モジモジ先生お話会のご報告

2012年10月20日(土) 14時34分
10月14日に開催したモジモジ先生のお話会。
中身の濃いお話をたくさん聞かせていただき、直接声を聞くことの大切さを改めて感じました。

がれき広域処理のことを中心に、ご来場いただいた方の質問も交え
でこ姉妹舎なりにまとめてみました。
ずいぶん長くなりましたが、がれきや原発のことばかりでなく
社会のこと人とのかかわりのことなど
考える糸口になるのではと思います。


最初に
●自分の考えや知識を人に話したら、相手から的外れな質問をされることがある。
それは伝えたいことが伝わっていないということで、とても大切なデータとなる。
そのことを具体的な反省材料にして、もっとわかってもらえるような話し方、伝え方を模索することができる。


汚染の状況について
●関東から西日本に避難されたかたは、健康被害をおそれたからではなく
実際に被害が出たから避難してきた。しかしそれをメディアはどこも報道しない。
お母さんたちは我が子を被ばくさせてしまったという自責の念を感じている人もあり、
直接話をして知り、事故の重大さをより実感した。

●福島県の中通りの汚染状況は、チェルノブイリ事故後のウクライナのコロステンと同等。
事故後25年のコロステンでは、健康な子どもは全体の6%しかいないという報告がある(2008年)。
体力的に、体育の授業が受けられず、根をつめた勉強はできない子どもたち。
日本が25年後に同じようになるかどうかはわからない、
ストロンチウムの降下はチェルノブイリに比べて少ないようだが、海の汚染がひどい。

●福島県で子どもたちが掃除したり入ったりしていた小学校のプールは
保護者が計って1平方メートルあたり100万bq以上の値が出ているところもあった。
福島からの話として「避難したいがいろいろな事情でできない」
「学校でも(被ばくのことを気にして弁当を持たせると)子どもが孤立する」
「小さい子どもがいて水を飲むことにすら神経をつかう、ストレスがすごい」などの話を聞いた。
それぞれに事情があり、事故当初はすぐに避難するべきとは言えなかったが、
今は殴られてでも、逃げてくださいと言わなければと思っている。


なぜ、がれき広域処理などで汚染を拡散しようとし、現地に人をとどまらせるのか
●事故の影響で社会のシステムや人の生活を変えれば、
『原発はやっぱり危ない、動かしてはいけないもの』であることを国が認めることになる。

広範囲な汚染と危険を認めれば、農産物の生産ができなくなり避難移住者の数もふくれあがり、
膨大な量の低レベル放射性廃棄物は、焼却するにせよしないにせよ、
できるだけ安全に処理しようとすれば設備投資がかさむ。

●国は以前のしくみを変えずコストをかけずにものごとをすすめたいから、危険を認めれば行き詰る。
だから「汚染はたいしたことない」と言い「放射能安全神話」を作ろうとしている。


がれきの拡散に反対するのは
●今ならまだ、汚染されてない食料が多くある。
しかしがれきを各地で焼却し、濃縮された放射性物質が拡散すれば
汚染が0.1〜0.2bqずつ広く増えていく。これはたいへん危険。
安全な食べ物の絶対数が減っていくということ。
がれき拡散を止めるということは、安全な食料を確保し保養や避難ができる土地を確保し、人を守ることになる。
がれき問題は原発をとめるための生命線。
もんじゅを止めれば核燃料サイクルが破綻して原発が動かせなくなるのと同様に、
事故で発生した膨大な低レベル放射性廃棄物の希釈拡散が止まれば原発は止まる。


どうすればいいか
●ただただ「原発反対」と唱えるだけではとまらない。
個人個人が、それぞれに自分の意見をもって行政に直接押しかけることは大切。
行政に向かって「あほ」になる。
「なんでですか?」「どういうことですか?」何度でも質問する。聞きに行く。

●これは戦い。戦うことができなければ、この国から逃げること。
逃げることも重要。戦うか逃げるか、その二択。

●この現実はあまりにも異常であり、共通認識を持つ人どうし意見交換するのは重要。
正当性を積み重ねること。

●マスメディアや行政や権力側の中にも個人レベルで疑問を持っている人は確実にいる。
声をあげていき、そういう人の本音を引き出す。


広域処理の実際
●がれきの広域処理は「いたみわけ」といわれているが
放射性物質が含まれているからには、わけた痛みは次の世代に押し付けることになる。
「低レベル放射性廃棄物」のリサイクルで作られる金属製品、木質ボード、コンクリートなどや中古車は
輸出ができないので国内で出回ることになる。

●がれきの計測は総量160tのうち1%以下しかサンプルされない。
箱のような「ベクレルモニター」に入れ、箱から出ている放射性物質の量を計る。
たったの1%で「誤差はないのか?」と質問すると「よく混ぜるから大丈夫」と答えた。
160tをどうやって「よく混ぜる」のか?

それ以外は線量計で計っているが、
10万bq/kgの差も、線量計では1m離れたら0.01マイクロシーベルトの差にしか現れないから、わからない。


放射性物質は自然界にも存在すると言うが
●人工のセシウム1gと同じ量の放射線を出す放射性カリウムは10t単位の大きさ。
自然由来の放射性カリウムは、たまにしか放射線を出さないため半減期は12億年。
人工のセシウムは短い時間で多くの放射線を出し早く崩壊するため半減期は30年。
だから少量でも放射能は強い。
また、自然由来のものは体内に入っても排出され、濃縮された形では存在しえない。


政治の制度について
●重大事故を起こした会社の責任者が事故について「正直に話す」か「真実を隠す」か、
どちらが得かとなると当然「隠す」方。
このような、自分の損得だけを動機として動く人間にどんな制度を与えても駄目で
皆が個人的な利害を少しでも超えた動機で行動しやすいようにしないと
良い結果を出せる制度は成り立たない。
権利として請願をしても、制度として返答させるところまではできても
応対する側が腹をくくった誠実な対応をしないと話にならない。


ことばを介する人と人、人と制度とのかかわりについて
●ひとつの言葉と、その言葉が指し示す意味は1対1ではない。
言葉は現実の状況に依存して意味が決まる。

たとえば「わーっ!」という言葉で危険な状況を伝えることができるが
「車が近づいていて危ない」という場合もあるし
「袖にコップがひっかかって倒れそう」という場合もある。
ことばの意味は一意に決まらないからこそ、ことばを扱う人間の誠実さがなければ
コミュニケーションは成り立たない。

また一つの言葉には何がしかの共通性がある。
ある言葉が持つ意味は多くの人が共有している。

●言葉は、法律のように一つの意味を持つようにはできていない。
(そういう言葉でできた)法律を現実に当てはめようとすると、必ず解釈の余地ができる。
そこを権力側の都合の良いように解釈させ力を行使させやすくすることを許してはならない。
現実に沿った解釈をする公共的な構造がないと、力を持つ側が圧倒的に有利となる。


最後に
●現状では多くの人が「何かをしないですませる」ことを選択し、その選択の自覚がない。
学者や専門家の間でも自分の専門のところ、知識のあるところは言及しても
「そこから先は自分は関係ない、他の人にまかせる」という態度。
実は「汚染・危険が広がる」ことをわかっている人は多いが「それでいい」と思っている人はいない。
それなのに、行動しない。
今からでも変わってくれる人がいてほしい。

●汚染の拡散を止めることは原発を止めること。
今多くのデモの輪がひろがっているが
デモは入り口であり、そこから自分で知識を得に行き考えることが重要。