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December 12 [Wed], 2007, 1:10




『世界周航記』 

November 19 [Mon], 2007, 20:59
ブーゲンビルの『世界周航記』でブトン海峡を航行するときの記述には、ブーゲンビル一行が栽培植物や航路、オランダ東インド会社の植民地支配の動向など軍事的科学調査を綿密に実施していたことがわかる。また、奴隷狩りの背後にオランダが関わっていたことも見抜いていたのである。『世界周航記』が書かれた時代はフランスが英仏戦争に敗れ、回復を模索する最中でありまた、シュンペーターのいう新しい物産複合が最も追求されたときであった。この記録の中で特徴的なものとしては、東インド海域に出没する英国船の動向やオランダ東インド会社の経営基盤、さらに有用植物としての香料に関する情報収集にまったく抜かりがない点であるといえるだろう。彼らはモルッカ諸島に進入したほとんど唯一の王の軍艦でもあったのである。モルッカ諸島のあらゆる生産物の中継地はバタヴィアであり、毎年、ヨーロッパの消費に必要なだけを船舶に積み込み、残りは焼却されていた。オランダ東インド会社の富を支えたのはまさにその取引であったと記述されている。これは独占的な取引であって、この取引と、セイロン島での取引がオランダ東インド会社を支えていたのである。オランダ人たちは、「東の地方」と呼ぶ地方をアンボン、バンダ、テルナーテ、マカッサルという四つの総督府に分けたのである。最も強固な拠点であるマカッサルの土着民はオランダ人を注意深く駐屯地に閉じ込め、中尉達が監視していた。ここでは守備隊が設立され、その目的はモルッカ諸島の要衝のひとつである水路を確保することと、セレベスおよびボルネオと有利な通商を開くことであると言っている。オランダ東インド会社の独占を打ち破るには、それを欲するだけで足りる。オランダ人たちの最大の庇護となっているのは、島々の真の状況についてのヨーロッパのほかの国々の無知なのであり、このヘスペリデスの園をおおっている雲なのである、と『世界周航記』でブーゲンビル一行は記述している。また今日イギリス人たちがモルッカ諸島周辺にさかんに出没しているのは下心なしのことではないだろうと書かれている。

課題です。 

October 22 [Mon], 2007, 22:24
> テルナテは1304から1317年の時代にハルマヘラ島北西部のジャイロロ国の村を征服し、その後モルッカ地方の4人の王たちがモティで和平協定を結んだ。第18代の時代にはヨーロッパへ輸出するための丁子を求めてジャワ人、マレー人、中国人や他の外国人が来島した。1512年にはティドレの第二代スルタンMusurの時代、テルナテに最初のポルトガル人が来航した。そして丁子の独占的販売権を与えられる。その後ポルトガルとスペインの継続的不和となっていく。その頃Boheyatは慕われていたので、住民は彼を王にしようとするがハイルンを支配者にするように説き、カストロ時代にガムラモの要塞は放棄される。そして1546年にフランシスコ・ザビエルが来島した。1551年ポルトガルの支援によりジャイロロ国は潰れ、テルナテの支配下に入った。その後、テルナテの支援を得たオランダ軍がポルトガル軍を攻撃し、敗北したポルトガルはフィリピンへ逃走した。そしてポルトガル軍はモルッカから手を引いた。そしてテルナテをオランダが支配し、1616年までテルナテはオランダ領土東インドの本拠が置かれた。そして1663年、オランダがガムラモ要塞を完全に破壊したためにスペインはテルナテより撤退した。1683年にはオランダ東インド会社側はバタビアにおいて拘束中のテルナテ島のスルタン、アムステルダムとの間でテルナテ島をオランダの属領とする協定を結んだ。そしてアムステルダムは釈放されテルナテ島に帰島する。その後、イギリスが一時的に支配したものの、オランダによる支配は復活した。1827年にはテルナテに農業委員会が発足し、丁子などの植え付けが行われたが、コレラの流行や、火山の噴火でそれらの生産基盤は消滅していった。1999年にはイスラム系とキリスト教の抗争が起こり、その結果両島あわせて1から2万人のキリスト教系、中国系住民がスラウェシ島北部のメナドへの脱出を余儀なくされた。そしてこの抗争はその後ハルマヘラ島北部の村々へと飛び火していった。

課題です。 

October 10 [Wed], 2007, 15:57

課題です 

September 29 [Sat], 2007, 14:54
Partial truth(部分的真理)は、任意の事象について、それはその他のすべてのケースについて一般化することのできる「全般的真実」ではなく、あくまでその一部や特例に過ぎないが、しかし「部分的真実」としては存在するという意味の言葉だ。   これは言い換えると・・・ 「科学的研究は現実の正確な把握を目的としておこなわれるが、そこで提示される現実は(全知の神にみえているような)「生の事実」などではない。それは特定の概念図式にもとづいて解釈(あるいは研究)をすすめるなかでたちあらわれてくるのであり、現実を把握するには特定の概念図式に依存する必要がある。」 ここでいうところの「特定の概念図式の上にだけ成り立つ真理」がPartial truth(部分的真理)。 数学的には多値論理、論理学的は真理の複数性、いま時の言い方をするとファジー論理などはPartial truth(部分的真理)の近傍にあるものだろうか。<br><br> 日常会話の中では? 以下で説明する(A)(B)両面を含んだ言葉だ。 すなわち、否定的な意味合いでは「虚実が混然一体となったいい加減な話」→(A)位の意味、、肯定的な意味合いでは「一面の真理」→(B)位の意味だ。従ってPartial truth(部分的真理)とは、一面の真理を含んではいるが虚実が混然一体となったいい加減な物言いを意味するということになろう。
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