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ミズリー号で進駐交渉通訳 竹宮帝次さん死去 / 2010年05月04日(火)

 産経新聞が一人の旧日本海軍の通訳官の訃報を伝えている。なぜ本欄に取りあげ たかというと、戦後、米海軍横須賀基地に勤務し、池子米軍家族住宅建設にも関わられた方だったからである。以下、産経新聞WEB版を転載てる。また昭和史の生き証人の一人が逝ってしまった



5月3日7時56分配信 産経新聞

 終戦時、日本海軍少尉として戦艦ミズーリ号での降伏文書調印準備に通訳として立ち会い、戦後は米海軍で半世紀にわたって日米の橋渡しを務めた元米海軍横須賀基地民事部長、竹宮帝次(たけみや・ていじ)氏が4月30日、脳梗塞(こうそく)による合併症のため死去した。86歳。(中略)

 竹宮氏は1923(大正12)年、日系2世として米ロサンゼルスに生まれた。16歳で帰国し学徒動員で旧日本海軍の予備学生に。終戦直後の昭和20年8月末、駆逐艦「初桜」で、米側の要求を聞くため伊豆大島沖の戦艦ミズーリ号へ乗りつけ、米兵に囲まれながらの進駐交渉を通訳した。

 交渉では、9月2日の調印式を前に「全砲口を初桜へ向けた米艦数十隻を見事に東京湾内へ誘導した」(米関係者)。通訳を超える行動力と英語力が買われ、戦後は米軍に引き抜かれ、日本人唯一の港湾統制部最高責任者などを歴任。平成9年に退職するまでの52年間に、28人の在日米海軍司令官を支えた。

 昭和39年、当時のライシャワー大使が米原潜の日本初寄港を発表した会見を通訳し、米空母の初配備で地元調整に尽力。池子住宅問題では、米幹部に日本の環境調査受け入れを説く一方、地元首長に、米軍の巨大な抑止力が地域の安定につながると説明し続けた。基地前でデモ隊と語ることも。米側は氏を「大事な宝」(リンチ司令官)と呼び、海上自衛官、歴代外務次官も信頼を寄せた。2年前から都内で療養していた。

 2日夕の通夜では、米軍の弔問客が日米戦後史の生き証人の死を悼んだ。(牛田久美)
















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お気にとめていただきありがとうございます。貴ブログ、また立ち寄らせてください。横須賀通信部に暮らしていたころ、逗子、葉山、三浦も担当しておりました。温暖で穏やかだった気候をなつかしく思い出しています。
Posted by:牛田久美 at 2010年05月06日(木) 11:44

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