旅の終わり

2012年10月 13日 (土) 23:56
このところずっと忙しく、早くにしなければならなかったのだが、なかなか時間がとれなかった。やっと今日長谷川濬さんのお墓参りをして、この取材および執筆の長かった旅にピリオドを打つことができた。
11時20分に次男の寛さんと八王子駅の11番バスターミナルで待ち合わせをし、バスで八王子中央霊園に向かう。やっと秋らしいきれいな空と雲が望まれ、お天気も暑からず寒からずと絶好の天気となった。ここを訪れるのは二回目、あの時も寛さんと一緒に「木靴をはいて」という濬さんの詩集をつくったとき、そのご報告で訪れた。ちょっと肌寒かったが桜の花も咲き始めていた頃だった。
終点のバス停からゆっくり坂を登って霊園にたどりつく。寛さんがお墓をきれいして、花を飾り線香を立ててくれたところで、リックサックからおもむろに「満洲浪漫」を取り出して、墓前に飾り手を合わせた。いろいろな思いがこみあげてくる。ただとにかくこうして本の完成を報告できて感慨無量、ほんとうによかったと思う。寛と濬さん、濬さんと私と交代で記念写真を撮る。ふたりともめちゃめちゃいい顔していたと思う。寛さんがあの時濬さんのノートを見せてくれなければ、ここまでは辿り付けられなかった。やはり寛さんと一緒にご報告できたこと、それが一番うれしい。
およそ8年にわたる旅となった。長い旅だったが辛いと思うことはあまりなかった、実に楽しい旅だった。こうしてここでこの長谷川濬を追いかける旅が終わるのかと思うと少し寂しくもある。
八王子に戻り寛さんと遅い昼食をとった。そしてその席で、お借りしていたノートをどうするかについて寛さんから話があった。私が必要と思うもの以外はお返しすることにした。それは当然のことなのだが、最初の頃は自分で預かるということも考えていた。ただあくまでもプライバシーに関するもの、家族の人がもつのが当然のことだと思う。
机、引き出し、本棚はもう少しあとになってから片づけるようにしよう。
ただ取材の旅は今日で終わりだ。ほんとうに濬さん、寛さんありがとうございました。

李香蘭

2007年02月 12日 (月) 11:35
テレビドラマ『李香蘭』
放映日 2007年2月11・12日 テレビ東京

テレビ東京がかなり力を入れてつくった4時間以上のドラマ。原作は日経新聞の私の履歴書で連載され、単行本にもなっている「李香蘭を生きて」。いま私が追いかけている長谷川濬とも接点があるので、もちろんこの自伝は読んでいる。ドラマを2夜続けてみるなんて珍しいのだが、満洲と上海が舞台で、しかも中国でオールロケしたというし、わりときちんと見た。一番の期待は、長谷川濬が出てくるかということだったのだが、満映関係者では根岸、内田ぐらいが顔を出しただけで、残念ながら長谷川は登場しなかった。当然といえば当然なのだろうが。やはりこういうテレビだと、甘粕、川島芳子、川喜多長政など有名人ばかりが登場するのはやむを得ないのだろう。
李香蘭というか山口淑子の人生は、まさに波瀾に次ぐ、波瀾、それだけをたどるので精一杯という感じがした。彼女のエピソードをなぞるだけに終わったような気がする。このドラマの中で、李香蘭を生きなければならなかった女性の人生のなかで、どんなことを言いたかったのか、それがとても希薄なような気がした。満洲で、中国大陸で中国人と日本人の間で生きることを余儀なくされた女性を、ただ描くだけでは、見るものに伝わるものがないような気がする。
主演の上戸彩は、がんばって演じていたと思うし、歌の場面もよくこなしていた。ただ全編中国ロケということがあったのかもしれないが、時代考証が甘いところも多々あった。日劇の七回りのシーンも、あれは日劇じゃないし、ラストシーンのリューバチカの父母の墓のシーンもロシア正教の墓じゃなかった。つくりが雑だったという感じは、否がめなかった。
エピソードだけでなく、きちんとしたメッセージをこめて、書かないと人の胸には届かない、それはいま自分が書こうとしている長谷川濬のノンフィクションを書くうえでの警句になった。その意味では見て良かったのかもしれない。

文化座「冬華(ふゆか)−演劇と青春−」

2006年12月 29日 (金) 0:24
我が悪友のひとり野毛の餃子屋のおやじ福田豊が、「新聞はいいよね、必要ないことも書いてあるから」と言っていたが、これは蓋し名言である。ネットの時代、必要な情報はパソコンのキーを叩けば、すぐに入手できる。ただ必要ないことのなかにもいろいろ情報はあるのである。
 文化座が、「冬華」という芝居を上演することを知ったのは、朝日新聞夕刊のマリオンのちいさな情報欄だった。敗戦間際満洲を巡業していた劇団が敗戦とともに満洲で足止めをくらう、終戦後の混乱のなか寒さと飢え、ソ連兵の掠奪がはびこる新京で、劇団は芝居を上演する、実話に基づいた話という解説を読んで、これは見なければならないだろうと即座に思った。何故ならこの上演には、長谷川濬も一肌脱いでいたからに他ならない。
川崎賢子は『彼等の昭和』の略年譜の一九四六年の項で「濬は、この春、巡業中敗戦となったため満映の社宅に滞在中だった劇団文化座を世話し、在留民団の後援で、吉野町の市公会堂にて、三好十郎作「彦六大いに笑ふ」公演を実現させる」と書いていた。
もしかしたらこの「冬華」という芝居の中で、長谷川濬に会えるかもしれないと思ったのである。当時八才だった長谷川濬の次男のHさんを誘い、六本木の俳優座にこの芝居を見にでかけた。Hさんにとっては辛い思い出しかないこの時代をテーマにした芝居を見ることは、過去の傷跡をほじくるようなもので、一緒に行ってもらえるかどうか、自信はなかったのだが、Hさんはすぐに同行を了解してくれた。
文化座は、バリバリの左翼劇団といっていいだろう。左翼劇団という言葉はもう死語なのかもしれないが、自分にとってはこのレパートリーではなかったら決して見ることがない劇団だと思う。同じような時代を背景にした井上ひさしの「紙屋町ホテル」、「志朝と円生」と比べたらやはり脚本の力は弱いのは否がめない。でもなんというのだろう、見ている方が恥ずかしくなるほど直球でぐいぐい押してくる、そこがこの劇団の持ち味なのだろうと思った。戦後終戦後の新京の辛い状況を描く場面が続くたびに、隣に座るHさんのことが気になってしかたがなかった。公演後「辛かったのではないですか」と思わず聞いてしまったのだが、Hさんはいつものように淡々と、「懐かしいですね」と答えておられたが、いろいろな思いが交錯したのではないかと思う。この時Hさんは、文化座が滞在していた社宅に住んでおり、同じ時代を共有していたはずなのだから。

デラシネの女 2

2006年03月 12日 (日) 16:23
次男のHさんとお会いする時もそうなのだが、とにかくお話が楽しい。文学のこと、絵のこと、映画のこと、自分も興味あることで話題が盛りだくさんで、ついつい時間が経つのを忘れてしまう。時計をみたらもう6時。それではと言うことでレストランを出た。帰り際に写真を一枚撮らせていただく。帰り道なじみのウコンの店に寄るというのでついていく。実は昨日と今日市場で安いウコンを5袋も買ってしまっていた。この店のウコンは値段が5倍ぐらい。きっとこっちのが本物なんだろう。店を出たところで別れる。
沖縄に来たのに、日本酒と蒲鉾じゃしょうがない、沖縄そばぐらい食べようと思い、居酒屋へ。国際通りに面したところで、観光客相手かなあと思ったら案の定。海ぶどうは新鮮で美味かったが、あとは「波の上」の方が圧倒的に美味しい。コンビニで泡盛の二合瓶を買って部屋に戻る。フロントから電話、Rさんからの預かりものがあるという。ウコンだった。一緒に入っていた手紙の字は、まさにずっと見慣れている濬さんの字そのままであった。
RさんもHさんも、きっと父である濬さんのことが大好きなのだ。今日のRさんの話しを聞いても、定職ももたない父をもち、相当貧乏もしていた。それを親のせいでというそぶりがまったくない、あたりまえのように受けとめ、みんな独立し自活していくばかりか、父と母のために援助を惜しまなかった。それは子供たちには当たり前のことだった。日記で知る長谷川濬とはまた別な長谷川濬が、子供たちのなかにいる。その落差に最初はとまどったものの、それは当たり前のことだと思うようになっていた。
そしてますます長谷川濬という存在が大きなものになってくるのを感じてきた。

デラシネの女 1

2006年03月 12日 (日) 15:38
8時すぎには目が覚めたのだが、ベットからなかなか脱けられない。12時から濬さんの長女のRさんとの約束。本当はその前に首里城でも見ておこうかなんて思ったのだが、とてもそんな気力はない。11時すぎにホテルを出て、また国際通りを散策。しかしここは南国である、半袖でも寒くない。そういえば携帯に野毛の福田さんから着信の履歴。昨日の噂話で、くしゃみでもでたのだろうか?電話してみるといたって真面目な話しだった。12時に待ち合わせの三越のファミリーレストランへ。まだRさんはいらしておらず、腹が減っていたので先に食事をすませる。30分すぎても来ないので日にちを間違えたかと気になり、自宅に電話してみるが、出ない。と思ったらRさんが現れる。今年72歳になられるというが、お若いのにびっくり。濬さんが書いた日記にはよく登場してくのだが、だいたいこちらが予想していたような感じだった。沖縄に来られたのは、いまから7年前。リューマチに悩んでいたが、ハワイに行くと痛みがないので、南国に越そうか、ただ田舎はいやだ県庁所在地でないと、ということで那覇に引っ越してきたという。知り合いもなく、よく決断をと尋ねたら、私は長谷川の血が流れていますから、コスモポリタン、根無し草、ぜんぜん苦になりませんとのこと。なるほどである。今日はこちらから何かお聞きするというよりは、Rさんの思うままに濬さんのことを語ってもらえればと思っていた。圧倒されつづけた5時間半だった。

那覇で一の蔵

2006年03月 11日 (土) 15:20
家を11時すぎに出る。ヤフーの路線検索通りの電車に乗るものの、てっきり羽田までいく電車だと思っていたら、蒲田で乗り換えしなくてはならないのだったらしい。しかもすっかり寝ていて、気づいたら電車は蒲田をすぎ、品川に向かっていた。品川で羽田行きの急行がちょうど来ていたので、走って飛び乗る。時間的にはかなりきびしい。羽田に着いて走る。便利なもので、京急の改札口の外にすぐに搭乗手続用の機械がおいてある。滑り込みセーフ。波乱の幕開けである。
機内では走り疲れかすぐに寝てしまう。目が覚めてからは、持ってきた長谷川濬の日記の最後の一冊を読む。彼が20年間ずっと日記のなかで、断片的に書いてきた従妹との恋愛にも似た関係、そしてその従妹と親友の結婚、さらには大阪時代の不倫について、はっきりとしかも詳細に書いてあった。すべての謎がとけた。およそ2時間半のフライトで那覇空港着。モノレールで安里へ。ホテルは駅の真ん前。チェックインして少し休んだあと町に繰り出す。国際通りを歩き、市場をのぞく。沖縄の魚はみんなカラフル、あまり美味しそうではない。
19時前に漂流民の会員で、仙台出身のIさんが一年前に出したという「おりじん」という店に行く。メールのやりとりはしていたものの、会うのは初めて。並んでいる並んでる、わが郷里の酒が。仕入れたばかりという八戸の酒から、一の蔵、浦霞。途中から一度仙台でお会いした琉球大で言語学を教えているKさんご夫妻もやってきて、レザーノフの辞書や若宮丸のことで盛り上がる。土曜は暇という噺だったが、お客さんはひっきりなし。やっと落ち着いてから、知らない内に自分の独演会になってしまった。話しは野毛にまで及び、Iさんはすっかり野毛に幻惑されていた。結局2時半まで飲んでいた。歩いてホテルに戻る。ちょっと小腹がすいたのでラーメンを食べてから部屋に戻る。

函館篇2

2005年08月 28日 (日) 11:05
市電宝来町停車場近くの文学館を訪ねる。予定にはなかったのだが、市電に乗っている時みかけ、ここだったらきっと長谷川兄弟についてなんかはあるだろうと思った。入場料300円。濬さんの同級生亀井勝一郎の「函館八景」のエッセイに従い、函館名所のパネルが入り口に飾られてある。濬さんも日記によく書いているガンガン寺のポプラ並木、立待岬などもでている。この本は買わないといけない。長谷川兄弟コーナーは突き当たりにあった。海太郎と四郎は、びっちりと刊行本や関連資料が置かれているが、濬さんのところは、「偉大なる王」と「私の動物たち」と翻訳本が二冊置かれているだけ。ただ5点の写真が参考になった。新婚当時、長女誕生の時、妻の両親たちとの写真など貴重なものばかり。妹の玉江がもっていたものらしい。それしても濬さんは善人まるだしの顔をしている。それはほかの3人と違う。正直まるだしの顔である。函館八景にヒントを得て、もう一度元町近辺を歩くことにした。

函館篇 1

2005年08月 26日 (金) 17:19
また夕べ腹痛で目を覚ます。目覚めが悪い。とにかくコーヒーだけ飲んで、ホテルを出る。駅まで行って、荷物を預け、函館市内の地図と市電一日乗車券を購入。まずは長谷川濬の生まれた元町を目指す。市電の末広町で下車。長谷川家の生家は、ハリスト教教会とカトリック教会の間の脇にあったという。いまの元町茶廊があるあたりかもしれない。このあたりはいわば観光スポットのメッカ。観光客の行き交いが多いところでもある。長谷川の少年時代の思い出に出てくるのは、ポプラ並木と、ガンガン寺、招魂社での七五三。ポプラ並木はいまはない。しかしやはり坂の多いところ、それぞれの坂から見下ろす海の景色が微妙に違う。啄木も代理教員を勤めていたという弥生小学校は、生家があるところから10分くらいだろうか? 家から学校に行くまで、やはり毎日海を見下ろしながら通ったのだろう。当時港には北洋に向かう漁船、外国船で賑わっていたというが、そういう景色は学校の行き帰りにしょっちゅう見かけていたのかもしれない。そして回りのエキゾチックな寺院。小さな時から海のにぎわい、そして異国情緒は、身体に染みついていたのではないか?
それにしても弥生小学校は、へんな建物の学校だ。外国の学校のような感じ。およそ日本の小学校とはおもえない建物であった。この途中に船魂神社がある。これは長谷川の小説に出てくる神社。わりと小さくこじんまりした神社だった。ここからも海が、木々の間から臨むことができる。
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東映映画「鯨と斗う男」鮎川上映会決定!

「鯨と斗う男」上映プロジェクト

ロケ地鮎川での上映会決定!
高倉健が主演し、60年以上前の鮎川や石巻の活気がいきいきと描かれているこの映画を、ぜひ皆で一緒に見ましょう!

2019年11月30日(土)
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