汝の父と母を救え・・・・ただし条件付きで 

January 15 [Sun], 2017, 15:08
汝の父と母を救え・・・・ただし条件付きで――「占星学」〜リズ・グリーン より引用

 人間に絶えずつきまとうすべての亡霊のなかでも、両親の精神(スピリット)ほど大きな重要性をもつものはない。父と母が内的要因となる時、彼らはもはや個人の上に投影される子ども時代のファンタジーではなく、心の一部になって進歩をさまたげるものとなる。(C・G・ユングとF・ヴィクスの対話より)

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両親との関係の経験は普遍的で元型的であるがゆえに、何らかの形でホロスコープ上に現れてくると考えられる。個人は単にその人自身であるのではなく、その家系という樹に咲く花であり、両親はまさしく、チャートの一つのパターンをなすのである。

チャートが表わすのは、いかに個人がその父母を経験するのか、そしてまたどのような感情的、知的、身体的、ないし霊的な価値観を両親にみるか、なのである。それはまた、この完全に主観的な観点からみられる親子関係が、本人の個人的な内的な傾向と調和して発展させるか、あるいは衝突するかを表わす。

現実の両親との関係の背後には、象徴的な意味での両親との関係がある。
母とは、その意味で大地であり、物質であり、感情であり、死と生のサイクルであり、またすべてを生み出すものであると同時にすべての破壊者であり、肉体と大地そのものの本能的な生である。
父は天であり、かつ霊性(スピリット)であり、火であり、意志であり、また意味、目的、目的指向的な発達、秩序、構造、法である。

子どもは単に受動的な両親の心理の受け皿ではない。たしかに子どもは、子ども時代に彼をとりまく無意識的な力に大きく影響されるが、しかしその一方、子どもは子ども自身でそれに何かを付け加えるのである。そのために、どんな親にも道徳的な批判を加えることはできない。

さまざまな悲惨なことが、愛という名のもとに引き起こされもする。しかし、両親がどのような心的傾向の持ち主だったとしても、子どもの内にある何かが両親の心的傾向と出会い、いわば、それを受け入れ、また吸収する。

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まず印象深いのは、個人的な実の母親が一見きわめて重要に見えることである。
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病因となる、あるいはトラウマを与えるような母親の影響は次の二つのグループに分けなければならない。
@実際に存在している、母親の性格特性、ないし態度からくるもの
A母親が持っているように見えて、実は子供が空想的(すなわち元型的)な投影をなしているもの
である。(C・G・ユング)

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出生ホロスコープには、個人の両親のイメージについていくばくかの理解の鍵となるような重要なエリアが二つある。
その1つは、チャートの縦軸にあたるもので、ホロスコープの南点、頂点、つまり天頂(ミッドヘブン)ないしMCと呼ばれるもので、もう一方は底、ないし北点にあたるICである。我々が過去から伝承してきた象徴学の豊かなつづれ織りの中では、北はしばしば精神の場、再誕生の点、神々の住まいとされてきた。一方、南は心(ハート)の場であり、大地と物質の場である。ホロスコープの南北の点は、もっとも深い神秘と関連している。つまり人間が生まれでて、無意識の生活を引き出す根源であり、かつまた人間が属する世界の中で果たすように招命されている使命と関連しているのである。

ホロスコープの縦の軸に加えて、心の内の女性的なるものと男性的なるものの象徴である月と太陽を検討しなければならない。この二つも父親と母親に関連している。この二つは、個人の生命の木の根と花に関係しているばかりではない。それらは、もっとも基本的な男性と女性の本質なのである。

MCとICから始まるホロスコープのハウスは、それぞれ第10ハウスと第4ハウスである。第10ハウスは職業、経歴、社会での地位を表わすとされており、第4ハウスは家族と家庭内での態度を示すという。さらにこの二つのハウスは、両親との関係にもかかわりがある。ホロスコープの子午線である軸と、太陽と月の極性(ポラリティ)は、両親に対する経験の、二つの異なった面を示しているようである。ハウスが自身の位置している物質的現実[環境]を示すのに対して、惑星は心の内のエネルギーの流れ、方向を示す。つまり二つの「両親の」アングル[ICとMC]は、自身の母親、父親との関係性を示すのに対して、太陽と月は、個人の、元型的な両親の内的な経験を反映していると言える。

普通、子どもにもっとも強力に影響を与えるのは、親の無意識なのだ。
両親はお互いに影響し合い、また両者ともが子どもの内における対立物のバランスに影響しているのであるから、人は両親という一対を分離することはできないのである。

父親との関係は、チャートの天底(IC)によって、また第4ハウスに入るすべての惑星によってもっとも鮮明に示されているように思われる。また母親との関係は、天頂(MC)と第10ハウスの惑星すべてによって最も鮮明に表現されているように思われる。

一般的にいって、MCの星座はある人と母親との関係を先天的に支配しているような、特定の要因を示唆している。それはしばしば、実際の母親の太陽の星座、アセンダント、月の星座、ないしは母親のチャートの中で主要な惑星によって示されている強い影響と一致している。MCの星座は、子どもに最も強い影響を与えている母親のある側面を示している。子どもの中にある、ある部分が特に母親の性質のその部分に対して敏感であることを示しているというわけである。

MCとその反対側の点であるICは、我々の遺伝的なものの象徴的反映であるといえそうだ。というのは、その二つは、緊密な家族の構成員の間ではしばしば一致するからである。まるでそれは、その人が意識的個人として、遺伝的な限界をもって存在として受肉する際に、MC―IC軸(子午線)とASD(アセンダント)―DES(ディセンダント)軸(地平線)によって形成される十字架によって個人の心が物質の中にはりつけにされるかのようである。どのような内容がチャートの中にあったとしても、彼はこの十字架に固定されて、それが与えるユニークで特定の流儀で、チャートの内容を表出するのである。

天頂に位置する星座は、また本人が母親にどのように見られたいか、あるいは、どのように本人が母親を見ているかを示している。MCの星座は、しばしば母親から学ばれる教訓を示す。それは本人が創造的な人生を生きる上で、最終的には意識の中に統合すべき試練となる。

第4ハウス、あるいは第10ハウスに惑星があれば両親との関係にまず注目しなければならない。むろん、それは常に否定的なものとは限らない。そのような絆は、本人をより深い自己理解にもっていくものだ。しかし、ここで考えなければならないのは、心の一部が親と強く結びついており、本人の心の中の大切な点を回復するためには、人間関係の深い面を意識しなければならないことである。

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個人の、両親に対する個人としての関係がいかなるものであれ、偉大な元型がその内には付き従っており、それが我々の内的存在の根源・構造をなしているのだ。元型的「両親」を再発見するために、ぬかるみ、幻想、感傷、罪の意識、恨みなどを解きほぐすことは価値あることである。我々は永遠にその元型の手の内にあるのだから。

そして、もしそのことに気づくなら、ついには人間である両親の明るい面と暗い面を認められるようになるばかりではなく、よくやってしまうように、単なる社交辞令として愛するのではなく、真の人間的な愛に値する、(あるいは値しない)人間だとみることができよう。
結局そのような可能性を、個人的な両親そのもののうちにではなく、彼らを通して元型的「母」「父」の内に見出すことこそ、我々の責任なのだ。そのようにして、我々は両親を誉むことができるのである。



「占星学」〜リズ・グリーン 

January 14 [Sat], 2017, 14:20
年明け早々、占星術を独学で研究している友人から、数年越しで完成した私のホロスコープについての30枚近いレポートが届きました。読むほどに私の人となりが浮かび上がってきて、とても簡単に読み進められるようなものではありません。「惑星は傾向を与えても、人生を決めるものではない」とのことです。たしかに、バースチャートは人生の青写真のようなものですが、要は使い方だと思います。自分を幸せにするための指針として、おおいに参考にさせて頂きます。本当にありがとうございます。



別な友人は、「心理占星術」を学び始めたそうです。んまぁ!なんと興味深い!さっそく図書館でお借りしたのがこれです。以下は表紙に書かれている文章です。いわゆる星占いとは一線を画すものであるとわかります。

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太陽はすべての人の心の中にある自分を表現し、潜在的に持っているものになろうとする衝動を表わしている。月は対照的に、無意識や過去に向かう衝動、自己意識に必要な戦いを避け、生命の大きな流れの一部となることへの衝動を象徴する。伝達者としての水星は、自己と自我、自我と環境を結ぶ橋の象徴である。なぜ、何のために他人が自分の人生に関わってくるのか?人間関係によってたえずもたらされる問題は統合を必要とし、生きることを求めて自分自身の心から湧き上がってくるもののように思われる・・・・・・・

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太陽と月(「潜在的可能性を示す惑星地図」より)p66

その人独自の個別性という経路を通って、太陽星座(サンサイン)の象徴の意味を意識化することで、自己の神秘的な本質が刻まれるようにするのは、各人の課題である。

牡羊座に太陽があるからといって、その人が強情で衝動的であるとは限らない。しかしそれは彼が完全となるために生命力に対する感覚を養い、外界に自分を主張する手腕や、自ら変化を起こし、挑戦に応じる能力を磨くことが必要であることを暗示している。

単純化しすぎるという危険を覚悟していうと、同様に、牡牛座も現実的世界と関係を持つこと、そしてその中に永続する価値観を築くことを学ばなければならない。
双子座は、彼を取り巻く世界について、より深く学ぶことができるように知的な識別力を成長させるよう努めなくてはならない。
蟹座は愛するものの意識の芽を育てることができるように、他者への感情の流れを開くことを学ばなければならない。
獅子座は創造的な努力を通じて、真の創造者であり、それに対して忠誠を尽くさねばならない自らの中にあるセンター(中心)の存在に気づかなければならない。
乙女座は奉仕する器としての自分を管制・洗練させ、人生において根本的なもの、または未分化なものすべてを変換させる役割を果たすことを学ばなければならない。
天秤座は、自分の性格の中で対立するものに、いかにして気づき調和させていくかを学ぶことで、他者と関わりが持てるようにならなければいけない。
蠍座は自分の中の暗い部分を愛し統合させることで、周囲の暗い部分をも癒せるようにしなければならない。
射手座は、すべての人間の願望の中に潜む一貫性を理解することを学ぶことで、人生経験の意義を他者に教えられるようにならなければならない。
山羊座は人間の意志の力のお手本として輝くために、自分の環境そして自分自身を支配することを学ばなければならない。
水瓶座は自分もその一部である集団のライフ(生活)に気づくことで、集合的意識の成長に一役買えるようにならなければならない。
そして魚座はより大きな生命への贈物として自らを捧げることを学び、失われたものを救うという業をなし遂げるようにならなくてはいけない。

サンサインは一連の行動パターンのように個人的なものではなく、人を何者かにするようなものでもない。それは達成されなければならないものの象徴である。そしておそらくそれを達成するのは並大抵のことではないだろう。

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山羊座は人間の意志の力のお手本として輝くために、自分の環境そして自分自身を支配することを学ばなければならない。――たしかにサターン・リターン(土星回帰)後、すなわち30歳ころから私が目指したのはこういうことでした。とても納得!

太陽星座は山羊座で、月星座が天秤座の私。
本能的に安心できるのは天秤座的な、他者と調和した我です。周囲が良しとしてくれる自分でいるときに安らぎを感じ、くつろぐことができます。ですが、他人の影響を受けやすく優柔不断で、依頼心の強い面が強調されると、サンサインが黙っていません。本来の理想に進むべく、自分を叱咤激励します。試練の星と言われる土星が、太陽と同じ山羊座ということからも、自分にも他人にも厳しく真面目な努力家ということがうかがえます。

非常に奥の深い占星学。自分のホロスコープについてもまだまだほんのさわりしか理解できませんが、興味はつきません。


チベット人には、かなわない〜「ラサへの歩き方」にみる平常心 

December 11 [Sun], 2016, 22:24
日本人なら、私をふくめ誰もが手にしたいと願うであろう“平常心”・・・何があっても動じない心。慌てない、緊張しない、威張らない、落ち着き払った柔和な態度。・・・五体投地をしながら聖地ラサをめざすチベットの村人たちの姿は、そんな平常心そのものでした。

ラサへの歩き方〜祈りの2400km


ずっと観たかった映画です。五体投地という、仏教でもっとも丁寧な礼拝法――合掌、両手・両膝・額を地面に付け、うつぶせになった後に立ち上がるという動作を繰り返す――他者のために祈りながら、故郷の村から聖地ラサ、カイラス山までの2400kmもの道程を、ひたすら進むチベットの人たち。それほどの信仰は、いかに育まれたのだろうかと。



チャン・ヤン監督は、長年のチベット文化への憧れから、20年以上この企画を温めていたそうです。そして実際に、チベットのカム地方の村で、監督自身が頭の中で思い描いていた、まさにその人物たちと出会い、感動的なロードムービーが完成したというわけです。村人たちは、“自分自身”を演じているということです。




昨年、「ルンタ」や「ダライ・ラマ14世」を観ていた私にとって、あまりにも平和な風景に、今もチベットの人々は、こんなふうにラサへ巡礼の旅が許されているのかしら?それなら本当に良いけれど、と思わずにはいられませんでした。五体投地で黙々と進む村人たちのすぐ脇を、大型トラックが何台も、轟音をたてながら通り過ぎていきます。一行の旅の荷を積んだ荷車を引くトラクターには中国語の文字があり、巡礼に出かけるための買い物では「元」が使われるなど、あらためてチベットが独立国ではないという事実が胸にせまります。



巡礼の旅は、淡々と続いていきます。旅の途中で、妊婦が産気づき、新しい生命が誕生しますが、出産後ほどなくして何事もなかったように巡礼に戻ります。荷台に乗せられた赤ん坊が泣けばお乳を与えながら。落石で怪我をする者がいればしばし休み、途中の村々でお茶の誘いがあれば受け、宿を提供してもらえばお礼に畑仕事を手伝い、道路が川のようになっていれば上着を脱いで、日常のように村人たちは五体投地を繰り返します。トラクターに前方不注意の車がぶつかり、車軸が折れてつかいものにならなくなれば、荷車を自分たちの手で引いていくと決めて、旅は続けられるのです。



彼らには、アクシデントという観念がないように思えます。もうこれで旅を続けることは困難なのではないか、と言い出す者は誰もいません。「こうしよう」というリーダーの言葉に従い、「そうしよう」と口をそろえます。反対意見は出ません。夜になるとテントをはり、かまどに火をくべ、共に食事をし、祈ります。あるとき一人の村人が、「自分の家は祖父や父も善人で、悪いことは何もしていないのに、運が悪い」と嘆くと、「そういうこともある。大切なのは、他者のために祈ることだ」と淡々とリーダーは語ります。



この映画のもう一つの主役は、チベットの雄大な自然だと思います。日本の里山を見慣れた私は、黒くみえるほどの青い空、急峻な山々と深い渓谷が織りなす威容に、言葉を失います。先の見えないような猛吹雪の中でも、万年雪の残る岩だらけの山道でも、村人たちは五体投地で進むのですが。時には、春のような陽射しをあびながら緑の草原を進み、熱くなれば、川辺で身体を清めたり、髪をすいたり、踊ったりしながら。

世界で最も標高の高い国であるチベットの、過酷な自然の中で生きる人々は、互いに助け合わなければ生きていけないことを知っています。持てる者が持たない者に分け与えるのは、自然なことです。率先して分かち合おうとします。年長者を敬い、尊重します。生と死は日常で、死は悼みますが、忌み嫌うことはしません。

彼らが歌う歌・・・「同じ兄弟でも、それぞれ持って生まれた福は違う。福のあるものは僧侶になり、福のないものは旅に出る」・・・人にはそれぞれ持って生まれた“分”というものがある。分をわきまえるという美徳を、かつては日本人も持っていました。・・・・私たちが、物質的に豊かになると共に失ってしまったものが、チベットには当たり前にあるのです。ああ、もう本当に、チベット人にはかなわない!


映画「ラサへの歩き方」:公式サイト



エドガー・ケイシー「超意識革命」10の法則 

June 22 [Wed], 2016, 16:47
先日ちょっとエドガー・ケイシー本を読みたいなぁ〜と思ったことがありました。
たしかずっと前にブックオフで買ったんだけど。でもきっとチャリボンかなにかに寄贈しちゃったよなぁ。たいていの精神世界本はそうしちゃったからなぁ。

ところがけさ息子が「あひるの空」最新刊を買ってきたので、前のも読み返したいと思い探していたところ、出て来たじゃあないですか 我が家のいちばんどうでもいい本の置き場である、次男のベッドの下から。

エドガー・ケイシー「超意識革命」10の法則〜ジョン・G・フラー


この本は、時代をとらえるドキュメンタリー作家であるジョン・G・フラーの目から、ケイシーの全リーディングを検証し、現在の多くの問題を解決する10の法則としてまとめたものである。――

第一章 あなたを地球に降ろしたのは誰か
質問1 あなたは何をするために生まれてきたのか?

第二章 本当に愛は勝つのか!
質問2 どうすれば時代を超越して楽しく生き抜くことができるのか?

第三章 超感覚を磨くヘルシーフード
質問3 気は力なり! 勝つための健康法とは何か?

第四章 仕事と愛を両立させる
質問4 生活をより豊かにする愛とビジネスの法則とは何か?

第五章 あなたの周りにはプラスエネルギーが満ちている
質問5 あなたをダメにしている環境から脱出できる法則とは何か?
@いかに否定的な態度や欲求不満から脱出するか?
A自分には無理だと思えても、必ずできる
Bあなたの基本的な疑問と選択
C理想があなたに超パワーをくれる
Dあなたは本当にそれを望んでいるのか?
E過去の自分を許せば、新しい可能性が生まれる

第六章 あなたはなぜ自分が嫌いなのか?
質問6 壁を越え、サクセスゾーンを体験する法則とは何か?
@心配は心の中だけにしか起こっていない
A私は誰かを思い出す
B愛は恐れを克服する

第七章 宇宙に満る神のエネルギーを知る
質問7 自然界の気をエネルギーにして人間の限界を超える法則とは何か?
自由な中から、あなたは一つの道を選び、生きる

第八章 死とは魂の進化の一ステップである
質問8 死とリーインカーネーションの秘密の法則とは何か?

第九章 メディテーションで神の意識に入る!
質問9 神はいるのか? いるならばどこに!
神の意識をあなたの中に生かせ!

第十章 科学と宗教の接点とは何か
質問10 超宗教の出現! それはどこからくるのか?

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ちょうど自分の中の「恐怖」に取り組みたいと考えていたので、第五章と第六章に注目しました。

C理想があなたに超パワーをくれる
リーディング2339
「なぜ、私が心の底からいつも悲しいと思っているのかを説明してください」
「それは、あなたの中のもっとも美しいもののほとんどが、他人の意志によって征服されてきたからです。あなたのこれまでの環境が、あなたの理想や目的を、一つずつ否定的なもので征服して消してしまったのです。あなたは、精神の奥深くにある目的意識と一緒になって、肉体的、精神的な活動をするために生まれてきたのです」

@心配は心の中だけにしか起こっていない
罪と恐れの真の原因は、神との分離である。そして罪の意識を取り除く最も効果的な方法は、自分で自分を許す能力である。自分を許すことは、ケイシーの教訓の信条である。

B愛は恐れを克服する
恐れを絶滅させるためのもう一つの鍵は、本来の自分の位置を思い出すことである。あなたは、いつもあなたの内部の創造主と一緒にいるのだ。勇気をもって生活を改善しようと決心することだ。その決心が創造主のパワーを引出し、恐れを分散させるからである。
リーディングによれば、恐れは自分の身勝手から起こる。・・・・・
完全なる治療法は、霊的な力を満たし、霊的な愛を表現する以外にはない。それは、自分の本当の理想のために誠実に生きなおそうと思う炎のような意志である。

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はいはい、それはわかっているのです。と思ってしまいます。

ケイシー本が読みたいなぁと思うと、みつけさせてもらえる。ということも知っているように思います。
この前まで玉ねぎが欲しいなぁと思っていたら、いろんな人からもらいすぎて、集まり過ぎてしまいました。それは、欲しいなぁとさらっと思ったのではなく、なくなったらどうしようという「恐怖」が根底にあったからだと思います。

その恐怖とどう決別したらいいのか・・・・・与えられた課題を、淡々とやり続けたいと思います。



シルバーバーチ 今日の言葉 

April 21 [Thu], 2016, 10:13
シルバーバーチ 今日の言葉 〜 近藤千雄 訳編

何とかして、宇宙の心、宇宙の中心、宇宙をこしらえた神に、
まず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。

それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、
ぜひ自分をお役立てくださいという祈りの気持ちで包んであげることです。

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祈りとは、われわれのまわりに存在する、より高いエネルギーに波長を合わせる手段です。その行為によって、ほんの少しでも活動を休止して、精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。僅かな時間でも、心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくして、われわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。

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霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、
あなた自身にはわかりません。
もしかしたら、あなたにとって最も嫌なことが、実は
あなたの祈りに対する最適の回答であることもありえるのです。


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過ちは誰でも犯すものです。
その過ちから学べばよろしい。
誰でも転ぶことがあります。
すぐに立ち上がって、
また歩み始めればよろしい。


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絶対に許してはならないことは、不安の念を心に居すわらせることです。
取り越し苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。
理性を曇らせます。事態を明確に見ることをさまたげます。


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霊的成長を望む者は、霊的成長を促すような生活をするほかはありません。
その霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言い換えれば、内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。
邪(よこしま)な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものをいだいているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。






一度も負けたことのない男〜「忠直卿行状記」/菊池寛 

March 30 [Wed], 2016, 12:35
私はとっても負けず嫌い。とにかくに立ちたいに見られたくないこの性癖の為、ときに憤懣やるかたなく、うっぷんを晴らすために優しい夫を餌食にすることもしばしばです。


ナルキッソス
そんなとき読んだのが、「忠直卿行状記

忠直卿とは・・・松平忠直、越前北ノ庄(福井)藩主。祖父は徳川家康。どうやら乱行を重ねた末、隠居させられたという歴史に名高い暴君だったようです。ただそれも後の世の創作だったという説、領地では名君だったという説、いろいろあり、ずいぶん謎の多いお殿様のようですね。

「忠直卿行状記」は、「恩讐の彼方に」と同様、菊池寛の小説です。
ここで忠直卿は、幼少より「一度も負けたことのない男」として描かれています。徳川家康の孫に当たり、父の死後わずか13歳で、67万石の大名となりました。

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幼年時代からも、彼の意志と感情とは外部からはなんらの抑制も被らず、思うままに溢れていたのであった。彼は今までいかなることにたずさわっても人に劣り、人に負けたという記憶を持っていなかった。
幼年時代に破魔弓の的を競えば、勝利者は必ず彼であった。福井の城下へも京の公卿がけまりの戯れを伝えて、それが城中にもしばしば行われた時、最も巧みに蹴る者は彼であった。囲碁将棋双六というもてあそびものにおいても、彼は大抵の場合勝者であった。元より弓馬槍剣といったような武士に必須な技術においては、彼の技量はたちまちに上達して、最初同格であった近習たちをぐんぐん追い越して、家中においてその道に名誉の若武者たちにも、たちまちに打ち勝つほどの上達を示すのを常とした。

こうして、周囲の者に対する彼の優越感情は年と共に培われて来た。そして、自分は家臣共からはまったく質(たち)の違った優良な人格者であるという確信を、心の奥深く養ってしまったのである。
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「生れて以来、叱られるなどという感情を夢にも経験したことのない主君」、「人から非難され叱責されるという感情を、少しも経験したことのない忠直卿は、その感情に対してなんらの抵抗力も節制力も持っていなかった。」というお殿様は、しかしある日ふとしたことから、家臣の本音を耳にしてしまいます。

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「以前ほど、勝ちをお譲りいたすのに、骨が折れなくなったわ」
右近の一言によって、彼は今まで自分が立っておった人間として最高の脚台から、引きずり下ろされて地上へ投げ出されたような、名状し難い衝動(ショック)を受けた。
 それは、確かに激怒に近い感情であった。しかし、心の中で有り余った力が外にはみ出したような激怒とは、まったく違ったものであった。その激怒は、外面はさかんに燃え狂っているものの、中核のところには、癒しがたい淋しさの空虚が忽然と作られている激怒であった。彼は世の中が急に頼りなくなったような、今までのすべての生活、自分の持っていたすべての誇りが、ことごとく偽りの土台の上に立っていたことに気がついたような淋しさに、ひしひしと襲われていた。
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それ以後です。忠直卿のご乱行がはじまるのは。ことの次第は、菊池寛の創作なのでしょうが、忠直卿の優越心それ自体が、モンスターのように巨大化していくさま、そしてそれが全く偽りであったと気づいた後の空虚さ、寂寥感がリアルに描かれており、作者の、心の不思議さをあますことなく映し出す力量に感服しました。

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忠直卿は、つくづく考えた。自分と彼らとの間には、虚偽の膜がかかっている。その膜を、その偽りの膜を彼らは必死になって支えているのだ。その偽りは、浮ついた偽りでなく、必死の懸命の偽りである。忠直卿は、今日真槍をもって、その偽りの膜を必死になって突き破ろうとしたのだが、その破れは、彼らの血によってたちまち修繕されてしまった。自分と家来との間には、依然としてその膜がかかっている。その膜の向うでは、人間が人間らしく本当につきあっている。が、彼らが一旦自分に向うとなると、皆その膜を頭からかぶっている。忠直卿は自分一人、膜のこちらに取り残されていることを思い出すと、苛々した淋しさが猛然として自分の心身を襲って来るのをおぼえた。
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人と人が、生身でまるごとぶつかり合う実感が欲しい、自分一人だけ蚊帳の外におかれる孤独から解放されたい、という強い衝動により、これまで勝ちを譲られる一方だった忠直卿が、家臣に真剣での勝負を挑む気持ちは、十分納得のいくものです。

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忠直卿の乱行が、その後益々進んだことは、歴史にある通りである。最後には、家臣をほしいままに手刃するばかりでなく、無辜の良民を捕えて、これに凶刃を加えるに至った。ことに口碑に残る「石の俎(まないた)」の言い伝えは、百世の後なお人に面を背けさせるものである。が、忠直卿が、かかる残虐を敢てしたのは、多分臣下が忠直卿を人間扱いにしないので、忠直卿の方でも、おしまいに臣下を人間扱いにしなくなったのかも知れない。
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残忍、残虐な行為に至る理由、その説明をこうまで丁寧に描写できる、菊池寛の人間観察、すばらしいの一語に尽きます。一度も負けたことがないなんて、なんと羨ましいことかと思った自分の浅はかさを恥じいるばかりです。

ご乱行が幕府に知れることとなり、豊後の国に配流となった後の忠直卿については、
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「忠直卿当国津守(つのかみ)に移らせ給うて後は、いささかの荒々しきお振舞もなく安けく暮され申候。
かねがね仰せられ候には、六十七万石の家国を失いつる折は、悪夢より覚めたらんが如く、ただすがすがしゅうこそ思い候え。

生々世々、国主大名などに再びとは生れまじきぞ、多勢の中に交じりながら、孤独地獄にも陥ちたらんが如く苦艱を受くることしばしばなりなど仰せられ、御改易のことについては、些の御後悔だに見えさせられず候。

徒然の折には、村年寄僧侶などさえお手近く召し寄せられ、囲棋のお遊びなどあり、打ち興ぜさせたもう有様、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)にも勝れる暴君よなど、噂せられたまいし面影更に見え給わず。

ことに津守の浄建寺の洸山老衲とは、いとじっこんに渡らせられ、老衲が、『六十七万石も持たせたまえば、誰も紂王の真似などもいたしたくなるものぞ。殿の悪しきに非ず』など、聞え上げけるに、お怒りのようもなく笑わせ給う。

末には百姓町人の賤しきをさえお目通りに引き給い、無礼なめげに飾なく申し上ぐることを、いと興がらせ給えり。御身はよろず、お慎み深く、近侍の者を憫み、領民を愛撫したもう有様、六十七万石の家国を失いたる無法人とも見えずと人々不審いぶかしく思うこと今に止まず候」と、あった。
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とあり、さても歴史的人物というものは、見る方向、角度により、いかようにも解釈これあり、できそうらえるものなり。とでもいいましょうか。たいへんに興味がつきないものであります。





恩讐の彼方に〜菊池寛 

March 30 [Wed], 2016, 9:29



菊池寛という人は、人間の愚かさ、浅はかさ、残忍さ、などなどいわゆる闇といわれる部分を、否定も肯定もせずに、ただ淡々と受け入れて、描写しています。およそもっとも醜いと思われる人間の行状から、もっとも美しい精神が立ち現れることを、この本から教わりました。

「恩讐の彼方に」→青空文庫で全文を読むことができます。 

主人公の市九郎は、若いころ主家の妾と通じ、主を殺して妾のお弓と逃げたのち、峠の茶屋を開きながら夜は強盗を稼業とします。一年に三、四度、金のありそうな旅人を殺すと優に一年は生活できたということです。ある時、若い夫婦を襲って金や衣装をはいで戻ったところ、思いのほか金が少ないことを咎められ、殺害した妻女の髪のもの(櫛や笄こうがい)まで盗ってこいというお弓にほとほと嫌気がさし、逃げ出した末に出家し了海となります。
やがて了海は、自分の道心が定まってもう動かないのを自覚すると、師の坊の許しを得て、諸人救済の大願を起し、諸国雲水の旅に出、筑紫の山の中に、旅人が難儀する断崖絶壁があるのを知ります。

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積むべき贖罪のあまりに小さかった彼は、自分が精進勇猛の気を試すべき難業にあうことを祈っていた。今目前に行人が艱難し、一年に十に近い人の命を奪う難所を見た時、彼は、自分の身命を捨ててこの難所を除こうという思いつきが旺然として起ったのも無理ではなかった。二百余間に余る絶壁を掘貫いて道を通じようという、不敵な誓願が、彼の心に浮かんできたのである。
 市九郎は、自分が求め歩いたものが、ようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば、十年には百人、百年、千年と経つうちには、千万の人の命を救うことができると思ったのである。

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隧道開さくのための寄進をつのる了海ですが、誰一人相手にするものはいません。三町を超える大盤石を掘貫こうという風狂人と嗤うばかりか、迫害を加える者まで出る始末。そこで彼は己一人の力で掘貫こうと決意し、槌をふるいはじめます。一年で約3メートル、20年以上の歳月をかけ、嘲笑されながら幽鬼のごとく、大岸壁を掘り穿つのです。最初はとても貫通できるものではないと疑っていた里人たちも、しだいに了海の事業を援けはじめます。しかし了海は、援ける者があってもなくても変わらずに、槌を振るい続けるのです。

隧道完成まであと二年という頃、市九郎(了海)に殺された主の一子実之助が、親の敵をついに探し当てて現れると、了海はすすんで斬られようとします。ところがその騒ぎをききつけた石工たちが実之助を止めるのです。
「御武家様も、おきき及びでもござろうが、この刳貫は了海様、一生の大誓願にて、二十年に近き御辛苦に身心を砕かれたのじゃ。いかに、御自身の悪業とはいえ、大願成就を目前に置きながら、お果てなさるること、いかばかり無念であろう。我らのこぞってのお願いは、長くとは申さぬ、この刳貫の通じ申す間、了海様のお命を、我らに預けては下さらぬか。刳貫さえ通じた節は、即座に了海様を存分になさりませ」と。
しぶしぶそれに応じた実之助ですが、やがて自らも槌を振い始めるのです。

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敵と敵とが、相並んで槌を下した。実之助は、本懐を達する日の一日でも早かれと、懸命に槌を振った。了海は実之助が出現してからは、一日も早く大願を成就して孝子の願いを叶えてやりたいと思ったのであろう。彼は、また更に精進の勇を振って、狂人のように岩壁を打ち砕いていた。
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ついに隧道が貫通する場面は何度読み返しても、感動で心がふるえます。

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了海は「おう」と、全身を震わせるような名状しがたき叫び声を上げたかと思うと、それにつづいて、狂したかと思われるような歓喜の泣笑が、洞窟をものすごく動揺(うごめか)したのである。「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」

こういいながら、了海は実之助の手を取って、小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とは、そこに手を執り合うて、大歓喜の涙にむせんだのである。

が、しばらくすると了海は身をすさって、「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が、妨げいたそう、いざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。

が、実之助は、了海の前に手をこまねいて座ったまま、涙にむせんでいるばかりであった。
心の底から湧き出ずる歓喜に泣くしなびた老僧を見ていると、彼を敵として殺すことなどは、思い及ばぬことであった。

敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の双の腕(かいな)によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。
彼はいざり寄りながら、再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせび合うたのであった。

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「モンテ・クリスト伯」もそうですが、岩盤を堀り穿(うが)つという作業、自分の内面を深く掘り下げる「内観」に通じるところがあります。エドモン(モンテ・クリスト伯)は、司祭に助けられて岩屋を掘り進めますが、この「恩讐の彼方に」では、敵同士が並んで岩を穿つのです。堀り進めて掘り進めて、ようやく光が指した時、一緒にいたのが親の敵(かたき)、殺したいと憎んだ相手だったというところに、思わず「そうか!」と膝を打ちました。

自分の心を深く掘り進めようという原動力となるもの、どんなに困難でもそれを成し遂げたいという火が消えないのは、憎い相手がいてくれるからです。私の心を掻き乱し、平静でいられなくするその人は、実は私と一緒になって、私の心を探求する旅の担い手となってくれていたのでした。





モンテ・クリスト伯 〜 復讐するは我にあり 

March 15 [Tue], 2016, 8:13
先回の天心楽の会合で、アカシャさんが復讐劇をすすめてくださったので、さっそく「モンテ・クリスト伯」を観てみました。



「モンテ・クリスト伯」といえば、私の中で一、二を争う面白さの冒険活劇。小学校の図書館で借りた「岩窟王」には、作者名が大デュマとありました。その息子さんを小デュマ(「椿姫」の著者)と呼ぶとは、後年知ったことです。

はるか昔に読んだ「岩窟王」、「ああ、無情」とか「青の洞門(恩讐の彼方に)」と内容がごっちゃになっていましたが・・・



文句なく、おもしろかったです。悪人たちがやっつけられてスカッとしました主人公エドモン・ダンテスは、自分を陥れ、牢獄に幽閉した元親友フェルナンを追い詰め、剣で突き刺そうかという時、躊躇してしまうのですが、私は「早くやれ、やってしまえ!」と心で叫んでいました。

美しいエドモンの恋人メルセデスは、エドモンが死刑になったという知らせから一か月後に(エドモンと永遠の愛を誓ったにもかかわらず)フェルナンと結婚します。その息子がエドモンにそっくりなので、登場場面から結末が予想されるという突っ込みどころ満載な点をふくめ、とても楽しめました。

いちばん印象に残ったのは、13年間幽閉された監獄でエドモンが出逢う、ファリア司祭とのシーンです。自分を陥れた者たちに復讐を誓うエドモンに、司祭が「復讐はいかんよ、復讐するは我にあり」とさりげなく言いきかせるのです。

「復讐するは我にあり」・・・実は復讐劇を観ようと思った時、日本映画の同名のタイトルを思い出していました。これは聖書の一節だというので探してみると、たしかに、「ローマ人への手紙」第12章19節にありました。

愛する者たちよ。
自分で復讐をしないで、むしろ神の怒りに任せなさい。
なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する。」
と書いてあるからである。         (日本聖書協会)

乱暴に言ってしまえば、悪者はあえて復讐なんてしなくても、自ら滅びるよ〜天罰が下るからね〜ということにでもなるでしょうか。

無実の罪で幽閉されたエドモンが、脱獄を企てて何年もトンネルを掘り続けているファリア司祭と、たまたま司祭が掘り進める方向を間違えて、エドモンの独房に現れたことで出逢うのも、神の計らいかもしれません。
司祭は、文盲のエドモンに読み書きをはじめ、自分のもつすべての知識を教えます。そして死の間際に、モンテ・クリスト島に眠る財宝のありかも明かすのです。

さて今朝のこと、会合で決めた私の課題について降り返っていたところ、「認めたくない自分を赦す」がまったくできていないと気づきました。許したつもりでも赦していませんでした。まだまだジャッジを繰り返しています。「こうであらねば」という縛りはとてつもなく強力です。まるで自らを監獄に繋いでいるようです。

と考えていてはっとしました。
エドモン・ダンテス=「モンテ・クリスト伯」の物語もまた、心の中で起こっていることでした!
自分を裏切る親友フェルナンも、自己保身のために牢獄につなごうとするヴィルフォール検事も、船長の座を奪われたことに嫉妬して悪だくみを図る元船長も・・・・本当の自分を必死で亡き者にしようとし、「こんな自分じゃダメだ!」と決めつけて耳をかそうともしない、もう一人の自分です。

頑強な岩屋の牢獄で、ひょっこりと現れ神の言葉を伝える司祭。その司祭と二人三脚で、さまざまなことを教えられながら、小さな道具で少しずつ岩屋の岩盤を掘り進めていく。まぁ〜なんと、心の錬金術そのものではありませんか。
方向を間違ったとしても、無駄ではありません。掘り進めることをやめさえしなければ、いつか必ず自分の本質は、顔を出してくれるのです。


モンテ・クリストとは、「キリストの山」の意味だということです。



アーサー・C・クラーク 著 「地球幼年期の終わり」 

January 26 [Tue], 2016, 8:44
幼年期の終わり  アーサー・C・クラーク
たしか中学生の頃、もう40年も前に友人にすすめられて読んだ本です。
1/30にツルハシブックスで、新・ハックツがオープンするにあたり、「中高生に届けたい本」の寄贈をしようと実家の書棚をあさっていたところ、みつけました。
当時の私が夢中になった、とにかくアッと驚く展開の面白い本だったと記憶しています。寄贈するためには簡単なメッセージをつける必要があるので、ざっと読み返しているところです。



内容は・・・ある日宇宙船があらわれることによって地球が平和な星になる。それを人類は「上主(オーバー・ロード)」と呼んで崇めるのですが、その「上主」さまはバフォメットの姿をしていた。実は上主さまは、「主上心(オーバー・マインド)」に仕える身であり、その意志により、地球人を新たな種として生まれ変わらせる為の産婆のような役目を負っていた。旧人類(親)と別れ、主上心と一つになることを選ぶ「新人類」は、やがて地球を滅ぼすことになる・・・

このままでは地球人のエゴが肥大しすぎて地球が滅びてしまう・・・それを危惧する宇宙人が地球に介入し、進化の方向へと導く。しかしその進化の方向とは、正しく進化といえるのだろうか?「上主」自身、進化の袋小路へ入り込んでしまった種だった。そして、「上主(オーバー・ロード)」が仕える「主上心(オーバー・マインド)」と一つになっていく新人類。その親たち(旧人類)は、我が子が理解できない存在へと変貌していく姿を目の当たりにするが、出来ることは何もない。。

新世紀エヴァンゲリオンの元ネタになったともいわれているのですね。
東北大学SF研wiki 幼年期の終わり

我が子をエイリアンのように感じる瞬間は、私にもありました。世代間の相違というのは、いつの世でもはなはだしいものがあるのかもしれません。


終末を回避するために大人と子供を分ける、という萩尾望都の漫画「AWAY」にも共通して流れるテーマだと思いますが、この漫画は、小松左京の「お召し」を原案にしたものです。
小松左京の、「果しなき流れの果に」も読み返したくなりました。

いや〜SFって本当にいいですね!!

「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ より 

January 15 [Fri], 2016, 8:28
第一章 怒りとは何?

「怒り」が生まれると「喜び」を失う

怒りを意味するパーリ語(お釈迦さまの言葉を忠実に伝える古代インド語)はたくさんありますが、一般的なのは dosa(ドーサ)です。この ドーサ という言葉の意味は「穢れる」「濁る」ということで、いわゆる「暗い」ということです。

心に、その ドーサ という穢れたような、濁ったような感情が生まれたら、確実に我々はあるものを失います。
それは ピーティ といって「喜ぶ」という意味の感情です。我々の心に怒りの感情が生まれると同時に、心から喜びが消えてしまうのです。

ですから、じつは怒りはわかりやすいのです。自分が今怒っているかどうかわからない場合は、「今、私は楽しい?」「今、私は喜びを感じている?」と自問自答してみればいいのです。「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるならば、そのときは心のどこかに怒りの感情があります。

「暗い感情」dosa が強くなると「怒り」 vera になる

感情には、どんどん強くなるという性質があります。

今日は「退屈で、退屈で、嫌だと」いうときは怒りもあるのですが、それは大した怒りではないかもしれません。
ところが、その怒りもどんどん圧力が高くなってしまうと危ないのです。自分が爆発してしまうか、その怒りのショックで他人まで壊してしまう可能性があります。そんな強い怒りには、パーリ語はvera(ヴェーラ) という単語を使います。

◆怒りを表すパーリ語◆
・dosa(ドーサ) 基本的な怒り - 「暗い」「嫌な感じ」こと。 明るいピーティの心にドーサがはいると、暗く、怒りが育ってゆく。

・vera(ヴェーラ) 強い怒り - 自分の歯をじりじりと噛んだり、拳をにぎったり、筋肉が震えたりする。

・Upanahi(ウパナーヒー) 怨み - いったん怒りがうまれたらなかなか消えなくて、何日でも何か月でも一生でも続くこと。

・Makkhi(マッキー) 軽視 - いつでも自分を高く評価して、他人の良いところを軽視してみる性格。人の才能、能力、美貌、体力などの長所を認めたくなくて、何か言いがかりをつけて軽視する。

・Palasi(パラーシー) 張り合う - 他人と調和して仲良く生きることができない。いつも他人と競争して、倒そうとする気持ちで、他人に打ち勝つ気持ちで生きている。まわりの人々に対して挑戦的。

・Issuki(イッスキー) 嫉妬 - 他人の良いところを認めたくない気持ち。そのエネルギーを自分の内心に向けて暗くなる。

・Macchari(マッチャリー) 物惜しみ - 俗にいうケチ。自分が持っているものを他人も使用して喜ぶのがイヤ。分かち合ってみんなで楽しみましょう、という性格ではないから、暗い性格。

・Dubbaca(ドゥッバチャ)  反抗的 - ほかの人からの言葉を受け取らない。 頑なな自我を守り、自分のプログラムで生き、コミュニケーションを拒否するのに、コミュニケーションなしでは生きられないから怒りを持ち続ける。 ドゥッバチャになった時点で人間としての成長はストップする。 覚りにもっとも遠い、自分のかたい殻に閉ざされた人。

・Kukkucca(クックッチャ) 後悔 - 後悔も怒り。 失敗を思い出すことで、前に進めない。 何もできないまま、ひどく嫌な気分のまま、成長が止まる。 後悔は罪を再生し、何度も繰り返して思いだすことで、繁殖・培養し、後悔したことにも後悔する悪循環にはいってしまう。 

・Byapada(ビャーパーダ) 激怒 - 異常な怒り。何も理由がないにもかかわらず、怒る。理由があって起こった場合でも並外れて強烈なもの。人を破壊する。

世の中の破壊の原因は「怒り」

暗い感情、幸福が失われた感情 dosa(ドーサ) があまりに強くなると vera(ヴェーラ) というレベルにあがってきて、じっとしていられません。さらに強くなってしまうと、さまざまな行動のなかでいろいろなものを破壊していきます。
まっさきに破壊するのは自分です。それで他人も破壊していくのです。世の中の破壊の原因は怒りなのです。

世の中にあるものをつくり上げる創造の源泉は愛情であって、創造したものを破壊していくのは怒りの感情です。ですから強いて言えば、愛情と怒りはひとつのセットなのです。そういう二つのエネルギーの働きがあります。



P R
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