右欄“CATEGORY”にあるメンバーの名前をクリックして、メンバーごとに日記を読みましょう。  メンバーそれぞれの意外な素顔や日々のつぶやきはもちろん、ライブやスタジオの裏話を知ることができるばかりか、更新具合によってその人のズボラ度までも知ることができてしまいます。

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スケートは速弾きじゃないのだ / 2006年02月24日(金)
 ミキティがこけた。4回転ジャンプに失敗したのだ。それにしても4回転、4回転とうるさいのである。イングウェイのスウィープピッキングじゃあるまいし。

 バンドマンなら若かりし頃に誰もが経験するのが「速弾き至上主義」である。俺も学生時代は、ギターを速く弾けるやつがエライ! という風潮の中に身を置いてきた。速弾き王、イングウェイ・マルムスティーンのコピーバンドが氾濫し、スウィープ奏法ができるギタリストが音楽性とは関係なくもてはやされ、ポップスなどの手数の少ない音楽は「簡単な音楽」であり「ダメな音楽」とされた。

 どうもフィギュアスケートをみていると、あの速弾き時代を思い出してしょうがない。「トリプルアクセル! ダブルトウループ! ダブルトウループ! 決まった!!」なんていう実況を聞いていると、「スウィープ! ライトハンド! ライトハンド! すごい!!」といってるのとあんまし変わんねえんじゃねえかな、なんて思ってしまう。

 まあ4回転ジャンプだろうがスウィープだろうが、個人の身体能力の限界に挑んでいることは確かだし、速弾き君に関していえば、テクニック偏重主義から脱却することができれば、速弾き時代に培った実力は素晴らしい肥やしとなることは間違いない。

 でも4回転だからすごいとか2回転だからダメだとか、そういうことではなく、演技と呼ぶのであれば観た人がなにを感じるかが重要であり、もっと構成とか表現という部分に重きを置いてほしいものだ。

 とはいえ確かに4回転はすごい。世間が騒ぐのもわかる。しかし「速弾き」というフィルターを通して観た途端に、4回転4回転と騒ぐことはいきなり不健全に映り出し、ウンコ臭くなる。「たくさん回れるヤツがすごい」と「速く弾けるヤツがエライ」が限りなく同義に思えてしまうのだ。やはり諸悪の根源は、速弾き至上主義なのだろうか。

 
Posted at 22:43 / Toru / この記事のURL
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二子玉で見せる男気 / 2006年02月22日(水)
 最近の二子玉川ときたら、“おしゃれ”だの“セレブ”だの“アロマ効果でママもうっとり”のようなイメージばかりであり、“節約”とか“ストレス”とか“半ライス”といった俺の身近にあるキーワードからは程遠く、二子玉を往く人は全員敵であるという気概であの街を素通りすることにしている。

 なぜ素通りをしなければいけないかというと、目下の俺は自転車通勤励行中であり、二子玉はいわゆる通勤経路だからなのだが、それだけに駅前のレンタルビデオ屋にだけは世話になることも多く、先日は出勤途中で駅前に自転車を止めて目の前の建物の2階に向かおうとしたのだった。そのとき。

 「そこに駐めちゃだめだあー」。振り返ると70前くらいのおっさんだった。おっさんは言った。「そこに駐めた自転車は午後に全部撤去するからよー」。区のシルバー人材センターかなんかで雇われたおっさんだろう。作業着に腕章を着けている。

 「じゃあどこに駐めんの?」と訊くと、「あっちあっち。あの角を曲がった先」「遠いよ」「遠くねえってば。歩いて2分だあ」。俺は出勤中なのだ。その2分が惜しい。といってもすでに正午なので説得力はまるでないし、2分くらいなんだという気もする。

 「おじさんさー、そこのビデオ屋に返してくるだけなんだよ。1分もかかんないよ」。俺がそう言うと、おっさんは黙ってしまった。たしかに1分の用事に往復4分の駐輪場は遠いわ。でも駅前の駐輪を1台でも減らすのがおれの仕事だあ。おっさんはほんの短い間、自分の心と闘ったようだ。そして肩をすくめ「……おれぁ耳が悪いからよくわかんねぇ」と言って立ち去ってしまった。

 つまりおっさんは見て見ぬフリをしてくれたのである。その男気はさながら“どぶろく”であり、“半ライス”としてはどのような男気で返すべきかと思ったが、俺の周りには、もう俺の男気を評価してくれそうな人はおらず、ひとまずビデオ屋への階段を全力で駆け上がってみた。

 
Posted at 13:29 / Toru / この記事のURL
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バンド名変更のお知らせ / 2006年02月20日(月)
 新生おっさんバンドは「Three Days Moon」でいくぞとお知らせした矢先だが、やっぱりやめることにしたのである。説明するのもバカらしいが、「Three Days Moon」とは直訳バンドであり、要するに「三日月」ということで、字面はかっこいいけど実はあまり賢そうではないというところが気に入っていた。

 しかし、なんの説明もなしにそういうニュアンスをわかってもらえることは少ないだろう。「いや、これは直訳でさ、バカっぽいところがいいだろ?」と人に会うたびに説明しなければいけないのは面倒であり、さらにそれを聞いたところで相手が「ほー」と感心してくれるとも思えず、もっと言えば「三日月」自体にはバンドの音楽となんの関連性もないのが致命的だと思ったのだ。

 身内以外の人がこのバンド名を見て「三日月ならCrescent Moonだろ」と思っても、接点のない人たちに対してはなんの弁解もできないのも辛い。つまり説明が必要な時点で敗北なのである。もっとツッコミどころのない、“意味があるけどないバンド名”にしなければ。

 そこで考えた新バンド名が「FUNKY FUNNY FLYER」だ。そう、この日記のタイトルをもじったものである。これなら「どんな意味?」と訊かれても「意味なんかねえよ。FFFだぜ」と言い切ることができる。思えば前身のCountless Cloverという名前も「どういう意味なの?」と訊かれ、恥ずかしいなあとよく赤面したものだ。

 そんなわけだからFUNKY FUNNY FLYERをよろしくと改めて申し上げる。スタジオワークはぼちぼち順調。アルコールワークは絶好調。しかし度が過ぎて、終電を失うメンバーが続出するのがタマにキズである。

 
Posted at 19:40 / Toru / この記事のURL
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ファンクとはなんぞや? / 2006年02月10日(金)
 曲を作っていると、こういう精神状態によく陥る。ファンクってカテゴリーとしては実に曖昧というか、紙一重でロックにもジャズにもなる。うちはファンクバンドだが、特に俺は歌い手なので、絶対的にメロディありきで曲作りをする。そしてできあがったメロディに対して、可能な限りファンクへのトライアルを試みるのだ。リズムでもサウンドでも、ファンクが入り込む余地があればガンガン詰め込む。

 だからこのバンドはファンクといっているものの、ベースメントは歌モノだし、Aメロ、Bメロ、サビというJポップ的な展開をかなり意識している。であるからして1フレーズを繰り返しながら高揚していくというファンクの命題は追求しづらく、ファンクの様式を拝借したポップスを作っているというほうが近いのかもしれぬ。

 しかし俺はこの、ポップスという部分がなかなか気に入っている。特に今度のメンバーに関してはなおさらで、新バンドは平均年齢34.4歳(2006年2月10日現在)とかなりお高め。おっさんバンドと呼んで差し支えなかろう。そんなバンドがポップン・ファンクを引っ提げてガツンとオリジナルをかますのである。

 よくおっさんバンドがビートルズなんかをコピーしていて、それは楽しそうでいいんだけど、演奏者のエネルギーが内側に向いて完結してしまっている場合がほとんどで、そういうのは演者と観客がいて初めて成り立つ趣味としてはどうしたもんかなと思う。

 しかし、おっさんが外側に向かって尖ったポップセンスを叩きつけた場合、これはすげえかっこいいことになるんじゃないかと思う。おっさんをなめんじゃねえ、となる。それにはコアなロックでも、マニアックなジャズでもダメなのだ。俺の場合、エネルギーは大衆に向かっていかないと意味がなしお君なのである。俺はそれをファンクというフィルターを通してやりたいんだと思う。

 
Posted at 22:08 / Toru / この記事のURL
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かきもち昆布の味がわかるかよ? / 2006年02月03日(金)
 職場で俺の向かいに座ってる木野土さん(仮名)はせんべいが大好きで、いつもドトールのコーヒーを飲むか、せんべいを食いながら仕事をしている。せんべいならお茶だろう! という固定観念はさておき、木野土さんはわりとおかき系も分け隔てなく愛し、どこで買ってくるのか個装のおかきをむさぼっては「ホレ」とかいいつつ、向かいの俺の机にもおかきを投げ込んでくる。数は決まってふたつだ。

 ある夜、そんな木野土さんからまた包みのおかきが投げ込まれた。数はふたつだ。おかきの包装紙には「かきもち昆布」と書かれていた。

 「それあんまりうまくないんだよ」。別にうまくないから俺にくれたわけじゃない。木野土さんは、せんべいがすべての人に平等であってほしいと願っているのか、たいてい俺に分けてくれる。「なんか味がしないんだよな」。

 些細な批判とはいえ、木野土さんがせんべいのことを悪く言うのは初めてだった。俺はかきもち昆布を開封し、昆布が入り混じったそのおかきをおもむろに噛み砕いた。味はしなかった。昆布のダシの風味とおかきの歯ごたえを同時に楽しむというアイデアなのだろうが、ダシに期待しすぎたのだろう。おかき自体に塩気がまったくなかった。

 「味、しないっすね」。俺は言った。しかし言いながら、遠い遠い、日本のどこかにあるかきもち昆布の工場のことを考えていた。

 今年65歳になるおかき職人が、最近の化学調味料漬けのせんべいやおかきを憂いながら焼いた、昔かたぎの素朴な味わいのおかき。それがかきもち昆布だとしたら。昆布ダシよりほんだしに舌鼓を打ってしまう俺の味覚が試されてるのだとしたら。かきもち昆布が間違っているのではなく、俺たちが間違っているのだとしたら。

 
Posted at 22:09 / Toru / この記事のURL
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