右欄“CATEGORY”にあるメンバーの名前をクリックして、メンバーごとに日記を読みましょう。  メンバーそれぞれの意外な素顔や日々のつぶやきはもちろん、ライブやスタジオの裏話を知ることができるばかりか、更新具合によってその人のズボラ度までも知ることができてしまいます。

今年はこんな感じで / 2006年01月06日(金)
 筑紫哲也は「ニュース23」という番組の最後で、いつも「では、今日はこんな感じで」と挨拶する。TBSの看板ニュース番組として、このなんだか投げやりなクロージングはいかがなものかと、常々思っていた。

 「こんな感じ」とはなんなのだ。地道な取材に基づいた真面目な報道を「ま、適当だけどね」と笑い流してしまうような、「多事争論とか、べつに本気で言ってるわけじゃないし」とでもいうような、真摯な報道姿勢を自らぶち壊すかのような軽薄で自虐的な挨拶、「こんな感じ」。なぜにそこまでユルくてヌルい感じを醸す必要があるのか。

 12月28日はそんな「ニュース23」の2005年最後の放送日だった。筑紫さんは番組の最後で「今年もありがとうございました。良いお年を」とか、もう忘れたが、そんな挨拶をしていた。それを聞いて俺はますますわからなくなった。なんでそんなにふつうなのだ、1年の最後は「では、今年はこんな感じで」と言ってくれるんじゃないのか! そう言って欲しかったのに!

 俺は気付いた。自虐的なのは俺のほうだ。俺はあのエンディングを見てむかつきたかったのか。人間の「あれを見て(聞いて)むかつきたい」という欲求、「クソゲーをやってむかつきたい」とか「やってTRYの料理のできない女を見てむかつきたい」とか「●●ビ●&ア●●●●のくだらない歌を聴いて感激している新婚さんを見てむかつきたい」などに通じる「むかつきたいもの見たさ」。自分の中のMに目覚めていく俺が、そこにいた。
 
   
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あけまして毛との戦い / 2006年01月03日(火)
 年始がある以上、避けて通れぬのが年末であり大掃除である。六畳一間の狭い部屋だが、思い出を大事にするタイプの俺にとって、大掃除はことのほか時間が掛かる。ふと出てきたライヴの半券や賞味期限切れのおつまみ昆布、物陰でひからびていた夏の忘れ物(ごきぶり)などが次から次へと出てきては俺の手を止める。

 おつまみ昆布をくわえながら、掃除機をかける。床をズビズビと吸っていると、人間がいかに毛を落としながら生きているかということがわかる。最後の一本まで、自分の分身を新年に残さぬよう入念に掃除機をかける。

 一年の垢を洗い流すように毛を吸い取ると、新年を迎える準備が整った。念入りにやったので、この部屋にはただ一本の毛も落ちてないかもしれない。実に晴れ晴れとした気分じゃないか。そうして、ふと足元を見ると毛が一本。おや、吸い残しか。掃除機一閃、今度こそ全吸いだぜ。ところが、あれ? 三歩先に毛が二本。その先にまた一本。

 おのれ抜け毛! 俺が生きるスピードより早く、毛は抜けているのだ。ブリリアント・グリーンが「そのスピードで〜」と歌っていたが、俺のスピードは、そのスピードに達していなかったのか。よくみると毛のそばにかぴかぴの米粒まで落ちていやがる。調子に乗って落ちてんじゃねえ、米粒! おまえなんか一回吸っちまえばこっちのもんなんじゃ!

しかし毛はそうじゃない。吸い終わって掃除機を片付けようと屈んだとき、ほろりと切なく髪の毛が抜け落ちる。そいつを拾おうと一歩踏み出せば、すね毛が大樹の枯葉のように舞い落ちる。落ちてしまえばどこの部位ともわからぬちぢれ毛だ。君はいったい僕のどこから抜けたんだい?

 吸っても吸っても毛は抜ける。掃除機を止めたその時が新たなる戦いの始まりとなる。まるで生命の営みが、過剰な清潔主義へ警鐘を鳴らしているかのようだ。タイトルに「あけまして」といっておきながら年末の話だったのだが、俺だって時候の挨拶というものを気にしているのだ。どうかみなさんの浮かれた正月気分で大目に見てくれまいか。そう、拾い切れなかった毛をあきらめるときのように……。
 
   
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マダムヤンに気をつけろ! / 2005年12月22日(木)
 美容院を見て思う。「こんなはずじゃなかったろうに……」と。ここで俺が言う美容院とは原宿や代官山にある美容院ではなく、また片田舎の主婦が経営する美容院でもない。都内の住宅が密集したような地域やちょっとした地方都市にある、小洒落た感じの美容院だ。

 全面ガラス張りの外観から、白を基調としポップにデザインされた店内が伺える。腰に下げた道具袋も小粋な店員が、テロテロしたシャツとへんなダテめがねを掛けて颯爽と振舞っている。明らかに若者を意識した店作りとスタッフ。ところがどっこい、鏡の前に鎮座するのは紫のカラーを施されたマダムヤンだったりする。

 見渡してみれば、紫マダムヤンだけでなく、お客はすべてマダムヤンだった。ああ、これが、いわゆる繁華街でない立地の美容院の宿命なのか! きっときっと、オーナーには野望があったはずだ。思い描く美容院の理想像があったはずだ。この住宅地から最新のクリエイティヴを発信しようとしたはずだ。だからこそ金を掛け、アーティスティックな内装にこだわったのだ。

 しかしフタを開けてみれば、そこはマダムヤンの巣なのである。紫のカラーなのである。切なさが溢れ出しそうになる。もちろんマダムヤンだって大事なお客だし、そういったお店をバカにしたり指差して笑う気などまったくない。閑古鳥の鳴く美容院より2億倍以上立派だ。だけどそのヤング感みなぎる店内を占拠するマダムヤンを見るにつけ、なにか圧倒的な無力感を覚えてしまうのである。マダムヤ〜ン……。
 
   
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周りを良く見て尻スライド / 2005年12月12日(月)
 以前にもどこかで言ったことがあるけど、電車の中で人が何よりも大切にするのは、「はじの席」だと思う。「はじの席の人」が電車を降りると「はじの席の隣の人」が「はじの席」へと尻をスライドさせる光景は誰もが見たことがあるだろうし、実際、ボクもワタシも「はじの席」が大好きです! という御仁は多いはずだ。

 だからといって闇雲に尻をスライドさせるのは社会道徳に反しているんですよ、と言いたい。混雑時は特に注意した方がいい。だって、たとえば「はじの席の人」の前に立ち人がいるとする。そして「はじの席の隣の座り人」(セミはじの席人)の前にも立ち人がいたとする。電車はとある駅に到着して、「はじの席の人」が電車を降りる。さあ、その空いた「はじの席」は誰のものだろうか?

 そう、「はじの席の前の立ち人」がそこに座るのが賢明だろう。そうでなくてはいけない。しかし「セミはじの席人」が素早く尻をスライドさせてしまうと、「セミはじの席人」が「はじの席人」になると同時に、当然そこに座るべき「はじの席の前の立ち人」は座る席を失う。そればかりか、本来座り権を獲得できないはずの「セミはじの席の前の立ち人」が「セミはじの席」に収まってしまう。往年の名玩具・チクタクバンバンも真っ青の理不尽である。尻をスライドする人は周囲の立ち人に十分配慮しなければならない。

 最近は人生ゲームにも「芸人バージョン」とか「ミニモニ人生ゲームだぴょん!」とかいろんな種類があるらしい。野村トーイも見習って「チクタクバンバン・はじの席バージョン」を出すといい。はじの席の前の立ち人を無視するとパネルがすべて跳ね上がるゲームにすれば、子どもたちも楽しく社会マナーを学べるというものだ。
 
   
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駅の思想を見抜いてポポン / 2005年11月28日(月)
 駅には「間もなく上り列車が参ります……」という構内アナウンスがある。男性と女性の声がそれぞれあって、上りと下りのアナウンスを区別しているのは全国共通だろうと思う。

一般的にホテルなどのフロントに女性がいないのは失礼だといわれ、ビルやデパートの受付などにも「受付嬢」というのが存在するわけで、駅のホームの場合は、便宜上男声と女声が混在するのだが、ホテルのフロントになぞらえれば、男性のアナウンスが流れる側のホームはどちらかというと客に対して失礼、ということになる。しかしそこに上下線という要素が絡んでくるので、駅というやつは厄介なのだ。

 上りというのはまあ言ってしまえば、その沿線上の絶対的な価値観で「都会」方面に出るということを指す。逆に下りは「田舎」へ下ることを意味する。そこに男性か女性、どちらの声があてがわれるかという点に着目すると、高倉健もびっくりの、その駅の思想が見えてくるのである。

 上り電車に女性の声を採用している場合、これは完璧に強尊弱卑な駅だ。「都へ向かわれるリッチな貴方のために女声のアナウンスを」と社会の強者にへつらう態度が垣間見える。それに対して下りホームのアナウンスからは「田舎に下るお野郎どもは男声で十分」と強気な態度が伺える。むむう、これは危険な思想の駅だぞ。ひょっとしたら駅は無自覚なのかもしれない。しかし、人は知らぬ間に人を傷つけている、ということもある。

 逆に下りホームに女性アナウンスを流す駅は平等な思想の持ち主だ。「田舎者の君たちにせめて可憐な女性の声を」「これから君たちは都会へ行って高級レストランでステーキとかうまいもんをたらふく食うのだから男の声で我慢したまえ」、この駅長は若い頃、さぞかし苦労したのだろう。弱者の痛みがわかる平和主義者だ。

 しかし思った。駅にはまだ「1番線、2番線」という概念がある。当然「2」より「1」は優遇されるはずだ。とすると、たとえば「上り線で女性アナウンスの1番線」の駅などはもはや近寄るべきではないが、「下り線で女性アナウンスの2番線」という駅はどう解釈すべきなのか。次回はそのへんについても考察していきたい。
 
   
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ドラクエは3+1の芸術だった / 2005年11月25日(金)
 俺が生まれて初めて買ったCDは『交響組曲ドラゴンクエストV』だ。小学6年生の冬だった。なぜそれを買おうと思ったのかは今となっては覚えていないが、日本中の小学生がドラクエ狂騒に明け暮れる中、ご多分に漏れず俺もファミっ子であり、ドラクエが大好きで、ドラクエの曲も好きだったからだろう。

 CDを初めて聴いたとき、ファミコンの音源とオーケストラとのギャップにぶっ飛んだのをよく覚えている。勇壮なロトのテーマ、高くそびえる塔、優美なラーミアの曲、圧倒的な音圧で迫るゾーマとの死闘……、すぎやまこういちが本当に表現したかった世界を知り、俺は感動した。

 ファミコンの内臓音源はたしかPSG音源とかいうやつで、3音+1音(リズム音)しか同時に再生できない。なので主旋律、バッキング、ベース音に、ハイハットのような「…チッ…チッ…」というリズムが入る、という構成が一般的だ。バッキングも1音でしか表現できないので、アルペジオ系か、あるいは主旋律とハモる場合が多い。

 で、今これを聴いてみると、まあ実によくできているというか、限られた音数での表現が実にバンド的だなあ、なんて思ってしまうのだ。そしてこれがオーケストラになると音質や音数、表現力が格段に飛躍するわけで、当時はそれに感動したものだが、今は逆に物のない不便な時代の知恵を見るかのように、チープな音源を聴いて唸ってしまう。

 ドラクエXからハードがスーパーファミコンに移り、16和音の再生が可能になった。それはそれでプレイ中は感動したが、オーケストラ版を聴いたときの感動は1億分の1くらいになってしまった。『交響組曲ドラゴンクエストV』は、俺が最後に買ったドラクエのCDとなった。
 
   
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汗臭い青春を君に / 2005年11月23日(水)
 またしても少し前の話だ。自宅の近くにある高校の文化祭を冷やかしがてら観に行った。別に文化祭だから構いやしないのだが、高校に入るという行為に対して妙な鼓動の高ぶりを感じてしまう。いつの日から学び舎はそんなメロウな幻想を俺に抱かせるようになってしまったのか。

 遠くでバンドの演奏が聞こえる。これはまさにミスチルだ、いくっきゃないぜ。出店で女子高生から駄菓子を買うよりことも俺の胸はときめき、体育館へと急いだ。

 ライヴは体育館ではなく、体育館の2階に位置する柔道場で行われていた。「く、くさい……」、まだ入り口の前だというのに懐かしい悪臭が俺を襲う。そう、柔道着と畳に染み付いた、あの汗のニオイ。くそう、負けてたまるか。

 ライヴは終盤らしく、ミスチルを演奏していたのは3年生のバンドだった。残り3曲になったあたりでMCが入り、ボーカルの男の子がポケットからなにやら紙切れを取り出した。それは3年間ともに、練習に、ライヴに励んできたメンバーへの手紙だった。

 ひとりひとりメンバーの名を呼んで「いろいろけんかもしたけど」とか「でも俺たち親友だよね」とか言ってるうちに号泣してしまうボーカルくんが、かわいくも美しかった。やってることはミスチルだ、そして当然だが演奏はヘタクソだ。しかしステージからは、俺たちが失ってしまった音楽への初期衝動がもっちりと放たれていたのであった。

 柔道場を出ると雨だった。でもなにか心が洗われるような雨、なにか爽やかな空気、それは弾ける若さに浄化された俺の心、ではなく柔道場の臭さに耐え続けた、自分の嗅覚のせいだった。
 
   
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いつまで浮かれポンチの学生さん / 2005年11月22日(火)
 自分は自転車ともゆかりのある仕事をしており、そんな縁で自転車を去る筋からいただいた。前の愛車が半年という短命をまっとうしたところだったので、ちょうどよかったんだけど、困ったことにこの自転車、ブレーキがない。

 正確にいうと、ブレーキはあるのだが、みなさんが想像するような手元のレバーを引くようなものではなく、いわゆる「コースターブレーキ」といって、走行中にペダルを逆回転させるとその強さに応じて後輪軸に組み込まれたブレーキが働くという、欧米にはよくあるのだが手元ブレーキに慣れてしまった日本人にはちょっぴりサプライズ(人事)なブレーキではある。

 そんな自転車で先日、人を轢いた。荷物を配達途中のおじさんだった。慣れない足ブレーキでの事故だった。車から飛び出したおじさんを目視しながら、ないはずの手元ブレーキを引く。4本の指が空を切った。「アブナーイ!」と言いながら俺はおじさんに突撃した。虚を突かれたおじさんはなす術もなく、飛んだ。

 「あいたたたた」腰を押さえながらヨロヨロと立ち上がるおじさん。そして俺に「お兄さん、学生さん?」と言ったのだ。

 出た! 30代初の「学生さん?」である。まだまだ俺もいけるぜ、と思う反面で、いつまでもそんなことを言われて浮かれている場合ではない、という気もする。自分の中でどちらの態度をとるべきなのか戸惑いながら、ひとまず真実は学生ではないという意味と、若干の申し訳なさを込めて、おじさんに名刺を渡した。

 後日おじさんから電話があり、腰がちょっと痛いのでサロンパスを買うからその代金だけくださいと言われたが、それからさっぱり連絡が来なくなった。おおかたサロンパスを買う前にすっかり治ってしまったのだろう。

 おじさん、あのときはごめんな。おじさんのおかげでブレーキの扱いにはだいぶ慣れたよ。まだたまに人を轢いてしまうけどね。
 
   
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大活躍タオル / 2005年11月20日(日)
  ずいぶん前の話だけど、来日したファンクの伝道師メイシオ・パーカーのライヴに行ってきた。会場はブルーノート東京。

 最近この手のアーティストはみんなブルーノートが招聘してしまうから、チケットが高くてしょうがない。虚勢を張って頼んだ最安メニュー・くるくるポテトを頬張りながら、極上のファンク・ショウを堪能した。

 メイシオ御大は老体とは思えぬパフォーマンスで、観客を総立ちにさせた。噴出す汗を青いタオルで拭いながら、老獪なステップを披露していた。

 ステージは熱狂のうちに閉じ、テーブルに落ちたくるくるポテトの食いカスを従業員がぞうきんで拭いている。どこかで見たことある青いぞうきん。それは、メイシオが汗をフキフキしていたタオルと同じものだった。

 なんか妙に気取って受付にクロークを設けちゃったり、ジャズを変に間違ってお洒落に捉えてしまうことで、他のライブハウスとの差別化を図ってきたブルーノート。しかし出演者のタオルとぞうきんの区別はないらしい。
 
   
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欲望渦巻くバスの旅 / 2005年09月21日(水)
 わさびシロップを舐め切った俺は、ようやくおいしいバニラソフトにありつき、帰りの電車に乗った。青梅線はわずかな乗客を乗せ、山間を抜けながらコトコトと走る。9月3日は雨だった。西の方では台風が猛威をふるっていた。そんな影響もあり、天気は良くなかった。

 御嶽駅に停車。そしてJR青梅線、突然のギブアップ宣言。この先の青梅の集中豪雨でこれ以上は進めないそうだ。はじめはみんなのんきに発車を待った。しかし30分も経つと、駅員や車掌に詰め寄るおじさまやおばさまが出始める。駅員はバス会社に車両の手配を要請したが到着はまだいつになるかわからない、と言ったが、バスはいつ来るんだという質問が殺到した。改札の周りに人だかりができた。

 御嶽駅の、ひとりしかいない駅員は困惑していた。この平和な駅で、普段はのんびりと切り盛りしているのだから無理もない。

 さらに30分後、バスがこちらに向けて出発したとの情報が入った。あるおじさんはJRの対応の悪さをクドクドと隣のカップルに話し、あるおばさんは「私は家が遠いんだから先にバスに乗せて欲しい」と言った。

 バスの到着が間近になった。早くみんなをちゃんと並ばせろ、なにやってる、中年たちの駅員に対する非難が高まった。すると乗客の中から一人の若者が整列係を買って出た。彼はJRの職員で、たまたまこの電車に乗っていたらしい。

 そんな休日を返上して職務をまっとうしようとしている青年に向かって、先程とは別のおっさんが「早く並ばせろ」だとか「電車の復旧を待つのとバスに乗るのとどっちが早いのかさっさと問い合わせろ」などと、威張り散らした。

 若者は都市部の駅に勤務しているのか、対応が機敏だった。あっという間にみんなを並ばせるが、それでも後を絶たない中年たちの不平不満。先ほどカップルに愚痴っていたじじいは「俺はずっとここで待っていたんだから、俺がいちばんにバスに乗るんだ」と列の先頭を勝手に陣取った。

 やがてバスが2台来る。先頭のクソじじいも、家が遠いクソばばあも、若い駅員に八つ当たりした偉そうなカスじじいも、みんなバスに乗った。今度はなかなか発車しないバスに向かって誰かが「さっさと発車しろ」とどなり、みんなが「そうだそうだ!」と賛同した。

 欲望の塊のようなバスは、すっかり陽の落ちた青梅の山を走り抜けた。灯りのない街の、星空だけが美しかった。
 
   
Posted at 18:54 / Toru / この記事のURL
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