多文化共生(ヨーロッパと非ヨーロッパ)

July 15 [Mon], 2013, 14:14
書き始めると止まらないらしい。

いまだ話すことに苦手意識のある私にとって、書くことはアウトプットの心地よい主要な方法らしく、書いておいたことは、話す機会が来れば、受け手の耳に障らない程度には話せるなぁ、と、再発見。やはりこの場はマイペースながら保っていきたいな、と決意を改めました。にゃにゃん。

本日は、大学院に入学してから、この3・4か月。うちの研究科って、立ち位置が一般と対称をとるので、わおー!新しい発見!と、学問的に刺激的な日々を毎日送らせてもらっているのですが、ふと、あれ?それって、”そっちがわ”に偏り過ぎてない?という再発見の段階に入ったのです〜。というお話。

まず、うちの研究科の視点というのは、比喩・実際のフィールドを踏まえると、冷戦構造からは蚊帳の外であった第三世界側だし、資本主義の勝ち組ではなく負け組の側に立つ、なんと申しあげましょう、うむうむ、アクチュアルな世界平和を希求するような人々で構成されています。先生方を筆頭に、明るくピュアで、優しい人が多い。

民族・人種問題、人口移動、保健衛生、教育、開発、多文化共生といった、国境の意義が融解して人の生活を見つめるというテーマをかろうじて共有している多種多様なメンバーです。そういうわけか、一番近しい学科は神学部です。(うちの社会学部は、知る限り、あまり世界に拡がるテーマには積極的じゃないんよね。もうひとつ受け皿となりうる、教育学部もないし。)

だから、理論の基本が西欧にある(そして日本にすら当てはまらない・不利な)国際関係論とか、国際法とか、経済学の特定分野を信じ切っている人たちや、「私はIMFに入って世界の貧しい国を助ける!」なんて言ってるエセ・インテリ層を、強く言えば「無知で恥知らず・罪作りな人」と糾弾するアクティビスト予備集団、と言えるかもしれません。

実際に、貧困や分配の格差って、そういう典型的インテリ・エリートたちが、自分の地位・お金、もしくは無知なためにする政策決定=現世界システムの維持によって引き起こされていることであって、グローバル化の下では現地の要因(汚職、就学率etc)って、限りなく縮減されるな、と、この分野歴3か月!の修士1年あいぼんさんは学んだのだー!

ただし、多文化共生については別で、文化というふわんふわんとした対象で、どれだけ平等に見ようと心掛けても、好みが入ってしまうので。。。例えば、E・サイードのオリエンタリズムが「低く見られてる!」と注意を喚起する、イスラーム文化のほうが好きで、正しい理解を持っていると、逆転して西欧がいかに悪魔的か、と語り過ぎる嫌いがあるな、と感じはじめました。

確かにイスラーム文化って、相当な学問的リタラシーがないと、正しく理解できないという特殊性はある。
文化を「特殊」とみると、怒られますが、言い訳すると、イスラーム文化以外のメジャーな文化で、「あ、そんなもの食べるんだ?!」以上の文化的差異を感じさせる文化って、日本人にとってありますか?現地2・3年住んでみても分からないような。。。そんなに極端な文化的経験もないので。。すみませんが、思いつきません。

騒がしいし、道端でいきなりお祈りしだすし、人に平気でたかるわ、悔い改めることもない。
異教徒女性には、名前を覚える前から抱き付いてもちゅーしてもいいという思考回路!(もしくは、公式に認められないことでも、逸脱としてあり得る範囲の行為として存在すること!)

これは、聖典クルアーンやその実践例ハディースを参照して、ムスリムがどう受け止めて生活しているのかについて、勉強するor説明を受けることなしには、理解を超える範囲かつ、一緒にいると外部に影響を及ぼす行動に位置づけられます。

私も、イスラーム、好きですよ
ピュアだし、上記のエセ・インテリとは正反対で謙虚だし、国民国家の概念を彼らに押し付けたのは本当に残念で、400年も多民族・多宗教を抱えながら存続できたオスマン帝国のように、イスラーム帝国が実現すれば、まさに多文化共生が実現するフィールドとなるでしょう。夢みたいなアイデアだと思う。

ただ、西欧側の感性=つまり文化も、尊重してほしい。
先程のわるぐち(?)は、他の文化圏の人間からは自然と出てくる反応であって、それはイスラームについて正しい理解を持っていても、”かんじること”。説明されても、いやなもんはいや。その感性を、西欧人の個々が偏狭な心の持ち主だ!と切り捨てても、何も生まないし、なんで西欧人はそう感じるのか?を考えるほうが、まだ建設的じゃないでしょうか。

まず考えられるのは、信教の自由の範囲。日本国憲法の場合、というわけで多くの西欧もそうだと仮定しますが、信教の自由は、内的自由と外的=表現の自由に分けて、心の中で何を信じようが逮捕されないが、信仰に基づいてする行動については、公共の福祉という”ほかのみんなへの影響”を考えて、制限されます。(地下鉄サリン事件とか思い浮かべてもらえれば。)

フランスやオランダのような宗教を公的空間から一切排除する方針の国では日本より厳しく、フランスの公立学校でのスカーフ着用の禁止などへつながっていきます。スカーフの件では、「女性の抑圧の象徴」などど理由を並べ、反対論者は「それは女性が自らの羞恥心やアイデンティティに基づいて着用している」と応戦していますが、そういう問題じゃなくて。ただ、「嫌」という気持ちなんですよ。多数派の意見と見せかけて、カネにものを言わせて政治を操る少数の保守的なスーパーリッチたちが、自分たちの視界に文化的異物が入るのが。そうして法案が可決されていく。(これが大衆レベルのイスラーム嫌悪の引き金となったという悲劇。)
オランダの場合、予測ですが、宗教戦争など歴史的に共生にずっと取り組んできた国なので、公的空間に宗教的シグナルを持ち込まないマナーがあるんじゃないかしら。日本人が土足で家へ上がらないのと同様に、公的空間では宗教に関連する身体表現を自制するのが、マナー。つまり、マナー違反の嫌悪感。
(スカーフについては、宗教的表象ですらないという意見も出ますが、いやいや、文化と宗教を明確に分けて考えるなんてナンセンスだし、その根拠は、髪・耳・うなじ・デコルテを覆うクルアーンの指示まで辿るしかなく、本人がその意識があるかないかは、アウトサイダーにはdoesn't matterですよね。どれだけ他人に文化的(理解の)負担を求めるんですか。)

憲法解釈は現状を踏まえて適合的になされていくものなので、移民の増加に伴い多文化共生を図る目的で、ブルカ使用くらい、いいでしょう〜と移民に優しい態度をとるのか、受け入れ国の国民の不満がぶーぶーであれば、古典的原則を再確認して、うちの国、うちの領土内にいる限りは、公的空間で宗教を他人に連想させるグッズはだめよ、というのか。後者に傾いてるのが現状。

今こうして書いていて思ったのが、宗教だけじゃなく、それはゲイ・レズビアン・バイセクシャル・ホモセクシャルの問題も同じスキームで説明が可能ですね。多く〜一部の人が持つ嫌悪感―生理的で文化的なもの―が、理解の促進とともに公の権利を得る。
ただし、性的マイノリティが文化的経験をマジョリティと共有してるのと対照的に、より大きな集団である移民は、マジョリティの文化を脅かす可能性がある。。。つまり、現地民と性的マイノリティの距離感は、現地民と移民の距離感より、実際にはずっと近い!と言えると思う。問題化の時期にズレがあるのはもちろんですが、あと30年したところで、ヨーロッパの移民問題が就職するとは到底思えない。その点、ずっと難しい。


あら。信仰の自由だけでこんなに書いてしまった!

箇条書き程度で並べたかった、西欧側のイスラーム嫌悪の理由を個人の偏狭さに求めるのではなく、それも文化だと捉えてみようという主張の裏打ちは、そのほかに

○社会の最小単位、家族の構成に文化の根本を見る家族学の理論

もっとあった気もするが、アイデアがどこかへ浮遊していったようです。。。

そして、西欧を文化として見るって、建築が・歴史が、どうちゃらーでなく、主流だからこそ、当然に受け止められてしまう、メンタリティをひとつの文化として、相対的に理解するには

○資本主義への信仰

○宗教の二流化思想

を、そこに溶け込もうとする異分子はもちろん、欧米内部でもより意識的になればベストです。
特に、欧米が意識すれば、革命もの。これもまた夢かしら―。
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