野田首相の「政府も、事業者も、あるいは学問の世界においても」発言は原子力ムラ擁護

2012年06月11日(月) 20時32分
政官業学報ペンタゴンの中核は日本型ムラ社会
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/07b84219fd75b4232ef9603e62686dbe

代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives
2011年04月03日

 政官業学報のペンタゴンによる、異論を許さない翼賛体制の存在はよく指摘されるところ。原発推進プロパガンダしかり、このブログで取り扱ってきた自由貿易推進プロパガンダもしかり、ダム推進プロパガンダもしかりである。市民・住民の不安や異論を徹底的に排除するペンタゴンであり、ソフトな日本型全体主義体制といっても過言ではないだろう。

 以前は「政官業のトライアングル」という言い方がされた。それだけではないだろうということで、それを補完する役回りの「学(専門家)」と「報(マスコミ)」も付け加えられて、トライアングルからペンタゴンへと昇格(?)してきたわけだ。誰が最初に言い出したのかは知らないが、田中康夫議員などが好んでこのフレーズを使っている。

 ペンタゴンの中核はいったい何だろう? 政がいちばん上にくるので政治なのかと思いきやそうではない。「政」と「報」は状況によっては変わり得る。住民・市民の側に立脚しえる可能性のある存在なのだ。実際、ダム問題に関しては、「政」も「報」も、原発問題やTPP問題などに比べれば若干は中立的である。

 中核にあるのは官・業・学といってよいだろう。官業学で形成された閉鎖的なムラ社会の「絆」は本当に強固だ。このムラ社会が日本を破滅に追いこむのではないか。今回の原発事故を見てそういう思いを強くした。

 前回に引き続いて河野太郎議員のブログから、「原子力政策の別れ道」とういう記事を紹介したい。六ヶ所村の核燃サイクル工場に強く反対してきた河野議員は、19兆円もの血税(最終的には50兆円とも)をつぎ込むことになる、費用対効果も見合わない、プルトニウム汚染の危険性もきわまりない六ヶ所村工場のアクティブ試験に強く反対していた。この時が「日本の原子力政策の分かれ道だった」と述懐する。
 河野議員は、「19兆円の請求書」という「快文書」を紹介している。ぜひご覧いただきたい。下記サイト。
 
 http://bit.ly/ed9f90

 そのスライドの21ページには次のようにある。

***引用開始*********

やめられない止まらない −原子力ムラの事情−

原子力工学科卒業生の存在
― 国、電力会社、特殊法人、重電メーカーには原子力工学科の卒業生が多数存在し原子力ムラを構成
― 国家予算4700億円、電力の原子力発電費2兆円へのたかりの構図。
    ↓
 サイクルやめれば、もんじゅ、次世代原子炉といったプロジェクトの意義が失われ、プロジェクトにまつわる利権が失われる

***引用終わり*********

 19兆円の六ヶ所核燃サイクルでも、4600億円の八ッ場ダムでも、10兆円の第二東名・名神高速道路でもそうだが、費用対効果のおよそ見合わない不要な事業が延々と繰り返されるのは、官業学に配置された、同じ学科を卒業した「同族意識」に支えられた閉鎖的ムラ社会が国家予算に寄生して「たかり」を繰り返しているからだ。
 「ムラ社会」のたとえ通り、彼らのムラ社会を守るための団結心・結束力はきわめて強固である。個性豊かな逸脱者は下手な発言をすれば「村八分」の制裁を受けて「ムラ社会」からパージされていく。

 戦前の軍部が、負けるとわかっていても戦争を止められなかったのと同じ。同族意識で支えられたムラ社会が、責任の所在もあいまいなまま、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式に突っ走るとき、もはや理性による自制力など働かなくなるのである。どんな失敗(福島第一原発事故)が起こっても責任の所在があいまいなので、誰も責任を取らずにうやむやになってしまうから、本当に赤信号でも怖くないという状況なのだ。

 原発が技術的にどうこうという以前の問題として、それを動かす中核に「前近代」としか表現しようのないムラ社会が存在する限り、破局は避けられない。

 いや、そう言っては前近代に失礼かも知れない。前近代のムラ社会はもう少し自制心に富んでいた。近代以降に形成されたムラ社会は、「長州閥陸軍共同体」にせよ「原発共同体」にせよ、まったく外部からはコントロールの効かない存在である。

 中核にあるのは官業学のムラ社会であるが、「政」と「報」がそれを補完したとき、一般市民などが発する異論や警鐘はいっさい聞き捨てにされる翼賛体制になる。

 河野太郎議員の別の記事、「原子力をめぐる不透明さ」もぜひ読んでほしい。この記事は、環境エネルギー政策研究所の田中信一郎氏の報告書を紹介したものだ。

 「原発村」も「ダム村」も同じ構図で、ムラの内部から止める力は絶対に出てこないといってよい。官・業・学ムラ社会の暴走を止めるには、まず「利権共同体に属する専門家たちになど任せきりにしておいたらとんでもないことになる」ということをしっかりと認識せねばならない。その上で、市民と政治とメディアが結束して対抗するしかないといえるだろう。日本にそれができるのであろうか? 甚だ心もとないのだが、希望の芽があるとしたら中東と同じくネットの生む力である。

 危機の際に心を一つに結束できる日本人の性質は、美徳として海外からも称賛された。しかし、大本営が健全な異論を力で封殺しているというのに、大本営(政府)発表をひたすら信じてついていくのは悪徳である。大本営(政府)の中核に、「たかり」を繰り返す利権共同体(シロアリ)があるのに、彼らが理性的な決断をしていると信じるのは愚かである。日本人の美徳は悪徳と表裏なのだ。
  • URL:https://yaplog.jp/birds-eye/archive/8908
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