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叶えたい願いがないというわけでもなく / 2005年01月31日(月)
 久々に実家に帰る。あいかわらず情緒も風味もない田舎町だが、それもこの街並に見慣れすぎたせいなのだろうか。あらためて見てみれば、「こいつぁキテるぜ!」という中途半端田舎ならではのVOW的な発見があるのかもしれぬ。

 そんな故郷をコケにするような視点にビューチェンジをして、街を歩くこと3分。「ファミコン」という看板の掛かった店を発見。おお、あれはファミコン屋ではないか! 看板はエンジというかアズキ色というかその辺の実に微妙な色で、そこに白抜きの明朝体で「ファミコン」の文字(縦書き)。店主のタダ者ではない人となりをぷんぷんと匂わせる、怪しい看板だ。

 ついさっき、おお、なんて驚いてみせたが、白状してしまうとここは俺の中学時代からの馴染みの店で、それこそファミコンからスーパーファミコンへ、という過渡期に誕生した、ファミコン中古ソフト流通発展期の生き残りである。

 そんな経緯もありこの店に対して特異な眼差しを向けることはなかったのだが、よくよく考えてみれば、今どき「ファミコン」とは何事だという気にもなってくる。時代の遺物には違いないのだが、だいたい「ファミコン」の一言で店の看板が成り立ってしまうのはなにかが間違っている。

 店内は殺風景というか手抜き丸出しな、床も壁もコンクリートむき出し。無愛想なショーケースの中にある商品には、市場価格にまったく惑わされることのない大胆な値段が付けられている。前述のタダ者でない店主の行動は、客が商品を買うのに声を掛けない限り、店の奥の座敷でコタツに入ってみかんを剥いているか、さらにその奥にある台所で皿を洗っているのかの2パターンしかない。一見ただの主婦だが、実はやはりタダの主婦で、なぜファミコン屋を生業としたのかはさっぱりわからない。

 俺のゲーム三昧、灰色の10代はこの店なしにはあり得ない。時代がスーパーファミコンになり、ファミコンカセットの価格が軒並み暴落すると、ここぞとばかりに「アフターバーナー」や「がんばれペナントレース」、果ては超マイナーな「ウィロー」(カプコン)など、昔欲しくても買ってもらえなかったゲームを買っては遊びまくった。しかしどんなに通い詰めても、幻の名作「サーカスチャーリー」がショーケースに並ぶことはなかった。もしもひとつだけ願いが叶うなら「『サーカスチャーリー』がやりたい」と俺は神に叫ぶだろう。

 
Posted at 15:58 / Toru / この記事のURL
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スタートダッシュに成功 / 2005年01月25日(火)
 こちらの日記を多少なりとも楽しみにされていた皆々様におかれましては、やれやれ半年もたなかったかとか、もうあの文体に行き詰まったのだろうとか、小山田は死んだとか、色々な憶測を巡らせたことと思うが、どっこいそう簡単にくたばる俺ではない。
 
 正月気分もそこそこに地獄の年始進行が始まり、イスの上で20時間以上を過ごす日々が続いた。さっき昇ったと思った太陽がすぐまた昇り、夜が更ける間もなく朝が来て、そしてまた夜になった。
 
 夜中の3時、いつも楽しそうな隣の部署の3人がババ抜きに興じているのを横目に、人生は楽しんだ者勝ちなのだろうかと改めて思う。
 
 なにしろそんなザマであったので、ネタの蓄積どころの騒ぎではない。みっつ並べたオフィスのイスが当面のベッドだったせいもあり、身体の節々が痛い。今言えることは、そんな自虐的なようで、ただの多忙自慢のような情けない話ばかりである。
 
 まあ、ともかく2005年のCountless Cloverはぼちぼち始動する。新年のごあいさつがとても遅れてしまったことにごめんなさいと、おめでとう。

 
Posted at 14:32 / Toru / この記事のURL
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決戦は金曜日。いってみりゃ、プレゼンの日。 / 2005年01月08日(土)
 今日は振付師のIさんの御宅に11:00時に呼ばれていた。3月の舞台の打ち合わせをお昼御飯を食べながらしましょうとのことだったのである。京王線の某駅から徒歩15分くらいのところであるので、自宅を9:30頃でなければならなかった。

 先日から、何度も音楽監督岩垂氏とファックスをやりとりし、推敲したメロディー。監督のokが出たのは、一昨日のことだった。寝る時間は削られた。

 結果はOK。良かった。Iさんは私が23才くらいの時から私に作曲家としての活動の場を与えて下さった人。何もできない私を辛抱強く育ててくれた人でもある。そのIさんに、

 「サチコ、成長したわね」と仰って頂けた。(私自身としては、本当は、まだまだだけど...。)でもとても嬉しかった。

 そして人生とは、不思議なもの。

 「ところで、2月に舞台をやるんだけど、サチコ○○○○さんって知ってる?」

 Iさんはそう言いながら私にその舞台のパンフレットを手渡した。私は気絶しそうになった。なぜならそれは、高校時代から大ファンだったロックシンガー○○さんだったからだ。

 なんと!Iさんが振付担当で、脇を固めるダンサーは、Iさんを通じて知り合った友達のダンサーであったのである。

 またしても...この光景は...一度見たことのある光景。いや正確に言うと、
 (Iさんが振付をした舞台のチラシを見たら、○○さんだったなんてそんなことあったりしてね〜☆)

 と私が一瞬、思ってしまったことである。うっかりそんなことを考えると本当に、実現してしまうので、恐い。友人の笹君も念力についてよく語ってはいるけれど、本当にそういうことは多い。

 私が音楽を始めたのも、そもそもは○○さんへの憧れであった。ラジオ番組で語る○○さんに、元気づけられ、CDを毎日聞きながら過ごした高校時代だった。○○さんがいなかったら、音楽を仕事にしたいとまでは思わなかったであろう。

 チラシを見て絶句する私をみて、Iさんは、

 「サチコ、じゃあリハーサルにくる?」と声をかけて下さった。

 断る力はなかった。未だ、呆然とする私である。

 
Posted at 00:39 / Sachiko / この記事のURL
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