自分のフェミニティーと向き合う。

June 29 [Wed], 2016, 8:18
梅雨のしとしと降る雨のなか部屋で過ごしていると、湿り気がじんわりハートに染みてきて、雨粒のようにポツポツと気付きをもたらしてくれるような気がする。

2週間つづけて週末がなく、全て終えた今、ようやく脱力しはじめて、ふと、まぁいっかと認めることができはじめたことがある。フェミニン度が高いという、ずっと変わらない私の事実について。

無線付けて、Tシャツ・Gパン・スニーカーで走り回って3日間を過ごしたあとで後輩&教授陣含む運営チームに言われたのが、「あいさん声かわいいから、すぐわかるし名乗らなくてよかったよ笑」だった衝撃・・・。

あたまキレキレの落ち着いた優秀な学部生の女の子たちが、要領よくお仕事をこなしてくれるなかで、そんなかんじのポジションの私は気が付いた。いつか、訓練さえすれば、判断は速くなり、簡潔で的確な指示が出せ、そつなくなんでもこなせるようになると信じてきたけれど、それは違う。やっぱり根本的に頭のつくりや大切にしていることが、そういうタイプとは違うから、そうした今まで憧れてきた一般的なよくできる系の仕事っぷりや、リーダーシップには向いてないなぁと体感できてね・・・もういいやーってなった笑。別物の人間になろうとしてきた自分に今頃気が付いて笑ってしまった。

性別やメンタルの性別(クイア含む)とは別で、私のようにフェミニティーを多く含む人には国家主席のようなリーダーシップを取ることは難しい。でもね、それはフェミニティがマスキュリニティに劣るということでは、決してないということも気付いた。

男女のペアから子が生まれて、育てていくという生物的なデフォルトがあるように、男性性だけでも女性性だけでも新しい命はうまく育ってくれない。アメとムチ、頼り頼られること、どちらも同じように大切なのだということと同じで、私生活だけでなく社会生活でも、フェミニティは弱さじゃないんだよね。

そこで、フェミニティにはどのような強さがあるのかしら?と調べてみると、そこに思索を及ぼした男性のウェブサイトの記事女性性・男性性が分かると、"人生の運び方"も分かるがとてもよかった。

関連記事を拝読したら、男性が書いていらっしゃるので、男性が男性性をどのように発揮するのかも学べて、マルくんという旦那さんの気持ちも、もっと理解が進んだ。今まで、マルくんは女性性の強い男性だから思いやりあふれるのだと思っていたけれど、むしろ男性性が相当進んだ男性だからこそ思いやり溢れるのだとわかった。それに、マルくんと私は最強のタッグだなとも・・・お互い、男性性と女性性が強烈なコンビだからバランス取れてるんだなぁって。

さらには、先日の怒る人たちと、その傷跡〜社会と個人的経験のあいだ〜で「人間にしか興味がない」と言っているのも、フェミニティが強い思考経路だとわかった。サイキック入っているマルくんは「それはあいちゃんがプリンセスだからだよ国が、防衛が、と考えるのは王様の役割。国民のことを考えるのがプリンセスの役割だからね。」と言っていた。ここに凝縮されたエッセンスが、リンク先に簡単に書いてあるよ〜

そして、フェミニティの強さ、これからMYテーマになりそうです

大人カップルの貫禄。

June 24 [Fri], 2016, 8:32
偶然知り合ったご近所さんのドイツ人ご夫婦に、ディナーへご招待いただき、マルくんと出掛けてきました。
初めてバーで出会った時、穏やかで仲良しなカップルだな〜まだ新婚かな?なんて想像までしてたんだけど、聞いてみたらもう18年一緒にいると仰ってびっくり。しかも、「○年と○ヵ月と○日!初めてキスした日からね!」って嬉しそうに旦那さん仰るのよ。素敵でしょう。いつも、数えたり意識していないと、そんな言い方しないものね。

ご近所さんとはいえ、駅近のうちからしばらく住宅地の奥へ進んだ一軒家。外見は何の変哲もない、日本家屋なのだけれど、リビングに通してもらってびっくり。部屋の東側から南側にかけて大きく窓が開き、庭には奥さまが手入れするハーブ園がある。「これはミント、ローズマリー、パセリ、コリアンダー。これは・・・」と、お料理で他に必要なハーブはないくらい一通り揃っている。すべすべの木の温もりあるフローリングと、同じ質感の木材でできた建てつけのシェルフ。小さな椅子が二脚あると思えば、子供用のデスクが南側を望む窓際に設えられていた。

「知人のドイツ人家族がドイツに帰ってしまったあとを使っていて。彼らには子供がいたのよ。」

そこからどこへも続かない。彼らは子供は持たないととっくの昔に決めてきてここまでやってきたんだな、と明らかだった。
気持ちの良い家だね〜と話している最中、ガラスの間仕切りの向こうで、旦那さまはパスタの湯で加減を確認している。
フライパンにたっぷり待っている重みのあるボロネーゼのソースはとても繊細なつくりだ。おいしそう!
ダイニングテーブルに、部屋の雰囲気にぴったりなオレンジ寄りの光のペンダントライトがならび、真ん中には肉厚にスライスされたカプレーゼ。もちろん庭で採れたバジルを載せて。

いっただっきまーす^^
「私たちは田舎の出身だから、京都でもこれくらい田舎というか、緑の多いところが落ち着くの。私たちにとって京都は都会よ笑。山に登るのも好き。よく自転車に乗るの。この前は滋賀県まで行ってきたよ。」

おふたりは、べったり感は全くなく、それぞれ個として存在していて、同時に誰にも割って入れない絆がある。
好きなものを共有する。いつも気持ちよくいる。お互いを尊重している。
何が好きでどんな時間が心の安らぎをもたらすのかわかっている。
けれども停滞する様子は一切ない。人生でチャレンジしてみたいんだ、と肩ひじ張ることなく、自然体で思って、例えば日本にやってきた。毎日活動的で、夜にはきちんと手作りおうちごはんを愉しむ。

お二人の前では、私とマルは子どもだった。
後からふたりで家に帰って出た感想だった。

驚くくらいに、男女の別や役割分担を越えて、対等のパートナー。人生を楽しむパートナー。
私たちの”好きなもの”は彼らとは、もちろん違うのだけれど・・・
この素敵な一夜、印象に残りました

How are you?の温もり♪

June 22 [Wed], 2016, 21:28
Hiだけでメッセージ送ってくる男性がきらい。

Hiだけメッセージの意味するところは、1、暇人。2、話題を提供する思いやり・社交性がない。3、暗にこちらに話題提供するようプレッシャーを掛けている。4、クレクレ言っておきながら自分は話したいとwantを示してくる。5、話題だけでなく、もちろん話すための時間も要求している。6、つまり自己中!7、そして知性がないことを暴露している・・・!!!

ここまでけちょんけちょんに言う女もなかなかいないかもしれませんが(笑)
返信が欲しかったら、こちらの気を惹きたかったら、もうちょっとオツムつかおうね?てかんじー。

こんなこというのは、誰かからHiメッセをもらったからではございません。
How are you?もHiに続いて定番切り出し文句だけど、使う人が使うとね〜、これが愛の言葉になるの!

いったい、どれだけの人が、あなたがどんな一日を過ごしたか、気にするだろう?

少なくとも私は毎日のアレコレを一から十まで話す家族で育っていないので――もちろん親は「無事に」とは無言で思ってくれていたのだろうけれど――「今日はあいちゃんどんな一日を過ごしたんだろう?」って興味を持ってくれたのは、旦那さんマルくんが初めてだったかもしれない。

私も友達のことを幅広く、「ああ○○ちゃん、どうしてるかな〜今日も楽しくしてるかな〜♪元気だといいなー!」とは、ちょこまか思っているけれど、決して毎日ではないね。そんなことしてると、毎日が破裂するでしょ?だから、私が毎日思うのはマルくんだけかな。それでも、私の都合で考えてるだけかもしれない、「晩御飯まだ?」とか(笑)

連絡を沢山くれる人、沢山話しかけてくる人が、気に掛けてくれている人というわけでもない。
ただ、その人はその人色に染めたいだけ、自己顕示欲の強い満たされない人なのかもしれない。

心から、どうだったかな?って気に掛けてくれる人。素敵な日を過ごしてほしいなって願ってくれる人。
そういう気持ちをもった人から出る「どうしてる?」「どうだった?」は、とても温かい。

これに気が付いたのは、エルサレム滞在中のスナフキンの言葉が最初だった。
絶妙の、ぽかっと空気穴があいたような瞬間に、ふとHow are you?ってくる。
思わず素直に「あなたがそうやって、私がどうしてるのか、気に掛けてくれるだけで、嬉しい」とこぼれた。

そんなひとときを思い出したのは、私がイマイチな気持ちでいた、ある夜のこと。
マルくんセラピー(?)を受けていると
「ほとんどの人は、人のことなんて何も気にしていないよ!僕は、あいちゃんどうしてるかな〜って興味あるけれどね。」
と言ってくれてね。そうなの。あんなに忙しいアタマしてるのに、スペースを作って、思ってくれてるんだよね・・・。

毎日どうだった?って帰宅してすぐ聞いてくれる有難さを再発見して、心が温かくなった。
気に掛ける、って、愛だね〜。

と、どれだけイマイチな気持ちで帰宅しても、マルくんに会えばたちまち安らいだ優しい気持ちになれる。
この絶大な安心感、うさぎのように繊細な(と自分でいうと変ね・・・)私が、なによりも欲するもの。
エンジェルのような寝顔を見ながら腕に包まれてピースフルに眠れることに、幸せを感じながら ♪ ♪ ♪
おやすみなさい!

怒る人たちと、その傷跡〜社会と個人的経験のあいだ〜

June 21 [Tue], 2016, 8:31
あまり政治のことってテーマにしませんが、研究では扱っているし、がち左派な組織の現場でインターンしたり、そういう研究者に囲まれることもしばしばなのですが・・・。

本人いたってフリーダム。特定の思想はございません、などいうナイーブさもないけれど、単に視点が違うから、そういうカテゴリーに身を置く意義を見出せない。なんでもよくない?と思ってしまう。

私は社会にそれほど興味が持てない。社会なんて突き詰めれば実態ないし、そんなまやかしに変化をもたらしたいと声を張り上げるなら、まず自分の身辺整理したら?と思ってしまう。

そう、私の興味の対象は常に人間であり続けてきたし、これからもそうだと思う。
人間個人が、そして人間同士の関係から社会が生まれるのであって、その逆ではない。
これは真理じゃなくて私の意見であり信念。
そして、人間の良心を信じているからこそ、プラス思考だしね。

これは意見だといったように、私のように考えない人も世の中にはけっこういる。
そちらのタイプの人は、社会という実態を信じていて、それが人々に影響していると考えている。
社会が悪いから、なんちゃらら。社会が変わらなければ、なんちゃらら。
つまり、人間は弱い生き物で環境によって規定されるって信じているんだよね。だから観察してて、マイナス思考な人多い。

確かにそうなの。朱に交われば赤くなる、というように、環境に影響されないのはむずかしいね。
でも、抜け出せなくはない。なされるがままマイナスのほうへ流されていくのか、はたまた、えいやと自分を律して外に出るのか、それは自分の強さにかかっている。

自分の強さも、天賦のものと、後天的な環境により構成される。その要因は不可分だから「完全に自己責任」を追及するのも非道なんだよね。「置かれた場所で咲きなさい」への批判で、そういうのを牧師さんから聞きました。(念のため私は八百万のシントイスト。)弱音吐くな、と切り捨てるのも酷だし、生むものは少ないしね。

このように人の「社会」と個人の関係には大きく分けて二通りの態度があると思うのですが、
どちらを心地よく思うか、には、その人の育ち方が相当大きく影響しているなぁと・・・先日お話を聞いて確信。

その20代の女性はね、子供のころから暴力を振るいたい衝動に駆られることが多くて、そんな自分が認められないし、嫌いだったんだって。どうやったらそんな子生まれるんだ?とびっくりしたけれど、親が厳しくて躾で、虐待というほどではないけれど、叩かれてたんだって。女の子だけど長身だしがたいも良くて、腕っぷしが立った。だから、いつも暴力に走りそうになる自分を必死に抑えて、つらい思いをしながら学生時代を過ごしていたそう。

そんな折に大学に入って、偶然ビン・ラディンの生い立ちの本を読んでいたら(ってこれもまた笑)「彼の母親がマイノリティの出身で、差別されていた、その子の自分も」という事実を知った。そこで暴力に走る理由としての、過去から背負ってきた傷跡の存在に気付いたそう。それから心穏やかになって、暴力的な衝動が出なくなったんだって。興味深いお話でしょ〜。

彼女はインターンさせてもらったがち左派の関係のお友達なんだけど、どこか気が合うところがあってね。
彼女がそうした活動をするのは、コレが正しいと理性が振り切れてる人ではなくて、弱い人に寄り添える心を本当に持っているからだと思う。

なんとなく伝わってきたかな?「社会が」と考える人は、小さい頃「親が」強烈に干渉してきたり、自分ではどうにもできない経験から、傷を抱えて生きてきた。その傷は本人も気付かぬうちにネガティブな、不自由な、無力なマインドセットとなって、大人になって”なんでもしていい”ということに気付いたとき、「親」の代わりに「社会」に反抗したがる。

彼女のように自分の中の傷に気付く人は少数派だと思う。彼女はそれでも自分を愛したいからこそ、内なる暴力性に向き合ってきた類まれな勇気ある人。多くの人は理性振り切れた人になって暴走し、内面をかえりみない。

その彼女と話していると、「親に殴られたことなんてない」「親戚が仲悪くてお正月がどうこうなんてない」ことが信じられないらしく、感覚の根深さに、胸が縮みそうだった。ごく平凡に育つってとても貴重なことなんだなって有難みを知った。

いろんなセッティング、キャストに囲まれて、気付いていてもいなくても、主役として生きている皆が、ごたまぜになっているこの社会。血のつながり、地域のつながり、学校のつながり・・・、小さなコミュニティほど抜け出せなくて、そこで起こっていることや決まりごとが唯一絶対みたいに錯覚して、傷ついたり、逃げたり、反抗したりする。
でもね、いつどこにも、一定数は現れる。何かを信じて、「これは違う!」と気付いて、周囲に「そんなのおかしい」とどれほど言われても、信念のままに突き進んで、小さなコミュニティの呪縛から抜け出す人が。本当に大切なことが、本能的にわかる、頭のいい人。

気付く時点は、人それぞれでいいの。さっきから悪例にしている理性に振り切れた人でも、いつか本当の意味で強くなって、自分自身を救わなければならない、という瞬きがアタマに走るかもしれない。正直はた迷惑だけど笑、傷によって、現在の環境によって、学びのプロセスはそれぞれにベストに与えられているし、見守るしかないものね。

私は自分の部屋に侵入した下着泥棒を素手で捕まえて「この人も辛いことを経験してきたんだな」なんて情けをかけるような余裕はないけれど笑(でも法的手続きは妥協なくしたんだって!)普通じゃない行動の背景には、他人どころか本人も気付かない傷跡がジリジリと毒を持って骨まで染み込んでいたりするのは、想像に難くない。

でもでも、自分を解放できるのは、親でも先生でも神さまでもなく、自分しかいないから・・・。
そして、いつからでも、新しい一日は始まるから。毎日自分を、お手当てしましょ。

おなかのなかのギガちゃん

June 13 [Mon], 2016, 8:42


ギガちゃん。

真っ白くて、まんまるフワフワのビジュアルに、あの不敵な笑み。
自分の可愛いことをわかって、ナイーブなふりしてやりたい放題するさま。
高笑いが似合いすぎるキャラ設定。

ギガちゃんのCMが沢山流れていた数週間前、ギガちゃんを見るたび、そわそわ。
私のおなかに、ギガちゃんがいる?「わ、おなかがしゃべってる!」
私のおかなの中のギガちゃんが、疼いた・・・!

ギガちゃんがあれほど人気になったのは、「ほんとはいいたいこと」を堂々といって「へっ」として「それでもちゃっかりと周囲から愛され続けていた」からだとおもう(笑)

本音というと裏表を想像するけれど、それだけでなくて、人間が動物的感覚に根差した「ほんとうに大切なこと」は、おなかが話す。
ある著名な哲学者は、「頭で考えるのは学者などキチガイだけのすることだ」と言っていたけれど、ほんとそう!って首をぶんぶん頷きたい。

理性で情緒を押し殺しててハンナ・アレントを捨て親ナチ&保身に走ったハイデガーしかり(今読んでるの)、理性のトレーニングばかりに人生を割いた結果情緒が未発達ゆえに結婚できない大学関係の男性陣しかり(残酷ね♪)国際情勢の過酷なリアリズムの現状を理解せず日本の平和ボケの中で「正しい」と思って日本の武装解除を求める人しかり。

「正しい」「こうあるべき」は社会の統制をするのに便利なだけで、ひとりひとりに幸福をもたらすわけじゃない。
統制、といったように利する人は誰かと考えれば、権力者と、資本主義の中で予測可能なパターンに乗る一般人が増えることでメリットを享受する人、くらいのもの。

そして「正しい」「こうあるべき」なんて数十年単位で変わっていくブームでしかないのに、それがあたかも絶対的な拘束原理かのように錯覚して振り回されて、しんどい思いをしている人の多いこと。

もちろん、本当に正しいことは存在する。それは、愛と良心から来るもの。
ただ正しいというより、「真」実、と哲学でいわれてきたもの。
不安や恐れが混じったものは、まやかし。
愛が目的であっても、手段にも愛がなければ、それもまやかし。(よくあるプロパガンダの作り方。)

そうした区別ができるクリアな目をもって、愛や幸せやキラキラな世界で生きることを生活の中心に置く心掛けをすると、世間のまやかしに惑わされなくなる。自分軸が太く育っていく。

聖人じゃないから、やっぱり気が立っているなぁと感じるときがあるよね、意味もなく。
そんなとき自分を冷静に観察してみると、頭(理性)がうるさく騒いでいるのに気が付く。
そんなとき、エゴの反射をよく受ける理性にひっぱられずに、自分にベストなことを選ぶには、おなかのギガちゃんに聞くこと。

ギガちゃんは自分が可愛いので、理性が自己破壊的な行動に走りそうになっても「やだもーん!」と反論してくれる。
ギガちゃんは率直に話すので、気が付かない疲れにも「今日はおしまーい!」って気持ちよく終わりを教えてくれる。足りない栄養には「ギガちゃん、○○ほしいー!☆」って必要な食べ物を教えてくれる、気がする♪

妄想が過ぎました?あいぼんさんあほでしょう(笑)
でも、おなかの中にギガちゃんを飼うこと、ほんとオススメ!
自分の本当に欲するものって、考えても(理性だから)わからないでしょう?私はワカラン。
だから、ギガちゃんみたいに丸くて白いのを、胃あたりの位置にイメージして、手を当てて聞いてみて。
きっとキャンキャンと話し出すよ。きっと、私だけじゃない。試してみて

"The Art of Loving"という簡潔な回答♪

June 12 [Sun], 2016, 8:24
こんにちは!今日は梅雨の晴れ間、こんな日がいちばんクラクラしちゃうよね〜。
それでも洗濯物が乾くしあわせ!ぼおっとしながらも、久しぶりに書いてみます。

なんだか最近集中力がなくてね。なんでかは、なんとなくわかってるんだけどね・・・。
朝から晩そして夢の中でも愛されていて、これぞ至福なはずが、体内に澱が重なっていく感覚がある。

それは、うまく愛せないから。うまく、愛しているように、実感できないから。
あまりにマルくんからの愛を受け取りすぎて、私からの愛は取るに足りない気持ちになる。
ま、いいんだけどね!受け取ることも愛だからね!
でもスナフキン(いつも心の中に♪)に対しては、もっと自然と、能動的に、愛している気がするんだよね〜。

と、ここまでで、イマイチぴんとこないわという方もいらっしゃるかもしれない。
なぜかというと、「愛する」を状態動詞ではなく、動作動詞として使うことを意識しているから!
それが、エーリッヒ・フロムの"The Art of Loving(愛するということ)"(1956年)の主旨です。
愛は気持ちではなく、行動だ、ということ。

まだ若くお付き合いを自由に楽しんでいた頃からなんとなくわかっていた気がするけれど、結婚してから一段上がって解釈できるようになった。仲良く結婚生活を送っているペアなら自然と行動で愛することを心得ている。
けれど、付き合っているときには、見えにくい。朝目覚めて夜休むまでのうち”トキメキの数時間”だけを繰り返し共有しても、見えるものは「金払いの良さ」とか「気遣い」とか「ふたりの間のケミストリー」くらいのもので・・・愛の、さらに奥深いステップを経験するまでに至らないことも多いなと、今ならわかる。

この作品のレビューを書く気もなく、ただただ私の20代前半、マルくんに出会うまでの軌跡として書き綴ってきたこのブログの私の学びが、ああ、こんなに簡潔で高尚なかたちで60年前に出版され、世界で愛されてきたのだと知って嬉しいと言いたい。

愛は行動。
本当に愛するには、人間的成熟が必要。
恋愛の段階説。(恋愛関係の発展におけるピラミッド構造
サディズム/マゾヒズム的人間関係の考察。
両親との関係の恋愛趣向への影響。(書いたかな?たまに友人には話すんだけど〜)

私が書ききれていなくて、素晴らしく役立つ視点は

資本主義社会における個人のコモディティ化。(愛するってbeyond judgementに突入すること!
他者愛のために自己愛が必要。


など、実践知の宝庫

悪い癖で、行動で愛するってどういうこと?には全然答えてないね(笑)すみません。
言葉でいうと凡庸になっちゃうんだけど、実例付きで書いてあるよ。
小さなサプライズを仕掛ける、とかね^^

それと、フロムさんが言ってくれてスッキリしたのは、本当の愛に到達するためには、人格的成長が必須条件だということ。個として自立していないうちは、恋愛と本人たちは信じながら、依存関係になってしまうから。もっと突き詰めていえば、本当にモテたいなら成熟した人格を目指そう、ということ。恋愛関係も人間関係なので、似た者同士、同じくらいの成熟度のひととご縁ができるようになってるしね。

一生かかっても満足して達成できるかわからない課題は、「配慮・責任・理解・尊敬」をもって愛する!ということかな。
似た者カップルなので「理解」の場面にあまり遭遇しないし、「配慮」すべきなんだろうけれど、甘やかされているしねぇ。。愛の道、奥深い。

拙い紹介でしたが、短くて読みやすい本なので、「愛って何だろう?」と少しでも興味が湧いたら、ぜひ手に取ってみてくださいね!
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