今日の辞世の句

November 08 [Thu], 2012, 12:08
あはれとも問ふひとならでとふべきか嵯峨野ふみわけておくの古寺熊谷直之の辞世の句。
熊谷直之は、戦国時代から安土桃山時代の武将。
別名直澄。
官途は従五位下、大膳亮。
通称は伝左衛門。
若狭国守護であった武田氏の家臣で、若狭国井崎城大倉見城城主。
元亀元年1570年朝倉攻めに参陣するなど、後には織田信長に臣従した。
本能寺の変の後豊臣秀吉に仕え、その後は関白豊臣秀次に配された。
秀次事件に連座し、京都嵯峨の二尊院で自害した。
しみじみとした思いを尋ねる人ではなくて訪れるべきか嵯峨野の奥の古寺に熊谷直之は有名な武将ではありませんが、秀次事件に連座して自害した不運の人でした。
秀次は文禄2年1593年に秀吉に実子秀頼が生まれると、秀吉から次第に疎まれ文禄4年1595年7月8日、秀吉の命令で高野山に追放され出家しましたが、謀反の疑いをかけられ同年7月15日に切腹を命じられ青巌寺柳の間にて自害しました。
秀次事件は秀吉の実子である秀頼の後継を確実なものとし、秀次の子孫を根絶やしにして直系継承を守るたになされたとされていますが、一度出家した者に切腹を要求する事自体が当時としても考えられないことでした。
また切腹を受け入れたにもかかわらず首を晒し一族郎党を処刑したことも、悪逆無道という誹りを免れないものでした。
熊谷直之の最期の地となった嵯峨野は、京都府京都市右京区の太秦宇多野の西内職 在宅にあり、貴族文人などによる山荘寺院が多くある土地です。
辞世の歌には誰も来る人のない嵯峨野の奥で、一人自害する無念の想いが滲んでいるように思います。
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