鬼面2 

July 05 [Thu], 2007, 10:02
鬼面の習慣は関西方面に多く見られます。
住宅にも見られますが、お寺や神社に多く見られます。
でも、細かくいえば、住宅と神社仏閣とは、意味合いが多少違うと思いますが。
ちょっと味のある鬼面に合うと、喜んでしまいます。
先日、京都へ行った時に、祇園の通りに面白い、味のある鬼面に出会いました。
こんな鬼面を作る職人さんは、きっと味のある、面白い人なんだなあ、と思ってしまいます。何か、職人さんの顔さえ浮かんでくるような気さえします。
こんな粋な職人さんが減りました。

鬼面 

July 04 [Wed], 2007, 10:00
瓦屋根の棟の両端に、鬼面というものを付ける習慣があります。
何の目的で付けるのか?というと、厄を追い払う役目だそうです。
水の災害を除けるために、”水”という字を、火災を除けるために、”火”という字をやはり、棟瓦、隅瓦の止めに使います。
このような習慣がだんだん見えなくなりました。
棟に鬼面の”きりっと”した、面が付いていると、ちょっと緊張感が沸いてきます。
こんな日本の習慣も良い物だとおもいます。

日本の建築 

June 27 [Wed], 2007, 9:58
前に、無国籍の建築、ということを書いたことがあります。
今、あちこちで建っている建物が、いかに多種多様で、色々の国の特徴を断片的に取り入れているか、分かります。
外国の人が日本に来て、日本の建物の特徴は、一体、何なのだろう?と首を傾げたくなると思うのです。仮に、私が外国へ行ったときは、その国の特徴を持った建物に出会うと、何か、嬉しくなってしまいます。私達もイタリアにはイタリアらしい、フランスにはフランスらしいイメージを持っています。それと同じように、きっと外国の人も、そんな目を持って、日本を見ていると思います。
外国の人が日本に住む時に、わざわざ、古い、昔の不便な建物に住みたい、という話を、よく聞きます。外国の人はそのような建物に、日本の郷愁のようなものを感じるのでしょう。
別に、外国の人の目だけを意識しているわけではありませんが、そろそろ建築にたずさわっている者として、日本らしい日本の建築を作る時期ではないか、と感じます。
今、建てている建築現場の見学会を、1月から6月まで、6回開いてみました。
思いのほか、若い人たちが見にきてくれたことです。
来ていただいた若い人たちと話しをしてみると、無国籍な建築が多い中、日本を意識して建てているうちの建築がむしろ新鮮に映っているようでした。それを感じた時、嬉しいような、ちょっと悲しいような気持ちがしました。
そこで、私達世代の者が、これからももっともっと、日本の建築を作っていかないと、途絶えてしまうような気持ちが致しました。

石垣2 

June 22 [Fri], 2007, 9:55
私は以前から石垣が好きでした。
あちこち行った先で、石垣が気になり、見て回ります。
先日、京都の清水寺を下から支えている石垣も、実に素晴しいものでした。
石垣は積み方さえ確実にできれば、こんなにも高く積めるものかと、感心致しました。
それでも、簡単なものでは無いでしょうが。
コンクリートで出来た擁壁は実に味気ない、それに、耐久性が短い。
一般には、コンクリートで作れば、半永久的に持つと思っている人達が多いようですが、それは、大きな間違いで、せいぜい50〜60年が限界です。それに表面はどんどん風化して、醜くなっていくのです。それに比べ,石は永久ですし、年とともに味が増してきます。この技術を何とか、残していきたいものです。
それに、石垣はその場所の目的に合わせ、いろいろな積みかたがあります、それに、石の大きさも考えられ、多種多様にあります。その表情を見ていくだけでも楽しくなります。そこに職人さんの粋とセンスも感じ取れます。

石垣 

June 13 [Wed], 2007, 9:54
日本を表現する中で、石垣も大きな比重を占めます。
石を組む。石を組んで、城を建てる。石を組んで、外敵から守る。
石を組むことを、垣根の垣を使って、石垣と読んでいます。石積みとあえて別にしています。これは、石を組む、この意味に重みをおいているからです。
石と石を組み合わせ、目的の垣根にするわけですが、組み合わせた石同士の表情が大事だからです。そこに、美を見つける訳です。
石を組む技術は、決して日本だけのものではありませんが、日本には日本の独特の表現があります。この石垣は、野面積(のづらつみ)、線積(せんづみ)とよばれています。この言葉にも、言いえて妙、の感があります。

日本らしい時代 

June 07 [Thu], 2007, 9:53
私達が日常で、ふっと考えてみて、日本が一番日本らしい時っていつだろう?
って考える時があります。それは何を基準に考えるのか、いろいろあると思うのですが、昔の絵画とか、文学とか、教わった歴史の中で考えると思うのです。
でも、私達が海外へ行った時に感じることですが、急に、日本が良く見えたり、日本の製品がセンス良く、日本らしく出来ていたりすると、ちょっと誇らしく思えたりします。そのように、客観的に、一歩ひいて日本を見てみるのも大事な作業かもしれません。

大胆なデザイン 

June 05 [Tue], 2007, 9:51
前回は”折れ松葉”の引き手を紹介しました。今回は”月”を紹介します。
やはり、ふすまの引き手に使われて、月の字をデザイン化したものがあります。
桂離宮は観月の里とも言われ、月にいわれの深い所です。月はどこの国からも見れるわけで、特別、日本だけのものではありません、ところが、桂離宮に使われている、月の引き手は、純然と日本のものです。形をデザインする、字をデザインする、
その両方に素晴らしい感性を感じます。日本のデザインをすることに刺激を受けます。

無国籍の建築 

June 02 [Sat], 2007, 9:49
最近、どこの国の住宅か?分からないような建物が多くなったような気がします。
私はそれを見るとき、無国籍の建物だと感じます。それと、建築をファッションとして捕らえて、一過性の物と考えているのでは、と思います。建材メーカーの仕事をしているような、幾何学の遊びをしているような、そんな雰囲気さえかんじます。
”洋”とか”和”とか、という分け方はもう終わりにして、日本の建築を作るようにしたらどうでしょう。現代の私達の生活の大半は欧米化です。その中で、洋だの和だと言っても始まらないのでは。それよりも、日本の長い歴史の中に、素晴らしい技術、デザインが有るのです、それを、もう一度呼び起こし、現代人の頭を持って、今の生活に生かしていったなら、きっと日本らしい建築ができるのではないかと思います。掲載した写真は400年前の桂離宮のふすまの引き手です。何か、すばらしい、強烈な、無駄のないデザインだと思います。松葉です。松は日本の代表的なものです。これを”和”とよばないで、”日本”として捕らえたいのです。

何か大発見したような 

May 31 [Thu], 2007, 9:48
ここのところ、桂離宮のことばかり気になっていました。
そんな時、俵屋宗達と尾形光琳の絵画が、新聞に見開きでのっていました。
前々から、桂離宮のデザインはただならぬ人の物だと思っていました。
俵屋宗達の蔦の細道図と光琳の紅白梅図を見たときに感じたものがあります。
今まで何回も両図は見ていたんですが、こんなことはなかったです。
きっと、桂離宮のことばかり気にしていたからでしょう。前々回に載せた、桂離宮の笑意軒の腰張りを思い浮かべました。それから、両者の時代性、生い立ち、経歴を調べました。
両者は時の宮様と近い処にいるのです。
それに、改めて桂のデザインをみると、絵画的なところもあるような気がします。
何か、こんな事を考えていると、日本が一番日本らしい時代のロマン、に触れているようで楽しくなります。

桂離宮へ行ったことがあります 

May 17 [Thu], 2007, 9:46
もう大分前のことですが、新築させて頂いたお礼に、ということで桂離宮と修学院離宮を、同日に見せて頂く恩恵にあずかった事があります。あこがれの桂離宮でした。
400年も前の建築ですが、とにかくデザインが斬新です。この時代にと思われるようなデザインにあふれています。笑意軒の大市松のふすま等はびっくりしました。
色の組み合わせ、大胆な使い方、手掛けなどの意匠も感嘆しました。決して、高価な材料だけを使っているわけではないんです。木にも節があったり、不ぞろいな物もあります、だけど、そんなものを吹き飛ばす大胆なデザインがあります。
P R
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