表記 E

January 10 [Tue], 2006, 23:59






 Dの続き。
 
ナポレオン3世による第二帝政(1852-1870年)の1850年代には、フランスにおける主要幹線は全て整備された。
ナポレオン3世とその政府は、経済繁栄を目的として鉄道網の建設と発展に力を入れた。
1850年には3,000kmだった鉄道網が、1870年には17,000kmに達した。



19世紀初めのパリの人口は約50万人であったのに、中頃には100万人に達し、第二帝政期には、200万人になっていた。

馬車が大衆化し、慢性的な交通渋滞が起こるようになった。
1832年、1844年、1847年にコレラがパリで大流行した。
政権が不安定で、暴動が多発した。

オスマン(表記 C)の「パリの外科手術」(1854-1870年)。
 ↓

1852年から1870年までの第二帝政期の間、ナポレオン3世とオスマンによって、パリ都市改造事業が行われた。
1852年に土地収用法を改正し、幹線道路沿いの宅地の収容ができるようにした。
幹線道路、運河、鉄道駅、公園、上下水道、百貨店などが建造、整備された。

これまでの都市整備は既存の都市構造に付け足す形であったが、オスマンの都市改造は、市内における縦横の街路建設であった。
街路は、都市の核となる建造物や公共施設などを相互に結ぶように、直線的につくられた。

中流上層階級の新しい豊かな生活水準に応じて、買い物、散策、レストランやカフェの場所を提供した。
街路は反体制派による暴動(バリケード戦)を困難にさせるための政治的意図もあった。
街路は利便性だけでなく、市民に対する帝政権威の象徴でもあった。

上下水道を整備し、衛生的な都市基盤をつくった。
伝染病を防ぐ手段として、公園、緑地を整備した。
ガス灯を街中に設置し、治安を向上させた。word

・・

オスマン(Haussmann)は「hero」なのか「destroyer of Paris」かは今もっても評価が難しいところだと思います。

うーん。



これは、ル・コルビュジエの「ヴォアザン計画」(表記 C)です。
 ↓


前回の図から建物の数が増えてるような気がする。なんでだろ?

これは、中世-近代(1630年)のパリです。
 ↓


これは、ル・コルビュジエが壊そうとしたマレ地区です。
 ↓

道路の幅は別資料ですが、たぶん約7mです。

えーと、かなり省略してますが、このままトントン進めます。

(Fに続く。)
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