夏最後の、激 爆 疾 迷…走!。

September 03 [Sat], 2011, 14:26
25Km地点、もう右足の感覚は薄れ始め動かなくなった。まさにここから、地獄ロードの始まりだった827日、朝9時30分。北海道は新千歳空港に降り立った。そう、4年ぶりの北海道だ。お昼12時10分スタート時、気温は32度。その後、35度まで上昇する。制限時間は、4時間。後半、給水所では既に命の水がなくなり、脱水症状や熱中症でコース上にバタバタと倒れこんだランナー達を避けながらゴールを目指したあれから4年、悔しきリベンジでの北海道マラソンなんです。前日は、軽く3Kmの調整ラン。お昼御飯は、とろろうどんと大盛り御飯にお代わりの御飯をペロリ。お店の方が、あまりの大食で驚かれてましたが、とにかく炭水化物を思いっきり摂取した。この1週間は、炭水化物のみで、間食禁止に加え勿論禁酒。練習面、精神面では徹底的に自分自身を追込み完璧な調整だった。当日、朝6時半起床で軽く散歩。雲一ない真っ青な空に日差しが眩しい。しかし、湿度は低くカラッとしている。スタート2時間半前に会場の中島公園に着き、精神集中させた。かなり緊張しているのか、プレッシャーを序々に感じ始めたのか、落ち着かずトイレに3回行った。自信満々の反面、僅かながらも不安を抱きあったが、それが恐ろしい現実となり我が身を襲う事など、この時点では全く予期していなかった。スタート地点への移動は、40分前に。僕はBブロックからのスタートで前から3列目の、まぁ良い場所をキープ。Aブロックの最前列には、ダニエルジェンガ、モグス、渋井陽子、嶋原清子を始め実業団の招待選手達が勢揃い。この聖地、身震いする程凄い興奮した。スタート直前の気象状況は、気温28、5度で湿度50。時間の経過と共にグングンと気温が上昇し始めた。何やら悪い予感が的中した。12時10分、運命の号砲が、真っ青な空に響き渡った。スタート地点を通過したのが、約40秒後でその後もロロジョグ。まともに走れず、1Km通過が、6分以上かかったヤバい焦りに焦り捲った。目標タイムは、2月の東京マラソンで出した3時間30分45秒を上回る事。最悪でも、サブサーティー。しかし密かに、28分を狙っていた。夏場という条件を考え当初は、K5分でと決めていた予定ペースよりも、うんと速いペースで走った。3Km通過が、15分30秒。まだ30秒オーバー。気温が上昇し、異常に暑くなり始めていた。既に、頭から汗でびしゃびしゃになっていた。全く大阪と変わりないやんかっやはり夏の北海道は暑いんだと改めて思った。5Km通過が、25分22秒。何とか少しづK5分ペースに戻しあったが、余裕はない。5Km毎の給水ポイントでは、きっちり給水し頭からも水を被った。コースは10Km手前までが下りで30Kmまでが、ほぼ平坦ではあるが、約10ヶ所の小刻みなアップダウンが、ボディーブローの如く我が身にこたえた。昇っては下る遥か前方を見渡すと、永遠に続く果てしなき直線ロード。強い日差しが容赦無く頭から全身にかけて降り注ぐ。灼熱のアスファルトが脚を襲う。前を見るのが精神的に非常に辛かったので、ひたすら下を見ながら走った。20Kmでは、初めてK4分50秒少しで通過出来た。ハーフの通過が、1時間45分23秒。後半粘ってラスト勝負をかければ何とかサブサーティーは出来る脳裏で計算しながら走ったが、その計算が狂い始めるのに、そう時間はかからなかった。25Km地点それは突然だった。右足指の付け根が痛み出した。軽い違和感が痛みを伴い、序々にその痛みが激痛に変わった。痛みに耐え、右足の爪先を僅かながら地面から浮かし、踵で着地し蹴りだす走りとなった。極端に左足に負担がかかりペースも下がり始めた。K5分5分半5分40秒坂を転がる石の如く、ペースダウンの加速は速かった。えっな、何で我が身に起こったアクシデントが、素直に受け入れられず無我夢中で走り続けた。残り17Km頼む、痛みよ治まれっ後少し、走らせてくれっー必死に神頼みした。悲痛な願いを無視したかの様に、更にアクシデントが続いた激痛を堪えていた右足の太股の後ろにピクッと鋭い痛みを感じた瞬間、それが痙攣に変わった。し、しまったぁーだ、だ、脱水症状や気付いた時点で、もう遅かった。右足が痙攣し全く走れなくなった。走る気力は、まだまだ充分にある。しかし、その想いがまるでシャボン玉の泡の様に空へと飛び散り消えて行った。歩いた。ひたすら歩いてゴールを目指した。僕の北海道は、これで終わった出来れば、制限時間の5時間以内でゴール出来ればと思って歩き続けた。その時、マッチョよ、北海道に賭ける想いは、そんなちっぽけなモだったのか確かに、頭の中で声が聞こえた今年1月から、平均月間300Km走り続けた。35、2度の日中をクタクタになりながら50Km走った。お腹が減っても我慢し、激痩せで体重を62Kg、体脂肪も7まで絞った。何の為に、苦しい練習を積んで来たんやここで諦めたら、全て終わりや応援してくれた友人達を、支えてくれた妻を裏切るんかっ混乱した意識の中で、目覚めた痛い右足を引きづりながらも、腕を前後に大きく振りまともな左足を頼りに走った。しばらくして沿道の応援者が見兼ねたのか、痙攣予防の薬を手渡された。これを舐めながら走ったらいい別の応援者から氷も頂いた。その氷を痙攣した右足太股の後ろにあてがいかながら必死に走った、走った。やがて痛みが軽減し何とか走れる様になった。しかし、まだまだペースは戻らなかった。30Km通過が、K5分35秒。まだ何とかやれる、行けるぞったとえ1の可能性に対してでも、100の努力する何くそっ、絶対に諦めるもんかっその想いが体を前に移動させた。35Km通過が、32分37秒K6分35秒。もう極端なペースダウン。しかし、まだ僕は走れるんだ。その現実が嬉しかった後半の給水ポイントでは、立ち止まり充分な水を飲み、水を含んだスポンジで頭と足を冷やした。意識がもうろうとし、コースを外れるのが自分で分かったが、もうどうしようもなかった。コース上の係員が、元のコースに戻る様にと僕を制しているのだが、自分自身で修正出来なかった。コースを完全に越え、反対車線を一人ぽっちで走った。右にフラリ左にフラリと、蛇行しながらの迷走だった。更に、足の痛みが続いたが何とか我慢して走った。36Km、37Km、38Km段々と気力が薄れ始めた。北海道を走る前から、多くのラン友からの応援メール。みんなが応援してくれていたのに。でもゴメンなさい、もう駄目です。限界です。とうとう諦めかけた。悔し涙が、出てきた。でも、泣くのはゴールしてからと決めていたので、必死に堪えた。40Km通過が、27分13秒。K5分32秒ん何と、知らず知らずに先程よりもペースが上がっているじゃないかっよし、行けるぞっラストチャンスだ残り2、195Kmに全てを賭けた。お願いします。この北海道で足がぶれてもいい。もう走れなくなっても構わない。後悔はしない。だから後2Kmだけ、何とか走らせて下さいっ必死に願った自分を信じて練習は裏切らないまるで、お経の様に口に出し何十回も唱えた。もう体はボロボロだった。でも、絶対に諦めない。ここで諦めたら、全てが終わるんだ。必死に走り続けた沿道からの声援、お帰りっの、言葉も超嬉しかったラスト1Km後500m遂に、ゴールの電光掲示板が目に飛び込んで来たっ僕は、全てを出し切りラストスパートをかけた。両手を挙げてゴール3時間45分45秒ゴール後、一歩も歩けなかった。肩を担がれ医療テントに連れて行かれた北海道マラソン結果は出せなかったけれど、悔いはない。40Kmまで、何とか必死に走った。残り2、195Kmみんなが、僕の腕を引っ張り背中を押してくれた。その感覚は、まだハッきりと覚えている。みんな、有難うー妻よ、有難うー北海道よ、有難うー※翌日は、朝から海鮮寿司に生ビール札幌ラーメンに夕張メロンソフトクリーム満腹、満足まぁ、自分自身のご褒美でいいよね明日から又、ドM生活で追い込むんだから笑
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