本『闘論 息子の教育』より

May 08 [Tue], 2007, 20:37
 

 今の時代の社会において、自分の大切な息子に‘男は闘うべし’と教えるべきであろうか・・。

 西部氏「例えば電車の例で言えば、現代社会がまあまあまともな社会でしたら、ひとりの少年が絡まれている女性を助けるべく立ち上がった時に、周囲の者もそれを機に助けに馳せ参じるでしょうが、私にはこの現代社会がとてもまともだとは思われない。そうなると、立ち上がったその少年だけが孤立して、相手がヤクザだったら最悪の場合も起こり得ると考えられるわけです。

 残念ながら、この世はそういう社会なんだと教えておくのが父親の責任なんだと思う。
 もちろん‘絶対に立ち上がるな’とは教えません。‘立ち上がる気力は持ち続けよ’と教えはしますが、‘直接的に行動を起こすとこんな最悪なことも予想されるのだぞ、だから一時の感情に振り回されるな’ということを必ず付け加えますね。・・

 子供たちが小学生の時バークレーに連れて行ったのですが、住民には黒人の少年も多く、中にはポケットにナイフを潜ませている子もいた。息子は英語がまだしゃべれませんでしたから、たちどころにけんかになったことが多かった。
 そこで教えました。‘けんかしたくなることもあるだろうが、けんかをするとこういう結末になることもある。だから相手が悪いと思った時でも闘わない方が良い時もある’とね。

 このテーマを教えるのは大変難しい。どういう時なら闘っても良いのかなんてことは、そんなに簡単には教えられない。最終的には本人の責任においてどう判断するかの問題になる。

 友人のジャーナリストの中にもよく‘頭に来た、僕は闘う。それでも駄目な時は辞めるぞ’と叫ぶ人がいるので、よく私は我慢することをお勧めする。‘そんなに威勢よく辞めてあなたはすっきりするかもしれないけれど、じゃ、女房や子供の生活はどうするのですか’と聞きたいですね。無責任な闘いは闘いじゃない。」

 三田氏「‘人に迷惑をかけるな’‘相手の気持ちになって考えろ’‘自分が我慢出来ることなら、なるべく我慢すれば良い’‘自分が我慢するのは、自分が弱いからではなくて、むしろ自分に強さがあるからこそ、相手の言動に対して許容できる範囲が広がるのだ’と教えています。

 西部氏「アメリカ人は、道路などでちょっと肩が触れ合っただけでも‘エクスキューズミー’って謝りますね。なぜなら、そこでそう言わなければ殴り返される可能性があるからです。日本人は、人の足を踏もうと肩がぶつかろうと知らん顔で通り過ぎる人が少なくない。日本人はエチケットを失っている。

 イギリスに行った時、汽車の通路で中学生らしき少年達が口論していた。でも双方とも後ろに手を組んでいる。つまり手を出したら人間として負けであることを知っている。・・日本人は穏やかかもしれないけれど、その分非常に陰湿な形でのいじめという暴力を存在させてしまった。言語能力の訓練とか、言語活動の日常化というか・・やはりもっと言論ということを大切にした方が良いと思う。」

 三田氏「我が子に自立を求めるには、自分の言葉を使っての表現能力というものをじっくり教えていかないとだめでしょうね。・・どういう局面の時にどういうことが必要なのかを判断できる能力を養わせた方が良いですね。
 しかし、冷静に物事を判断して、きちんとした言葉で相手に自分の意見を伝えるという行為は、口で説明してもなかなか教えられないものです。
 こういう点こそ、父親の姿を見て子供は育つと思いますね。だから現実の社会生活の中で出来ないことをいくら我が子に教えようとしても所詮は無理でしょう。・・父親もお手本となるような行動がとれるよう心掛ける必要があると思います。」

 それでは、よく母親は息子から子離れができない人がいると言われていますが・・。

 西部氏「母親が息子から子離れできないのは、ほとんど全て父親の責任です
 忙しくても短い時間でも有効に使って、父親の姿なり、生き方なりの意見を示していさえすれば、子供は自ずと母親に過剰に包みこまれることもないと思うし、妻も夫への関心を放棄してまで我が子に入れ揚げることはないと思う。・・

 素直に考えれば会社の基準はシンプル過ぎる。家庭というものはもっと複雑ですし、だからこそ楽しいはずのものが家庭ですし、苦労も多いし面白い。社員は交代できるが、夫や父親は一家に一人しかいないわけですから、それだけ責任が重いわけですね。
 家庭はすばらしい‘舞台’なのだと思う。終生分かり合えっこないはずの男女があたかも分かり合ったようにひとつ屋根の下で暮らすわけです。これだけでも相当スリリングなのに、子供たちが同居しているのですから、これはエキサイティングそのものの世界です。」

 三田氏「人間関係の基本は男と女であり、家庭の基本は夫婦ですから、多少のぎくしゃくはありながらも夫婦がうまくいかないと家庭はいびつになる。夫がどう妻の立場に思いを馳せるかによって、妻の生き方は相当に変わってくるのが現状ではないでしょうか。
 専業主婦になった妻に対して、彼女の生きる喜びっていうのはどこにあるのかということを考えてみると、それはやはり‘夫婦’という単位の中にあるということに気づくはずです。

 つづく  
 よりよい親子関係を築くためには、基本的には親の側がきちんと自分の生きがいを持っていて、しかもそれは夫婦単位のものを含んでいることが必要だと思うのです。
 夫が何かやりたいことがあるとすればそれを側面から妻がサポートし、妻が何かやりたいことがあるとすれば今度は夫が側面で援助する。こういうコンセンサスがあれば子供というのは自立しやすい。
 夫婦がうまくいっていないと、過剰に子供に希望をかける母親とか、息子にやたらと厳しくする父親が出現する。
 親が何らかの夢とか希望を持って自分の未来を切り拓いて行こうとする姿勢があることが大切だし、それをやっていれば自然に子供が親の姿勢から何かを学ぶはずです。」

 by『闘論 息子の教育』西部 邁氏(東大経済学部卒著述家)・三田 誠広氏(早稲田文学部卒小説家) 著 1994年プレジデント社発行

 人間というものは、言語能力が優れているほど非暴力的だと言えるかもしれませんね。
 言葉が出始める頃の‘かみつき’に始まって、大人になってからの‘暴力’まで、言語能力に左右されているように思います。

 また、生涯完全には分かり合えないかもしれませんが、夫婦お互いに歩み寄り、仲良く暮らすことが一番子育てに大切なことのようですね。

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