この前、久しぶりに、元・会員のブログを見させて頂きました。
元・会員さんは、ワールドメイトや信仰というものについて、さんざんサギ呼ばわりをしておりますが、これがいかに間違っているかを、今回書きたいと思います。
まず、これだけやったら、物質的な見返りが必ずあるというのは、完全に間違っています。
信仰を続ける過程で、物質的な見返りも、少しずつありながら、塞ぎ気味の性格が明るくなったり、笑わない人が、笑うようになったり、いらいらする性格の人が、落ち着きを取り戻したり、家庭が少しずつ良くなったりしていくわけです。
私も少しずつ、性格が改善されていきました。
まさに、薄皮を剥いでいくように、ケースバイケースで、現実的、霊的に、少しずつ証は出ていくわけで、元会員さんの言う、「これをやったら、物質的な証が見返りで全部出てくる」わけはないのです。
そして、ワールドメイトの三法印
(実在する神を掌握し、神を行じ、神人合一が降りる)
である、神人合一の道を歩んでいるわけですから、実在する神を掌握するという過程で、神仏というものを、より身近に感じ、神を行じられるようになっていくのです。
信仰というは、神仏との商売ではないのです。
元・会員さんは、サギという言葉が大好きのようですが、もし、その言葉が当てはまるのでしたら、
伊勢神宮や熱田神宮で、祈祷を受けたけど、就職できなかったから、サギだ。
成田不動山で、ご祈祷を申し込んだけど、病気が良くならないから、サギだ。
となって、キリスト経、イスラム経、仏教と、世界三大宗教も、全部サギになることになるのです。
元・会員さんは、現実的な見返りばかり求めて、それが100%返って来ないから、全部サギにしているわけで、信仰というものを、完全にはきちがえていることが、どうやら、お分かりになってないようです。
(※元・会員さんは、ブログ上で、「ワールドメイトに入会して、結婚できた」とコメントがありましたが、これは立派な証ではないのですか?)
法華経に、「化城」の譬えというのがあります。
導師に導かれた、目的地を目指して、砂漠の中を歩く、集団があります。
集団がもう疲れ果てて、これ以上進めないぐらいに動きが悪くなってきた時に、導師が、超能力を使い、目の前に、いきなり城を作って、城の中に集団を入れ、休ませるのです。
集団が、十分休息をし食事もとり、「あー良かったなー」と満足した時に、城がいきなり砂漠に変わり、また、目的地に向かい、一団は歩き続けるのです。
そして、これが何回も繰り返されるのが、化城の譬えです。
(元・会員さんは、ブログ上で、「ワールドメイトに入会して、結婚できた」とコメントがありましたが、これは実は化城であったのです。)
元・会員さんは、この化の城ばかり追いかけ求めていたのです。本当は、ワールドメイトの三法印(実在する神を掌握し、神を行じ、神人合一が降りる)を体得しないといけないのです。
(※現実的な証や幸せを、捨てろという意味ではないですよ。譬え話の解説ですからね。また、譬え話は、いく通りにも受け取りができますからね。)
これが本当の信仰なのに、分からないから、サギだと意味不明な批判をしているのです。信仰というものを完全にはきちがえているのです。
神人合一を体得できれば、豊かで素晴らしい人生が送れるのに・・・
[ この記事を通報する ]
- URL:https://yaplog.jp/antares_shine/archive/15