The Right to be Wrong to be Right

February 17 [Fri], 2017, 8:00
最初に申し上げておくのは私に特定の宗教的背景はないということ。好きなのは何と聞かれると神道と答えるけれど、そのアミニズム的世界とは一見対照的なGreat Architect Of The Universe(GAOTU)という一神教的観念もすとんと受け入れている。

ですから恥ずかしながら世界No.1ベストセラーである聖書、特に新約聖書は一度も読んだことがなかった。しかしここはエルサレム。神の御采配によりなぜか手元に日本語の新約聖書がやってきたので(いや冗談抜きで)去年2ヶ月ほどで線を引っ張りながら完読した。

一度読んだくらいの付け焼刃な知識で、聖書からの学びはなんだろうと話した相手はアメリカ南部のガチ・クリスチャンのエイミー。彼女はバスで隣り合わせになったことがきっかけで、すっかりハート・ウォーミングなお友達になり、なんでかな?と思っていた。なんせ、プロフィールだけ聞けばレッドネックの中枢社会からやってきて、トランプに投票したにちがいない(笑)ブロンドちゃんだ。しかも彼女は22歳!それでいて既婚!なんなんだー!エイミーに連れられ初めてアメリカを後にした優しさ滲み出る旦那くんも、ものすごくイイひと☆

グループでの付き合いは別にして、女の子とマンツーマンで新規に友達になるって、けっこう難しいよね。感性が似てないと続かない。しかもこれは国籍は関係なく、中身の問題。細胞レベルで何か通じ合うものがないと、繋がり合えない。エイミーは私の隣に座った瞬間、その可憐な笑顔にひとめぼれ。彼女も感じるところあったらしく、一瞬で相思相愛になった。彼女のミラクル力と行動力と強さ、クリアなハート、明るさ、莫大の愛と、可愛さを見ていると、信仰は人を強くすることを確信できる。

その彼女が昼下がりのコージーでお洒落なカフェで、私に聞くのです。「キリストの磔の意味は何だったと思う?」

どうしよう、と思ったよね(笑)。そして、終着点曖昧なまま、ゆるーく、話し始めた私・・・。



キリストは皆の罪を背負って十字架にかけられた、ということだよね。神の御子であるキリストを十字架にかけるという判断は、人間の誤りだった。それをも引き受けて命を捧げてくださったということは、人間が過ちを犯す権利・・・というか余地を、認めてくださったということだと思う。過ちは正しく生きるための糧として長年必要とされてきた。それぞれこの世に生を受けた人々が過ちに気付くことを繰り返して少しずつ道徳的に正しく生きられるよう、そのプロセスを確保してくださったんだと思う。魂の成長のために。善も悪もグレーも、選択するという自由を与えてくださった、きっと。

簡潔にすらすらと自分なりの答えが出てきて自分でびっくり。

今までキリストが背負って持っていって下さった原罪の意味がわからなかった。
「生きてるだけで罪作り」と言われても、毎日を善く生きようと願う多くの普通の人、その一人の私にとってピンと来ない。しかも日本のクリスチャンの一部を見ていると「私たちは聖書を知って教養があってココロが綺麗で謙虚にしているから、間違いなど犯しませんのよ」とひっくり返ったようなロジックでお高く留まったどこ吹く風のニュアンスを感じてしまうし(失礼〜、でも内部の心得た人からも聞く話なので)、じゃあ罪ってなんだ?毎日他の動植物の命を頂かねば生命を営めないサガのこと?など、考えても全然わからなかった。

今だって全然わかってないよ。無数に可能性ある学びのうちの、私が引き出した初学者の少しの学びに過ぎない。
けれども私が引き出した学びがこれだったのは、偶然じゃない。選択の自由の尊さは、ずっと、心のどこかにあった。あらゆる人間はあらゆることを決められる。就職先など世俗的なことから、人を殺すも生かすも決められる。自分を殺すか生かすかさえも。

あらゆる自然の成り立ちがあって、それは美しく完璧であるはずなのに、訓練生であるひとりひとりの人間の意志次第で、あらゆる加工・歪曲が施されることが許されている。その赦しを畏れ多くかんじるほど、私たちも全て許すしかなくなる。正しくなるために間違う権利を付されているということは、それほど愛と信頼に満たされた世界に生かされているということ。

こうして学ばせてもらっておきながら、改宗するつもりは毛頭ない。一生を懸けたコミットメントが、どうやら苦手みたい。一定のディシプリン(規律・規範)を持つことも苦手。これも心のどこかでそれがいつかの時点で成長の足枷になることを予感しているから、かもね。誰か、上手に説得して(笑)。

以下おまけ。

世界をちょこちょこ体験して知り始めたのは、多彩な土着文化や肌の色よりも、精神文化としての宗教を理解するほうが世界の本質を理解できるということ。つまり、仏教、キリスト教、イスラム教、で大きく世界は色分けできる。マルくんはメキシコの方ですが、明らかにキリスト教圏の育ちだし、ユダヤ人スナフキンさまもキリスト教圏的な思考フレームワークが基礎になってる。ま、ユダヤ教が先だけどマイノリティなので割愛。パレスチナ人でもキリスト教徒とイスラム教徒で世界観がガラッと違うんよね〜みてるとね。

だから、私の好きなエヴァ・イルーズも、フランス・アメリカ・イギリス・ドイツ・イスラエルなどで活躍して言語も使えてインターナショナルですねと言われているけれど、従妹同士のキリスト教圏をうろうろしているにすぎない。ここでインドとか言われると、おーってなるわけだけど(笑)。本物のグローバル人は宗教文化圏のあいだの架け橋ができる人。間違っても飛行機で移動ばかりしている表面的なグローバル”人材”に惑わされないように。(人材という言葉が好きじゃない笑。私はリソースとして扱われて消費の対象にされたくない。人材と言ってる時点で雇用主の存在を想定してるでしょ?)そういう意味も含めて最近の日本人の新規お友達は素敵なクリスチャンが多いのかも。日本人として育ったフツーの感覚と、ちょこっと世界の主流派の感覚を併せもった人たち。本物への道のりはまだまだ遠いね!

マジョリティではないけれどいまだ支配的なキリスト教圏の感性や教養を日本人として身に付けておくと、便利だし理解がとても深まるよ。その人が宗教的でなくても、例えば育った町の設計には宗教的思考のフレームワークが反映されていると考えることができるし、そうした全ての環境に通底するフレームワークを皆、無意識のうちに内在化しているわけだから。それに聖書の預言書機能もこのご時世でも大真面目に受け取られていることだしね〜ふふ。

強い弱いじゃなくて、自然なんだ。

February 14 [Tue], 2017, 8:00


地中海沿いの街々よりも肌寒い丘の上のエルサレム。ようやくアーモンドの花が咲き始めました
それぞれの枝から無数に盛り上がる芽もいよいよふくらみを増して、生命力のほとばしりを今にも迎えそう。

この日は素敵だった。遅起きしてバルコニーで飲み物片手に「さて、今日はどこ行きましょうか」と暖かい日差しを浴びながらお話して。ちょっとした観光地でロマンティックな、ここエイン・カレムへやってきて、アーモンドのお花見散策。美しい背景でふたりでセルフィー撮って。小さなカップに入れてもらったジェラートをふたりでつつきながら、カプチーノを頂く。帰路ご実家で遅めランチを頂いて、夕暮れどきに芸大横のいつものカフェでのんびり。

帰宅して、あ、今日は本当にデートだった、と気付いて嬉しくなった。先方のご都合だろうけれど、今日スナフキンさまは一日私と一緒に居てくれた。そう思うと嬉しくって嬉しくって。

アーモンドの新芽を見つけたスナフキンさまは

「ほら、これ、先週より大きくなってるだろう。もうすぐ一斉に咲くんだよ。」

「ほんとね。むくむく出てきて力強いね。」

「強いとか弱いとかじゃなくて、それより上位の働きだよ。自然なんだ。自然の神秘のような・・・」

彼が自然について特別な思いを抱いているのは間違いない。それでもここで、naturalという言葉を使って、強い弱いじゃなくてそれ以上の、然るべき状態なんだと感じとる感性に、はっとした。

そこには一点の力みもない。善悪、強弱といった二分法もない。ただそこにある。重層的な生命の流れが、上位意志によって完璧に美しく奏でられ、私たちはただその壮大な采配に溜息が漏れるだけ。そうしたあらゆるディテールにまで目の行き届いた、完全に守られたゆりかごの中で、わけもわからず無邪気に遊ぶ御子でしかない。愛は美しい。

彼のnaturalの真の意味をようやく理解した私は今、うなだれるしかない。
この言葉を、もうずっと昔からスナフキンさまは、私との関係に使い続けている。
今ならもっと深い意味で、スナフキンさまのオリーブグリーンの目をまっすぐ見つめ返すことができる。

これほど、離れようとしても離れられなくて、忘れようとしても忘れられない。会話がなくても、ただ隣にいてくれるだけで静かに満たされて、あ、これはこのまま永遠に続きつづけるんだと、胸に温もりを伴った確信が存在していたこととに気付く。

知ってる。私はアタマを使ってスナフキンさまと一緒にならないようにしてる。だから揺れる。

「一緒になるような運命なんだよ」と言われても、何言ってんだかと視線斜めで交わせる。けれど、春にこの美しいアーモンドの木が新芽を膨らませるように、僕たちが一緒になるのはnaturalな、ありのままのあるべき姿なんだよと言われたら、言葉に詰まる。

きっとそうだと、カラダのまんなかが嬉々として震えているのを感じる。
それでもマルくんと一緒にいる〜!と、別の子どもの声が聞こえる。きっと、まだまだチャレンジしたいから。

諸々調整中・・・♪

February 10 [Fri], 2017, 8:00
New Phase!と題打って記事上げてからというもの。
思った以上にNew Phaseがドカーンと流れ込んできて、業を煮やして身体も煮やしてしまった。本日久々OFF日で風邪を治しに1日睡眠・・・。

2月に入った途端、急に起きた変化。
なぜか、早起きしたくなった。
なぜか、チョコレートが欲しくなくなった。
なぜか、スナフキンさまと距離を取りたくなった。

朝も絡まる腕を振りほどき、説得してするりと早起き!
いつもに増してハイパーに働きまくっている私に、スナフキンさま。

「のんびりの、トロいくらいの君の方が、いいな〜」だって。

家で仕事しすぎて離婚したデキる女な友人を思い出した(笑)。
自分でも本当によくわからない。あと1か月しかこの滞在がないと気付いて焦りだしたのかな。スナフキンと離れる辛さとマルくんに会える嬉しさと。どちらかというと、あの天国でまた浮かべる幸せのほうが勝ってるかな。

それでも、なんというのか・・・。スナフキンさまの愛が、時に剥き出しになって、お願いだから一緒にいようよと、言葉にならない気持ちが伝わってくる。風のような彼は決して重いムードにしないし、本気で言ってんのかどうかすら怪しまれるくらい、軽いんだけど(笑)。

ある日諸々耐えられなくなって、夕暮れのカフェで伝えた。「私、あなたとは本当におしまいにする。あなたといると悲しい」

「なんで?」さらっとすぐに返答を頂いたけれど、反射的にスナフキンさまの目が潤んで泣き顔になってるのを見た。顔を背ける彼。その様子を直視できない私。

そもそも、彼に婚外子ができた時点でもう、あっけらかんと、は、本当に、終わっちゃった・・・。全然予想していなかった展開で。と吹っ切れた状態で、イスラエルにやってきた私。子どもにも母親にも会わせてくれない。それは、「君がただの友達じゃないから。母親に嘘をつきたくないから」とか、わかったようなわからんような説明をされても。母親が大切なんでしょ?

「だって、彼女は妻でないにしてもパートナーでしょ、パートナー!公式のね。そして彼女はあなたの素敵な家族の一部になった。あなたの子を産んだから!」

私がずっと憧れてきた、素敵なスナフキン一家の一部になった!彼女がスナフキン一家とツーツーじゃなかったら、これほど私はイライラしない。でも家族文化なイスラエルで彼女が含まれないのも、結婚していないとはいえありえなくて。一方の私は永遠のただの、若い子だ。たまにやってきては消える。ユダヤ人でもない。スナフキンといつも一緒に居るけれど、本音は見えないよくわからない子。

「私を第二夫人にでもする気?今私と結婚して子供ができたらどうするの?毎日2時間あっちの奥さんのところに通うんでしょ?私そんな旦那さんイラナイ。子どもにどうやって説明するの?物理的な時間の問題じゃないの。コミットメントの問題!」

「子どものママと仲良くなって、一緒に世話するかもなんて、そんなわけないでしょう!私そんな能天気じゃないし、リベラルでもないからね!」

既婚の身でもうクレイジーの域を通り越してなんで怒ってるのかさっぱりわからない。いや、わかってる。スナフキンさまが、どれだけ私のことを好きで好きでしょうがなくて、いろいろ、本当にいろいろしてくれているのは感じているんだけど、ファクト・オン・ザ・グラウンドを持つ女には敵わない。この先20年手のかかる子どもが10分先にいる。自分のことをmiserableに感じる時間があるのがイヤだし、この先何年とこの時間を持たなければならないと考えるだけで狂いそう。

私はもっと自分のことを大切にしたい。どれだけ愛して、愛を感じる相手だろうと、毎日身をつまされるような思いをしなくてはならないなら、ずっと一緒にいる相手じゃない。スナフキンさまはただの怠慢だと批判するけれど、日々ピースフルに安定・安心を感じられることは、愛そのものより大切。というか、安心は愛の一部なはずで、今の私では、今の状況は愛の欠けにしか見えないから、やっていけない。そもそも私はスナフキンさまが楽しみにしている赤ちゃんとの時間を、幸せに思えない。どれだけ狭量な人間だと言われようが、他の女のところで、私と断絶して幸せなひとときを好きな人が過ごしているなんて、色々諦めた女以外受け付けないと思うけれど。好きな人が幸せに思うことを幸せに思えない、不幸に思うなんて、公式のパートナーになるには失格ね。

「あなた、去年私がいた当初から彼女から赤ちゃんができたと聞かされていたのに、言ってくれなかったね。春に家族旅行に誘ってくれた時も、もう産まれていたのに、一言も言ってくれなかった。」

そういうと、彼は「いえなかったんだよ。春に来てくれていたら言ってたよ」って。この人も、弱いんだなぁと思った。ずるいんだけど、なんだかかわいそうになって。好きなんだな、ほんとに私のこと。

今年はせっかくスナフキンさまのお誕生日に一緒に居られるわ〜一緒にお祝い〜!と思いきや、そう簡単にはいかなさそう。スナフキンさまの誕生日、パパさまと、妹の旦那とも同じそうだ(笑)。この一家、まだまだ驚かせてくれる・・・。つまり、家族のお誕生日会になるわけで、どうするんだろうね、スナフキンさま。子どもとママを連れていくのか、私を連れていくのか。週末は二日だからなんとなるけれど、一日だから、どちらか選ばないとね。

なんかもうトゥー・マッチすぎるから、「もうご家族に会いに行きません」とも言ったんだけどね。どうしようかな、この週末。とりあえず早く風邪治そ。
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