1958年二輪車・バイク広告集(99)

January 02 [Wed], 2019, 9:22

1958年二輪車・バイク広告集(99)


カタリナレースを聞く

1958年月刊「オートバイ」7月号(モーターマガジン社)

1954年、ホンダ宗一郎のマン島TTレース挑戦宣言があってか、ワンマンといわれ、負けることを認めない、ヤマハ川上源一。ホンダより早く国際レースに挑んだ。それが1958-5月のアメリカ・カリフォルニア・カタリナレースだ。浅間レース以来のライバル、宗一郎と源一のヒストリーこぼれ話。ヤマハは3台のエントリー、2人の米国ライダーと、天才ライダー 伊藤史朗 の活躍は……。







去る5月3〜4日、アメリカカタリナレースで初出場のヤマハツイン250cc 車(選手伊藤史朗氏)が見事6位に入賞、国産オートバイのため大いに気をはいたが、本レースを参観して帰国したヤマハ発動機川上社長にそのレースの模様を聞いてみた。


ヤマハ川上源一社長(左)


自信はあった

本誌:カタリナレース入賞おめでとうございます。帰国早々お疲れのところ誠に恐縮ですが、カタリナレースについてお話し願いたいと思います。最初にレースの参加の動機と言いますか、いきさつについてお伺いしたいのですが……。

川上:昨年の秋、第2回の浅間レースに優勝した当時にある人から“外国のレースに出てみないか”といわれたことがあるんです。レースに参加する、しないは別として全然問題にされないのでは意味がないと思い、たまたま楽器関係のアメリカ駐在員に、オートバイの市場調査をさしたんです。そしたら車の価格が非常に安いということがわかった。


喜びの伊藤史朗選手(手に持っているのは向かって右からカタリナ・グランプリ、中央と左はロサンゼルス近郊のレースで獲得したもの )


 それならば、どうすればいいか、といろいろ検討したんですが、ロスアンゼルスが非常にオートバイの盛んなところで、マニアが非常に多く、またレースが盛んであるという知らせがあり、ここでレースに参加して成績をあげたらどうかという報告を11月に受け取ったんです。しかしあてもなく出したんではしょうがないし、適当な世話役も必要なんで、どうしたものかと決めかねていたらMarty(マーティ)というオートバイ店が万事引き受けるからという知らせがあった。それで1月に浅間レーサーを見本の車として1台送ったんです。

 そしたら非常によく走るというので、1月から走る練習をしたんです。それがカタリナレースに参加する経緯です。
本誌:参加すると決まった以上、相当やれるという自信はあったわけですね。

川上:見本車のテストで、だいたい上手にやれば相当やれるという目安はありました。出走するからにしては始めから負けるのでは、愚のこっちょうで、一応の目安をたてることは大事ですからね。





勉強になった富士登山レース

本誌:レーサーは浅間で使用したのとは大分変えたんですか。

川上:若干改造しただけです。フレームは浅間のレーサーと全く同じものを使用しました。外観からいいますと、コースが非常に悪いものですからマフラーを上にあげたり、ハンドルの形状も若干変えました。本当は純国産部品で行きたかったのですが、タイヤだけは向こうのを使いました。性能については、コースがコースですから最高スピードより加速を重点に置き、ギヤレシオも浅間レースのとはかなり変わっている。それでもまだ早すぎたようです。大体において富士登山レースに出走した車の構造にしていけば更に良かったと思う。

本誌:コースは大分悪いそうですね……。

川上:一周6マイルのコースなんですが、舗装されているのはスタート付近、スタートがゴールになるんですが、その辺りだけで、あとは無舗装の凸凹の道です。道の悪さはちょうど乗鞍岳の砂利道といった感じで、石ころだらけのひどいものです。直線コースはほとんどなく、片側が谷になった山坂のカーブばかりで、山の中のトライアルレースといったところです。その点富士登山レースは良い経験でしたね







本誌:レースは一周5マイルのコースを10周(約96Km)する タイムレースなんですね。

川上:250cc 以下のクラスは10周です。しかしレースの当日までは試乗も何も許されないから、実際に走ってみなきやコースの状態は全くわからないんです。ですから初めて参加する人には大きなハンディキャップになります。とにかく1回まわってくると人も車もホコリで真白になる。








本誌:参加者はどのくらいありましたか
川上:25台です。うちは3台出走しました。


よく走った伊藤選手

本誌:伊藤選手はどうでした。
川上:技量においては決して遜色がありません。身体も標準だし、決して負けてはいませんでした。しかし向こうの選手は口ヒゲ、アゴひげを生やし、両腕には刺青をした海賊のような連中が大部分で、伊藤君も走る前までは精神的に圧倒されていたらしい。





本誌:ヤマハに乗った外人の選手は……。

川上:一流の選手はやはりいい車を持っているし、日本の車については全く知りませんから、乗ってはくれなかったんです。それで二流、三流の人達だったもので、スピードがあって使えないというようでした。車の性能はもちろんよいに越したことはありませんが、ライダーの技量が大きくものをいいますからね……。結局転倒して棄権しました。

本誌:伊藤選手がコースを間違えて走ったとか……。

川上:とにかく1回も走ったことがないコースですから間違えるのも無理ありません。スタートは素晴らしくよく、これならと思ったんですが……。結局スタートはやり直しになりました。

本誌:スタートは全車一緒ですね。

川上:そうです。250cc クラスは250cc クラスを5〜6台ずつ並べておいて全車一斉スタートし、何分か時間をきって175cc クラス、125cc クラスがスタートする、といったやり方です。ですから1周以降各クラス混合で走っているやり方です。ヤマハのゼッケンは33番でした。

本誌:レース経過は……。

川上:1周目をコースを知るためにややセーブして走ったためでしょう8位で通過し、2周目には5位、3周目も5位で通過したんです。これなら相当行けると思ったんですが途中でプラグにブリッジ(電極に異物が付着して失火する)にあい、4周目には13位とガタ落ちしてしまった。大分慌てていたらしく左右の結線(プラグ?)間違えたとかで大分時間がかかったようでビリで走ったらしい。その後はほぼ順調に5周目には10位、6周目8位、7周目8位、9周目6位、と順次ばん回して6位でゴールしたんです。
 完走車は11台でした。とにかく物凄いホコリで、前に車がいると前方はほとんど見えないといってもよいくらいで、だいぶ苦労はしたらしいが、まだまだ余力は持っていた。

本誌:初出場としては立派なものです。ところで日本の車に対する関心はどうでした。

川上:初めは全然無関心といっても良いくらいでしたがレースになると、ヤマハ独特の排気音でグングンと抜いていく。とくに プラグブリッジ後の追い込みは大したもので同クラスの250cc の他には175 cc クラスや125cc も走っているのですから、ヤマハの追い越した車は相当な数になります。おそらく100台近くの数になるでしょう。それで今までタカをくくっていた観衆がびっくりしましてね、他のピットや応援団の前を走る時でも「YAMAHA」「YAMAHA」と応援してくれたり握手をしてくれたり、大した人気でしたね。



大体カタリナ島は個人の所有だとかでカタリナ・レースはちょうど海開きみたいなものなんです。それで観衆も船や飛行機で続々来てますね、大変な人気なんですよ。レースはともかく走ればよいというもので、レース中に転倒してもその辺りの人が全部で助けたり、全然フリーでうるさくないんです。その代わり選手同志は蹴飛ばしても前へ出ようとする。伊藤君も後からブッツかってきたのでギアを落として石をぶつけてやったとかいっていましたが、非常に開放的な気分があるんです。ですから非常に陽気で、強いものに圧倒的な人気があるんです。とにかく大変な人気でした。

レースの終了後に町の食堂へ行ったんですが、人がよってきて食事ができないんですよ。たくさん寄ってきましたね。それで日本のことなんかまるで知らない人が多いもので「これは全部日本で作ったのか」などという質問にはずい分会いました。また「33番はどうしている」とか「値段はいくらか」「いくらで売ってくれる」とかずい分きかれました。我々の方には業者の人と人がたくさん来るし、これなら値段を決めてくれば良かったと思いました。オートバイ関係の雑誌や新聞には、胸に日の丸をつけた伊藤君の写真や、転倒して日の丸がぐっと大写しになったような写真が掲載されたのも人気をあおる因となってました。



希望の持てる輸出

本誌:それは大変でしたね、しかしそれでこそレース参加の意義があったわけですね。近い将来、輸出も可能になると思いますが、市場性はどうでしょうか。

川上:とにかく日本の車というものを知って貰うだけで満足だと思うんです。知らない商品はよほどの実績を持たねば容易く輸出などできません。そういった意味ではかなり成功しましたから、やがては一流の欧州車と伍して輸出できるようになるでしょう。一部の商品にあるようなダンピングまでして輸出したのでは面目がないし、要するに商品価値をもっとよく知らせるには、カタリナのようなレースで実績をあげるのがかなり効果的でしょう。ヤマハも最初はDKW の手本でスタートしたものですから、オリジナル にならなければプライドが許さない。しかしやっとオリジナルになったので、本腰を入れればかなりいけると思う。


本誌:向こうではどんな車が多かったですか

川上:地元の車はハーレーだけで、やはり欧州車 BS Aかトライアンフ、マイコ、DKW などイギリスやドイツの一流車が多いようです。スクーターではランプレッタとベスパがよく見受けられました。レースは来年度もできれば参加したいと思います。

本誌:どうもお疲れのところありがとうございました。






カタリナレースに入賞した
伊藤史朗選手の談話

「おかげさまで入賞できて、こんな嬉しいことはありません。とにかくカタリナ・レースは、ものすごい難コースだと出発前から聞いていましたが、これほどひどいとは思い思いませんでした。
日本でやった富士登山レースは、浅間レースと比べてずっと難コースでしたが、カタリナは、この数十倍もの苦労でした。スタート付近は海岸でアスファルト舗装で、とても良いですがこれは全コース(1周6マイル)の20%くらいのもので、あと60%は山道の上下で、これが山腹の幅1 メートル半くらいしかない岩石でゴロゴロしたひどい道です。











 またこの片側は50メートルから100 メートルく崖で、他の選手が、だいぶこの崖から落ちたようです。幸い木が繁っていますから、それに引っかかって、死人は出なかったようです。カタリナ・レースは練習なしのぶっつけ本番ですからたまりません。今まで外国の腕自慢が毎年ずいぶん来ていますが、入賞者はなく、初参加では私が初めて入賞だそうです。

 私は、今度で、コースの様子も飲み込めたので、来年も参加できれば、今年以上の好成績を収められると自信を持っています。スタートして一周目は慣れないので、とにかく走りにくかったですが、2周、3周めになって、ようやく本調子になりました。それが、上位に入ってきたところでプラグが故障になり、この修理で一番ビリになった時は本当に辛かったです。それでも、ビュンビュン飛ばし、1人ぬき2人ぬき、ずいぶんたくさんぬきました。おかげで6位に入ったんですが、追い込んで抜く時の気持ちは何とも言えずいいものでした。

 これも車の高性能を絶対に信頼して走った結果と思います。はじめは観衆も選手も日本のオートバイをなめていたようですが、ヤマハの力走ぶりに驚いたようです。1000ドルで売ってくれ、という人も出てきました。レースのありさまがシカゴやニューヨークの新聞にも報道され、また、全アメリカのクラブから参加した選手たちの話が伝わって、アメリカのフアンにも、日本の車の良さが、知られました。



1958年月刊「オートバイ」7月号(モーターマガジン社)の表紙を飾る快挙




 帰りに、サンフランシスコの飛行場で、1人のアメリカ人から「レースで入賞したミスターイトウですね、ニューヨークの新聞で見て知っていますよ」と握手を求められました。とにかくこのレースは6マイルのコースを10周ですから、体力が要ります。むこうの選手はみな入墨、ひげずらの大男で命知らず、度胸はいいですね。しかし、コーナーのテクニックは日本人の方が上手のような気がしました。なお、カタリナレースが終わってからロサンゼルス・スピードウェイレースに出場し、ヤマハに乗って5周走り、全部1着を獲得できたことも、うれしいことでした。




■本棚から「モーターサイクリスト」1958年7月号を発見。「カタリナ・レース」追記します。


想像以上の難コース

伊藤選手カタリナを語る月刊「モーターサイクリスト」1958年7月号(株)モーターサイクル出版社





男度胸の一発レース


     出席者氏名(順不同)

     伊藤 史朗 ヤマハ発動機株式KK勤務
     斉藤保之助 ヤマハ発動機東京販所主任
     野村 順亮 野村モータース社長
     古谷  勇 日立製作所電装品課主任
     酒井 文人 本誌


酒井  今日はアメリカ・カタリナレースの激戦の模様を気楽にしゃべってもらいたいんです。僕も司会者としてではなしに、伊藤君に向こうの話を何かと聞かせてもらいたいんだ。それにしてもまず伊藤君おめでとう……。

伊藤 いやー、そういわれるとどうも……優勝すればよかったんですが……。

酒井 初めての外国遠征で、あそこまで行けば成功といえると思うんだ。川上社長(ヤマハ発動機)が帰国した時、羽田空港でインタビューしていろいろ聞いたが、初出場でそれも予想外の難コースで、おまけにこの車がコースに合っていない。その上一度も練習せずに走った。それであの成績ならば、第三者から見て、よくやったといえると思う。







野村 そうだな、そういう悪条件で6位、これはホームランとまではいかなくとも、ピンチヒッターで2塁打か3塁打の価値はあるね。

古谷 そうですね。僕としても、必勝を祈っていたんです。モーターサイクルレースの海外遠征で、うちのプラグが使われたのは初めてであるだけに、よけい案じていたんですが、良くがんばってくれて嬉しく思っています。

野村 ところで伊藤くん、一度もそのコースを練習せずに走ったというんだが、そうすると全然コースを知らずに走ったわけなんですね。

伊藤  ええ、そうなんです。日本にい居るときカタリナレース場の写真を見たんですが、 あまり大した難コースとは思えない。浅間よりは少々荒い位に思ったんですよ。“よーし、このコースなら行ける、ひとつ向こうのヤッコさんたちに、日本のヤマハの真価を見せてやるぞ!”なんてすごく意気込んで羽田を発ったわけですが、カタリナに着いた途端に“ああ、こりゃもうダメだ!”と思った(笑) 

斉藤 それというのも、雑誌などに掲載されているレース場の写真は、山の中へはカメラマンも行かないため、そうした難コースの部分が省略されていたんだな。

伊藤 そうなんです。カタリナに着いて、まずどんなコースかを知りたいし、走ってもみたい。ところが本コースではたとえどれだけでも走ることは禁じているというんですよ。練習は絶対にさせない規則なんですね。完全なオフ・リミットで、これには参りましたね。しょうがないから、とりあえずジープでコースを廻ってみたんですが、驚いた。とにかくひどいコースなんだ。スタートから1 km 位は舗装してあるだけで、それからは先はお話にならない。何せブルトーザーで岩石を削り取って、その岩石がゴロゴロしている。それがまた登り下りが激しく、ヘアピンコーナーなど、とても浅間や富士なんか問題じゃない。同行した整備の川村さんをひよいと見ると、これまた、“もういかん”というような顔をしている。でもいくらそう思っても仕方がない。折角はるばる日本から来たんだ。どうせ一発勝負だ。走れるけ走ってやる。こうなったら度胸でやるより仕方ない。そうホゾを決めたんですよ。あんなにセッパづまった気持ちになったのは初めてですね。






ものすごい砂ぼこり
    
酒井 コースは一周6哩、それを10周まわるわけだね。  

伊藤 ええ、全部で60哩。スタートは5台ずつ2分の間隔をおいてやる方法です。250cc クラスは36台出場しましたが、200、175、125のクラスも一緒に走るから、大体200代近くが、があったと走ったでしょう。250クラスの完走車が僅か僕を入れて11台です。

野村 作戦はやはりあったんだろう。

伊藤 うちの社長が、とにかくコースが分からないんだから、トップには出るな。4、5番で走るようにしろ。そうすれば埃も割合かぶらずに済むから……。そういう作戦だったんです。3周目までは4位で走りました。ところが、3周目の山のテッペンでプラグがいかれた。






古谷 どちらが?

伊藤 左なんです。

野村 プラグは何番を使ったのかね。浅間では確か日立の415だったろう。

伊藤 浅間では415だったけど、自分としては410、420、 430の3つを持って行った。そして本番では420で走ったんですが、ヤマハに乗った外人の2人は430を使っていた。彼らは420ではカブラしてしまいましたね。結局途中で転倒でついに落ごしましたが……。

酒井 伊藤君の方がうまくレーサーをこなしたということになるね。

伊藤 あのコースはやたらカーブが多い。だからどうしてもグリップを締める回数が多いし、僕としては420番位が一番良いと思ったんです。

酒井 レーサーはほとんど浅間のと同じだったというが、どういう点がカタリナにマッチしていなかったといえるかね。

伊藤 車が軽すぎた。あんなゴロゴロした難コースに、108 kg ではちょっと軽すぎると思いますね。事実一緒に走ったマイコ、プフ、ツンダップ、それから NSU 、ヴェロゼット なども、ヤマハより重かったんじゃないんですか。またクッションは浅間と同じでは硬すぎる。あのクッションじゃカタリナでは飛ばされちゃいますね。エンジンはあれで大丈夫と思う僕は思うんですが、とにかくコースにあった車さえ持っていけば、絶対負けはしませんね。確信があります。プラグがいかれたのはエアクリーナーが小さすぎたのが、根本原因だと思います。あんな埃のものすごいコースでは、小さなクリーナーでは埃が詰まって駄目ですね。ガスも気化かせず、生のままシリンダーにのみ込まれる状態で、プラグがカブルのもやむを得なかったんですね。

斉藤 今度のレース写真を見て、初めて僕らも知ったんだがひどい埃りなんですね。それに丁度日本の今頃の温度だからコースも乾ききっている。27度前後らしいからね。

野村 プラグがあやしくなったてっぺんから、ピットまではどれくらいあるの、距離は。


神風ヤマハ

伊藤 500メートル位ですね。下り坂になっているんですが、そこに整備の川村さんがいてくれて、交換したんです。ところが交換してもダメなんです。どんなにやってみてもかからない。ピットには外人たちがいっぱいいて、ロツジ プラグを使えと盛んにすすめてくる。しかし僕はガンとして国産品で押し通すつもりでこれを断ったんですが、しかし焦ってしまって、アタマに来てしまった。そして川村さんと2人共“もうだめだ”てんでアタマを抱えて座り込んでしまった。すると突然川村さんが“おい、プラグキャップが逆になっている!”原因はこれだ!よく見るとなるほどキャップが逆だったんです。あんな間違いをするなんて、よっぽどアガッテたんですね。
キャップを直して、2人で押しかけたら、すぐかかった。あの時は本当にうれしかった。何ていうか、心から“しめた!ありがたい!”と思いました。“川村さん、ありがとー!”と後ろ後ろ向きに怒鳴りながら走ったのをまだ覚えていますよ。
それからはもう夢中です。走りましたー。とにかく今まで出場したレースで、走りながらあんなに血が湧いたことはなかった。






野村 何分位ミスしたの、そのビットで。

伊藤 約7、8分でしょう。多分。

斉藤 すると、 あのコースは一周約15、6分位かかるんだから、半周ほど遅れたことになるわけだね。幸か不幸か、途中でミスして、それから追い込んだ。その追い方が凄かったから、何ていうか、ニュースバリューがいっぺんにあがったらしいんだね。“オオ、カミカゼヤマハ”とか、大へんだったらしいんです。

伊藤 日本の神風タクシーのことが向こうで新聞に書き立てられているから、神風ヤマハということになったらしいよ。

古谷 プラグを交換してから調子が良かったわけですね。

伊藤 ええ、すごくよかった。とにかくヤマハはいい車ですよ、まったく。

斉藤 おいおい、へんなところで、ヤマハの宣伝するなよ(笑)

野村 伊藤君も最後の追い込みで男を上げて、大分もてたという話を聞いたが……(笑)

伊藤 なんだか、キッスもされたようだったんですよ。(笑)礼儀上のお祝いのキッスですから、そうたいしたことじゃない。(笑)それにアメリカ人はやたらに握手したがるんですね。初出場で完走、それも入賞というのはヤマハが初めてとかで、ほんとに驚いたらしいですね。“よくやった”といって盛んに握手を求めてくる。こちらはもう何なんでもかんでも“サンキュウ”いってんばりで握手してきましたよ。(笑)それからアメリカ人は、レースにしても何にして、何というか、実に楽しんでいるんですね。だからそう深く勝負にこだわらない。レースが終わってしまうと、よかった、よかったといって、お互いによろこび合う。あの点は感心させられた。



盛んなクラブ活動

酒井 カタリナを終えてから、クラブマンのレースなんかにも出場して来たようだが、どういう状況なのかね、向こうのクラブ活動は?。  

伊藤 やはり日本より格段と活発ですね。週に2回位ドラッグレースやスクランブルをやっていますよ。向こうの連中は殆んどが道楽のために車を持っているんですね。ライトを外してある車が実に多かった。スポーツだけに使っているんだから、クラブ活動も盛んになるわけでしょう。

野村 ロスアンゼルスで優勝したそうじゃないか。

伊藤 ええ、あの時は夜走ったんです。8時頃。サーチライトの照明で走るんです。舗装していない赤土のコースで、一周1000 メートル位だったが、それを5周回る。ライトクラスが50台位出ましたが、見物人はずい分来ていました。
昼間は働いて、好きなものが、夜ヒマになってから集まって走るわけですね。とにかく、向こうのライダーは楽しむことを知っています。その点、日本はまだそういう傾向が遅れています。そういう意味で、今度の浅間のクラブマンレースは非常にいいことだと思いますね。

古谷 そうだね。これは日本のモーターサイクルクラブにとって、ひとつのエポックメイキングになると僕は思うんだ。

野村 ユーザーの祭典としていいことだね。僕も大いに賛成している。

酒井 多数出てもらいたいですね。本誌も出来る限りの努力をしていますし、今後とも一生懸命にやります。

伊藤 それにしても、僕はアメリカに行って驚いたですよ、モーターサイクリスト誌が向こうに行っていたのに驚いた。

酒井 いや、うちの本が向こうに行っているのを君が知らなかったから驚いたんだ。何か言っていましたか?うちの本について。

伊藤 この本は写真がいいと言っていましたよ。

古谷 いや、それは、向こうの人間は 記事がよく読めないのだからだよ。記事を読めば記事もほめる(笑)

野村 とにかく、伊藤君も外国遠征に行ってきて、何かと得るものがあったと思うが、伊藤君だけでなしに、むろんヤマハの会社、ひいては日本のモーターサイクル界全体にとって、大きなプラスになったと思う。

古谷 もちろんその通りですよ。何といっても海外レースに参加することですね。

斉藤 ええ、海外輸出にしても、その前にまず、日本の車の真価を外国に知らすと同時に、また、うち自体も勉強しなきゃいけな。それにはレースが最も良い手段だと考えて出場したわけで、結果は成功だったと思います。

酒井 カタリナへのヤマハ出場は、日本のモーターサイクルが、国際舞台へ進出するその突破口をつくったといえるわけで、今後もヤマハだけでなしに、日本の各メーカーがどんどん海外へ進出するよう願いたいですね。では、今日はこの辺で、伊藤君ご苦労様でした。






カタリナレースのヤマハ
国際レースで初入賞の金字塔

1958年モーターファン8月号(三栄書房)






9.6 km の難コース

棚橋:モーターファンのロードテストのメンバーの一人として、いろいろな車のテストを殆んど毎月行なっておりますが、ヤマハ 号 はその性能といい、仕上げぶりといい非常に優れていまして、私の印象に残るものでしたが、今度、はるばるアメリカ迄遠征されて、カタリナ島の国際レースに出場され、見事入賞されたということであります。

日本が外国に出かけて行って、各国の駿鋭と競争したというケースは少ないのではありません、過去何回かはありますが、入賞したというのはおそらく今度のヤマハ号 が最初であろうと思います。
これは国産車としては輝かしい記録を作ったもので、非常に愉快であり、喜ばしい限りであります。カタリナ島のレースは大変ロードコンディションが悪い所だということですが、私は全然予備知識がないんです。一体何時頃から始められたものでしょうか?まずをそれからお伺いして……

小野:これは1951年に第1回が行われて、それ以来、毎年開催され、今年は第8回目でした。出走車のクラスは125cc、 250cc 、500cc、 650 cc 以上という分け方です。非常な難コースだと聞いていたのですが、とてもひどいものでして、アヴロンという町を中心にして、廻るわけですが、町の中自身が坂がありカーブありという状態で町を出ると、富士登山レース以上の悪さで……全コース一周6哩ですが、その2/3が山道です。それからコース自身、毎年多少変わるんです。向こうではブルトーザーで簡単に道路を作るというやり方ですから、コースは昨年とは多少変わっていて、その新道の石ころのままのところを走るんですから、ホコリのひどいことは予想以上でした。
まあ、コースを知っていれば、もっと良い成績で入賞できたと思うんですが、結局プラグの故障で損をしました。





“これなら可能性がある”

棚橋 250cc は約100 km 走るわけでしたね 。
小野 1周9.6 km を10周ですから、大体そうです。
棚橋 それで、ヤマハがこのレースに参加されたというのはどういう関係からですか?
川上 昨年、うちの社員が楽器の方の商用でアメリカから南米を回ったのですが、その時オートバイの方ことも調べさせました。アメリカでオートバイの盛んなところはカリフォルニアのロサンゼルスを中心にした一帯なんですが、オートバイを売り込むには、大きいレースに出て、車の性能を証明してやるのが一番好ましいということがわかったわけです。
そこで心がけていましたら、ロス市のヌーライというオートバイ屋さんから「カタリナレースというのが大きいから出たらどうか?」といって奨められました。しかし、出ても全然見込みがなくては仕方がありませんので、取りあえず浅間レースに使った車を送って「乗ってみてくれ」といってやったんです。
すると、正月早々、マフラーの取り付けを替えるとか、キックを付けたり、2〜3手をかけたが、 性能は非常に良いしこれなら可能性あるという返事がありました。そこで大急ぎで準備を進めて、3月の20日頃に車を送り出して、密かに期待していたわけです。いずれにしても、ビックフェアレースというものは凄いですね。砂漠のようなところを85台もの車を並べて走るレースですからね。このうちでもカタリナのが一番有名です。





棚橋 写真を見ても非常にひどいコースのように想像できますが、浅間コースを悪くした程度ですか?

伊藤  浅間なんか問題じゃないんです。富士登山レースのあのコースを5倍位悪くしたものです。 道路が狭い上に、上り下りが激しいし、直線コースというものが殆んどありません。一番酷い勾配は15°くらいはあったと思います。

配線を左右間違う

棚橋 レースのスタートの仕方などは……

伊藤 横に6台並んで、前後にクラス別に揃って並んで、一斉にスタートします。その並び順は申し込み順で、早い申し込みの者が先頭になります。

棚橋 コースを毎年変えた、りコースで練習できなかったというお話でしたが……

小野 コースを変えるのはどういう都合か知りませんが、交通止めをしないと走れないです。そのため、レース当日以外全然練習が許されないんです。ですから間違ったりしました。  

棚橋 まとまって一斉スタートというと大変ですね。

伊藤 狭い道ですから後ろの方に並ぶと不利です。初めは後でも同じだと考えていましたが、やっぱり先に出ている方が有利です。来年出るとしたら、うんと早くも申し込んでおきたいです(笑)

棚橋 プラグの故障でヤマハはずいぶん損をしたというんですが……

伊藤 あれは3回目でした。  

川上 それがなかったら、少なくとも3位には入っていたでしょうね 。
棚橋 その時の様子を一つ……大分慌てたとかいうお話でしたね。
伊藤 ピットに入ったら、見物の連中がワーッと集まって来てしまって、話が聞こえないのですよね。「左のプラグだ」といってもわからない。いりもしないものを持ってくるんです。(笑) もう上がってしまっていたんでしょうね。それでもどうにかプラグを変えたんですが、今度はどうしてもスタートしないんです。厭になっちゃって、もうよそうかと思って考えたんです。そうして見たら、プラグのコードを右と左を逆に差し込んであったんです(笑)

棚橋 それは大変なロスでしたね。

伊藤 それまでは5位の所を走っていたんですが、そのため13位に落ちてしまったんです。

小野 あれは大きかった。少なくとも3位は確実と睨んでいたんですから、それから抜いたんですから……






気候の良い加州



棚橋 伊藤さんは一ぺん転んだんですが、それでも優位を譲らなかったのはえらいもんですね。
伊藤 コースがホコリでいっぱいで全然見通しがつかないんです。先の方で旗を振ってるのがわずかに見える程度です。旗で左に曲がるように見えたので左に切ったら、右に曲がっているんです。これはいけないと廻ろうと思ったら、ズルッといったんです。
棚橋 外国の選手の態度など、どう感じましたか?
伊藤 何処も同じで一種のマニアです。とても親切ですね。しかし、走り出すとひどいもんです。
川上 カタリナは遊らん地でしてね。このオートバイレースは島開きのようなもので、日本でいうとお祭りの一つなんです。オートバイ・マニアは独得で、これは日本でもある程度そうですが、向こうの連中は全く怖いようです。(笑)しかし、一面、そういう連中は愉快なんです。あそこは一年中気候がいいので、家の中に閉じ籠って本なんか読まない。特にオートバイレースの連中はそうなんです。ですからロスアンゼルスの選手にはインテリが少ないようですよ。まあ大概は命知らずで……(笑)

棚橋 250cc 級のレースでも2ストロークの車の方が優勢でしたね。
川上 やっぱり、ああいうコースでは2サイクルの方が有利なんでしょうね。ストレートがあるというのですと別でしょうが、舗装も街の中だけ後は砂利道ですから……
棚橋 ギァレシオなどを合わせるのに苦労した手 しょう。
小野 練習がで出来ないのですから、仕方なしに、似通ったコースを選んで練習しながら車を合わせたのですが、それは十分とはいえませんね。


ヤマハは凄いと人気

川上 ああいうコースではスピード一本槍ではだめですから、その辺のところは苦労したところです。
伊藤 しかし、車としては外国の車に伍して少しも、引けを取らないという自信をもちました。
川上 そういう自信を持ったことは非常に良いことですね。
棚橋 そうですね。向こうの人々のヤマハの受け取り方はどうでしたか?
川上 練習中のヤマハを見ていて、ヤマハは凄いという評判が立っていたんです。それで、やたらと見物人が押し寄せてくるんです。伊藤君がプラグの取り替えの時もそういった事情で、サービスマンが慌ててしまったんです。それから、向こうには、毎週土曜日の夜にグランドレースというのがあって、一般の人々が入場料を払って見に来るんです。そこにも出たんですが 、 ヤマハ、ヤマハと大変な人気でした。



伊藤 グランドレースに出て優勝すると選手は有名になるんです。最初はお客が知らないので無視されたんですが、優勝してからは大変な人気が出ました。
川上 あれは一周どれくらいだろうね。
伊藤 800〜1000 m で5周から10周でやります。 最初からあんまり飛ばしてはいけないと思って、ついて走って最後に飛ばしたのですが、それが向こうの人々には気に入ったようでした。「馴れない所で偉い」とほめられました。
川上 結局、グランドレースのトロフィーを2つも貰ってきたんですから、伊藤君はなかなかやります。
伊藤 いや、車がいいからやれるんです。
棚橋 初出走で入賞というので、レース後は相当話題になったでしょう?
小野 大変でした。レース後3人で食事に出て、食卓についていると、次々と我々のところにやって来て、「おめでとうヤマハ凄い」と挨拶に来るんです。次から次と来るので、座って食事するまがない始末でした。もう大変でした。



“レーサー売ってくれ”

本社 伊藤さんの外に、向こうの人にもヤマハに乗ってもらったんですが、その人々の成績は駄目だったんですね。
川上 結局、乗り手が下手だったことと、向こうの人はあきらめがいいので、途中でやめてしまうんですね。大体、外人にはヤマハの性能については全く知らないでしよう。 それから、世話をしてくれたマーティという人はフランス系米国人で、ひどいずぼらなんです。意志の弱い男で、200 m 歩くことと、2度電話を聞くということはいやだ。なんていってる男なんです(笑)その細君というのはドイツ人で、実際はこの人が面倒を見てくれたのですが、そういうわけで、マーティのところには腕の達者な選手がいなかったと思うんです。
伊藤 よく転ぶんですよ(笑)そうするともう戦意をなくしてしまうなんていう弱虫が乗ったんです。転んでステップを曲げてしまって、大分遅れたので「恥ずかしい」といって放棄したりします。エンジンなど、どれも調子が良かったのですから、走れば十分やれたと思うんですが……
棚橋 選手連中も日本のオートバイというものを知らなかったのですね。
伊藤 練習中にも、他の連中がやってくるんです。最初2〜3回は一緒に走っているんですが、そのうち、向こうの車が遅れてしまうんです。それで、連中は、「あれはドイツ製だなアドラーじゃないか」なんて噂しているんです(笑)。連中は日本なんかじゃレースなんか、あまりやっていないと思っているし、日本のオートバイなども全然知らないんです。 それが相当な性能だというので、見直したというのが本当のところじゃないですか。
川上 練習中に、「あのレーサーを売ってくれ」といって来た人がいました。


オートバイはスポーツ

棚橋 アメリカではレースは相当盛んなんですね。
川上 特にロスアンゼルスあたりでは気候がいいので盛んです。それに、アメリカではオートバイはスポーツ用です。日常用としてはスクーターに乗ります。これは相当走っています。
オートバイの方はそうじゃなく、趣味でやっていますね。ですから、アメリカではオートバイは無闇矢鱈と売れまいと思います。
本社 ヤマハのデザインならいけるでしょうね。
川上 まあ、うちのデザインは世界のどこへも持って行ってもアピールする積りです。
棚橋 アメリカには主として欧州車が入っているわけでしょう。自国製ではハーレーだけでしょうから……
川上 ですから、世界中のオートバイが入っています。イギリス車はもちろんのこと、ドイツの NSU なども代理店を持っています。今度のレースでは NSU の代理店はだいぶ力を入れていました。
小野 それから、向こうの選手やオートバイ・マニアはめいめい簡単な 機械を持っていて、自分でいろいろやります。それがまた趣味なんですね。
棚橋 そうなると、病膏盲ですね。(笑)
川上 実に感心です。大概のことは自分でやります。もっとも、そういう改良を注文してやるやらせると、ものすごく高いですから、つい自分でやるという習慣になったのかもしれませんが、それが楽しみでもあるようですね。ひどい人は、オートバイを積むためにステーションワゴンを改造して使っていました。その車にオートバイを積んでコースまで持って行く、修理道具もその車の中にそろっているという用意周到ぶりです。一寸想像できません(笑)
伊藤 オートバイ2台と自動車も持っているという人がいましたが、その1台は自分ので、もう一台は奥さんのだそうです。
小野 それを自分の乗りやすいように、自分で直すんです。それから、アメリカのマニアは命知らずだと思いましたね。或日、丁度日曜日でしたが、トラックレースがあるというので見に行ったら、10台位スタートして、走り出すと全部いっぺんに倒れてしまう。みんなが内側に入り込んでしまうからなんです。そうかと思うと、レースをやっている所に、ヘルメットもかぶらないで入って来て、 一緒に練習をやっているんです。あれには驚きました(笑)



車の性能と選手の腕

棚橋 カタリナレースにはヨーロッパからも来ているんですね。
川上 毎年来るそうです。今年もイタリアとドイツから来ましたが、2周目位で駄目になりました。向うの人は「このレースは外国から来ても全然駄目になる」といっていました。
ひどい悪い道の上に様子がわからないんですから、無理はないでしょうね。「外国のはやたらにスピードを出すようにしてあるが、あれではこのレースでは走れない」と自慢しているんです。その点、うちでは富士登山レースなどの経験があったし、無闇と回転を上げて高速を出しても駄目だと思っていました。それに選手も特別な技量がないとやっぱり駄目です。
伊藤 走る選手よりも、車が一番です。あれは完全な耐久レースで、車が駄目になるという場合の方が多いんです。その点、致命的な故障なく走れたというのは、やはり車の性能でした。
棚橋 車がだらしなかったら、どんな名人でも駄目ですが、また乗り手の上手下手も無視できませんね。下手ですと車をダメにしますから……ではこの辺で 。



  ご参考

伊藤史朗 『ウィキペディア(Wikipedia)』 

浅間の英雄 伊藤史朗






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