静岡タリウム事件に思う

November 03 [Thu], 2005, 20:49
静岡・韮山の女子高生、母親毒殺未遂事件。今回もまた、偏差値競争の
勝者というべき人の犯行(本人は否認中らしい)という点で、特徴的だ。
少年法による加罰性の阻却うんぬんはともかく、彼女が事実として
「一服盛った」としたら、その動機・心中には注目したい。
彼女は化学を筆頭に、大変学業が優秀だったという。
ネット上ではきっこ氏ら、興味深い検討がなされているが、ボクはこう思う。
「酢酸タリウムによる人体への影響観察」プラス「未必の故意」と。
近年、難関中学入試を突破する子らの「おたく化」が進んでいるという。
受験指導をしている知人らに聞くと、その入試問題の難度に対応するには、
(妙な意味ではなく)おたく的な、執着心・探求心を要するというのだ。
松本や地下鉄にて猛毒サリンをぶちまけたカルト教団に、多くの偏差値
エリートが居たことは世人の知るところであるが、中心的役割を担ったのは
「理系の」エリートが少なくない。なぜか?それこそが、周囲や結果を
イメージすることよりも、学問的成果や研究結果を見たいという、強烈な
執着心・探求心のなせる業なのではないか。
ボクは決して、特定の人々を揶揄したり批判しているのではない。
「豊かな想像力を前提とした創造性」無くば、科学は人類を不幸にする!
そう言いたいのだ。
話を戻す。勉強熱心だった韮山の彼女も多分、学習の成果や結果を
検証したいという強い執着心・探求心の結果、道徳的制御を逸脱した、と。
また、上述の(歪んではいるが)熱意・欲望のあまり「親」とか「人間」と
いった倫理観はマヒし、「結果的に生命活動を停止させても仕方ないや…」
つまり、未必の故意があったと考えられるのだ。
ボクは学者でも判事・検事でもないし、教師でも宗教家でもない。
だから、善・悪や正・邪を断じたりできない。
ただ、「他人の心や体の痛みに対する想像力」の大切さを訴えたい。
勉強さえ出来ればよい、自分だけ幸せになれればよい、そんな風潮は、
ただでさえ殺伐とした社会を、さらに暗く冷たいものにしてしまう。
優秀な頭脳は、社会に役立ててこそ生きる。
そのことを、彼女は十六年間の人生で教えられてきたのだろうか?
帰路、美しい電飾に彩られた表参道を流れる風は、さらに寒さを増した。
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