになるかわからないのでいったん降りて、また次の連絡があるまで待合室で待てということになる。
結局飛行機は2時間遅れでやっと離陸。17時にアルマトゥイ着。外はドシャンベと違って寒い。またダーリの車でローマの家へ。途中チョコレート屋さんに寄ってお土産を買う。このチョコレート屋さんは素晴らしい。それにしてもちょうど帰り時間にあたっているのだろうが、ラッシュがすごい。今日の食事のための惣菜を買ってやっとローマの家に。
シャワーを浴びて、生き返る。ムラトがまたやってきて、さらには下の顔なじみの住人のサーシャもやってきて、宴会がはじまる。途中サーシャにパソコンでネット回線を開いてもらう。これで4日ぶりにメールチェック。57通もメールが来ていたが、DMがほとんどだった。どんだけ返事しなくてはと思っていたのだが、そんなもんである。
さんざんまたウォッカを飲んで、就寝。明日はカザフサーカスの番組を特別に見せてもらうことになっている。

タジクサーカス特別公演

2013年02月 24日 (日) 19:29
2月24日
ストレッチをしてシャワーを浴び、ウコンを飲んで元気に一日のスタート。
機嫌よく日誌を書き終え時間があったのでゲームをしていたらいきなり電気が全部消えてしまう。テレビもストーブも全部消えてしまう。なるようにしかならない、一時間ほどじっとしていたらローマがやってきた。キルギスのおばちゃんはシャワーを浴びているときに電気が落ちたらしい。まずは今日は市内観光。大統領宮殿と公園を見学、
おばちゃんが寄りたがっていた宝石店へ。おばちゃん宝石に夢中になり、ここで40分ほど男たちは待機。ふたつの宝石を購入したようだ。このおばちゃん、だんだん好きなる
お土産屋に寄る。ローマがどうしてもというのでタジクの帽子を買ってもらう。意外に似合っていた。
このあとローマのお姉ちゃんの家へ。昼飯をご馳走になる。お姉さんは娘のズフラと同じように謙虚な人だ、とても美味しい昼飯だった。楽しい時間だった。
サーカス場へ。ちょうどモスクワサーカスの公演が終わったところ、舞台裏に行くと珍しくトルクメニアのふたりがいた。どうやら自分たちを探していたらしい。すぐに話があるからと勝手にディレクタールームへ。いきなりお前を招待したいから住所と連絡先を書けという。名刺を渡したのでそれですむかと思ったのだが、相変わらず変な奴らだ。自分とローマの連絡先をもらって、さっさとかえっていった。
ディレクター室でジャンボとサーシャが集まり軽く一杯。
19時半から今回の出張の一番の目的であるタジキスタンサーカスの全番組を見学。休憩を挟んでおよそ2時間、最後の方ではちょっと涙が出てきた。感想はまた別に書くが本当に若々しいいい番組ばかりだった。
公演後出演者全員に残ってもらい、スピーチ。自分も最後に今日見た印象を皆の前で話したのだが、とにかくアーティストの顔が真剣で輝いていたのがとても印象的だった。なかには涙ぐんでいるアーティストも。来てよかったとつくづく思った。こうした若いアーティストの真剣なまなざしを見て、そしてその演技を見てやっぱりサーカスはいいなあと思う。
このあとジャンボの部屋で、この延長でまた一杯。おくさんも心配だったのだろう、来ていたのだが、この方がまた美人、ジャンボのおやじやるなあ、最初の奥さんが亡くなって、ふたりめの奥さんだという。まだ34歳とか。今日はサーシャの宿舎で二次会。すげえ立派な部屋。
ローマがよほどうれしかったのだろう、ぶちきれて飲んでいた。

タジク日誌2 22年ぶりのサーカス開幕

2013年02月 23日 (土) 11:11
夜何度も目が覚め、そのたびに喉が乾いていたので水は飲んだが、よく寝れたことは確か。まずはストレッチをして、昨日の失敗があるので、お湯が熱いうちにシャワーを浴びる。やはりお湯のシャワーはいい。生き返ったような気がする。
迎えが来るのがたしか11時なので、余裕はある。パソコンの前に座り、連載読み物の原稿を書く。資料をローマのところに置いてきたので、完成とまではいかなかったが、いいところまではかけた。
それにしても外が賑やかだ。ハデルハーンが下で呼んでいるのでドアをあけると、朝飯が用意してあるので食べようという。ハデルハーンもなんで今日は外に人がというか、警察がいるんだと不思議がっていた。まもなくローマがやってきて、さらに迎えの車も来て、出発。迎えに来た若者の話だと、到着予定のダンサー4人がビシケク空港で雪のために足止めをくらっているという。動物は朝5時に着いたとはいえ、ダンサーが来ないとは・・まだまだ波瀾含みである。サーカス場に行くとグラフコも困った様子だった。いつになったら気が休まるんだとも。まったくだ。
自分たちはそのままサーシャが美味しいとお薦めのプロフの店に連れて行かれて食事。食事をしているあいだにアテンドしていた若者のところに電話がはいり、ダンサーが出発したことは確認できたという、「スラバーボーフ(神に栄光あれ)」よかった、よかった。若者はそのまま空港へ行き、自分たちはタクシーでドゥシャンベー最大のバザールへ。途中車に乗った軍服姿の若者たちをたくさん見たのだが、今日はソ連の戦勝記念日、祝日だったのだ。
バザール内を少し歩いたが、特に買いたいものがあるわけでもなく、男三人に魅力的な場所でもなく、ちょっとだけのぞいてタクシーでホテルに戻る。ハデルハーンとローマは下のサウナへ。自分はお昼寝。
15時サーカス場へ。16時開演だが、すでに外は一杯の人。
グラフコがやっとダンサーが間に合った、別な空港に着いてたいへんだったけどといささかげんなりした顔で言う。こんなことが続くととにかく無事で公演が終わってくればと思う。
文化省の役人に紹介されたり、テレビの取材に応じたりしているうちに時間。貴賓席に案内される。客席はほぼ満席。なんでも2週間分のチケットは完売しているという。22年ぶりのサーカス、それもモスクワから一流のサーカスがやってくるのだがら当然といえば当然かもしれない。
10分押しで開演、いいショーだった。ダンサーたちの最初のダンスはちょっとこころもとなかったが、着くのがやっとだったのだろうからしかたがないかもしれない。動物ショーは見事だった。たぬき、だちょう、おうむ、猿、チンパンジー、豹、さまざまな動物がユーモアたっぷりの芸を披露してくれた。この動物たちもきっと疲れていたはず、朝5時に着いて、休むまもなくリハとかあったのだろうから。サーカス場専属の手伝いの人間が調教師に何度か怒鳴られていたが打ち合わせする時間もリハも十分なかったからであろう。
今日見たショーで一番よかったのは地上フライングトラペーズ、これだけ迫力ある演技だと、地上でも空中でも関係ないだろう。圧巻であった。
ここでアントラクト、ジャンボの表情が柔らかくなっている、ローマがグラフコに「初演おめでとう(スナチャーラム)」と手をさしのべると、まだ終わっていないとその手をはねのける。当然だろうな。
後半の頭は鉄棒、自転車のサーシャはバカ受けだった。クラウンがとてもいい、とにかく文句なく楽しめる素晴らしいショーだった。最後のシャムシュールの熊でエンディング。事故もなく無事終わってくれた。フィナーレではローマ、ハデルハーン、三人と立ち上がって拍手を送る。なんか自分のことのようになり、涙が出そうになった。
公演後舞台裏に行ってみんなに「スナチャーラ」の挨拶。ジャンポがもしも動物が来なかったらどうしようとか、ずっと不安だったが、やっとこれで安心できたと顔を崩して、握手してきた。興行主のサーシャも昨日までの険しい顔がうそのよう。ジャンボの部屋で皆でお祝いの乾杯。ちょっと興奮した様子でサーシャがなにやら言うのを聞くと、トルクメニアの総裁と副総裁がこういう祝いの場に全然でてこないのはいったいどういうつもりなんだということらしい。確かに彼らはの姿は見なかった。何をしに来たかということなのだろう。サーシャはいつも誘っているし、いったい何様なんだと不満たらたら。確かに今日はタジキスタンサーカスのお祝いの日、こういう席に顔だすのは当然だとは思うな、確かにあまりサーカス人間ではないような感じの人たちだった。
完全秘密と包装された中からスターリンの顔が描かれているウォッカをあけて、みんなで「スナチャーラム」。ほんとうによかった。
とにかくこれでタジキスタン国立サーカスはまずはサーカスの公演を22年ぶりにサーカス場で開催したということで、一歩を踏み出した。次はいよいよ自分たちのアーティストで公演することが課題となる。カザフもキルギスもその意味ではいつでも応援するというスタンスだ。自分にとっては明日のタジキスタンサーカスのメンバーの公演を見ることがとても大事な意味を持つ。
昨日昼食べたカフェで二次会ということになり、マネージを通ったらタジクのアーティストが明日に備えて、練習をしていた。みんな表情は真剣、いささか固い気さえしている。明日の公演がいかに大事かということを知っているのだろう。自分はとにかくマネージの中で何をやっているかを一才見ないようにして通りすぎた。
カフェの中はとんでもなくうるさく、年寄のグラフコは怒りだし、別なところにいくことに。ただグラフコはサーカス場の隣にあるホテルへ。そういえば自分に東さんが亡くなったあとの日本のプロモーターはどうなっているんだ、お前に頼みがあるんだがいい金持ちのプロモーターを探してくれと真剣な顔で言っていたが、彼は俺もプロモーターということを知っているんだろうか、厭味なおやじである。
近くのカフェで宴会の続き、途中噂のトルクメニアチームがやってきたがサーシャは大人だよな、ちゃんとかまっていた。彼らは祝いの言葉を述べることもなく、ウォッカものまず、トマトジュースを飲んで、サラダと魚をたべて引き揚げていった。そろそろ閉店ということになって追い出されたのだが、その追い出し方がすごい、電気を消してしまい、暗がりのなかで店を出ることに。
ローマに送ってもらって、ホテルに戻る。
しかし肉の食い過ぎだよな・・・・

ドシャンベーへ

2013年02月 22日 (金) 19:39
ローマの声で起こされる。髭だけ剃っておく。全部の荷物も分厚いコートも、まして毛皮の帽子も持っていく必要なんてないということで、スーツケースから二泊分の着替えだけとってローマが持っていくカバンに詰め替える。まもなく空港まで送ってくれるバンブーのオリガの旦那サーシャがやってくる。彼とも久しく会っていないが元気そうだし、相変わらず。コーヒーを飲んで空港へ向かう。最近空港道路ができたようだ。7時すぎに空港に着く、チェックイン。まもなくアルマトゥイサーカスの総裁ハデルハーンがやってくる。再会を喜ぶ。彼とは3年前のカザフサーカスのお祝いの時に会って以来になる。キルギスサーカスの副団長の女性も来ていた。
中央アジアのサーカス団が明日のタジキスタンサーカスのお祝いのためにみんな集まるということのようだ。
20年ぶりに明日から一カ月間モスクワのボリショイサーカスの公演がはじまる。そのお祝いにみんなに召集がかかったということだ。そして自分のために特別にタジキスタンの番組を見てもらうというのが今回の出張の目的となる。9時離陸、朝飯を無理やり食べて、とにかく眠いのでひたすら寝ていた。1時間半のフライトで着陸のアナウンス。窓の外を見ると高い山の嶺が遠くに見えた。あれは天山よりもっと高い山脈だろう。どうやらドゥシャンベーは雨のようだ。アルマトゥイのように雪は残っていない。6度というアナウンス。現地時間11時半ドウシャンベー空港着。
国立サーカスの副総裁とサーシャというコーディネイターが出迎えに来ていた。まずはホテルに荷物を起き、サーカス場へ総裁のジャンボーの熱い抱擁。お前と会いたかったぞということだ。彼ともカザフサーカスのお祝いの時に会ったのだが、妙に気が合い、アジアつながりということで、サハのセルゲイとハーリックとジャンボとはいつも一緒だった。昨日オープンしたばかりというサーカス場のなかにあるカフェへ。ジャンボが自分の手を握りしめ、カフェまで案内してくれる。ちょっと早めのランチを、ちょっとだけウォッカを飲んで食べる。トルクメニアのサーカス団の団長も合流。まさに中央アジアが集まったという感じである。ジャンボがぜひというのでタジキスタンコニャク(なぜかチョコレートと呼んでいた)を飲んでみる。名前の通りチョコレートの味がする。チョコレートもついている。
食事のあとサーカス場へ。ルスツとリトルに来た自転車のサーシャ、カザフのクラウン、デニスと再会。今回のクラウンを紹介される。お父さんがよく日本に来ていたらしい。話を聞くとたぶん去年ニクーリンサーカスをモスクワで見たときのクラウンであることが判明、明日の公演を見るのが楽しみだ。
グラフコが心配していたが20年以上使われてなく、修理もしていないので、廊下を歩いて突然穴があったりとかあるので、舞台の上でも予想していなことがおこるかもしれない、それが嫌なようだった。
ホテルに戻り、しばし休息。とにかくベットにごろん。あまりにもこの二日間の睡眠時間が少なすぎる。
現地時間16時(日本時間20時)目が覚め、ストレッチをしている間にお湯をだしておく。お湯は出ているようだ。
しかし実際にシャワーを浴びるとき水になってしまう。大急ぎで石鹸をおとす。当たり前だがネットはつながらない、携帯はつながるようだが、携帯でネットを見ることはできない。これでこのここでの3日間はネット孤児となる。まあこんなこともあっていいだろう。
19時に車が来ることになっているのだが18時すぎにドアにノック。ハデルハーンだった。部屋は寒いし、石鹸はないし、お前のところはどうだということだった。
しばらくいて町で両替してきたようで、水を3リットルもってきてくれた。それでは持ってきたコーヒーでも飲もうかということになる。キルギスのおばさんもやってきて、ローマも来て、コーヒーをいれる。
迎えの車が来たので、まずはサーカス場へ。キグレで6年間働いていたシャムシュール夫妻が待ち構えていた。確か前もタシケントのサーカスで会った。サーカスの世界ではよくあることだ。
10人ぐらいで町のレストランへ。ヨーグルトスープと馬の肉が美味かった。燕らしき鳥のスープはちょっと自分には無理だった。
今回のプログラムの演出をしているグラフコの機嫌がよくない、明日初演なのに動物たちがまだ到着していないのが気になってしかたがないようだった。この公演の興行主のサーシャに朝からいつ到着するのかずっと聞いているようだ。今回のサーシャの答えはあと80キロのところまで来ているというもの、到着は真夜中になるなとみんな少し安心していた。ここでジャンボが乾杯の音頭をとる。明日は22年ぶりに我がサーカス場で、サーカスの公演がある、こうして日本からも中央アジアの国がこうして集まってそのお祝いをしてくれる、国境なんかないだと言ったところで席を外していたサーシャが興奮した様子で「ウズベキスタンの国境のところで、動物たちを通さないと言っている」と半ば吐き捨てるよう叫ぶ。みんなが一瞬で暗い表情に。国境はあった、ウズベキスタンの間にと隣でシャムシュールがつぶやく。22年ぶりの公演の目玉は、たくさんの動物たちである。これが来ないとなるとショーの魅力は半減する、それはみんな知っている。
ジャンボに皆がとにかく国の誰かに交渉するように電話しろとアドバイス。どこかにジャンボが電話する。この場で一番この事態が辛いのはジャンボのはずなのだが、彼はそんなへこんでいない。来なかったら来なくてもいい、それは神様が決めることだとおっとりしたものだ。そんなことよりこうして日本からわざわざ来てくれた友人がいるということの方が大事だし、彼に私たちのサーカスを見てもらうことの方が大事だとも言っている。その表情はほんとうに穏やかなものだ。この男のいいところはここにあるのかもしれない。サハのセルゲイやローマやハデルハーンに可愛がってもらっているのは、役人ぽっくない、こんなところにあるのかもしれない。また電話が来たらしく席を外していたサーシャが、また興奮したようすで「明日の公演は成功する、まちがいない、動物たちがウズベクの国境を越えた」という吉報を知らせる。みんな席を立ってウラーと叫ぶ。鳥肌がたつような瞬間だった。この様子を隣でずっと見ていたテーブルの席から、お祝いだとウォッカが一本プレゼントされる。そしてみんな立ち上がってサーカスのために乾杯。ジャンボもうれしそうだった。
ひとつ落ち着いたところで、自分が乾杯の音頭をとることに。
「ジャンボと知り合えたのは、3年前のアルマトゥイ、こうしてタジキスタンサーカスの一番めでたい席に呼ばれて本当にうれしく思う。サーカスは小さな世界、でもその小さな世界の扉をあけると、大きな人の輪が待っている。こうしてこの場でいまみんなとうれしい場を共にできること、こんな幸せはない」と珍しくいいことを言って、皆からもいい言葉と褒められながら乾杯。このあとジャンボが付け足しといってあのときアルマトゥイで自分たちはほんとにいい友だちになった、お金のことではなく、精神的なつながりを持てた、そして私たちのサーカス団のお祝いにわざわざ来てくれた、ほんとうにうれしいと答えてくれた。
21時半ぐらいにお開きになった。外では雨が降っていた。慈雨のように思えた。
部屋に戻り、そのままベットにばたんキュウ。

カザフ・ダジク日誌1

2013年02月 21日 (木) 12:40
朝4時目ざましの音で目が覚める。奥さんがコーヒーを入れてくれる。飲む前にメールチェック。長い英文のメール、嫌な予感。ちょっと困った事態だ。すぐに返事を書いているうちに、いい時間になる。あわててコーヒーを飲み、家を出る。富岡始発の電車に乗って、横浜へ。始発なのに結構人が乗っている。横浜で降り、YCATでバスに乗り、成田へ。
携帯で困った件に関して、引き継いでもらっている同僚にもメール。
7時に空港着、送っておいた荷物を受け取り、荷物を少し積み替えてからチェックイン。時間がなかったのでお土産を用意していなかったので、おみやげ物を購入してからチェックイン。同僚と電話で対応策について話す。
8時半搭乗開始、機内食を食べてからはひたすら眠る。
定刻どおり仁川空港着、ここで乗り継ぎ手続きをして搭乗口へ。エアアスタナに乗り換え、一路アルマトゥイへ。腹が減っていたので、昼飯をぺろり。ビールがロング缶というのはありがたい。
持ってきた沢木耕太郎の新作「キャパの十字架」を読む。飛行機はガラガラ、読み終えたあと窓の外を見ると天山山脈が延々と続く。相変わらず素敵な光景である。2時間ほど続いたのでは。飛行機はウルムチの上を飛んで、現地時間18時アルマトゥイ空港に到着。上から見ると雪景色だったが、外はそんなに寒くなかった。来る前にネットで見たらアルマトゥイは零下15度ということだったので、シベリア対応(分厚いコートに毛皮の帽子)で来たのだが、はずれたかもしれない。入国審査のところをローマが自分を探しているようだが、気づかない。ローマに向かって手を振ると自分の格好を見て、大笑い、帽子をとれというので帽子をとる。審査が終わってローマと抱き合って再会を喜ぶ。すぐに荷物も受け取り、外へ。やはりそんなに寒くない。前にローマのところで猫の調教とクラウンをしているムラトも迎えに来てくれた。ジギドのお兄さんの車でまずはローマの家へ。車中ローマがすぐに教えてくれたのはハーリックの消息。なんでも山の中に引っ込んでしまい、携帯の電波も入らないところでなかなか連絡がつかないという。第二夫人のサーシャのところにも一週間に一度ぐらいしか電話が入らないとのこと。今回ハーリックやローマのことも書いたエッセイが入っている自分のできたてほやほやの本を持ってきているので、ぜひ会って渡したいというと、すぐにローマがサーシャにその旨電話。
ローマの部屋にまずは荷物を置く。奥さんのイーリャは実家のあるモルダワのキシニェフにいるという。まずはローマに出来立てほやほやの本を渡す。自分のカバの調教している写真がでていたのと、ぽこぶよー団の洋子さんが描いたサーカス三兄弟の絵が出ているのをみておお喜ぶ。翻訳してくれないのかと言われる。
下に降りて、ウズベグレストランへ。日本時間で22時、今日は機内食だけなので腹は減っている。ローマが頼んだ鬼のような量のシャシリークと久しぶりに飲むウォッカで乾杯が続く。
こうしてブラート(兄弟)と会えることができてどんだけうれしいかと、うれしいことを言ってくれる。
三人でウォッカ2本、満腹になったところで、帰宅。
寝る前に奥さんのイーリャとスカイプで話す。イーリャは婦人科の病気で最近手術したばかりだという。スカイプを切ったあと、ローマが兄弟だからいうが、新しい恋人ができて、真剣に愛し合っている、それはイーリャも知っているという。相変わらずお盛んなことだ。その若さを少しおすそ分けしてもらいたい。ただイーリャも認めているというのは勝手な都合のいい思い込みだとは思うが・・・
荷物の片づけもそこそこに明日も6時半出発なので、就寝。

大旅行記8

2013年02月 20日 (水) 22:47
書名 「大旅行記8」
著者 イブン・バットゥータ 編訳 家島彦一 出版社 平凡社(東洋文庫) 出版年 2002

ついにバットゥータの旅も大団円を迎えた。この巻は膨大な索引が半分を占めているのだが、決して旅のエピローグでお茶を濁すような内容ではなく、こんどはサハラ砂漠を越えアフリカの深部スーダンまで入り込んだ旅の記録になっている。家島の解説にもあるようにこれはバットゥータが身を寄せ、そしてこの旅の記録を残すことにもなったマーリン朝のスルタンの命を受けて、スーダン王国の実体を探る隠密の旅だったというから、その記録もなかなか迫真に満ちたものになっている。自分の知識の足らなさを暴露するようだが、この中世の時代にアメリカは決して暗黒の大陸であったのではなく、交易がダイナミックに交わされていたことがよくわかる。この中でもレポートされているが人食い族もいたようだし、理解を超える文化も多々あるが、なによりサハラという不毛の砂漠を幾筋もの道が行き交い、塩と金に主体とした交易がダイナミックに行われていたことがよくわかる。
それにしてもこの8巻からなる25年のダイナミックな旅の記録、人と人のまじわり、モノの動き、そしてイスラム社会のネットワーク、いろいろな歴史の見方を教えてもらったような気がするし、この時代のモノと人の動きについてもっと知りたくなってきたという意味で、また新たに扉を明けてもらったような気がする。
いい本を読ませてもらった。

ビザゲット

2013年02月 20日 (水) 22:06
今日も走って今月も100キロ走破したことになる。
ビザを取りに、広尾のタジキスタン大使館へ。最初に応対してくれた領事が出てきて、笑顔でビザのついたパスポートを渡してくれる。出発前日になんとかビザをもらうことができた。こんなことばかりだな。
明日出発ということになったので、いろいろやることがあるのでそれをひとつひとつ片づける。ローマからメール、滞在中のスケジュールプラン。お前を退屈はさせないぜという最後の一言が怖いな・・・
スケジュールをつくり、リトル出演者に一週間ネットが使えないかもしれないので、ローマのメルアドと携帯を知らせるメールを送る。トゥイチーからスカイプ。あわただしくなんとかクリアしたかな。
16時過ぎに会社を出て、新宿歌舞伎町のルノアールへ。今日は「サーカスは私の大学だった」の最初の取材、なんと呼び屋の大先輩康芳夫さんと対談。神彰の評伝を書くときに取材させてもらってからなのでずいぶん久しぶりにお目にかかる。『満洲浪漫』も読んでくれたようで、長谷川濬さんのことや神さんの話、アートライフやアートフレンドの話などずいぶん面白い話が聞けた。康さんはよく覚えてくれたようで、最初会ったときに濬さん面白いよってと言ってくれたのは康さんだった。いい話が聞けたし、さすが康さん、両方ともよく読んでくれている。
ルノアールを出ると、野毛の福田さんから電話、本が届いたらしい。あの一ページカラーのいかがわしい顔写真が気に入ったようだ。「あの下品な顔をカラーでね、かっかっかっ」と楽しそうだった。
これから皆さんのもとに本が届くわけでどんな反応がくるのか楽しみだな。
明日は4時起きということで、今日は休肝日にする。
クマのイチオシ
東映映画「鯨と斗う男」鮎川上映会決定!

「鯨と斗う男」上映プロジェクト

ロケ地鮎川での上映会決定!
高倉健が主演し、60年以上前の鮎川や石巻の活気がいきいきと描かれているこの映画を、ぜひ皆で一緒に見ましょう!

2019年11月30日(土)
牡鹿半島ビジターセンター


「石巻学」第4号!

「石巻学」Vol.4 石巻にはいつも音楽があった

2019年7月10日発売!
3号刊行から約2年。今回は音楽の街石巻の間口の広さと奥深さをたっぷりと味わってもらう一冊となりました。



アートタイムズ最新号!

アートタイムズ11号
『タキエさんがいた!』

デラシネ通信社 / 2014年4月25日発売
ドイツの肝っ玉母さん
ルジチカ多喜枝の生き方

ちょっと信じられないような、愛と豪快さに満ちた人生!


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