ご存知ですか、10mの高波の中でもその気になれば着水離水可能な、新明和の軍用救難飛行艇(US-2)が民用設計の基で輸出されるってこと!!

October 31 [Wed], 2012, 20:01
ご存知ですか、10mの高波の中でもその気になれば着水離水可能な、新明和の軍用救難飛行艇US2が民用設計の基で輸出されるってこと10mの高波では、たとえ大きなキールのついているヨットでも危険だというのに。
それは、今年、2012年4月24日の発表によるものです。
即ち、水陸両用飛行艇の輸出活動を本格化4月1日付で飛行艇民転推進室を設置新明和工業株式会社取締役社長大西良弘は、水陸両用飛行艇の輸出を促進する専任組織飛行艇民転推進室を本年4月1日付で設置し、本格的な活動を開始しました。
組織名にある民間転用とは、防衛省が開発した航空機に関する技術資料を民間会社が借り受け、それをもとに機体の製造販売を行うことを指します。
当社は、これまでも防衛省に納入しているS2型救難飛行艇の輸出を実現するべく、国内外で営業活動を行うとともに、市場競争力のある価格設定の検証に取り組んできましたが、このたび、技術資料を所有する防衛省の認可に続いて経済産業省との営業資料の認可調整に入ったこと、インドにおいて水陸両用飛行艇を導入する計画があること等を受け、4月1日付で専任組織飛行艇民転推進室を設置し、輸出に向けた活動を本格化したものです。
同推進室の責任者は常務執行役員航空機事業部長の石丸寛二が務め、水陸両用飛行艇SS3S2型救難飛行艇の社内名称の輸出実現に向け、事業性の検討、並びに量産及びプロクトサポート体制、輸出スキームの確立などにあたります。
主な活動拠唐ヘ甲南工場兵庫県酔ヒ市に置き、営業機能を横浜とインドデリーの2か所に設置します。
人員は、兼務者及び川崎重工業株式会社、株式会社島津製作所からの参画者を含め将来的には40名程度になる見込みです。
インドでは、同地にある当社100出資子会社を活用して受注獲得に取り組んでまいります補足新明和の前身、川西飛行機自慢の97式飛行艇川西二式飛行艇川西九七式飛行艇B29爆撃機に匹敵する巨体な飛行艇でありなから、最高時速450キロ、航続距離7000キロを誇った九七式飛行艇きゅうななしきひこうていは、大日本帝国海軍の4発大型飛行艇。
純国産としては最初の実用4発機であり、第二次世界大戦初期の長距離偵察などに活躍した。
後継の二式飛行艇と共に川西航空機で生産された。
記号はH6K。
連合軍コードネームはMavis。
通称九七式大艇。
川西航空機現新明和工業は九七式飛行艇、二式飛行艇、戦後のPS1など大型飛行艇のメーカーとして有名だが、これは日本海軍が意識的に川西を大型飛行艇メーカーとして育成した結果である。
九七式飛行艇は川西が製作した2番目の大型飛行艇で、前作は1929年昭和4年に海軍の指示でイギリスの名門飛行艇会社ショートブラザーズ社に設計を依頼し、1931年昭和6年に初飛行した複葉3発の九〇式二号飛行艇だった。
ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約により世界各国は海軍休日に突入、日本海軍は航空兵力の拡大によって軍艦の劣勢を補おうとした。
第一次世界大戦終了後に日本が統治を委任された南洋諸島は軍事施設を置くことが禁止されていたが、日本海軍は飛行艇を活用することで、来襲する米艦隊に対抗することを意図していた。
1933年昭和8年3月17日、海軍は川西に対し八試大型飛行艇の開発を指示設計図とモックアップ作成のみ、川西社内で研究中に九試大型飛行艇の開発が内示され、八試大艇は計画中止となった。
1934年昭和9年1月18日、日本海軍は当時アメリカで民間旅客機として開発されていたシコルスキーS42や、サンフランシスコハワイ間無着陸編隊飛行を行なったアメリカ海軍のP2Y1enに刺激され、これらを上回る性能を持つ飛行艇として九試大型飛行艇を川西に発注した。
要求性能は、乗員9名航続距離4625km以上巡航速度230km時最高速度296km時以上航空魚雷2本搭載可能という、S42やP2Y1を上回る数値であり、さらに七試特殊攻撃機九五式大攻や九試中型攻撃機九六式陸攻に匹敵する野心的な要求であった。
川西では、ショートF5の国産化以来、飛行艇開発に取り組んできた橋口義男に加え、菊原静男を設計主務者に任命して開発を開始。
海軍が研究用に購入したP2Y1を組み立てるなどして、設計を進めた。
試作1号機は1936年昭和11年7月14日に初飛行に成功、報告を受けた山本五十六航空本部長が川西鳴尾製作所にかけつけ、関係者の労をねぎらっている。
同年7月25日に海軍に引き渡されて試験飛行を行う。
試験の結果、機体性能は良好である一方で馬力不足が指摘されたが、増加試作機に金星エンジンを搭載することで解決。
1938年昭和13年1月8日に制式採用された。
構造長大な航続距離と大きな搭載量を満たすためにエンジン4基を搭載。
全幅40m、翼の縦横比であるアスペクト比片翼の長さを平均幅で割った値は97という細長い主翼を採用した。
飛行艇のエンジンやプロペラは離着水の際に海の波飛沫をかぶらないように、主翼は高翼のパラソル翼としたが、九七式はスマートな胴体を採用したため主翼との間があいてしまった。
そのため胴体上部2箇所に三角形の支柱を立てて主翼と繋ぎ、胴体下部から斜めに支柱を延ばして主翼を支えていた。
ただそのぶん操縦席が水面に近いため、操縦席が高い位置にある二式よりも離着水がしやすく、二式よりもこちらを好むパイロットもそれなりに居たようである。
試作機でhttp://www.maildeh.info/は840馬力の中島製光二型を装備したが、量産機では1000馬力の三菱金星四三型、最終型では1300馬力の金星五一五三型を採用。
エンジンの強化に従って重量を増加したが、速度も試作機の332km時から最終型の385km時まで増加した。
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