山田あかねの一喜一憂日記

2004年10月
(記事数:10)

モンブラン食べ比べ

2004年10月28日(木) 03:24
写真は、日本産、イタリア産、フランス産、それぞれのモンブラン。

あさってからはパリにロケに行かなくてはならず、初めてエッセイの依頼もあって(うふ)、もちろん、新しい小説を書き始めたくもあり、おまけに、秋冬ものの衣替えもすんでいない、この忙しい時期に、いったい何をしているんだ、と自分を責めながらも、本日は、モンブランを食べ尽くす会に行ってきた。

 場所は赤坂の某高層ホテル。ネオン輝く窓を背になにやらひとくせもふたくせもありそうな面々が集まっている。高名グルメ評論家とそのホテルの名パティシェの解説を聞きながら、今年のモンブランをあらゆる角度から食べようというのが会の趣旨のようだ。

 
最初は、8種類の栗のペーストの食べ比べ。
(これが栗のペースト。産地別に8種類あった)

熊本産、鹿児島産、愛媛産などのそれぞれ名前の付いた栗が出される。これがすきっ腹にとても美味しい。しかし、8種もあるから食べ過ぎると後が続かないと、主催者の注意を受け、少しずつ、少しずつ味見する。
栗でもこんなにいろいろなのね、という味わいで、中から一番好きなものを選ぶ。と、その栗でモンブランを作ってくれるわけじゃなく、グルメ評論家とパティシェが選んだものと一致するか、どうかを楽しむというモノ。

で、私の選んだ栗ははずれでした。が、特に舌に自信もないので、ま、いいか、それより早くモンブラン食べたいよ〜とお皿をたたく。(うそ、そんなことしない)

犬の名前

2004年10月23日(土) 22:14

写真は、最愛の犬、カナ9歳。

10月22日は、カナ(犬)の9歳の誕生日だった。カナが生まれたのは、1995年で、この年は私にとって転機となる出来事の多い一年だった。くり返し書いているように、はじめて書いた小説が文芸誌の新人賞に入ったのは、この年だ。新人賞が決まったのが10月18日で、その4日後にカナが生まれた。

カナ、という人間みたいな名前もこれと関係がある。
かつて、あるひとからこんなことをいわれた。

「犬にカナなんて人の名前つけちゃって。本当は子供がほしかったんでしょう?」

 全く意外だったけど、他人様はそう見るのかも知れない。

カナは、最初の小説「終わりのいろいろなかたち」の主人公の名前だ。正確には、羽村かな。名字の羽村は、大好きな小説「飛ぶのが怖い」の主人公、イザドーラ・ウイングからもらった。ウイング=羽というわけ。そして、名前は、どうか願いが叶うようにと「かな」とした。ちょっと恥ずかしいけど、当時は真剣だった。そんな思いを背負って描かれた主人公であったから、入賞が決まり、自分へのお祝いとして犬を飼うと決めた時、主人公の名前をもらうのはとても自然なことに思えた。比べるのもおこがましいけど、ジョン・アーヴィングの飼い犬の名前はディケンズだ。なんか、気持ちがわかる。

ベイビーシャワーケーキ

2004年10月20日(水) 02:43

ベイビーシャワーケーキは本と同じで、甘くて切ない味!

日曜日は、久しぶりに、逗子の家で宴会。
ここのところ雨ばかりだったから、少し心配してたけど、とてもよく晴れた。
今日の宴会メンバーは編集者ばかり。特に接待というわけでなく、友達の友達などが集まっただけなんだけど、結果的にそうなった。
出版してからは初めての宴会なので、調子好いて、自分の本のタイトル入りケーキを注文する。ケーキはいつも葉山にある、ラ・マーレド・チャヤで作ってもらう。好きな色で好きな文字を書いてくれるんだ。今時珍しいバタークリームのケーキなんだけど、これが結構、宴会では受ける。なぜか、懐かしい味って、世代がちがってもみんな言う。

全員が知り合いじゃない宴会は、新しい出会いもあるかもしれないけど、一方で全くしらけることもあり、ホステスとしては、ちょっと気になる。以前、何も考えずに、暇な人に適当に声をかけたら、最悪の結果となった。それぞれ2、3名のグループに別れたまま、交流せず、もくもくと食べたり飲んだり。ひとりきりになってしまう女子もいて、つらかった。そして疲れきった。
以来、集まるメンバーには心を砕いている。宴会、というジャンルに限って言えば、この世には、「もてなすタイプ」と「もてなされるタイプ」の2種がいて、このバランスを見誤らないことが肝心だ。

もてなすタイプの男女が全体の2割は存在しないと、宴会は失敗する。うちの宴会はあくまで、楽しくしゃべって飲もうよが、基本であるので、「いい男いないじゃん」とか「かわいいコ以外、しゃべりたくない」というどこでもナンパ体質のひとが、多いと悲惨なことになる。合コンじゃないんだからさあ。
今回は、同業者同士だったし、年齢も近かったから、わりかといい感じに終わったと思う。
(そう信じているのは私だけ?)

白金パン事情

2004年10月16日(土) 09:33
写真は、イタリア風アップルパイ@白金ピオーラ

白金に住んでいる、というと、なにかしら得意な目で見られる。一部の女性誌がおしゃれな街として取り上げたことから、すっかりある種のイメージは定着しているようだ。しかし、
正確にはおしゃれな店やひとびとが多いのは、白金台であって、シロガネーゼという表記は正しくない。正しくは、シロガネダイネーゼだろう。
(ってこれだと、タカジアスターゼみたいで、なんかの酵素みたいだ。ブランド女性の血液に含まれている酵素だな)

で、白金の方ですが、ここも細部まで見ていかないとならない。(と威張るほどのことでもない)白金には、坂の上である偶数丁目と、坂の下である奇数丁目があり、坂の上にリッチピープルが住み、坂下には商店や工場が立ち並んでいた。なので、奇数丁目などは、ほんの数年前まで小さな町工場の並ぶ、庶民の街であった。(今もそうか)

で、問題はパン屋なのである。つまり、そういう街には、おいしいパン屋がなかった。
商店街にもないし、偶数丁目の住宅街にはもっとない。
もちろん、ちょっと足を伸ばせば、広尾、白金台、高輪と秘かなグルメタウンが控えているわけだが、毎日食べるものをいちいち買いにいくほど、私はグルメなひとでは全然ない。
(だって、面倒だもん)

で、まあ、諦めていたわけである。体力やスケジュールに余裕のあるときだけ、車に乗って、白金台のルノートルに行くとか、広尾の店(名前わかんないけど、有栖川公園近くの店)に遠征していたのである。しかし、時は流れて。

最近、近所にも美味なパン屋が登場しつつある。筆頭は高輪にできた、「日本で一番クロワッサンのおいしい店」だ。(名前なんだっけ、カイザーかな?)この店のクロワッサンについてはいずれ報告するとして、この店までは徒歩7、8分かかる。これは大変微妙な距離であり、なまけものの私としては、めったなことではこの距離を歩かないのだった。

そして、強力なライバル出現。犬を連れ立って歩いていたら、おいしいイタリアンレストランとして認識していたピオーラのパン屋が生まれている。小さな小さな店なので、暇なひとしか発見できまい。(そんなこともないか)

久本ドラマ(フジテレビ)

2004年10月15日(金) 03:53

写真は、今日のドラマに出演してくれた、猫のテフ。
(photo by y .t )

今夜は、脚本を書いた、久本雅美さん主演のドラマの放送日だった。
この脚本を書いたのは、5月くらいのことで、すでにそのときの気分を忘れていた。
いろんなことがあって、撮影は8月になったし、9月には初めての本が出版されたし。
だけど、オンエアで初めて見て、なかなかよかった。(って自分で書いたのに)
だって、映像がとてもきれいで、せつなかったから。
久本さんが、どこにもでもいる、一生懸命で、少し不器用で、ちょっとさみしい無名の人に見えた。
そして、東京が、ずいぶん、きれいな街に見えた。

監督は、小松隆志さん。小松さんとは、長い長いつきあいだ。初めて会ってから、20年近くたつ。彼は前夫が立ち上げた制作会社で仕事をした最初の監督。自主映画出身で、ちょっと変わり者で。いろんなことに夢中になるひとだ。夫と小松さんと私の三人で、よく、深夜に食事に行った。誰もお酒を飲まないから、コーヒーやコーラを飲みながら、取り留めなく、映画の話をした。そして、時間が流れて、私の書いた脚本を小松さんが撮った。
なんだか、悪くない。

放送後、何人かの方からすぐに感想が届いた。「短編小説みたい」とか「引き込まれた」とか。うれしいなあ。

ひとのさみしさはほんのささいなことで、こぼれる。そういう瞬間を書けたら、と思っていた。鮭の皮は、普通のひとにとっては、鮭の皮に過ぎないけど、愛猫を亡くしたばかりの飼い主には、とてつもなく悲しいものに見える。けれど、鮭の皮ひとつで人前で取り乱してはいけない。みんな、そういう良識をそなえて、ぎりぎり感情がこぼれないように暮らしていると思う。
そういう瞬間。それを伝えたかった。

やっぱり、ドラマをつくることもやめられない。こんな日には。

スタッフのみなさん、ありがとうございました。

バカみたいだけど、自分で書いたドラマみて、ちょっと泣きました。



せつない

2004年10月14日(木) 01:29
夕日を見つめて、反省するわたし。犬は道連れ。

恋愛とはなにかについて、前半生をかけて考え、実行してきたけれど、私のたどり着いた結論は、要するに、お互いの持っている、どうしようもなさの加減が同じ者同士がくっつきあう、慰めの行為ということである。若い頃は、これはもう、性欲以外のなにものでもないと思っている。今だから、なおさらはっきり言える。そして、性欲に従って生きるのは全然悪いことではなくて、むしろ自然で素直なことなのだ。なんでいったい、性欲に従って生きることを、罪悪感植え付ける文化がはやってしまったのかしら。結果、少子化になっているんだぞ。奇妙な結婚制度なんてもうけるから、良識あるひとは、おそろしくて結婚などできないのだ。一生に一人だけを思い続けるなんて大ウソを、神の前でも市役所の戸籍係の前でも決して誓いたくないもの。そんなはしたないまね、私はできない。(2度と)

 だいたい、純愛などというのは、手の込んだフェティシズムに過ぎない。(若い頃から嫌いな言葉、『純愛」だったけど、年を経るごとにますます嫌いになってきた、気持ち悪いんだよ)と、さんざん、ぶちかましていて、そんな私でも恋はするのだった。ということにしておこう。

 運命のいたずらか、よく考えると、映画好き、という共通の趣味があり、自由業という時間の余裕があり、ベネチアグラプリだと一応見てしまうという業がある二人なので、それはすでに運命とは言わないかもしれない。確率の問題だ。
そして、私はかつてちょっといいなと思っていたひとに再会したのだった。前に知り合いだったとき、私はどうしようもない問題を抱えていて、その抱えているものがあまりにどぎつかったので、普通に暮らしているひとからはすでに相手にされなくなっていたのであった。
(というと大げさだけど、要するに当時、関わっていた人が、特殊な事情にあり、特殊な施設を出たり入ったり、刃物沙汰を起こしたり、忙しかったわけである)

片思い、始まる

2004年10月10日(日) 01:12
まずい、とてもまずいことになっている。

常夏のハワイから戻ってみると、東京は雨ばかりだし、知人は亡くなるし、低気圧に押しつぶされて、さえない気分ですごしていたのである。このまま朽ち果てていくのかしら、それもいいか、と。

ところが。物事というのは突然、変容を遂げるものだ。
もともと、惚れっぽく、すぐ、ひとを好きになる。ちょっと優しくされると、ああこの人は私のことが好きなのね、と思い込む、まことにおめでたい性格ではあった。が、しかし、それも昔のこと。
ここ数年は、(いえ、ここ1年はでした)、文学に操をたてることにして、節制していたのである。

 80年代、かの浅田彰先生は、「逃走論」のなかで、以下のようなことをおっしゃっていた。
〜これからの時代は、マルチな人格が流行る。(スキゾって呼んでたかな)、一兎を追う者は二兎を得ず、というけれど、五兎でも六兎でも追って、みんなまとめてつかまえればいいのである〜と。
(註*記憶に従って書いたものであり、このような意図であったと思うけど原文ではない)
 いわく、それまでの日本人的思考では次の時代を生き残れない、みたいなことを提唱され、拍手をもって迎えられたのである。
 それから時は過ぎて、私は知るのである。
やはり二兎を追っていては一兎も獲れないことを。五兎も六兎もまとめて獲れるひとを、この世では天才と呼ぶのだ。

 それでなんの話かというと、私のような凡人は、残り少ない人生、やりたいことをひとつひとつ仕上げていくしかないと決意したのだった。だから、この1年はとにかく、本を出すことに集中し、他はもう、全部おあずけ状態にしていた。そして、本は出ました。
そのせいでしょうか、望んだものが手に入ると、入った途端に次のものが欲しくなるのですね。そんなわけで、最近は空虚な日々が続いていたのでした。ほしいものがほしいと。

そして、ある雨の日、それは私の前に差し出されたのでした?

サーフィン初体験@hawaii

2004年10月08日(金) 10:18
すでに、日本におりますが、ハワイでの初サーフィンについて、少々。

 逗子の拙宅からは相模湾が見渡せるのであるが(はい、自慢です)、日頃、サーファーの姿を目にしていると、なんとも優雅で楽しそうで、これなら私もやってみたいと思っていたのである。彼らはひがな波を待っている。波と言っても湘南であるから、
日本人みたいに奥ゆかしく、自己主張の少ない穏やかなものである。彼らはボードに乗ったまま、ゆらりゆらりと波間を揺れているのである。

おかげで、サーフィン=優雅でのどかなもの、大地と(地球との?)交信、
というスピリュチュアルなイメージが出来上がっていたのであった。

 が、さすがにサーファーの聖地、ノースショアで、サーフィンやろうとは思わなかった。私の身長(約160センチ)は優に超える大波が容赦なく、打ち付け、波打ち際でさえ、少年少女たちが波に巻き込まれている。ちょっとやそっとの気持ちでは海に入ってくれるな、と言わんばかりの激しさである。

 そこで、ワイキキのサーフィン教室に申し込む。初心者であると伝えておけば、まさかノースショアのようなところへ行くまい。慢心であった。

 サーフィンインストラクターのお兄さんたちと降り立ったのは、東側のビーチ。名前解らず(それを記憶する余裕もなかったのだ)。
ノースショアと負けず劣らずの波が立っているでないか。

悲しい雨

2004年10月05日(火) 17:04
10月3日(日)に日本に戻ってきた。
成田に着くと、ものすごい雨。その上、気温もぐっとさがっている。
使い古された比喩だが、浦島太郎の気分。夏はすっかり終わっている。
待ち受けていたのは、成田→東京間の激しい渋滞。排気ガスと灰色の空、派手な看板の連なりに、しみじみ、故郷に帰ってきたんだと思う。

自宅の留守電には、女優・金久美子さんの訃報が入っていた。

金さんとは、tbsのお昼のドラマ「コスメの魔法」でご一緒した。放送は今年の1月〜3月だが、収録はちょうど去年の今頃から始まった。
収録前に、金さんと親しいプロデューサーから、金さんが胃の手術直後であることは知らされていた。けれど、そんな重篤な病気を抱えているようには全く見えなかった。
まず、とてもきれいな方だった。亡くなられて初めて年齢を知ったが、実年齢よりずっと若く見えた。現場ではいつも明るく、そしてとても元気そうだった。
そして、きっちり芝居を作ってこられていた。

金さんが演じられたのは、主人公(萬田久子さん)の親友の精神科医。知的でさっぱりしているキャラクターが金さんにぴったりだった。ひとつひとつのシーンをとても丁寧に演じられ、迷いのない方だった。
はじめての昼のドラマで、スケジュールをこなすのが精いっぱいの私を、きっと、駄目な監督だと思っておられたかもしれない。芝居は、ほとんど、金さんにはおまかせだった。ちゃんとお話する時間もなく、番組は終わり、金さんは旅立たれた。
すみませんでした。頼りない監督で。ひとことくらい伝えたかったな。

昨夜、金さんのお通夜に行く。
演劇、映画、テレビ界から届けられたたくさんの花が並んでいた。
金さんと親しい方から、いろいろな話を伺う。
昨夏には、癌であることを知り、余命1年と言われて、最後まで仕事をしたい、と仰り、
今年の春くらいまで、舞台、テレビドラマ、ナレーションなどの仕事を続けていたと言う。
抗ガン剤を打ちながら、演じ続けたそうだ。
ほんとに意志の強い方だったんだと思う。
頭の下がる思いだ。

金久美子さんのご冥福を心からお祈りします。

            山田あかね 拝



ノースショアより

2004年10月01日(金) 20:01








今日は朝から、オアフ島を南北に走るハイウエイを通って、
サーファーの聖地、ノースショアに行って来ました。

のんびりした海辺の町、というか、村で、いつまでも夏休みが続いてるみたいな場所。左の写真はサンセットビーチ。
ライフガードのサーフボードがかわいい。

右の写真は、波打ち際を走る地元のビーチドッグたち。
かわいい。そしてすごい元気。

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