ばあちゃん

2012年04月11日(水) 9時48分
4月7日土曜日、早い時間帯の晩に祖母が急逝した。
現在私たち孫2人とも大阪に出てきて結婚し、兵庫の実家には両親と祖母の三人暮らし。
いつも長風呂の祖母が今日は髪も洗うと言っていたけど、さすがにちょっと長過ぎるといって父が様子をうかがいに行ったら湯船にうつぶせになって浮かんでいたと。
一瞬その光景の意味が分からなくて呆然とした後、慌てて母を呼び必死で風呂から2人して引き上げたんだと。
小さい身体なのに、水を吸ってたのもあるんだろうけど信じられないくらい重かったって。
居間までなんとか運んで救急に電話し、指示に従って人工呼吸などの救命措置をしながら早く救急車がこないかと祈った。引き上げたときもうすでに唇と指が真っ白になってたと言ってた。
ちょうどその時私は、仕事続きで晩ご飯を用意できてたかったため外食にでかけようとして夫の運転する車に乗ってた時に電話を取った。
ばあさんが風呂場で倒れてな、息してないんや、という父の聞いた事も無いような呆然とした声にビックリして、急遽実家に向かって車を走らせた。
その時はまだ状況がよく解らなくて、もしかしたら息を吹き返すかもしれないと思ったけど、途中で何度かかかって来た電話で、やっぱりだめだったと。死亡が確認された。
病院に着いた時は、顔に布をかけられ、綺麗に体を乾かしてもらって手を組んだ祖母がベッドに横たわっていた。
あまりにも普通に寝てるみたいに安らかで、死んでるというのが信じられなかった。

病院で検査してもらったけど、いつどういう状態で心臓が止まったのかなど死因は詳しくはわからず、溺れて亡くなったという判断になった。
湯船には入れ歯とお昼に食べたうどんが少し嘔吐されていたとのことだけど、風呂の湯も結構吸い込んでたみたい。どういう状況だったのか、わからない。
自宅でなくなったので、警察が事情聴取に来て、病院のロビーで父が取り調べを受けていた。
母は、途中でなぜ確認しなかったのかと、ごめんな、何もしてあげれんかった、と深く後悔していた。

その晩は私と仕事終わりに駆けつけた弟も一緒に実家に戻り、祖母の亡骸をドライアイスを敷いた自室のベッドに寝かせてもらい、深夜三時頃まで葬儀屋との打ち合わせ。心も体もそれどころではないけど、決めなければならないことやするべきことが多過ぎて。
もちろん、それらが終って布団に入っても寝れるわけもなく。頭痛も酷かったけど実家に置き薬はなく色んな事を反芻し、なんだかもうぐちゃぐちゃだった。

次の朝からは、親戚に訃報と通夜、葬式の伝達。
日曜だったから出掛けて連絡とれない人もあったけど、平日よりマシだったかもしれない。
私も一瞬だけ自宅に喪服や泊まる準備をしに帰り、夕方から通夜、翌日は葬儀とあっという間に時間が過ぎた。
長い間一緒に住んでた人間が亡くなるのは、大人になってから初めてだったのでショックが大きくて。
祖母ももう歳も歳だし割り切れてると少し思ってたけど無理だった。

強烈な個性を持ち、自由人だった祖母は、初孫の私のことをものすごく可愛がってくれた。
若くして亡くした娘(父の姉、2人姉弟だった)の生まれ変わりだと信じてるようなところもあったと母が言ってたので、余計にだったのかもしれない。
珠里という私の名前も、両親を押しのけて祖母がつけた。
昔は今ほどない珍しい名前だったので変わってるのが恥ずかしかったけど、大きくなるにつれ良い名前だと思うようになった。

元気で医者嫌い、病気してもちょっと横になってたらすぐに回復したし、昨年自転車で転んで頭をぶつけて顔の半分が内出血で真っ青になってた時にも肝を冷やしたし、転んだ拍子に障子に頭から突っ込んでけがをした時も本当に無事か恐かったけど、そのあと綺麗に治って頭もハッキリ、いつも通りに減らず口をたたいていたのに。
87歳で、歩くのはかなりスローになっていたし、一緒に歩く時に手を握ってあるいてたけどその手を握る力がすごかったのを覚えてる。必死につかまっていた。
いつも、もうすぐ死ぬわと冗談なのか何なのか笑って言うから、そんな元気やのにまだまだ大丈夫やろ、と言い合ってたのにな。
こんなあっさり逝ってしまうなんて。
母とは一緒に住み始めてから嫁姑の確執があってずっと何かにつけてけんかもしてたみたいだけど、最近は祖母が子供返りしたように無垢に近づいて来たりして、やっと少しずつ穏やかな関係になってきたと思ってた矢先に。
父は父で、気性の激しい自由気ままな危なっかしい祖母を、逆に親のようにキツい言葉で叱ったりしてて、よく祖母も親に向かって…と愚痴をこぼしていたけど。でも、祖父も早くに亡くしたった一人の肉親だったし、もっと優しくしてやれよかったと心残りがあるようだ。
弟もよく実家に居る時は祖母と言い合いのけんかしてたみたいだけど、お互いいつも気にかけていたし、告別式に外せない仕事で来れなかったのがとても辛かったといっていた。
でも、その分弟のお嫁さんとひ孫にあたる息子が通夜からずっと付き添っててくれたので、ばあちゃんも嬉しかったとおもうよ。
そんなこんなで、一家にとってはすごく大きな存在だったわけです。
それが突然ぽっかりと欠けてしまった。
前日は遠くのスーパーに行って健康のためと一人で歩いて帰ってきてたというのに。

今は、死んでからこんなことしたって、生きてる間にもっとこうしてやればよかったという気持ちばかり。
有り難くも仕事が忙しく、せめてと盆と正月には少しだけだけど帰省して顏を見せに行ったけど、帰る時にはもう家入っときや、と言ってもずっと玄関先で見送ってたし、きっともっと一緒に居たかったよね、寂しかったよな。ごめんな。
今年のはじめに帰った時も、また引っ越しした新居に遊びにきてくれると言ってたしお盆にはまた帰るし、変わらず居間の中央の席に座って迎えてくれると思ってたのに。
葬式が終わってばあちゃんの部屋を少し片付けたけど、明日しようと思ってたもの、明日食べようと思って置いてあったお菓子がそのままになってて。ばあちゃん自身もびっくりしてるだろうね。
あの大きな声で笑ってたのが聞けないと思うと寂しすぎる。
唯一の幸いは、恐らくそんなに苦しまずに逝ったと思われること、死に顔が穏やかで安らかだったことかな。
生前、幸せだったと思っててくれてたら嬉しいんだけど。

両親が心配だったのでもう一泊して、昨晩自宅に帰って来たけど、一人になると色々考えてしまってつらい。
けど、もういつまでもこうしてられないよね。
少しずつ、日常に戻していこうと思います。

先日、ボケ防止にと広告の切れ端で折ったヤッコさんを甥っ子に、破っても落書きしても良いから使い、と袋いっぱいにもらったと、弟のお嫁ちゃんからひとつ分けてもらった。
あと、亡くなった時も風呂場に転がってた、いつも使ってたプラスチックの櫛を形見にもらって帰ってきた。
こんなものがあっても、と思うけど、想い出として大事に持っておこうと思います。

そういえば、、昔から観てた「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃん役だった声優の青野武さんも9日に亡くなったようで。
祖母と共に、ご冥福をお祈りします。
誰かが亡くなるのは本当に辛く悲しいね。
旦那のお父さんも今年のはじめに脳出血で入院し、現在リハビリ治療中。
そんな、彼自身の家族も大変な中、色々と私の祖母や家族を思い尽くしてくれました。ありがとう。
〆切が迫っていた取引先の担当さんにも事情を話したところ、暖かい言葉とともにご考慮頂き感謝です。
沢山の喜びを貰ってる絵の仕事ももちろん頑張りたいけど、これからはもう少しだけでも、大事な人たちと一緒に過ごせる時間を増やしたいと思います。後悔しないように。
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イラストレーター/キャラクターデザイナー
大阪在住です。
セキセイインコ×2羽を愛でる毎日。
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