最後の本願寺展 札幌出張

2010年02月08日(月) 18時10分
札幌の出張。行こうか、どうしようか。出張のことではなく春の「本願寺展」のこと。

なんか「東本願寺の至宝展」よりあんまり話題になってないような気がするし。報道に勢いがない。ネットで朝日や北海道新聞のプレス画像をみたが、sai の口癖じゃないでけど「何、これ」ってかんじで。



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これなら直接本願寺に遊びに行ったほうがいいかなってさ。


白書院三の間(孔雀の間) 松桜孔雀図
これは最初の画像にある手前の襖絵になる。誰が描いたのかっ!東本願寺なら円山応挙とかさ、幸野楳嶺とかわかってるじゃないか。

とにかく作者名が掲載されていない。楓のブログをみると狩野了慶が本願寺の障壁画を描いているという記事があるので、たぶん狩野派が描いているんだろう。

本願寺(西本願寺)の至宝は美ではなく知と史だと感じた。


最初の画像三の間から正面奥に見える紫明の間ともいわれる「一の間」がここ。

壁面や襖等には中国古代の帝王堯舜に関する故事が描かれているという。「中国故事物語」を読めばたいてい堯と舜の名があげられている。

堯舜之道、至簡而不繁、至要而不迂、至易而不難

堯と舜は中国の伝説上の人物だが、もっともよい君主として語り継がれている。。儒家により神聖視され聖人と崇められたので本願寺に描かれているんだ。


国宝 安城御影 副本(親鸞聖人影像) 部分
法眼朝円に描かせた親鸞聖人の上下に蓮如の筆で「賛」が書かれているがあんまり画像が長くなるのでカット。上部に「仏説無量寿経」(願生偈)、下部に「正信偈」の讃文だが親鸞直筆を模写したもの。

法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し浄土真宗の宗祖とされている。親鸞の妻は恵信尼。4男3女をもうけた。

親鸞の長男が善鸞で、邪義とされた専修賢善に傾き異義異端事件となる。当然親鸞から義絶。


重要文化財 本願寺聖人親鸞伝絵(部分) 南北朝時代 大阪・天満定専坊所蔵
1201年に親鸞2は叡山(比叡山延暦寺)と決別し、聖徳太子の建立とされる六角堂へ百日参籠をし、聖徳太子が示現され夢告に従い、法然の門弟となる。

1204年に後鳥羽上皇が延暦寺奏状の専修念仏の停止を決したのは、九箇条の過失(「興福寺奏状」)のほかに、上皇が寵愛する「松虫」と「鈴虫」を出家させたことだ。

法然の門弟4人の死罪、法然と親鸞ら門弟7名が流罪に処された。承元の法難という。親鸞は越後に流罪。越後国の豪族の娘と結婚。それが先の恵信尼。


重要文化財 歎異抄 蓮如筆 室町時代
親鸞の長男 善鸞が異義異端事件にかかわったことを先に書いたが、この「歎異抄」の作者(如信説・覚如説もあり)は親鸞に師事した唯円(鎌倉後期)で異議異端を嘆いたもの。

目の良い人ならこの画像でも読むことできる。写本での蓮如本には「右斯聖教者為当流大事聖教也 (右、かくの聖教は、当流大事の聖教と為すなり。) 於無宿善機無左右不可許之者也 (宿善の機無きにおいては、左右無く[之を許すべからざるものなり。) 釈蓮如 御判(引用:wiki)とあるらしくいたずらに見せるべきではないとしている。

画像は真名序で、第三条にある「善人ナヲモテ往生ヲトグ、イハンヤ悪人ヲヤ」の有名な部分でないのが残念?


織田信長起請文
浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)と織田信長との戦いである「石山合戦」。本願寺門主の顕如は正親町天皇の勅命で、信長との講和を受け入れた。

信長の血判が押された「織田信長起請文」は、信長の惣赦免に対し石山の退去、人質を差し出すなどの七か条がかかれている。。一何々、一何々ってあとに血判がありこの画像は別の部分。

本願寺は講和派と抗戦派に分裂するが、顕如は石山を退去。だが結局石山は信長のものにはならなかった。焼けてしまったからである。


国宝 三十六人家集 37帖のうち躬恒集


国宝 三十六人家集 37帖のうち能宣集下


国宝 三十六人家集 37帖のうち順集
藤原公任が撰んだ三十六人の代表的歌人の私家集の最古写本で日本で最も美しい書物として知られている。

料紙に書かれた三十六歌仙の歌集だ。白河法皇の六十の賀に際して宮廷で制作されたと推定されているらしい。1549年に後奈良天皇から本願寺証如に与えられた。

柿本人麿 紀貫之 凡河内躬恒 伊勢 大伴家持 山辺赤人 在原業平 僧正遍昭 素性法師 紀友則 猿丸大夫 小野小町 藤原兼輔 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原高光 源公忠 壬生忠岑 斎宮女御 大中臣頼基 藤原敏行 源重之 源宗于 源信明 藤原清正 源順 藤原興風 清原元輔 坂上是則 藤原元真 小大君 藤原仲文 大中臣能宣 壬生忠見 平兼盛 中務


国宝 三十六人家集 37帖のうち重之集下
「えだわかぬ はるにあへども むもれ木は もえもまさらで としへぬるかな 源重之集」

真宗重宝聚英 全10巻で180,000円(税込)には結構西本願寺の至宝も載っている。それをみるとやっぱり「本願寺展」にでかけてみたくなるものの展示リストだけじゃよくわからない。

だがこの「三十六人家集」は結構心を動かすものがあった。


「松鶴図」
この画像だけが小さくぽつんとのっているイベント情報ってあり?調べてみると縁や歴史が面白そうなのがある。もっとそれを伝えてくれなきゃ。

不思議なことに東京ではおこなわれない。九州、広島、徳島、名古屋、石川、札幌だ。


重要文化財 雪中柳鷺図 伝趙雍筆 元時代


15世紀 聖徳太子像
やはり仏教といえば聖徳太子。実在でも実在しなかったとしても魅力のある歴史的人物だ。聖徳宗はこの聖徳太子が宗祖なんだろうか。奈良の有名な寺は法相宗。法隆寺は法相宗から聖徳宗とかわった。

浄土真宗ではない聖徳太子だが、親鸞聖人に夢告をしたといわれているからなんだろうな。

もしかして今回の巡回先って浄土真宗の人たちが多いところなんだろうか。

まだつづく親鸞聖人750回大遠忌記念

2010年02月06日(土) 21時27分

とっくに終わった東本願寺の至宝展
昨年に終わってしまった東本願寺。今年は札幌で本願寺展が最後になる。ちょっと東本願寺の至宝展を懐かしんで。



望月玉泉 安養六種図
安養六種図の右がうえのポスター前面にある「孔雀連理比翼鳥図」、右が「双鶴長鳥図」になる。東本願寺御影堂にある。



内海吉堂 芦雁図
東本願寺御影堂内陣北端御簾の間にある。これがポスターの最後方の作品。

〈主な展示品〉

親鸞からはじまった、東本願寺の歴史をひもといて。
 ・親鸞聖人御影(安城御影・模写)
 ・『顕浄土真実教行証文類(教行信証・坂東本)』(完全複製本)
 ・『御文』(蓮如上人筆)
 ・「唐人物・花鳥図」(狩野元信筆)

山応挙の襖絵など、近世美術の名品が集められた。
 ・「稚松図」/「竹雀図」/「老梅図」(円山応挙筆)
 ・「山水図」(月僊筆)
 ・「寿老人・寒山拾得図」(狩野永岳筆)
 ・「■風亭」染筆(石川丈山筆) ※■は門に良
 ・「雪中松鹿図」(円山応挙筆)

家茂、慶喜らも来訪。幕末を物語る貴重な史料たち。
 ・徳川慶喜書状/「渉成園」染筆(徳川慶喜筆)
 ・徳川家茂渉成園立寄一件書類
 ・徳川慶喜大政奉還関連覚書

近代京都画壇が総力を結集した華麗な襖絵。
 ・御影堂杉戸絵「蓮池図」(幸野楳嶺筆)
 ・御影堂襖絵「六養六種図」/同 大衝立「唐獅子牡丹図」(月玉泉筆)
 ・阿弥陀堂襖絵「花鳥図」(羽田月洲筆)
 ・阿弥陀堂襖絵「桜孔雀図」(岸竹堂筆)
 ・阿弥陀堂大衝立「波涛大鷹図」(久保田米僊筆)

4度の焼失、再建を乗り越えた信仰の歴史を追う。
 ・御影堂五十分の一側面図
 ・寛政度御影堂再建記録
 ・本願寺大絵図
 ・毛網

念仏の教えを描く棟方志功の肉筆を初公開。
 ・園林堂襖絵「天に伸ぶ杉木/河畔の呼吸」(棟方志功筆)

昨年がこの東本願寺で今年は西本願寺の親鸞聖人750回大遠忌記念「 本願寺展 」が、最後を札幌で終わりにする。

東本願寺の羽田月州

2010年02月06日(土) 20時13分

羽田月洲 「金地着色花鳥図」 東本願寺の新六軸之間上段蔀戸
昨年の「東本願寺の至宝展」と昨年の秋から今年の初夏までの「本願展」。札幌にいくついでに立ち寄ろうかっなって思っているのだが・・・

記事 「まだつづく親鸞聖人750回大遠忌記念
記事 「円山応挙 Maruyama Ōkyo

僕の東本願寺の至宝展の記事には、望月玉泉と内海吉堂の襖絵を取り上げた。SAI の記事「円山応挙」では、記事の最後に東本願寺の至宝展での応挙の作品を3点ほどアップしている。

なんか「本願寺展」のほうは地味っぽい・・・。


本願寺展 松鶴図
美術館での展覧会なのだから本願寺側も報道のプレスに指導したほうがよかったんじゃない?北海道新聞や朝日新聞のイベント情報はひどすぎる。

親鸞聖人750回大遠忌をひかえた記念事業の一環なんだから。

花鳥画の煌き 過去記事より

2010年01月25日(月) 21時09分

「貍奴嬰戯図」

ふ〜の名古屋出張が多い今年。「名古屋ボストン美術館」の話を聞く機会が多い。とにかく人が少なくゆっくり鑑賞できるという。(ちかくには、お気に入りの「えびの銘菓」があるらしい。)

全期間展示しているものとそうでないものがあるらしく、徽宗皇帝の五色鸚鵡図は最終日まで展示している。画像は13世紀の作者不明「貍奴嬰戯図」である。花や鳥を愛でる花鳥画は中国が原点だ。

さてこれが過去記事である。2006年5月21日まで名古屋ボストン美術館で開催された「花鳥画の煌きー東洋の精華」展のはなし。

ここからbbBlogの変身抄にリンクさせていたんだけど、引越ししなかったばかりにその記事は消滅。何を記事にしていたやら。


雲谷等哲 作
そのblogは画像アップが有料だったため、仲間うちにアップしてもらいリンクしていたんだよ。消滅したのはたぶん鈴木其一の菊図屏風もあったはず、なのでボストンつながりで今回この屏風を紹介。

狩野派 雲谷等益の3男の雲谷等哲。この人は藩に仕えていたらしいが逼塞を命じられたという。なんらかの罪を犯したのだろうか?許されないまま病死したようだ。

専門家がみればどうなのかわからないが、目に止まる1点だったんだ、僕にはね。

さて親愛なる仲間たちよ、どうぞあなたちの画像アップしたものを一度みてください、僕のために!いちばんはKAFKAかKEIちゃんのどちらか、なんだよォ!たのむよォ!