ジョン・レノン

December 08 [Sat], 2018, 9:03
1980年12月8日、ニューヨーク・ダコタハウス前に5発の銃声が響いた。

撃たれたのは戦後、最も才能のあった音楽家と言われたジョン・レノン、
銃弾の4発が彼の体に命中していた。

通報を受けた二人の警官が到着した時、まだジョンの意識はあった。
しかし危険な状態との判断で警官は彼をパトカーに乗せ
ルーズベルト病院に搬送、一人の警官が瀕死のジョンに名前を尋ねた。
すると彼は「僕はビートルズのジョン・レノンだ」と答えたという。

しかし搬送先の病院で失血性ショックの為、40年の生涯を閉じる。
ジョンの死亡時に病院のスピーカーから流れていた曲は
ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったといわれる。

犯人はマーク・チャップマン、彼は暗殺の数時間前、
ジョンにサインを貰っている様子がカメラマンに撮影されている。
皮肉にも、この犯人とのツーショットがジョンの最後の姿になってしまう。

チャップマンは犯行後、現場から逃亡せず警官が到着するまで
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。

この異常な行動から、ロバートケネディー暗殺と同様に、
何らかの組織にマインドコントロールを受け
犯行に及んだのではとの疑惑も浮上した。

現実にジョンの様な影響力のある人間が唱える平和主義は、
アメリカの中には、邪魔だと思う組織もあっただろう。

しかしそうなれば、公民権運動、反戦などを唱えた
有名ミュージシャンは数知れず、みんな暗殺の対象になってしまう。
やはり、狂信的ファン、チャップマンの単独殺害と思うのが妥当だろう。

ジョンは生まれた息子ショーンの為、
「househusband(主夫)になる」と言って音楽活動を休止した。
活動を休止して5年、ショーンに
「ダディはビートルズだったの?」と訊かれ、
仕事をする姿も見せようと活動を再開した。

5年ぶりのアルバムは妻ヨーコとの共作で、
主夫生活の中でジョンが感じた想いやショーンへの気持ちを作曲している。

彼が凶弾に倒れるのはこのアルバム、
「ダブル・ファンタジー」の発売から間もなくの事だった。
俺は篠山紀信が撮影した、このアルバムジャケットが大好きだった。

永遠のカリスマ、ジョン・レノン。
節目ごとに追悼イベントが行なわれている。

  • URL:https://yaplog.jp/bscasablanca/archive/1595
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