あきらめない 

October 28 [Fri], 2011, 18:32
 紹介状を持って、長岡の日赤病院へ。

 いわきの病院では、多分破水でしょうと言いながら仕事も行って良いしお風呂も入って良い、と言われて疑問に思ってこちらに紹介状を書いて貰いました、と告げた。先生は、そりゃそうだ、と少し吹いた。信じられない、という感じで。そして「赤ちゃんは大変な状態にあります。今すぐ入院して絶対安静です。産むまで帰れません。」と。

 ただ、もしやめたいならあと5日しかなく、障害が出るかは生まれる週数にもよるし生まれるまでわからない。ただ、幸いここのNICUは整っているから22週以降に生まれれば助けるために最善は尽くせる、との説明。

 私の結論は「今この時点で、心臓も正常に動いていてちゃんと手足もあって膀胱もあっておしっこはできてて、胎児には全く問題がないわけだから、助けてください。」

 22週に入るそのあと5日さえもたないかも知れないけど、お母さんのその言葉を聞ければ、こちらは全力を尽くします、と言ってくれた。

 行動して良かったと思う。ただ泣いて待つだけの毎日より、やれることはやった方が悔いは残らない。

初期で赤ちゃんの袋が育たなかったけど無事に大きくなって来た時のように、今回もこの子の力を信じようと思う。あなたを産む時は大変だったのよ、と大きくなったら言いたい。

杏樹は早々に三条の学校に転校かな。もしかすると、このお腹の命は、お姉ちゃんたち2人を早く放射能から遠ざけようとしているのかも知れない。それならなおさら頑張らなくちゃね。

命は簡単には生まれない。生まれることにはきっと意味がある。既にかわいい命が2人もスクスクと育っていることに改めて感謝します。

運命とは 

October 23 [Sun], 2011, 21:03
私はこのお腹の小さな命を諦めなければいけないのか…。
可能性で言えばかなり高い。これがこの子の運命なのか。


10/19(水)

いつもの産院で定期健診。
性別がわかるかも、とウキウキで受診したのに。
エコーを当てた瞬間先生の表情が変わる。
もうう1人の先生呼んで来て、と看護士さんに言うと、
先生と看護士全員が集まってきた。

「羊水がほとんどないんだよねぇ。水っぽいおりもの出なかった?」
全然覚えがない。
赤ちゃんの膀胱はちゃんと黒く映ってたから、
赤ちゃんがおしっこできないわけではない。
4W前の検診ではちゃんと羊水があったから、
破水したのだろう、と言われた。
看護士さんたちが私と目を合わせなくなった。
相当深刻な事態なんだと感じた。


10/21(金)

紹介状を持って総合病院へ。
担当の先生がエコーを始めると、別の先生を呼んだ。
結局いた先生3人全員が代わる代わるエコーで診て、
いろんなことを専門用語で話し合ってた。
不安は募る一方で…

結局お腹は張っていないし、羊水はほとんどないけど
出血もないし、赤ちゃんは動いているから1週間待ってみようと
言う話になった。その時羊水が増えていれば問題ない、と。


10/23(日)

水っぽいおりものが出た気がしたので、念のため受診。
破水ではなかったけど、金曜はいなかった旦那が一緒に
いたので、先生が説明をご主人にもしますと言ってきた。

内容はこんな感じだった。
2日たったけど羊水は増えていない。
まだ推測の域だけど、やっぱり胎児には異常はなさそうだし
破水と考えるのが妥当だと思う。こういう状況の場合、大抵は
流産してしまう。もしすぐに流産しなくても羊水がない状態で
育つと、色々な障害が出てしまう。22W以降になったら法的には
何としても助ける方向に動かなければならない。今20W3Dだから
来週はご主人と一緒に来てください。

つまり、この先この子が正常に育つ可能性はほとんど無く、
こちらの意思で諦めるなら来週決断しろ、ということ。


この子に対して命の決断を迫られるのは2度目だ。
1度目の時は、今日育っていなかったら諦めなくては、
と思っていたら奇跡的に育っていた。嬉しかった。
奇跡が2度起きてくれたら・・・そう思いたいけど
もう可能性は低そうだ。
一緒にいられるギリギリまで一緒にいたいと思っている。
それくらいしかできないんだよね。


なかなか子供ができなくて、待望の1人目だったら、障害があっても
絶対に産む、と言えるだろう。
もちろん、私の気持ちとしては、胎動も感じているし諦めるなんて
考えたくないことだけど、私には2人のかわいい娘たちがいる。
この子たちの将来にも責任がある。
この子たちが将来背負うだろう負担を考えたら、
やっぱり私の感情だけで産むとは言い張れない。


お別れする時まで、一緒にいられることを大事に思っていたい。
奇跡が起きて欲しいと最後の1日まで願うことにする。

私はツイてる 

August 20 [Sat], 2011, 22:45
「私はツイているから大丈夫」
そう自分に言い聞かせて前に進む。

今年、前の職場の会長からもらった年賀状にあった言葉。
コレ、結構効く。
ツイていると思えば、ツイていたことしか思い出さない。


震災後の私、すごくツイてる。

車は2台ともガソリン満タンだった。
灯油も買ったばかりだった。
周りは停電だったけど、この辺りでは家の地区だけ電気が来てた。
3/14までは天気が良くて外にいたけど、
爆発のあった15日はほぼ建物の中にいた。
普段から咳が多いのでマスクもしてた。
2か月も休んだ会社からは手厚く迎え入れてもらえた。
復帰後1か月で妊娠を告げても嫌な顔1つしない。
むしろ体を一番大事にしなさいと言われた。


先日、木下黄太さんに電話をした。
妊娠していていわきにいて大丈夫か聞いた。
3/16に宇都宮市に避難し、3/27に三条市に避難したのは
かなり良かったとの返事。
避難先が東京でなくて良かったと言っていた。
父がさっさとこっちに来い!と短気を起こさなければ
三条でなく練馬に行くところだった。
父の短気に感謝。ツイてる。
3/15までどれだけ被ばくしているかが胎児への影響のカギ
だそうだけど、ずっといわきにいた人に比べたら遥かに良い、と。
すぐに避難するよりむしろ安定するまでいる方が良い、とも。
この返事を聞いて、焦る必要はないんだ、と少し安心。


お腹の子のことにしても、ツイてる。
同じような状況の人のブログを読んだら、
流産確率は95%以上と書いてあった。
しかも私はその人よりも状態が悪かった。
それなのに、育ち始めた。
ほんと、私ってツイてる。


この調子で、ツイてることだけ心に留めていくようにするぞ。
私はツイてる。私はツイてる。私はツイてる!


安堵 

August 09 [Tue], 2011, 22:25
昨日8/8、受診しました。
怖くて怖くて、旦那と一緒に行きました。
死刑宣告だね、今日は・・・そんな話をしながら、
周りに待っている幸せそうな妊婦さんたちを見て
良いなぁ、なんて言っていました。


というのも・・・
伯母に胎嚢が育っていないんだけど、と相談したところ
もう退職してるけど弟が産婦人科医だったから聞いてあげると
言うので、お願いしていたら、返事が・・・↓

「障害を持っている可能性が高い。今いる2人の娘たちのことを
考えたらこの妊娠は諦めた方が良い。」
と言うものだったから。


沢山泣きました。
でも、兄の世話を一生背負うだろう私の将来を思うと、
子供たちに同じ思いはさせられない、という気持ちももちろんあって。
今回の受診で育っていなかったら諦めなくては、そんな思いで受診しました。


診察前の先生との会話で、
「今日見て育っていたら予定日を決めよう。」
と言われました。
そんな話、私には関係ない。
そんな諦めた気持ちでの内診。


でもでも!予想を大きく裏切ってくれました。
胎嚢と赤ちゃんの間に隙間が出来てました。
まだ十分大きいとは言えない大きさだったけど、
先生は、袋も前よりも大きくなってるから大丈夫だね、
と言って胎嚢の大きさを測りさえしなかった!


予定日は3/8になりました。
私たちは拍子抜け。
先生に念のため、親戚の産婦人科医に袋が小さいと障害が
あるかも、と言われたことを話してみると、
「袋の大きさと障害を持つことは関係がない。正常に育っていても
障害はでるし、確率は袋の大きさにかかわらず一緒。」


それから、この叔母の孫でカナダで産婦人科医をしている子にも
同じ質問をメールしていたんだけど、同じ内容の返事でした。


本当にほっとしました。
妊娠3か月半でやっと母子手帳をもらうことができました。
2人の娘達の妊娠も、心配だらけだったけど、今回はまたすごい。
ほんとうに、新しい命が無事にこの世に誕生することは奇跡だと
改めて思いました。


まだ出血もあって、さっそく止血剤と張り止めを飲んでいるし、
無事に育つかどうかはわからないけど、
今の時点でこの子を諦める決断をしなければいけない、
そんな苦しいことからは逃れることができて、良かった!
このまま育って生まれて、その上で確率として障害がある子
かも知れない。それはそれで仕方がない、そう思います。


でもね、この子はよほど生まれたいんだな、って感じます。
そしてすごく心配をかける子になるだろうな、とも思います。


とにかく、良かった。ほっとしています。
妊娠発覚以来初めて、心から嬉しい、と思えるようになりました。

やってきた赤ちゃん 

July 27 [Wed], 2011, 21:47
地震から4か月以上が経ちました。
この先どうするのか、苦悩する日々ですが、
また別の大きな悩みができました。


お腹に赤ちゃんがやってきました。
発覚したのが6/25。
あまりに咳喘息が酷くなったので薬をもらって、
アレルギーの薬は強いので念のため妊娠検査・・・
う〜っすら陽性。
かざして見ないとわからないくらい。


経験上、これは着床できないで流れるな、と思っていました。
お医者さんでも、子宮外妊娠か流産の確立が高いとの診断。
それから毎週3週間産婦人科に通い、
意外なことに7/13に着床と心臓のピクピクが見えました。
あとはこれが2週間後に見て育てば大丈夫、と。


それで今日ドキドキしながら受診しました。
赤ちゃんは育っていました。赤ちゃんは・・・。
でも胎嚢(赤ちゃんの入る袋)は育っていなかった。
胎児は8w0dで3か月に入った大きさなのに対し、
胎嚢は4w6dの大きさしかない・・・。
つまり1か月ちょっと。
許容範囲にすら入っていない。
赤ちゃんはギュウギュウでした。
羊水が作られていないのかも。
あなたは頑張っているのにごめんね、と思いました。


やはり流産の可能性は高いまま。
また2週間後の検診までもやもやが続きます。
6/25の発覚からずっともやもやの毎日。


それでも、何か理由があってやって来て、
理由があって生まれたり生まれなかったりするのだと
思うようにしています。


杏樹と凜花の間にやって来て生まれなかった2人は、
無事に赤ちゃんが生まれることの
奇跡とありがたみを教えてくれました。
今度の子は何を知らせに来たのかな。
早く放射能地帯から引っ越せ!とか(笑)?


迷いに迷って子供たちには今日報告しました。
最近貧血とつわりで寝てばかりいたので、
病気じゃないと教えてあげたかったし、
たとえ生まれなくても、あなたたちはお姉さん、
と思わせてあげたかった。
現実を家族全員で受け止める方が
隠しているよりもずっと良い、とも思っています。


まだ3歳の凜花には良くわからないみたいだけど、
寝る前にお腹に触って
「お姉ちゃんだよ。おやすみ。」
って言っているのを見て、
やっぱり言って良かったなって思いました。


生まれても生まれなくても、やって来てくれて嬉しいです。
ありがとう。私の5人目の赤ちゃん。
もう少し、できれば9か月、一緒にいてくれたら良いなぁ。

悩み 

May 04 [Wed], 2011, 15:46
 今私はモーレツに悩んでいる。この先どこに住むか。

 家は住めないほどメチャクチャではない。瓦が相当落ち、壁に大きなヒビが多数あり、黄色い札が貼られている。崩れるかも知れないので余震があると外へ出なくてはいけない。それが子供の恐怖心を煽るので、余震が絶えない今はまだ新潟にいる。でも家があるだけ幸運だとわかってる。

 私の親類は皆、当たり前だけど、このまま新潟に住め、という。大人が戻りたいなら戻るのは勝手だが、子供のことを考えたら、戻るのは親のエゴだと。わかってる。だからこっちにいるのも1ヶ月延長した。でも、そこに住んでいない人が言うのは簡単だけど、私には築いてきたものがある。簡単に切り捨てられない。頑張っている友達もいる。私の生徒たちもいる。旦那も、やっと仕事が良い方向に向かおうとしてるところ。

 会社の上司も席を空けて待っていると言う。3月の営業を休んだ期間は皆にお給料も出してくれた。私は翻訳業で雇ってもらったけどその仕事がほぼなくなり、産休に入る社員さんの代わりに試験的・例外的に社員さんの仕事を引き継いだ。営業再開しても子供達の気持ちが落ち着かなかったり学校が再開していなかったりで、私だけ戻らなかった。だからパートに任せるんじゃなかった、と言われるかと思ったのに、せっかく覚えてもらったから席空けて待ってるよ、と上司は言ってくれた。涙が出る。本当に頭が下がる思い。

 もう一つの仕事、英語教室のために借りてた場所は津波にのまれた。もう古い建物だから直さず壊すかも知れない。4月からのテキストは返品した。もう廃業かも知れないけど、歌って踊って元気にしてあげられるなら、何とかしてやってあげたい思いもある。中学校に上がった生徒の一人は少し遠い場所に住んでるからお別れも言えなかったな。

 家を良く調べて、住めそうもなかったり修理に沢山お金がかかるなら、新潟に引っ越すべきだとわかってる。でも、今までも新潟に住むかどうか悩んで来て、来なかった。

 新潟に住むと言うことは歳の離れた精神病の兄を一生面倒見るということ。それがネックで今まで新潟に引っ越さなかった。それなのに、しょうがないから、と引っ越したら、それは義父が余命半年だから、といわきに越した時の二の舞。兄に暴力を振るわれたトラウマがあるし、9歳も違うから遊んだ記憶もない。両親が元気なうちは良い。でも片方でも寝たきりになったら?亡くなったら?両親の面倒は見たい。私しか見る人はいないだろうし。両親とも亡くなって精神病の兄を見るとなったら私は仕事もできない。成長した娘達も危ない。そんな危険をしょい込むことになる。

 放射能を恐れながら、周りにエゴイストだと言われながら壊れそうな家に住みつづけるのも、娘達に危害を加えかねない重度の精神病患者の面倒を見るのも、どちらも地獄だ。父も軽いアル中ですぐキレるし。

 一体どうすれば良いのか。考えても考えても答えが出ない。ひとまず6月にはいわきに戻って生活してみるつもりだけど…。どうしよう???

1ヶ月 

April 10 [Sun], 2011, 0:38
 自分の記録のために。

あっと言う間にあのすべてを変えた地震から1ヶ月。あの一瞬で、ガラリと生活が変わった。一瞬で、こんな風になるなんて、皆バラバラになるなんて本当に信じられない。

地震発生当時、「大きかったな、子供達怖がってたかな?でもきっと先生達が誘導してくれてるだろうから大丈夫。」と軽く考えてた。会社側はもう仕事にならないから解散、と言うので保育園に向かった。途中から渋滞。保育園に近づくにつれて山が崩れてたり、道路に砂が積もってたり、信じられないような物が散らばってたりして不安が募った。やっと着いたら中学校に避難しました、の貼紙。中学校に行くと、子供達は先生達と元気そうに騒いでいた。ここまでは順調、あとは杏樹。でも避難所にいた人は誰も小学生たちがどこへ避難したかわからない。友達のパパも病院の服のまま駆け付け、小学生はどこ?と探してた。校舎の上の方の階にいるかもって言われた、と言うと彼は陥没し水没した道であるのを知りながら一目散に学校へ向かってしまった。私も車で向かったけど八方塞がりで、いろんな方向から行こうとしているうちにパンクした。津波になぎ倒された建物や落ちた橋を見て不安が募ったけど、仕方なく避難所に戻った。

旦那と奇跡的に電話が繋がり、避難所に来た。杏樹の居場所がわからず、日が暮れ避難所は真っ暗になった。避難所で過ごすことになるなんて考えてもいなかったけど、きっと先生に保護されているだろう、と思ってはいたものの校舎付近を見た後では杏樹に会えないまま夜を迎えるのも考えられなかった。旦那の決断。ここにいても仕方ない、歩いて探しに行く。でもやっぱり道がなく帰って来た。どうしよう?

そうこうするうちに小学生が避難したらしい場所がわかった。きっと無事でそこにいる、そう思った。でもそこへ行く道はやっぱりすべてアウト。どうしよう?取り合えず同じ地区の子供が2名いたので、無事な旦那サマの方の車で送って行くことにした。私とチビちゃんは待機することに。1時間経っても帰って来ない。夜7時半、帰って来た!何と杏樹も乗ってた!

ママ〜!と半泣き。良かった。ほんとに良かった。安心した。旦那サマ、考えた末、ゴルフ場に侵入し、行けるところまで行って車を乗り捨て、歩いて娘がいるらしい避難所へ行き、確保。ありがとう!

後で聞いたら、杏樹がいた避難所は先生方がいて、まだライフラインすべてOKで近所からの差し入れもたっぷりで快適だったらしい。私達がいた中学校は停電、断水してたので、真っ暗で寒く、杏樹はあっちが良かった、だって…。無事に皆会えたから言えることだな、と思った。私と会った時の涙も、お父さんが乗り捨てた車に戻る時に暗闇で迷ったのが怖かったから、らしい。不安な中ちょっと笑えた。

家は海の近くのわりに水は来なかったけど亀裂が激しかったので、余震が続いてる間は避難所にいることにした。最初は何てことなかった。おにぎりは貰えたし、家に帰れば多少のストックがあった。着るものも持ち出せたし。でも避難所生活4日目、スーパーに行ってみると目の前におむつがあるのに売って貰えなかった。スーパーのおじさん達はイラついた表情で来る客を全力で追い返してた。その時に、やっと異常だと実感した。原発問題で物資が来ないから。それまでは早く避難して来な、という周りの声に耳を傾けなかった。井戸水があるから余震が減れば洗濯もお風呂も大丈夫だし、なんて思ってた。でもその一件で、これは町全体がおかしな方向に向かっていて長引くと思った。

そして友達の支えで栃木の義姉の家に避難してからはあっと言う間に日が経った。その後小学校のことを考えて三条に避難。これから、どうなるんだろう。

余震のたびに怯えて、寝ながらでも無意識に私にしがみついていた凜花は4/7の大きな余震の時は目を覚まさず、しがみついても来なかった。精神的に参っていたのがかなり良くなったと思って安心した。でもこれが中之作の家なら揺れる度に逃げ道を確保し、外へ出なければ危ないので、また振り返すだろうと思うとやっぱり帰れない。無責任だけど、クビになろうが何だろうが仕事より凜花の心を取る決意をした。

全体的に見て、うちは幸運だったと思う。3/11の数日前に2台の車、灯油を共に満タンにしたばかりだった。家は住むには危ないけど津波被害はなく形はそのまま残ってる。電気も来てた。避難しておいでと言ってくれる家が3件。津波に呑まれた学童からは、倒れたロッカーに納まったままの杏樹のランドセルを発見。実家の三条市では避難者600人以上受け入れている町なので、待遇が良い。ランドセルや文房具ももらった。私は母校に入れたし、いずれ三条に住むべきかもと悩んでいたのでシミュレーション?できた。

こんなことを言ったら亡くなった方に不謹慎だろうけど、今回のこの状況、すべて必然だったのでは?と感じる時がある。地震発生前、自分を含め、周りの人も何と言うか…妙にキリキリして、時間に流されていたと言うか。うまく言えないけど、回りたくない歯車に巻き込まれて歪みが生まれていたような感覚があった。それが地震で壊れて止まったようなそんな感じがしてならない。あくまでも私に限っての気持ちだけど。

これから。どうなって行くのか。まだ想像もつかない。でも自分と家族の決断と、必然に導かれて、どこかへ進むんだろうと思う。

Hawaiians 

February 12 [Sat], 2011, 14:21
2月10日。
私の誕生日だったけど、なぜか子供のリクエストでハワイアンズへ
東北に常夏をってできた施設だけど、
思ったより寒いっ

なんてったってところどころ外だし。
子供たちは流れるプールがお気に入り。





でも大人はすぐに音を上げて、お湯地帯へ
ほとんどお湯地帯から抜け出せなかった私。





最高の1枚はコレ
コレをUPしたと知ったら怒るだろうなぁ・・・。
でも面白いので記念に


2年半ぶり!? 

February 06 [Sun], 2011, 12:46
久々にログインしてみたら・・・前に書いたのは2年半も前だった・・・
ど〜も忙しくってねぇ。

その間に子供たちは成長し、私は仕事が2つになった。
今年も更にステップアップするぞ

facebookにもレジスターしました。
興味のある方一緒にどう?

とりあえず子供たちにお昼ご飯食べさせなくちゃ。

♪ご対面♪ 

August 14 [Thu], 2008, 19:42
ついに!会いたかったと凜花がご対面しました
凜花より予定日が3週間早く、
生まれたのもぴったり3週間早かった姫サマ



自然妊娠は難しいと言われていたのに
生まれてきた奇跡みたいな子
私も不育症かと悩んでいて、
お互いに早く天使ちゃんに会いたいねと励ましあい、
妊娠中もお互いに張り止めのお世話になったりと、
妊娠前から苦労を共にしているので
本当に感慨深いご対面でした。

杏樹も朝から興奮して早起き
楽しみ〜と心待ちにし、
一緒に遊んでくれた。
そしてYちゃんの旦那サマに甘えて一緒に
バッタ取なんてしてもらったりして。

はるばる来てくれて本当にありがとう
運転してきてくれた旦那さま本当にありがとう



ママのYちゃんは大学時代の友達で、
いわきに引っ越してから
我が家へ来てくれたのはこれで3人目。
来てくれた3人は皆大学時代の友達。
こんな遠い所まできてくれる友達がいるって
本当に嬉しいことです。
感謝感謝

それにしても初めてショートカットを拝見したけど
似合っててとってもかわいいかった〜




Yちゃんの優しい旦那サマにだっこされて
満面の笑みの凜花。
2人はラブラブなんだって
人前でラブラブなの、と言えるこのご夫婦、
本当にステキ



3時ごろになると2人とも撃沈




Yちゃんに会ったら
これも話そうあれも話そうと思っていたけど、
子供たちに見とれている間に時間は過ぎ、
あっという間に帰る時間になってしまいました。
見送る時、ちょっとうるっと来てしまいました。

杏樹はお泊まりだったら良いのに〜
と早いお別れが残念そう。

また会いたいな。
幸せな時間をどうもありがとう




一緒に写った他の写真が真っ暗だったのが残念。
今日の写真をUPすると約束した
共通の友達のHサマ、ママ達がいなくてごめん

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