山田あかねの一喜一憂日記

小説以外の本
(記事数:41)

「ニートの歩き方」その2

2012年08月23日(木) 23:32
昨日、「ニートの歩き方」を読んで感じたことを書いたけど、(しかも、長い!)、まだ、言い足りないというか、書きたいことがあるので、つれづれなるままに書く。

昨日、最初にあとから書く、と言っておきながら書かずに終わらせた「映画が見られない」という話をやっぱり書く。

著者のphaさんは、映画が見られないという。どんなに面白くても、2時間じっとしていられないって。

でも、ちょっとわかる気がする。

phaさんの世代は子供のころからゲームやって育っている。ゲームっていうのは、自分が参加する能動的な遊びだ。

インターネットもしかり。テレビだって、自分でチャンネル変えられるし、見ながらいろんなことができる。

けど、映画は特別だ。

暗がりのなかに知らないひとと一緒に閉じ込められて、「しゃべるな、食べるな、飲むな、前の座席は蹴るな」など、いろいろ拘束される。

そりゃあ、きついだろう。見られないひとは見られないと思う。

思うに、こういうエンタメなども「習慣」がかなり作用する。習慣というか、学習というか。

映画を見たことのない世界のひとは、映画を見せられても、理解できないというし。

似たようなことでいうと、私は、スポーツ中継を見ることができない。ルールを知らない、ということもあるけど、どんな盛り上がった試合でも、集中できない。

サッカーでもプロ野球でも。唯一ルールを知っているテニスでもダメなんだ。

一緒に見ているひとが熱くなって応援しているのをみて、なんとか共感しようと思うけど、5分も見てると飽きちゃって、別のことがしたくなる。

これなども、スポーツを見るっていう習慣がないというか、見る訓練をされずに大人になってしまったので、見られないんだと思う。いや、もちろん、スポーツそのものに興味がないせいもあるけど。

なので、phaさんが映画見られないというのも想像できる。

というわけで、最初にこの本を読むきっかけとなった件はわりとすんなり理解できた。

何より、その他の哲学が面白くて新鮮だったからね。

働かないことは悪いことか…という問いかけは、そもそも、なんで働かないといけないのか、から始まって、つきつめていけば、人生ってなんだ?ってところまでいってしまう。

たいていのひとは、そこまで突き詰めずに、「なんとなく、みんながやってるから」という流れにのって、進学したり、働いたりするんだろう。

立ち止まらずにみんなと同じレールを歩けるひとはそのまま行けばいい。そっちはそっちでいい。

けど、立ち止まってしまうひとは立ち止まってしまう。そこから始まる論考が面白かったし、かなり、今の自分の気持ちに近いと思った。

phaさんは本の終わりで言う。

「子供を作ったり育てたりする欲求がないせいかもしれないけれど、30歳くらいですでに僕は人生でやりたいことは一通りやってしまったという思いがある。セックスもしたし海外にも住んだし美味しいものも食べた。たくさん本も読んだし音楽も聴いたし猫も飼った。いろんなことを考えたしいろんな景色を見た。

(中略)

1度は死ぬ前にやっとかなきゃ後悔する、というのはもうない。このあと人生がどんどん下り坂になったとしても特に未練はないと思う。いい人生だった」

いやーあっぱれ。

けど、自分もこういう気持ちに近い。

世界中、いろいろなところにいったし、恋愛もしたし、結婚もしたし、離婚もしたし、すごくリッチになったこともあるし、小説も書いたし、映画も撮ったし、テレビは死ぬほど作ったし、犬も飼った。

美味しいものは山ほど食べた。面白い友達とたくさん話したし、悲しい思いもしたし、入っちゃいけない場所なども行ってロケしたし、なかなか会えない人物にインタビューできたり、とにかく、ほんと、いろいろおもしろくて楽しい人生だった。まだ、やりたいことはあるけど、今死んでもそんなに後悔はない。(犬を残していくことはできないが…)

けど、私はphaさんより20年は長く生きてる。

だから、「いい人生だった」っていっても許されるような気がするけど、さすがに30代では早くないのか。

なんでそんなに満ち足りているんだろう…っていうのが不思議。

いや、人類が目指していた、「充足した人間」がもしかして、日本で育ち始めているんじゃないか。

もう、あくせく闘わない人類。生き残ることに必死じゃない人類。

そういうことかなーと想像すると楽しくなる。人類、成長したなーと。

けれども一方で、(昨日の日記にも書いたけど)、昔からこういう人はいたはずだ。明治時代の高等遊民とか。飢えることなく育ち、知的能力を備え、特別なにもしない人々。いたよね、いたはずだ。

ホントはこういうひとが増えたら、世界は平和で、ゆっくり動き、生きやすいんじゃないだろうか。

余分な魚を釣って売り歩くひとが現れなければ、領海をめぐって紛争しなくてすむんじゃないだろうか。

自分が食べられるだけの魚があればいいって言えるのって、素晴らしいよね。

そんなことを暑いさかりにまだまだ考えています。

今日は、試写にて、園子温監督の新作「希望の国」を見ました。

これについては、また、後日。

「ニートの歩き方」

2012年08月23日(木) 00:25
最近、「ニートの歩き方」という本を読んだけど、すごく面白かった。



っていうか、いろいろ考えてしまった。

きっかけは、CHIKIRINさんのブログで紹介されていたからだったんだけど、その時、読もうと思ったのは、この著者のphaさんが、「映画を見られない」と言っているからだった。

え?……映画、見られないってどういうこと?

人付き合いが苦手だったり、満員電車が嫌いでニートになり、ゲームをしたり、マンガや本を読んでだらだら過ごすことを無上の喜びとしている著者なのに、なんで、映画ダメなの?

そこにひっかかった。

本や映画に救いを見いだしてる自分としては、同じ仲間かと思っていたひとが「映画はダメ」って言われたのがショックで。それと、今の若い人にとってやっぱり映画は終わっていくメディアなのかと心配になって。

けれども、いったん、この本を読み始めたら、映画に関する心配はふっとんで、(映画が何故見られないかについてもちゃんと書いてあって、それについてはあらためて書くとして)、このphaさんの生き方に共感するというか、納得できるところがいっぱいあって、大げさにいうと、時代の変わり目みたいなものを感じた。

著者のphaさんは、京都大学出身で、いったんは会社に(どんな会社かは詳しくはわからない)就職するけれども、満員電車が嫌いだったり、朝早く起きるのが苦手だったり、そもそも、仕事が嫌いで、28歳で会社をやめて、33歳の現在まで、働かず、いわゆる「ニート」をしているひと。

で、ニートであることを悲観するのではなく、自分なりの前向き(って言っていいのかな)な選択として、今の暮らしぶりや考え方やこれからについて、簡潔で読みやすく、とても正直に書いてある。

ニートに関する本だけど、ある種の哲学書でもある。


まず、「働かざるもの喰うべからず」っていう言葉に疑問を持って、掘り下げていく。

「元々は、ソ連を作ったレーニンが新約聖書を引用したもので、働かない怠け者を批判するためのものではなく、働かずに労働者を搾取して肥え太っているブルジョアを攻撃するときに使われたもの」だという。

そうなんだ、知らなかった。

phaさんは、働かないことがそんなに悪いことのなのかって繰り返し問うていく。

確かに今の日本は高度資本主義になっていて、働いてお金を稼ぐというのが当然とされて、そのお金で自由を買うというか、いろんな権利を買うシステムになっている。お金こそが世界をまわしているもののようではある。これは先進国はみんな同じかな。

けどさ。

ホントにそう?という気持ちは徐々にいろんなところでいろんなひとが考え始めているような気がする。資本主義だけじゃ、もうままならない感じは、わりとある。

この本のなかに出てくる、メキシコの漁師のエピソードは、やっぱり、考えさせられる。

要約して、引用する。

メキシコの田舎町の海岸に小さなボートで漁師をしている男がいた。小さな網で魚をとっている。その魚はとても活きがいい。

それをみた、アメリカ人の旅行者が「すばらしい魚だね、どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。

「そんなに長い時間じゃない」と漁師は答える。

旅行者はもっと長い時間漁をしたら、もっとたくさん魚が獲れるだろうという。

漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれくらいで充分だという。

旅行者が「あまった時間で何をするのか」と尋ねると、

「陽が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻って来たら子供と遊んで、女房とシェスタして、夜になったら友達と一杯やってギターを弾いて、歌を歌って…これで一日は終わりだね」

すると、ハーバードビジネススクールでMBAを取得したという旅行者はこうアドバイスする。

「毎日もっと長い時間漁をして魚をとり、あまった分を売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。すると、漁獲高は上がり、儲けは増える。その儲けで漁船を二艘、三艘と増やしていく。やがて、大漁船団ができるまで。そしたら、仲介人に魚を売るのはやめて、自前の水産加工工場を作って、そこに魚を入れる。その頃、君はこのちっぽけな村を出て、メキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していく。君はマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた、「それまでにどれくらいかかるのかね」

「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから?今度は株を売却して、君は億万長者になるのさ」
「それで?」
「そしたら、引退して、海岸近くの小さな村に住んで、陽が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供と遊んだり、奥さんとシェスタをして、夜になったら、友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだ。どうだい、素晴らしいだろう」

ううむ。

著者のphaさんは、「この本はメキシコの漁師のように生きるための本だ」と結ぶ。

資本主義って、このエピソードに出てくる、自分が必要とする以上のものを作り出して売って、それでお金を得て、さらにそれを株にしてもっとお金を得る…ってことだ。

たしかにそうしないと、お金は儲からない。

が、そうして得たお金で何をするのかって。

そのお金を稼ぐために厖大に時間が失われて、お金を増やすことが目的になってしまったりする。それは本当に楽しいのかって話だ。

いや、もちろん、ビジネスの楽しさもあると思うし、小さな海岸でとれた「とびきり美味しい魚」をたくさんのひとに味わってもらいたい…という素直な思いもあるかもしれない。お金儲けだけじゃなくて。

でも、そこまでしなくても、「自分と自分の家族が食べていけるだけの魚があればいい」って考え方もあるよね。

それと、このphaさんは、「自分と自分の家族が食べていけるだけの魚」の分ほども働いてない。奥さんも子供もいない…笑。

けど、自分が直感的に「やだな」と思ったことはしないで、ずっと寝てたり、ゲームしてたりする。そして、そういう暮らしをまわしていくためのさまざまな工夫もしている。

「弱いものは集まると死ににくい」という言葉にもはっとさせられた。

Phaさんは、ギークハウスという、ゲームやマンガ好きのニートたちの集まるシェアハウスに住んでいて、ギークハウスそのものの企画などもやっている。

ひとりで引きこもっていると、大変なことも、仲間がいたら、いろいろ乗り切れる気がする。

phaさんは、インターネットを通じて、月数万円稼ぎ、足りないものはネット経由でもらったり、お金が必要なときはネット上でのカンパみたいなものでまかなったりしている。そんなにキャッシュがなくてもやっていけてる感じ。

仕事に対する思いや、家族、恋愛、セックスについてもすごく正直に語っていて、すがすがしいほど。

そうか、こんくらいゆるく考えてるひとたちが出てきているんだなって思ったら、なんだか楽しくなった。

でも、もしかして、ホントはこういう人たちは昔からいたんじゃないか、とも思う。だいぶ前にも「ダメ連」っていうのがあったと思うけど、戦後の日本は、「頑張っているひと」「ひと儲けしたひと」ばかりにフォーカスしてきたから、きっといたはずの「ゆるいひとたち」は特に注目されずに来たんだと思う。

けど、インターネットのおかげで、「頑張っているひと」「ひともうけした人」以外の姿もたくさんのひとに届くようになったのだと思う。この本だって、そもそもがブログ発だし。

前の日記に書いた「絶望の国の幸福な若者たち」もそうだけど、今の若い人々は、「そんなにお金なくても、幸せです」っていっせいに言い出したようにも思えてきた。

もう、オヤジ世代の「お金至上主義」いやなんですよー。だるいことしたくないんですよーって。

私は働くのは好きだし、仕事でも頑張るほうだけど、でも、冷静に考えると、自分の仕事は自分の好きな分野ばっかりだし。世間から見るとあんまりちゃんと働いていないのかもしれない。

ファッション以外でスーツとか着たことないし。

この本の後ろに、「ニートチェックシート」というのがある。

(そのまま、載せます)

□会社や学校に行くのつらい
□満員電車に耐えられない
□朝起きるのが苦手だ
□働かないことに後ろめたさはない
□一人でいるのが好きだ
□インターネットが生活の一部だ
□お金をかけずに没頭できる趣味を持っている
□貧乏はそれほど苦痛じゃない
□汚い環境でも生活できる
□家賃を払わずに住める場所がある
□体は丈夫だ
□料理は得意だ
□友人は多いほうだ
□実家が金持ちだ
□異性を口説くのが得意だ
□結婚したり子供を作ったりすることに興味がない

このなかで12コ以上イエスのひとは、ニートの素質があると言う。

ちなみにわたしは13コだった。りっぱなニートだ!

っていうか、この本に書いてあるようなことを実践して生きてきた結果がイマだったりする。

8年間、会社員だったけど、死ぬほど辛かった。テレビの制作会社なんて、ゆるゆるなのにそれでもつらかった。毎日行かないといけないし、なにより狭い人間関係が面倒で。

でも、あの8年間でテレビディレクターとしてフリーで稼ぐノウハウを身につけたから感謝はしてる。

その後はずっとフリーだし。テレビのいいところはたいてい3ヶ月くらいでひとつの仕事が終わり、次に移っていけるので、人間関係が煮詰まりにくいことと、服装は自由だし、朝も比較的おそいなど、ホント楽だった。

苦手なテーマの番組はやらなかったし。(だいたい、苦手なテーマのものをやるといい結果も得られず、ディレクターとして信頼を失うので、やらないほうがいいんだよね)

でもって、脈絡なく…というよりは、ひたすら「自分がやりたいから」という思いだけで、小説書いたり、映画撮ったりしてきた。「儲けたい」からという理由で動いたことないし。儲かるより好きなことのが百倍いいし。儲かるけどだるい仕事はやらないで来てしまった。

じゃ、これからも今まで通りでいいんだ!って思えた。

けど、私の年齢では、ニートではなくて、隠居か…笑。

ホントはそろそろ本気出して働こうとしてたので、「このままさぼっちゃおうか」という気持ちに拍車をかけたので、まずいんだけど。

でも、仕事も好きなことしかやってないから、いーのだった。

この本から派生して、西原理恵子の「この世でいちばん大事な「カネ」の話」もさっき読んだ。

こちらは意外とまっとうな「働くことはいいことだ」という本だった。

西原さんは自分が働くことで自由を得てきたって実感があるんだよね。それはすごくわかる。

そこらへんは「女性」ってことが強く左右する。私も「自分で稼ぐ」ってことにはやっぱりこだわってきたもん。

自分である程度稼げる自信があると、いろいろ恐いものがなくなるからね。自由を手にできる。

だから、「ひとが稼いだお金をあてにして生きるのはダメだ、専業主婦とかない」っていう、西原さんの一貫した考え方には強く共感した。

そんなわけで、「ニートの歩き方」についてはもっとたくさん書くことあるけど、とりあえず、今日はこのへんで。

あ、なんで、映画が見られないかについては、本を読んで下さい。書いてあるから。(笑)


『毒婦」再び

2012年05月09日(水) 01:39
「毒婦」の感想を読みに来る方が多いようなので、続編を書いてみたい。

前回も東電OLとの比較をしたけれど、木嶋容疑者と東電OL(被害者ですが)、共通点は援助交際以外にもあると思う。

それは、どちらも「父の娘」であること。

「父の娘」というのは、父から、まるで「息子」のように愛され、期待されて育った「娘」のことを言う。

「女の子は勉強しなくていい」とか「女だから生意気言うな」とかいっさい言われずに、まるで「少年」を育てるように、すくすくのびのび育てられた娘をさす。

この「父の娘」というのは、社会に出て成功している女性に多い。

父ー男…というのは、「社会」であるから、社会から期待され、愛されて育った娘は、社会への適応力…いってみれば、男、おじさんへの適応力が高く、うまくやっていける。

さらに、父親に承認されて育つから、「自分は愛される価値のある人間である」という自信を身につけやすい。

ので、社会にでて、成功しやすいのだ。知り合いの偉くなっている女性のほとんどが、この「父の娘」だ。

なぜ、そんなに詳しいかって、自分が、圧倒的に「父の娘」ではなく、「母の娘」でもない、アウトサイダーだからだ。だから、よおおくわかるのね。「父の娘」たちの天真爛漫な根拠なき自信を常々うらやましいと思って生きてきたのだから。

話を「毒婦」に戻す。彼女もまた、「父の娘」だった。母親とはうまくいかなかったらしいが、父との関係は良好だったようだ。北海道の小さな町ではめずらしく、東京の大学を卒業し、おしゃれでクラシック音楽をたしなむ父親だったらしい。

狭い世界で父親を尊敬して育ち、なおかつ、全的な愛情を注がれたら、常に「どこにいっても自分は愛されて当然、求められて当然」という気持ちになるんじゃないだろうか。

それが過剰な場合は、たとえ、犯罪行為をおかしても、「私は間違ってない、私は悪くない」と思ってしまうんじゃないか。

「父の娘」はいい方向に進めば、社会で一定の地位を得るなど成功するけど、まちがった方向に進むとなまじ、根拠なき自信がある分だけ、ゆくところまでいってしまうんじゃないか。

そんなことをアウトサイダーの自分は思う。

(しかし、父の娘にもマイナスはあって、父親をすばらしいと思うあまり、そこそこの男性で満足できなくなることだ。父のように自分を愛してくれる男性はなかなかいないからである。絶世の美女ならともかく、父ほどの娘を「かわいい」と言ってくれる男性は少ない。

だから、あまり美しくない「父の娘」は、男捜しに苦労することが多い。父から受けた自己評価と、普通の男性から受ける客観評価に、天と地ほどの(大げさか…)差があるからだ。

そこらへんは、父の娘でも母の娘でもない女性は、自己評価が低いので(=わたし)、高望みせずに、相手を見つけることができる。

これくらいメリットあってもいいよね?…余談終わり)


それからもうひとつ。東電OLと重なるけど、この二人はとても仕事熱心だったということ。

仕事とは売春だけれども、これまでの娼婦だったら、強制的に働かされている場合はともかく、お金がなくなったら、体を売るが、あとはだらだらと遊び暮らしていたんだじゃないか。

けど、彼女たちは違う。まるで、仕事のように効率よく、マメにお客さんを探しているのだ。

「毒婦」によると、佳苗容疑者は出会い系サイトで知りあった男性たちにかなりマメにメールを返していたらしい。しかも、相手にあわせて行き届いた文面を送っていたらしい。

この奇妙なまじめさ。

ここらへんにも新鮮さを感じる。

日本の悪女の歴史を塗り替えた…というか。

そんなわけで、続編でした。

「毒婦」読んだ!

2012年05月02日(水) 14:07


『すべては援助交際から始まった…
「毒婦」北原みのり著((朝日新聞社)を読んで)』

 「毒婦」とは、今年の4月13日に死刑判決を受けた木嶋佳苗容疑者のことである。インターネットで知りあった複数の男性から一億円以上のお金を受け取り、そのうち3名を殺害したとされる女性。この木嶋容疑者の100日間に及ぶ裁判の傍聴記である。
 著者の北原みのりさんは、気鋭のフェミニストであり、「アンアンのセックスできれいになれた?」なども面白く読んだ。北原さんの、最後まで佳苗容疑者を理解しようとする真摯で切実な態度と冷静なレポートから多くのことを知った。
 実は、この事件が発覚した頃(2009年)、私も一応は興味を持ったけど、それほど強いものではなかった。「あんまりキレイじゃないのに、よくもここまでお金を集められたものだ」という多くのひとが感じたと同じような浅いものだった。同じ女性がらみの事件でも東電OL事件の方が衝撃は強かった。

漠然と、「お金ほしさに男性をだまして殺す女性のお話」と解釈して、彼女がさほど美人でないことをのぞけば、よくある話のように思えた。お金がほしくて、女を(セックスを)武器にして男をだます…これはある種の女性が繰り返しやってきた犯罪のひとつだからだ。

 が。

この本を読んで少し見方が変わった。もちろん、女を武器に男をだましてお金を取っていたのは同じだけど、その始まりが90年代にあったことと、佳苗容疑者が上京してほどなく、当時マスコミを賑わしていた「援助交際」にはまっていくことを知るにつけて、そうか、この事件の発端は「援助交際」にあるんだと気づいたから。
 佳苗容疑者は北海道の別海町の出身。高校を出て、93年に東京にやってくる。まともな仕事をしていたのは最初の一年くらいで、後は、デートクラブで働いたり、インターネットで知りあった男性から金銭的援助を受けたり、要するに売春を生業としていた。つまり、この女性は、この事件で逮捕されるまでの15年以上をずっと、体を売って生計を立てていたのだ。冷静に考えるとちょっとびっくりする。15年。もはやプロの売春婦である。

 でも、プロの売春婦といった言葉がひきおこすようなものがこの人にはない。東電OLが渋谷の円山町で立って客引きしていたのとは対照的に、料理教室に通ったり、ブログを書いたり、悲壮感がなく、楽しそうにやっていたように思える。

売春婦、娼婦と言えば、映画やドラマのなかで見かける、髪を染めて、肌を露出した下着のような服を着て、酒やクスリに溺れ、ヒモにお金をむしり取られている姿を思い浮かべる。そういう女が身をひさぐ。が、すでにそんな時代は終わっていたんじゃないだろうか。

 佳苗容疑者は、相手の男性に料理を作ったり、世話をしたり、性的サービス以外のこともしている。限りなく妻に近い売春婦だ。(だから、結婚詐欺、と言われているんだろうけれども)。でも、ここでふと立ち止まる。限りなく妻に近い売春婦だって?え、じゃあ、そもそも、妻と売春婦の違いってなんだっけ?

 佳苗容疑者のやってきたことは、そんな、ひやっとする現実をつきつける。妻も売春婦もそんなにちがわないんじゃないの?とでも言うように。

なぜ、彼女はそんな道を選んだんだろう。

 ひとつだけ想像のつくことがある。彼女は、93年に東京にやってきた。90年代の東京。そこでは、女が、自分から値段をつけて、自分を売ることが出来る場所だった。それまで多くの人が抱いてきた、売春に対するマイナスイメージを「援助交際」と呼び換えて、払拭することができることになっていた。それを知って、彼女は、我が意を得たのではないだろうか。

「なんだ、私、間違ってなかったんだ…」と。

 上京する前も、佳苗容疑者は、故郷の町で性的な噂が絶えなかったらしいが、東京に来て、はっきりと態度を決めたんじゃないか。狭い町では実現できなかったことが、東京なら好きなだけできる。体を(女性性を)売って生きていけばいいし、それは、なにも自分の尊厳を損なうものではないこと。むしろ、自分を高く売ることこそが、意味のあることのように。

 手前味噌で恐縮ですが、私は自分の小説と映画「すべては海になる」で高校生の頃に援助交際をしていた女の子の10年後を描いた。それは援助交際というものが一過性の流行ではなくて、日本の女性たちのなにかを大きく変えた出来事だと思ったからだ。エンコー以前と以後では、私たちは変わってしまったのだ。

 なにが変わったかって?

 …それは、「底が抜けた」ってこと。

それまで、売春、体を売ることは悪であり、女性なら避けなければならない、最低の出来事であり、取り返しのつかないことであるように、教えられてきたし、振る舞われてきた。

けど、一方で、メデイアや世間を見れば、どこからが売春で、どこからがちがうのかわからないほど、「女」は売り物にされていた。わかりやすい金銭取引がないだけで、女はいつも性的対象物として扱われ、値段をつけられ、値踏みされてきた。そのことに、90年代の女性たちははっきりと気づいてしまったんだ。

そして、その「底の抜けた」女性観に対して、「だったら、自分から売ってやる。だって、私たちに求められているのは結局、ソレなんでしょ」という開き直りみたいなものが生まれた、と私は思ってる。

 そのわかりやすい出来事が援助交際だったんじゃないかと。そして、その延長線上に、この事件もあるんじゃないかと。

 罪悪感なく、気楽に売春できる先に、東電OLの事件とこの事件がある。もちろん、東電OLは被害者だから、一緒くたにするのははばかられるけれども、かつては貧しい女性が必死に食べるための糧を得ていた売春とは違うかたちで、「男に体を売る」ことでお金をもらう…という売春のハードルが極端に下がってしまった。かつては持っていた「禁忌性」は失われた。

 いや、私は、「売春は悪いことです」かつてのように「それをやったらお終いです」というような一方的な解釈に戻ったほうがいいとは全然思ってない。そうじゃなくて、こんなふうに底の抜けた世界で、愛もセックスもお金と交換可能だとわかってしまった世界で、それでもなんとか生き抜く方法がないものかと考えるだけである。

 丁寧な取材と真摯な態度で裁判の傍聴にのぞんだ北原みのりさんの著書により、単なる「そんなにキレイじゃない女性がおかした詐欺および殺人事件」と思っていたものから、事件のそのもの、というより、佳苗容疑者が象徴する女性の闇…というか、ゆらぎに触れたと思った。

愛もセックスもお金と交換可能と開き直ってしまった先には、生きた人間であるはずの男性も「お金を供給する存在」にしか見えなくなってしまったんだろうか。その苦い現実をかみしめている。援助交際が残したモノはまだ、なにも終わっていない。
 

「マイバックページ」続き。

2011年06月29日(水) 00:22
昨日、川本三郎氏の「マイバックページ」の感想を書いたけど、続き。

この本は、川本氏が、朝日新聞社時代に、学生運動家と知り合い、そのひとの起こした事件(殺人事件)によって、新聞社をクビになり、逮捕されるまでの出来事とその時々の思いが書かれている本である。

昨日も書いたように、丸谷才一さんに「比類なき青春の書」と言われるだけあって、それだけで、充分、若い時代を生きる青年の苦悩が描かれている良質の本ですが、一方で、企業ジャーナリズムとジャーナリストの関係について書かれた本とも読める。

記者個人が興味を持って取材したけれど、組織(新聞社)としては、その取材対象者を「犯罪者」と見なして、記事の掲載を拒否、犯人について知りうることを警察に報告せよ…と命じる。

一方、記者はあくまで、取材対象者を、「思想犯」ととらえ、それゆえ、記事の掲載を望み、警察への協力も拒否する。

結果、記者は逮捕され、会社はクビになり、記事も日の目を見なかった。

それから40年近くが過ぎて、なにが変わっただろうか…と考えた。

新聞社であろうと出版社であろうとテレビ局であろうと、「企業」であることは変わらないので、社の方針に合わない記事は掲載されないだろう。

警察に協力せよ…という要請も今でも出るだろうし、逮捕されたらクビだろう。

そこらへんはなにも変わってない。

まあ、「企業」のほうで変わったとしたら、その記事によって、「もうかる」としたら、掲載される可能性が昔より増えたかもしれない。

より、「売り上げ至上主義」になっているからね。その分、倫理観は減っているし。

と、絶望的なことばかり書いたけど、ひとつだけ、大きく変わったことがあるよな。

今だったら、クビにされても、逮捕されても、その記事を世に問うことができるよね。

もちろん、インターネットで。

無料で多くのひとに瞬時に読んでもらうことができる。

新聞社や出版社の社員じゃなくても、記事を書いて載せることはできるんだ。報酬はもらえないとしても。

そこが大きく変わったことだよなーと昨晩、ブログを書いたあとに感じた。

もし、今、同じような事態になったら、多くのジャーナリストは、ネットでの公表を選ぶだろう。実際、そういうひと多いし。

…だからといって、「マイバックページ」という本の魅力が少しも損なわれることはないんだけど。

ただ、少し、変わったよ。よくなった部分もあるよ…と70年代を生きた若者にささやきたい気持ちになったのでした。

自由な世界へようこそ。

「マイバックページ」

2011年06月28日(火) 01:34


梅雨空の安田講堂@東大。

映画「マイバックページ」を見て、いったい、どんな原作なんだろうと興味を持ち、さっそく、川本三郎の本「マイバックページ」を読みました。

いやー、なんというか。こういう文章、こういう内容、本のたたずまい……すべてがかつて自分が憧れたものでした。

硬質で簡潔でありながら、文章を重ねることでにじみ出てくる、独自の世界。

そして、その世界が、どこか懐かしく…自分は全共闘世代ではないのに、心の奥底にそっとふれてくるような…たぶん、誰もが経験のある、青春の頃のまっすぐな、でも、挫折を余儀なくさせるもの…が存分にあふれている。

急いで全部読みたい気持ちと、しばらくこの世界にひたっていたい気持ちがないまぜになる…という久しぶりの読書体験となりました。

ご本人によるあとがきには、川本氏が、朝日新聞社をクビにされることになった経緯にふれて、組織と個人、ジャーナリストの本質とはなにか…みたいなことをテーマにしている…とあったけれど、もちろん、それも重大なテーマであったし、いまだ、答えは見つかっていないと思うし、私自身、テレビの世界で働く上で、自分の判断とテレビ局、および、制作会社の判断が、おりあいのつかない場合の対処のしかたについては、同じように戸惑うのだから、共感できるテーマではあった。

でも。

この本に書かれているのは、丸谷才一さんが評していらっしゃるように、「比類ない青春の書」というか、学生運動とそれを取材する若い記者の精神の軌跡であり、そこには、ジャーナリストこうあるべき、などという簡単なテーマを目指したモノではなく、それはひとつの素材に過ぎず、そこにあるのは、もっと普遍的な、ひとの心の奥底にあるものだったと思う。

ジャーナリズムより、文学としてのたたずまいがまさっている。

あとがきに、「文学は敗者を弔う一掬の涙であっていいのではないか」という言葉があって、「あーそうだったんだ」と深くうなづいた。

なにか新しいことを知らせるものでなく、美しいものを称えるものでなく、正しいものを説明するものでもないもの…

でも伝えるべきなにか。

たぶん、自分が文学や小説に求めてきたものは、「敗者を弔う一掬の涙」だったんだ…ということをあらためて思った。

それが好きで読んだり、書いたりしてきたんだよね。

そんなわけで、惚れ込んでしまいました。この原作を映画にしようとしたひともすごいなと思った。この世界にひかれ、映像化したいと思う気持ちはわかるけど、難易度高いことも予想されるし。

今日、たまたま、東大に行く用事があったので、安田講堂を眺めてきました。

ずっと昔、ここから始まった事件があったんだなと。それはまだ、終わらないまま、あり続けているのだと。

それを語り継ぎたいひとがいるのだ。だから、本があり、映画がある。

終わらないものたちへの弔いは続いているんだ。

<わたし>を生きる

2011年06月27日(月) 00:29
今日は新刊書の紹介です。

友人のジャーナリスト、島崎今日子さんから、新刊が送られて来ました。



アエラで連載中の「現代の肖像」のなかから、島崎さんがインタビューした女性16人をセレクトしたもの。

上野千鶴子さんあり、長与千種さんあり、本谷有希子さんありと、バリエーションにとんでいる。

バリエーションにとんでいる…といっても、さすが、島崎さん、ここに掲載された16人の女性たちは、年齢も仕事も生き方も全然違うけれども、どこか似た部分がある。

言葉にするのはむずかしいけど、どこか同じ匂いがする。

ひとことでまとめるのは気がひけるけど、ある種の強さ、潔さをもった女性たちだ。

それはたぶん、この本の著者の島崎さんに似ている。

島崎さん自身、しっかり大地に足を踏みしめたような強さと、そよ風にゆらぐ葉っぱみたいなかろやかさを持ったひとだ。

そして、とても親しみやすい。

島崎さんと初めて会ったのは、著名で精力的な女性たちが集まる会だった。

ひとみしりであり、気後れすることの多い自分に、昨日からの知り合いみたいに気軽に声をかけてくれた。その笑顔に気持ちをほぐされた。

すーっとひとのふところにはいるというか、安心させる雰囲気を持った方なのだ。だから、多分、この本にのっている女性たちも、島崎さんの前では、自然と心を開いているのだと思う。

インタビューというのは、する相手によって、得られる答えが変わってくるものだから。

…というわけで、元気のないとき、友だちと話したい時などに開くとよい本です。

ここではいろんな分野のいろんな年齢の女性たちが、気持ちを開いて待っていてくれる。そして、人生の秘訣やら、仕事のコツなんかをちょろりと語っていてくれる。

感心したり、尊敬したり、思いの外、弱い部分を知って、ほっとしたり…。

そんな力強い、女友達みたいな本です。

「やりたいことだけやる」のはダメみたい。

2011年02月02日(水) 02:38
村上隆さんの「芸術闘争論」を読んで、考えこんでしまうことが多かったので、少し。

村上さんは、現代ARTの作家です。現代美術のなかにアニメやフィギュアを取り込んだ作品で、名を馳せ、ルイ・ヴィトンとコラボレーションしたり、最近だと、ベルサイユ宮殿で個展を行ったりと、海外での評価の高い、アーティストです。

自分、美術界にはうといのですが、ちょっと関心があって、読んで見ました。

村上さんの言っていることは、現代アートだけじゃなくて、あらゆる芸術分野…映画でも小説でも…が抱えている問題だなあと思いました。

「好きなことだけやる」「やりたいことしかやらない」…という態度は、ダメだといいます。芸術もまた、資本主義社会のなかで、そのプレーヤーたちが望むものをやっていくべき、と書かれています。

社会のルールを読み込んで、なにが望まれているかを理解して、表現していけ…と。彼が一番、ダメだというのが、私小説みたいな作品。表現とは、「自己表現」ではないと、繰り返し語られる。

自由になるために、作品を作る…という態度はダメと言い切ります。

そして、日本が「芸術」に長らくもってきたイメージ、芸術=貧乏=正義から脱却せよと。

世界で認められるために戦略を練り、努力して実践せよと。

おいしいラーメン屋にレシピがあるように、みんなに受けるレシピを考えよと。そうすれば、自由になれるかどうかはわからないけど、オノ・ヨーコや草間弥生のようなアーティストになれると仰っています。

そのためのハウツーをまるで、ビジネス本、成功指南本みたいに、列挙していきます。

なんだかわからない熱情をキャンバスにぶつける…とか、己の業を昇華するために絵筆を持つとか…そういう、狂気じみた「芸術家」のイメージを全部、払拭するような提言です。

クールに計画をたて、準備し、もちろん、制作は必死でやるけど、思いのままに描くのではなく、ルールに従って描け…と。

自分のブランディングをせよ…と。

(自分をブランドにするってことですね。キャッチフレーズをつけるように)

彼が例証にあげるのは、「IQ83」でベストセラーになった村上春樹さんや、宮崎駿さんやAKB48です。

びっくりの連続でした。もちろん、一理も二理もあると思います。

同じことを、海外の映画祭で高い評価を得ている監督から聞いたことがあります。まず、海外で日本の監督として受けるには、どんなテーマがいいか…を考えるということ。自分がなにがやりたいか…ではなく、なにが求められているかを先に考えるって言ってました。

その時は、そういうものかなあと思っていたけど、海外の映画祭に行って、ちょっとわかったような気がします。もはや、富士山ゲイシャではないけど、「日本らしさ」「エキゾチック」を演出したほうが、受けるってことは確かでした。

そして、実際、村上さんは成功されているわけです。

「やりたいことだけやる」は、ダメなんだ−。とほほ。

しかし、現在、芥川賞をとった大・私小説「苦役列車」はベストセラー邁進中ですよね。そうか、私小説作家というブランディングに成功したパターンでしょうか。

とにかく、ここまで、明言されると、あっぱれなほどでした。

自分もブランディングとか、考えないといけないのでしょうね。

村上春樹「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」

2010年11月09日(火) 02:38
ここのところ、村上春樹さんの「夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです」を読んでます。

1997年から2009年までのインタビューをまとめたもの。

どっしりとした本で、とても読み応えがあります。

それで、いろいろ気になったこと、面白いこと、へえと思ったことがあります。

編集者とか信用していないみたいだった。「日本の編集者は、出版社のサラリーマンだし、部署も変わっちゃうし…」みたいなことをおっしゃっていた。村上さんレベルだと、そうなのかもしれないなー。

あと、取材されるのが嫌いだってこと。なるほど。確かに、小説書いているんだから、それを読んでくれってことですよね、まったくだ。だけど、今のマーケット至上主義社会では、少しでも売り上げを伸ばすための、宣伝戦略があって、そのための取材とかテレビ出演とか映画タイアップとかやらないといけないわけで、でも、村上さんほど売れてたらそれも必要ないよね。

そのほか、短編小説の書き方と、長編への立ち向かい方などもインタビューでかなり細かく答えていて、読み応えがあった。そっか、そういう風に小説って書くんだ、って勉強になった。

けど、自分はとりあえず、小説を書いたりしているから、参考になるけど、書かないひとでもこういうことって知りたいって思うのかな、村上さんレベルだとファンがいっぱいいるし、なんでも知りたいからありなのかな。

そんなわけで、勉強になりつつ、なんかこう、すっごい「王道」の話だと思った。

小説を書きたいと思ったひとがいて、書いた。それが認められたので、書き続けた。日本の文壇とかとは関わりたくなかったので、外国で暮らした。それでも、本は売れ続けた。書きたいものを、書きたいときに、書きたいように書き続けている。そして、今がある…って感じ。

すっごい、シンプルでいいよなあ。みんな、そうだったら、ハッピーだよね。

迷いとうまくいかないことの多い自分には、天上の物語みたいにも読めた。でも、面白かったし、なんというか、インタビューであるのに、村上春樹さんというひとの言葉は、小説の文章みたいに心地良いので、村上春樹リズムにひたることができて、楽しかった。

ロシア文学が好き、って話、知らなかったので、親近感を持ちました。ドストエフスキーやトルストイなどの長編に身を任すのが好きって自分も同じだから。小説は長いもんが好きだし。そのなかで、なるべく、泳いでいられるやつがいいんだよねー。それなのに、先がどうなるか気になって、どんどん読んでしまうような本。

自分にとっては、トルストイの小説はそうでした。ドストエフスキーはそんなじゃないけど。

そんなわけで、今日からスケジュールが楽になります。すこし、ゆっくりしようと思います。すごくつらいことがあったけど、ずっと忙しくて、休めなかったし、結局、悲しみに浸りきってる場合じゃなくて、働いてしまったし、今月は、「喪の仕事」をしつつ、自分を甘やかすことにします。

え…いつも、甘やかしているじゃないかって。はい。そうでごんす。

村上春樹さんのように、毎日マラソンとかできたら、いいのに。はあ。

まあ、自分は自分でいいや。

わたしにはわたしだけの思いがあるからね。思い出もね。

上野千鶴子著「女ぎらい ニッポンのミソジニー」

2010年11月05日(金) 22:30
今は、上野千鶴子さんの新刊「女ぎらい ニッポンのミソジニー」(紀伊國屋書店)を読んでます。

なんと、上野さんから献本してもらったんぞ!(自慢!)

今は、ご存知のようにたいへん辛い時期でして、これまでのようにいろんな出来事を受け付けられなくなっている。

かろうじて、テレビの仕事はやりきったけど、映画を映画館で2時間見られるだろうか…って心配があるし、(暗闇に入ったとたん、恐ろしいものに捕まえられそうな気がする…)、悲しみを刺激しそうな本は読めないし、歩けない場所や、行けない場所、見られないものがいろいろある。

やばそうなものが近づいてきたら、隠したり、目を伏せたりして、悲しみのるつぼに落ちないようにつとめています。そうなると、つらすぎるので。

そんな暮らしのなかで、「女嫌い〜ニッポンのミソジニー」には随分、救われた。だって、フェミニズムの基本みたいなことが、とっても爽快な文章で書いてあるから。

自分が高校生のころ、この世の中はなんかヘンだ、文学とか小説とか言われるもののなかにも、なんだか、気持ち悪いもの、居心地悪いものがある、それってなんだろうって思った最初の疑問みたいなものについて、あたらめて、明解に答えてくれている。

それって、つまり、たいていの男のひとは、本当は女がキライだってこと。

いやいや、そんなことはない。俺はこの世で一番の女好きだよ…!なんて言う男子がいるかもしれない。でも、彼のいうところの「女好き」っていうのは、自分にとって、「都合のいい部分のみの女」を意味しているのであって、しかも、その女とは、若くてカワイイコオンリーをさすってことに案外気付いてない男は多い。

自分はフェミニストですよーとか、気の強い女も好きだよーとか言う奴ほど怪しいからね。

そういうシンプルで原初的な、ちょっとものを考えたことのある女子なら誰もが一度は疑問や怒りに思うことについて、びしびし言葉にしてくれています。ここまで書いて大丈夫?ってくらい。

そして、こういう本をまともに読める男ってこの世にいるのかなあって思うくらい。

とにかく、そういうまっすぐな本なので、自分のなかの悲しみに触れることなく、私自身が、自分をとらえ直したときの、10代の気分に連れ戻してくれる、あっぱれな本であります。

真実は強く、いつでもひとを勇気づけるって思いました。
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