真説佐山サトルを読んで 

October 03 [Wed], 2018, 20:08
 前田日明はつまるところ、佐山聡が目障りでしかたないのだろう。
 リングを下りた現在の前田が、一般に向けて使う肩書に「格闘家」「総合格闘技の創始者」というものがある。これは偽称だ。前田は世に知られるようになって以来、一貫してプロレス団体のエース、あるいは代表であった。そこでは格闘技風味のプロレスを展開していただけだ。前田が公の場で総合格闘技という競技に、プレイヤーとして踏み込んだ事実はない。
 なにより総合格闘技の定義自体、この国では定まっていない。打撃投げ技寝技を盛り込んだ真剣勝負の競技をそれとさすなら、そんなものは太古の昔から存在した。
 前田がせめて、そういう総合的な格闘競技の技術を体系化し、一般に普及させる活動をしてきたなら創始者と名乗る意義はある。
が、過去それに励んだのは、佐山聡である。
 佐山がいるかぎり、前田が「総合格闘技」の創始者にはなれない。
 ゆえに前田日明は佐山聡をいまだ否定する。
 前田が自分は佐山より強い、佐山は弱いと言っても、それが事実だとして、前田の何の身分保障にもならない。
 二人の格闘家としての実力差がどうあれ、佐山の功績は揺るぎないからだ。
 私個人的には、佐山聡は前田日明より強いと思う。
 なぜなら、ほんとうに強い者は自分のことを強いと誇示し、相手を弱いと貶めたりしないものだ。
それが真の格闘家というものだろう。

「一九八四年のUWF」の著者である柳澤健が、前田に取材をせず同著を書き上げた理由はわかる。柳澤が佐山のどんな真実を描いても、前田はすべて否定にかかり、彼を貶めるだろう。そしてゲラチェックも求めてくる。いや、それ以前に自分を中心におかないUWF本の出版など認めないかもしれない。
 現在の前田は取材対象者としては非常に厄介な存在だ。訊く者は彼に対峙して、あの圧倒的体躯から威圧感を覚えてしまえば、彼のイエスマンにならざるを得ないだろう。いわば拳銃を突きつけられた状態での聞き取りになるわけで、その状態で踏み込んだ取材に挑めるジャーナリストは、従軍経験者以外にいないだろう。 
 前田は過去の自らの証言をいちいち否定にかかる。あれはそうではなかった。あれはそう言うしかなかったと。そんな朝令暮改的な発言を繰り返す輩に取材をしていたら、百年かかっても本は完成しない。

 前田の発言を見ると、それらは驚くほど責任性に欠けている。プロレス入りしたのもボクサーにしてやると騙されたから。UWFに移籍したのは母親の治療費を得るため。団体を続ける羽目になったのは、周囲の人間の生活のため――。
 こうまで他者への献身を謳いながら、彼のやってきたことはそれと対極にあり、周囲の人間を振り回すことに終始している。二つのUWFは結局彼自身の手で潰した。いや、潰してまた新たに作り出すつもりだったのはたしかだろう。が、他の選手や社員にすれば、再建いつまた投げ出されるかわからない。もっといえば、周りは再建など求めていなかった。解散前の状態で給料は保障されている。佐山の独断専行や社員の株専有があっても、前田以外の選手に不満はなかったはずだ。
 せっかく生活の安定を得られたのに、この男はまた騒ぎを起こすのか。振り回されるのは二度とご免だ。ここらで袂を分かっておこうとなるのが道理である。
 高田延彦が宮戸優光の誘いに乗り、新団体を作った理由もその辺りにあるのだろう。
 しかし前田にはわからない。俺はお前たちのためにやってやったのに、どうして裏切るのだ、となる。
 ここがまた佐山との違いだ。佐山は自らが創設した修斗を追われたが、公に恨み言を漏らしていない。貯蓄を崩してファイトマネーを払っていたことなど、すべてを胸にしまい込み、今日に至っている。
 指導者的資質からみても、前田は佐山にかなわない。

 と、たとえば、ここまでの意見を前田本人にぶつければ、彼は必ず言うだろう。
「佐山聡は、コステロ戦で逃げた。俺との試合も逃げた。サンボの試合のエントリーもブックが呑めない一点で逃げた。臆病者だ」
 だから?
 だから、何を言いたいのですか、貴方は?
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