山田あかねの一喜一憂日記

2005年01月
(記事数:32)

女は35歳まで?

2005年01月31日(月) 00:37
アメリカのテレビドラマ「THE SEX AND CITY」で、シャーロットの36歳の誕生日を祝うために、女友達4人でアトランティックシティにでかける、というエピソードがあった。

アトランタシティにはカジノがあって、ミニ・ラスベガス状態なんだけど、そこで、4人はルーレットをする。主人公・キャリーは、36歳の誕生日を記念して、36に賭ける。
結果は負け、なんだけど、その時のやりとりがふるっていた。
ルーレットには1から36までしか数字はない。それに気づいたキャリーはディラーに尋ねる。
「36より先はどうなるの?」
「さあ、知らないね」

そう、誰も知らないんだ。

以前、仕事をしたけっこう売れっ子のスチールカメラマンが、
「女は35までだよな」と言っていたのを思い出した。
その時、私は35歳になっていなかったので、それほど切実な気持ちでは聞いていなかった。
ただ、彼はすでに40代の後半であったのに、なぜ、女にだけ年齢のタイムリミットをつけるのかと、不快に思った。すでに彼の妻も40代であったのに。

「35歳まで」とは、恋愛対象あるいは、セックスの相手になれる上限が35歳までという意味で、彼は語っていた。
男は無期限でいつまでも男でいられるのに、女は35歳をすぎたら、女を引退しないといけないの?たぶん、昔はそうだったのだと思う。

コンテンツ小説

2005年01月30日(日) 02:55
数日前の朝日新聞に尊敬する編集者の藤本由香里さんが、小説のコンテンツ化について書いていらした。

携帯メールから生まれたベストセラー小説「DEEP LOVE」の作者、YOSHI氏は、小説を書いた、というより、いろんなメディアで使えるコンテンツを作った、と述べているそうである。
つまり、「DEEP LOVE」は、小説であるけれども、漫画になり、映画になるだけでなく、「DEEP LOVE」の主人公以外の登場人物の視点から書かれた小説や漫画もあり、ひとつの物語をいろんな方向から利用することができる、というわけである。
これは、「セカチュー」なども同じですね。

作者側としては、このような利用ができれば、ひとつ書いて何度も美味しいから、理想的ではあると思う。
一見、すごく新しいことが起こっているように思えるけど、よく考えると、こういうのって前からあったよね。

あたったテレビドラマのノベライズ(小説化)は前からあったし、いわゆるノベルティグッズも同じ範疇と言えば同じだ。
そうなると、コンテンツというより、キャラクター商品に近いかも。

キテイちゃんなら、文房具からパンツからお菓子まであるもの。
テレビドラマだと、出演者が着ていた服がほしいとか、愛の告白をしたシーンに使われたカフェに行きたいとか、そういう要望はあったわけだ。

以前はそれにいちいち対応していなかったけど(専任のスタッフもいないし、忙しいから)
今後はそういうことがもっとできるようになるだろう。

強迫的な彼女。

2005年01月29日(土) 04:40
ひとりでパソコンにばかり向っていると、だんだん煮詰まってくるので、気分転換もこめて、今日は、中村うさぎさんを取材したドキュメンタリー映画「UTAKATA」を渋谷で見てきました

見て良かった、と思った。ずいぶん気持ちが楽になった。ああ、このひとはここまでやるんだな、見せるんだな、こういう強さは、マイケルムーアとか「スーパーサイズミー」の監督と同じだな、と思った。自己言及の勝利。

自分はどう思って、何をしているのか、っていうことをはっきりさせる清々しさがあった。

映像的には稚拙だし、インタビューももっと聞きたいし、他のメディアでは入りきれないところまで迫ってほしかったけど、そうなれば、監督の作品になったと思う。
これは、監督の作品にはなっていなかった。監督の作品なら、監督が中村うさぎをどう捉えたか、に重点が置かれるわけだけど、監督はまるで自覚がなく、ただ、興味のあるシーンを撮影して、並べていた。

が、それもよかったように思った。わからないんです、という提出の仕方。
わからないけど、なにかある、気になる、こんなことして、こんなことを言ってる女の人なんです、ということを必死で伝えようとしているのはわかった。それは好感がもてた。
多分、映像のプロではなく、興味があるから撮ってしまった、という素直な感じ。それがかえって良かったのかも。

だから作品としては未熟だったけど、それを飛び越える素材の強烈さがあったと思う。
なぜ、彼女はあそこまで強迫的なのか。

ペ・純愛

2005年01月28日(金) 02:49
ぺというのが韓国語でなにを意味するか知らないけど、気分的には
「ペ・純愛」なので。

純愛ブームみたいなのが嫌いだし、うんざりするので、
ペッペッという気持ちを表わしてみました。

で、そんなの私だけかと思ってたら、舞城王太郎さんの「好き好き大好き超愛している」とか、最近では、新堂冬樹さんという作家の「吐きたいほど愛してる」という本があって、なんだ、みんな、気持ちワルって思ってたんだねえと安心しました。

その心は間違ってるのはおまえらだ!ですよね。
(ま、いいやこのことは)

昨日の続きですが、「食用おやじよ、突っ走れ。」
嫌われてもさげすまれても、だって僕は若いきれいなねえちゃんと一緒にいるのが好きなんだもん、って感じで暴走してほしいです。恥じることなんてなにもないと思います。お金なんかいくらでも使って、ハイヒールのつま先だけでもなめされてもらえたらそれでいいんじゃないのかなあ。

先日、テレビ番組で岩井志麻子さんが、自分の愛人達(ベトナムにひとり、韓国にひとり)を紹介してました。よかったなあ。
自分の欲望に正直なひとは見ていて、すがすがしいものです。
普通の大人はなかなかできない。対面を考えますからね。

とはいえ、自分の欲望に正直になった末に、いろんな中毒になって、死んだり、人を殺したりするところまで行くこともあるから、ほんとはほどほどにしないと怖いのかもしれません。

逆・食用おやじ

2005年01月27日(木) 00:35
「食用おやじ」はとても受けて、いろんな意見をいただいた。
なかで、出色だったのが、「SFにしなよ」ってやつ。

そこで、一句。
未来の東京には、美女を釣りにつかって、食用おやじを集め、
なんらかの需要にこたえる食用おやじ工場があった。
そこら逃げ出した一匹の食用おやじが主人公。
こいつがさあ、みじめで見栄っぱりでバカなんだけどさ、どっか憎めなくて、若いねえちゃんにすぐだまされるんだけど、最後は工場を爆破して、他のおやじたちを解放するんだよね、というストーリーを考えたりしました。

ま、相手が漫画の編集者だったので、こういう展開になるわけでした。
けど、私は一応、文学のひとを目指すのだ!といばってもしかたないので、
現実的なお話。

それは現存する逆・食用おやじ。

彼のところには、夜毎、美女達が彼に会いにやってくる。
もちろん、彼は彼女達に服を買ってあげるわけでも、豪華なお食事をご馳走してあげるわけでもない。どころか、彼女達はお金を払って彼に会いに来るのだった。

というと、そのひとってホスト?
またはすっごいハンサムなんでしょ、
って思うでしょうけど、いえいえ。
彼は、都内某所でバーを営む50代のおじさん。

前の仕事がマスコミ関係であったため、店には関係者が多い。
しかも圧倒的に女性。
負け犬系のキャリア女性のほかに、食用おやじ垂涎のモデルさん、女優さん、アイドルちゃんなんかも来るんですよお。

なにしに来るかといえば、彼と話しにくるんですね。
仕事のこと、恋愛のこと、なんとなくつまんない毎日のこと。
そんなことを話すために、ふらっとその店に立ち寄る。
で、彼と話して帰っていく。

これだけ聞くとさ、食用おやじ系のひとは、
「そんなバーテンダーなんかうらやましくないさ。だって、俺はちゃんとした会社のエライさんだし、そんなんで女の子と話せたってしょうがないしさ」
と侮蔑の文脈で答えると思うけど、それは大間違いなんだな。

これはほんとに書いていいかちょっと不安だけどね、彼から聞いた話。
彼は店にくる女性たちから、ほんと、よく誘われるそうです。
つまり、お店終わったらどっか行きませんか、って。
(どっかがどこを意味するかは聞かないでね、そんなことわかるよね)

おかえり組

2005年01月26日(水) 02:03
いつかこういうエピソードを書こうと思ってます。
アービングの小説に「熊を放つ」というのがありますが、これは動物園の熊を解放するお話です。

で、「犬を放つ」
日本では今、年間20万匹の犬が保健所などで安楽死させられています。
殆どは野犬でも問題犬でもなく、みんな、元・飼い犬です。

何となくかわいいからで飼い始めて、飼いきれなく捨てるひとがいるわけです。
許せない。
たいていの犯罪者には、嫌悪よりシンパシーを感じるほうですが、犬だけはだめ。
犬にひどいことするひとだけはだめ。

映画でも、たくさんのひとが死んだり殺されたりするものは
(たくさんありますねえ、デイアフターツモローとかタイタニックとか、死ぬ死ぬ。 
 ひとの「死」を商売にするのは嫌い、映画も小説も。)
基本的に嫌いだけど、でも、割と平静に見ることが出来ます。
けど、犬はだめ。犬がひどい目にあうのはだめだめ。

で、ですね、ある日、日本中の保健所のガス室を犬達が打ち破って逃げ出すんです。
彼らは3つの組に別れる。
「野性組」のやつらは、山を目指す。もう人間なんて信じないで、狼の時代に戻って、野生化することを目指す。
「復讐組」のやつらは、自分たちをこんな目に合わせた、飼い主、ペットショップなどなどを襲うんです。かみ殺す!
そして、もう一組が「おかえり」組です。

ぶたれた犬

2005年01月25日(火) 01:01
実は今、小説を書いているのですが、毎日いろいろ悩む。
これでばっちりだ、と思っていたことが始めてみるとそうでもなく思える。
こんなんじゃだめだ、と思って投げ出して、翌日読んでみると案外イケてたりする。
こんなことを毎日毎晩、四六時中やってます。

で、悩んだ時はいろんなひとに聞いてもらう。
こういう内容なんだけど、どう思う?
この主人公って魅力的かな。
だけど、ここで少しはびっくりさせたほうがいいと思わない?
もう、親しい友達は、見たこともない小説の話ばかりされるので、敬遠ぎみです。
でも、つきあってくれる。
(それはそのお話が面白いからか、私への友情か同情かわからないけど)

けれども当然、結論を出すのは自分なので、最後は自分に戻ってきますねえ。
ってなんの話でしたか。

えっと、ぶたれた犬。
こんなふうに迷ったり悩んだりする時、やはり一番聞いて回るのはその道のプロの人たちです。
何事も先達に聞け!です。

けれども先達といってもみんな偉い作家なので、知り合いじゃないし、そもそも生きていなかったりするわけですね。
でも、大丈夫。
彼らの言葉はきちんと残っている。
それが本っていうか小説ですよねえ。

それで、尊敬する作家の小説にあたります。
誰のなににあたるかはまた今度。

おっぱいは企画書である

2005年01月24日(月) 02:00
いきなりなタイトルですけど、

おっぱいは企画書のようなものだ

と知り合いのテレビドラマのプロデューサーが偉そうに語っていて、それがちょっと面白かったので。

テレビドラマを作る時には、まず、こんな感じのストーリーとテーマでってことで企画書を作る。
その企画書を元に、俳優さんその他を口説くわけだが、実際、企画書通りのドラマが出来ることは殆どないのだが、それはすでに常識になっている。
作っていくうちにどんどん変わっていく。

けど、最初は企画書が必要だと。
しかも、企画書は目立ってなんぼ、ひとめで何がやりたいのか分かりやすいほうがいい。

「たいてい、企画書なんてちゃんと読んでくれないからさあ、ざっくり分かりやすいほうがいいわけよ」
と前出のドラマpは語るのであった。

で、なんでおっぱいと?

彼が言うには、女性などを見る時も、実は同じようなものだ、と言うのである。
ざっくり、この女性の魅力はどこかな、とわかりやすさで魅かれるもんだ、と。
例えば、胸がでかいなあ、なんてことが記憶に残る。
彼女をどこかに誘うとしたら、きっかけは「でかい胸」ってことになる。
が、心底、それだけがテーマではなく、胸から入ったけど、関係はどんどん変わっていき、
他のよいところ、悪いところも経験していくわけよ、
と仰るのであった。

だからさ、胸がでかいのは大好きなんだけど、
(やっぱり好きなんじゃん!)
そんなもん、入り口なんだよ、と彼は言いたいようであった。

彼なりの恋愛論なのだった。

つまり、最初のひっかかりは企画書のようであるから、「自分の売り」を分かりやすく出したほうがいいと言っているようでもあり、一方で、それはしょせん「企画書」止まりであるから、「企画書、放送するわけじゃないからね」ということになり、いくら「企画書」が立派でも肝心なドラマが面白くないと、どうにもならない、ということであった。

まあ、失敗するテレビ番組に、「企画書づらは面白かったんだけどねえ」というのがあるが、そんなところか。

案外、ヒットとする番組というのは、根っこのところはシンプルだったりする。

案外、うまくいく恋愛は、根っこのところでシンプルだったりするのかな。

ほんの2,3日まえに、脱・恋愛と宣言したくせに、またまた恋愛めいた話をしてしまった。
うふ。
しつれいしました。

ちゃんこ屋騒動

2005年01月23日(日) 02:45
くよくよしていても仕方ないので、神楽坂に美味しいちゃんこ屋があると誘われ、出かけた。

なるほど、ちょっとわき道に入ったところにある、なかなか風情のある店だった。

が、第一の不安がすぐによぎる。
個室を予約していたはずなのに、店の人には通じていず、小さな庭に面した小上がりの席に通される。
ま、いいじゃないか、外も見えるし。
と気を取り直し、ビールなどを頼む。

が、すぐさま第二の不安が。
通路を隔てた座敷で、宴会が行われているのである。
客層は、私と差して代わらぬ年代の比較的穏やかそうな人々であるから、大丈夫だろうと心をなだめるが、なんだかやっぱりうるさい。

しかも、聞くとはなしに聞いていると、彼らは私と同じ大学の同窓生であり、テニスサークルのOB新年会であることがわかる。
そんな時、注文したビールがなかなか来ない。

隣の宴会は、始まったばかりで、それぞれの近況報告が行われる。
現在の仕事、家族構成、今もテニスをしているか、を順に報告していく。
ここまでくると、私も隣の宴会に出席している気分である。

連れは、個室でなかったことで最初から機嫌が悪く、その上、隣は宴会、その上、ちょっと寒くて、会話は途切れがち。
ゆえに、私は隣の自己紹介をつぶさに聞くことになる。

第三の不安は、やっときたビールのあと、コース料理を頼んだけれど、ほんとに全然何も来ないことで、確実になる。
メニュー的には、単なるちゃんこやではなく、いろんな前菜や焼き魚、寿司なんかもコースに含まれていて、お楽しみであったのに、来ないんじゃ始まらない。

そんな折り、聞きたくない自己紹介は、さらに聞きたくない様相を帯びていた。
その時、話していた男は、子供自慢を始めた。
一人は、筑波大付属、一人は学芸大付属に通っているそうである。
(ここで、「すごいな」とか「おまえに似なかったんだな」とかのリアクションが入る)
さらに自慢は続き、そのうちのどちらかが、東女(東京女子大)に入ったそうで、その話を延々としている。

私も同じ宴会に参加しているのであれば、「そんなことが自慢かよ」」とちゃちゃのひとつも入れられるけれど、関係ないから口も出せない。

脱・恋愛

2005年01月22日(土) 00:43
昨晩、角田光代さんの「対岸の彼女」を読んでいて、なんだかはっとさせられた。
この小説のテーマは、女同士の友情といえるかもしれない。

女性が主人公の小説っていえば、テーマは恋愛と決まったようなもので、不倫であろうと純愛であろうと、性愛であろうと、とにかく「愛」がこの世でもっとも貴重なものでござんす、と持ち上げ、それを探したり、亡くしたり、奪ったり、築いたりが主に描かれている。
(ように思う)

書いてる方も売ってる方も、
「ほら、みんなの大好きなごちそう、愛の話だよ〜」
って、鼻の下伸ばしっぱなしで、
「お客さん、うちのは上物でっせ、泣けまっせ、感じまっせ、イケまっせ」
と関西人の商人のごとく「愛」を売りつけてくる。

愛のたたき売りだ。

けどさあ、ほんとにそんなに恋愛は偉いのか。
それさえやっときゃ、OKだったのか。

(いえ、これはもちろん、自分に向けても言ってます。)

この世にはさ、恋愛以外の関係ももちろん、あったんだよね。
親子とか友達とか、先輩と後輩、上司と部下とかいろいろ。
 そういう関係<恋愛関係  つう図式がいつからか広まってしまったんだ。

「だって愛してたんです」っていえば、なんでも許されると思うなよ。
それがどうしたっつんだ!という気分になってきた。

そういうこの世の闇をかいくぐって、忘れていた女友達とのかけがえのない関係をしっかり描いた角田さんは偉い。
そして彼女に直木賞をあげた文春も偉い。

恋愛バカに冷や水をかぶせた感じ。
いえ、もちろん、私もしっかり水を被り、ひやっとして目が覚めた気がした。

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