恋愛について 3 

2009年10月12日(月) 21時32分
日本から帰国して、僕は彼女とメールのやりとりをした。いつしかそのメールのやりとりが僕の楽しみになっていた。

その後、僕らは9月3日(木)に東京都美術館で行われているトリノエジプト展一緒に出かけた。(東京駅のDERI&DELCAでカフェ、パパミラノ)

9月10日(木)にマイハンブルハウス東京(銀座)で告白。しかし、別れそうな彼氏がいることを告白される。僕は待つことにする。
9月12日(土)に彼女から会おうと言われる。品川でラーメン食べて、焼酎飲む。彼には別れを告げたと言われる。(家庭裁判所の離婚調停を申込に行く)。初めて手をつなぐ。
9月13日(日)江ノ島デート。最高に楽しい1日。鎌倉でしらすご飯。横浜でジンディンロウ。横浜で初キス。
9月19日(土)旧白洲邸に行く。新宿でメキシコ料理。新宿2丁目。東京駅のお店で日本酒。彼女から結婚していて離婚調停を申し込んだことを告白される。その後、カラオケに行く。
9月22日、23日(火)大山に登る。鶴巻温泉、ホテルアソシア新横浜、洋食キムラ、桜木町、指輪を購入。しばらく会わないことにする。
10月3日(土)銀座エスペロでスペイン料理、渋谷ラブホ、おひつ亭、青山ブックセンター、渋谷から六本木まで歩く。
10月10日(土)浅草。天ぷらそば(並木藪そば)、川下り、浜離宮、ディンダイフォン、銀座のスタバ、東京経由で永代橋。有楽町でけんか雰囲気の後帰宅。
10月11日(日)上野待ち合わせ。池袋でまったり。松屋、かまどやで八海山と焼酎を飲む。目白まで歩く。愛していると言われる。生理前だから中出しした。少し怖かったが気持ちよかった。僕は幸せだ。

恋愛について 2 

2009年10月12日(月) 21時06分
翌日、僕はプーケットの宿から彼女に電話をした。月曜日、本当にデートしてくれるか確認をするためだ。

日曜日、彼女からメールがきてそれに対して、返信をしたが特に返信はなし。

そんなものかと思い、デート当日。11時半に待ち合わせをしたが、彼女は現れない。しかも、ついてないことに携帯の充電が切れた。僕は、ホテルのフロントから電話をした。電話がつながり、彼女はとなり駅にいたので僕は急いで彼女のとこに向かった。王室が運営しているお店、シャングリラホテルで飲茶、川上り、アンコール・ワット、サイロムのハーゲンダッツ、フォーシーズンホテルのラウンジでオーストラリア産のワイン(メルロ)を堪能。24時近くまで飲み、僕は彼女のホテルまで送っていった。

僕らの過去、今、将来について話した。僕らは、また東京で再会することを約束した。僕はバンコクに来て良かったとほんと思った。十分すぎるくらい彼女と楽しい話ができた。

恋愛について 

2009年10月12日(月) 20時21分
2007年10月17日に僕は付き合っていた彼女と別れた。出張先のドイツ・ケルンから彼女に電話したら「一人になりたい」そう言われた。あれから間もなく二年が経とうとしている。

別れた直後の僕は、けっこう引きずっていた部分もあった。でも、僕は結婚する気がない彼女より将来の自分を向上させる道を選んだ。別れた直後は彼女とよりを戻したいと甘えたことを考えたりもしたが、行動にはでなかった。女々しい自分なんて嫌いだからだ。そして、合コンとか飲み会の誘いを断るために、同期や回りにも1年間彼女と別れたことは言わないでいた。勉強に集中するためである。

2009年春にもなると、少しずつ彼女が欲しくなっている自分がいた。同期の一人とも付き合おうかと思ったこともあった。だが、それは、今思うと運命だったのかもしれないが、僕が彼女をデートに誘うと思ったときに、彼女は違う男をランチに連れてきた。僕はそれで、一気に気が冷めて彼女とは連絡を取らないことにした。

2009年8月、僕は仕事と勉強に疲れていた。現実から逃避したい自分がいた。上司との休みの日が重なるのを避けて、僕は出発日の1週間前にバンコクに行くことにした。タイに行けば、何かまた僕をリフレッシュしてくれるものがあると思ったからだ。

バンコクに行く飛行機で僕は運命的な出会いをした。JALのラウンジでロゼを飲みながら朝食をとりいい気分で搭乗し、僕はしばらく三枝さんの本を読んでいた。離陸とともに僕はしばらく眠りについた。1時間ぐらい寝たであろうか。僕が目を覚ますとふと隣のマスクをしている女性も目を覚まし、僕らは目が合った。僕は、照れた。そして、少し照れたフリもしてみた。キャビンアテンダントから食事を受け取ると、よし僕から声を掛けようと思っていたが、思いのほか彼女から声を掛けてきた。

「お仕事ですか?」

僕はいまだに、その一言を覚えている。マスクを取った彼女は美人さんで、最初西洋系の外国人かハーフかと思った。僕は久しぶりにときめいて彼女と話すことを純粋に楽しんだ。互いに、タイで何をするのか、なんでタイに行くのか、今までどこに旅行したことがあるのか、仕事は何をしているのか、どんな本・音楽・芸術が好きか
ということに話した。話の途中に、彼女から連絡先を記載したメモをもらった。そして、良かったらバンコクを一緒に観光しないかと誘われた。僕も彼女に連絡先を書いたメモを渡し、僕は快諾をした。僕はこの初めて経験する不思議な出会いが楽しく思えた。緊張も少ししていたと思う。その後も僕らは話に没頭した。4時間は話したのであろうか、気付いたらバンコクに着いていた。僕は、その時彼女から本と音楽の紹介を受けた。升田幸三さんの勝負と、ルービンシュタインのショパンである。

到着後、僕は、彼女にバンコクまで一緒に行かないか誘ってみた。彼女は快くオッケーをしてくれた。バンコクまでは渋滞してたこともあり1時間ぐらいかかったと思う。車の中では、お酒、とくにワインについて話したり、兄弟姉妹について話した。僕が泊まるホテルにタクシーは先に着き僕は彼女と別れた。また会うことを約束して。
僕は、ほんとに一日彼女とデートができるか確信はしてなかった。チェックインをしようとエレベータに登ったあがっている時もこの出会いのことを思い返していた。


久しぶりの日記 

2009年10月12日(月) 20時16分
僕がこのブログを再開しようと思ったには、いくつか理由がある。

1.今の恋愛について書くことで心の整理を行いたかったこと
2.自分の頭で考えて文章を記載する練習をしたかったこと
3.自己啓発の勉強にいいリズムをつけること

僕は今幸せだと思うが、このまま自分の将来を安泰させるわけにはいかない。
最近の僕はほんとに怠けていてここ7年間で一番最悪な自分だと思っている。

だから立て直していきたいんだ。自分らしい自分を取り戻して行きたいんだ。
いいリズムを作っていこう。計画的な日々を取り直していこう。そして、五合目で
迷っているところから六、七合目と頂点を目指し一歩上を目指していこう。

I think therefore Iam 

2008年03月30日(日) 21時24分
最近文章力が格段と落ちたと感じている。パソコンで文字を打つスピードも格段に落ちた。僕の処理能力が落ちている証拠である。人間はトレーニングを怠ると怠惰な者になってしまうのが良く分かった。

簿記も全くそれと一緒である。簿記の計算を毎日やらずに要ると。、格段と計算する能力、数字を集計する能力が落ちてしまう。だからこそ、日々地味に練習をしていく必要があるのだ。簿記の試験はある意味、地味にこつこつと反復して練習できるものが受かる試験であるように感じる。実際、実務においても華やかなことはないと思う。

でも、僕はその仕事に今関心を抱いている。文章を書くことはそこまで上手くない。人前で話すこともそこまでうまくない。僕が得意とするのは、こつこつと数字を足しあげることであると最近感じる。ある意味、見本市の事業も楽しいが、きっと気を多く使う点も多いと思うし、そういう仕事が自分にあっているかは分からない。

今の仕事を通して、自分の適正を感じることもある。簿記は僕にあっていると思う。だからこそ今からだけど、専門知識をつけていきたい。

この今の組織にいて、専門能力がないのは嫌だ。そして、僕を頼りにしてくれる人はいなくなるだろう。だからこそ、専門能力が必要なのだ。

周りに賛同してくれる人は限られている。僕が地味に頑張っていることも人に話していないから孤独な道である。でも、この孤独の道の先には、桜が満開の道が待っていると思っている。I can do it、努力は必ず報われるはずだ。

PCで文章を書く練習も日々やっていきたい。自分で考えて文章を書くことは凄く大事であるはずだから。
来週から新しい生活が始まる。心機一転偉業をなしとげるためにがんばってみようと思う。もちろん、ライフバランスを考え、簿記を重視しながらだけど。

memoly in Thailand 2 

2008年03月30日(日) 20時56分
今回、Limには、初日お店で、2日目はホテルで、5日目はお店の外で会った。最終日はLimの部屋で会った。特に最終日は、アユタヤ行きのバスの中、自分が後悔しない道は何なのか考えた結果、Limに電話をして会った。

僕が彼女似電話したとき、一言目に発した言葉は、「I miss you so much」だった。もし最終日に彼女に会わずに帰国していたら必ず後悔していたと思う。

僕は、アユタヤ行きバスを降りた。出発の3分前だった。僕は、その後バンコク北バスターミナルからLimの家に向かった。Limの家はだいたいパッポン通りから南西に4kmといったとこである。タクシーの車内では、タクシーの運転手と変なタイ語を言い合って楽しんでいた。万国共通で男は馬鹿だ。タクシーで40分ぐらい乗っただろうか。途中道を聞きながらようやく彼女の家の前に着いた。タクシーから降りてLimに出会ったときの嬉しさといったらない。Limに会うと笑顔になれた。彼女の部屋に案内してもらった。彼女の家は「104」で6畳位の広さにベットとテレビがあった。トイレは自分で水を入れて流すスタイルのトイレだった。

部屋で少しゆっくりした後、お昼を食べに行くことにした。近くにはTescoがあり僕とLimはそこで一緒にお昼を食べることにした。お昼はファーストフードで、鳥の照り焼き、ライス、ポテトであった。Limは歯の矯正を始めたばっかだったから食事をすると歯にしみるようで痛がっていた。

お昼を取った後、買い物をした。Limは化粧品、僕は、グリーンカレーとトムヤンクンの素を買った。
Tescoをウインドウショッピングした後、僕らはまた部屋に戻った。部屋に戻ると、眠くなったので、まったりした。
Limはテレビを見ていたけど、俺は15時から17時まで寝てしまった。その間、何もしなかったが、添い寝しながらLimを感じられたことは嬉しかった。幸せなひと時だったと言ってもいいだろう。部屋では、Limが10月に帰郷したときの写真を見せてくれた。自然が豊富で水が綺麗だった。Limが帰郷したときは、タイの祝日でLimはイベントの衣装を着ていた。

17時になったから僕はそろそろホテルに戻らなければならない時間になった。Limは18時から働く必要があったのだ。僕はLimのことを忘れないために、写真を一枚撮った。Limからも写真を一枚もらった。

Limの素顔は正直言うとかわいくはない。でも化粧した姿や、笑顔、すぐ笑うとこなどは好きだ。凄く素直で無理にお金を求めないとこもいいと思う。5日目に軽く喧嘩してLimを泣かせてしまったけど、それも相手のことが気になっていた証拠であった。

僕課彼女に対して、お金で援助する道を第一に選ばなかった。もちろん、日本人として、男としてお金を多く払うことはあったけど。僕が選んだ道は、彼女が知らない情報の提供であった。好きな人に幸せになってほしいと思うのは当然のことである。僕歯社会の一員として、活躍することを期待しているのだ。だから、僕は彼女に手紙を書き、英語、PCスキルをマスターすること、学校にいくことを伝えた。それらが僕にできる最低限のことであった。

僕が次タイを訪れるとすれば、来年の8月になるであろう。今度は旅行でタイを訪れたい。
でも、最後に最終日にLinに会う道を選んでよかったなと思っている。彼女にまた会えるといいなと思う。



My memory in Thailand B 

2008年02月11日(月) 0時58分
 僕は彼女のことを好意的に思っていたが、ずっとそばにいてあげられるほど深くかかわれないと思っていた。そのもどかしさというかある意味ずるさはあったが、どうにか彼女を救いたいという思いは伝えた。彼女は僕の意見に対して、あまり僕が言った事を真剣に考えていなかったのがショックだったが、思いを伝えられたことに後悔はない。
 
また、彼女が僕に初めて会ったときに笑いかけてくれたこと、7日に少し遅れたことに対して「ライヤー」と言っていたこと。僕に会ったときに嬉しかったかを聞いた時に彼女は恥ずかしがって理由は言わなかった。そんな姿はかわいくて18歳だと思った。キスをするのは嫌いだけど、寝る前の起き上がる前にほっぺにキスをしてくれた。あれはどういう意味であったのだろうか?僕に彼女がいることをLimに言ったからLimはそれ以上僕に対してしつこく何も言わなかったのだろうか。僕にはどうだったのか分からない。

 今回は、元カノに似ているLimに出会え、すごくびっくりした。世の中には似ている人はやはりいるのだ。また元カノに似ている彼女と出会えたのはよかった。そして何よりLimという純粋で正直で家族おもいな彼女に僕は惹かれていたのだと思う。
 英語に関して言及できたこと、経済、未来について話せたことには満足している。それが少しでも彼女の今後の役にたってくれれば僕は嬉しい。

 タイという国は想像以上に貧富の差がが激しく、Limみたいな子はたくさんいると思う。彼女みたいな人をほんと救えたらいいと思うけど、そういう人たちに僕が何をしてあげられるかは今は分からない。この国の制度や社会は上層部のためにある。学歴社会も激しい。

 Limがあまり真剣に話を聞いてくれなかったのは、少しさびしい思いもあったが、彼女にまた再会でき、外に連れ出すことができたことには満足している。彼女はその日疲れていたので休ますことはできた。彼女はまた朝7時から働くと言っていた。

 彼女は10月に帰郷するから、もう彼女と2度会うことはないのかもしれない(結局は一時帰郷だったが)。会う可能性は少ない。でも彼女の成長を見守りたいと思う。彼女の住んでいる地域もいつか訪れてみたいと思う。ありがとう良い時間を。そしてこれからも頑張ってほしい。

 


My memory in Thailand A 

2008年02月11日(月) 0時36分
僕ができることなんて限られている。資金援助か彼女に情報を与えること。
僕は後者を選んだ。前者は必ず彼女をダメにする。そして、そこまで僕は踏み入れたくないし。僕に責任はない。
 その一方、後者なら僕にもできるし、何とか彼女が今の状況から脱することにしてあげられることはないだろうかと思った。ペイバーしてあげたかったが、ショートする気にはなれない。そうこう悩んでいるうちに、彼女は店員に元の場所に戻された。僕は、彼女にまた来ると約束し21時か22時に来るといい店を出た。
 ホテルに戻ってからも僕は、考えた。どうすれば彼女と話をする時間を持ち、彼女のために何かしてあげることができるのかと。その悩んだすえ出た結果がロングでペイバーすることだった。

2007年9月7日(金)

 僕は次の日先輩と飯を食べて行動を別にした21時半ごろ、もう一度その店に行き、彼女に会った。彼女は21時に僕が訪れずれなかったから僕のことを「ライヤー、ライヤー」と言っていたらしい。そんな姿もかわいかった。僕はそんな話を聞いている一方、心の中では、すぐペイバーしたいと思い、それをすぐさま行動に移した。彼女をこの場から解放させてあげたかったのである。
 彼女はすぐに着替えに裏に行った。僕はその間彼女の友達(コウダクミ似・Limと同じ村出身)にもお礼を告げた。そして、彼女が私服で現れた。私服の彼女は少し派手であまり一緒には歩きたくない感じだった。その上、店の中と外とでは顔の感じが異なる。暗いとこのなんと恐ろしいことか。その上彼女の肌はやけに黒く腕も太かった。

 そんな思いもあったが、ホテルについてゆっくり話していると、彼女の性格、笑顔、18歳のあどけなさなど凄く彼女のいいところが見えてきて、話しているのが嬉しくなった。僕は彼女の今までの事を聞いたり、今の生活の現状について聞いた。
 1ヶ月に休みは2回、毎日18時から3時まで働かせられる。月給は2万8000円(7000バーツ)。彼女はその給料の中から親に送金をしていた。僕は、そんあ辛い話を話す彼女の話を聞いているのが辛かった。
 だから僕は、彼女を救う方法として「英語をマスターすること」を伝えた。そして、大学に行くことも。ただそれに対して、彼女は英語に対しては少し諦めていて、大学については学校を中退しているから行くことができないと言った。これを聞いたとき、この国には飛び級で大学に入れる制度はないのか知りたくなった。Limはそのうち、家に戻って親の手伝いをすると言ったが、今の生活状況では貧乏を脱することはできないのだ。

My memory in Thailand @ 

2008年02月11日(月) 0時20分
2007年タイに出張に行ったときに会ったLimについて記録を残しておこうと思う。

Lim 18歳(2007年9月現在、2月10日生まれ)「シー・サクート」(タイ東北部)地域の出身
    13歳で両親の米つくりを手伝うために学校中退。
   弟と妹(ともに3〜4歳)がいる。両親が忙しい姿を見るのが辛く、バンコクに来てお金を稼いでいる。2007年6月にバンコクに来た。

2007年9月3日(月) バンコク

 夜に、キングキャッスルUを訪れたとき、僕は彼女に出会った。お店に入り、何回か彼女をちら見すると必ず目が合い、笑顔を僕に返してくれた。僕は久しぶりに照れてしまった。またその子は不思議なことに元カノのそっくりであったのである。
 その日はその子とは話さずに、違う女の子と話をした。そして、少ししてから先輩と共にホテルに帰った。
 その後2日間その場所には行かなかったが、その間、何故か彼女のことが凄く気になっていた。もし、もう一度彼女に会わなければ絶対後悔すると思った。
 
2007年9月6日(木) 

6日の夜、違うバーからタクシーでホテルに戻ろうとしたが、まだ時間があったので、気になっていた彼女を訪れることにした。
 お店に着きお店に入ると彼女がいて彼女とすぐ目があった。その瞬間僕は迷わずに彼女を呼んだ。その時、初めて彼女の名前を聞き、名がLimということが分かった。日本語はほとんど話すことができない。英語はタイ語なまりだが、話せないこともない。その日は彼女としてもいいと思って入ったが、彼女の話を聞いているうちにその気は失せていった。ダンスをするのは嫌。たばこは嫌。でも両親のために働かなければいけない。そんな話を聞いているうちに僕はショックを受けた。だが、それと同時に彼女のために何かしてあげたいと思った。
 

There was an answer 

2008年02月03日(日) 22時15分
このブログを始めて2年が経過した。僕がこのブログを始めたきっかけは前の彼女と付き合うことになり、心の整理ができる場所になればいいなと思い、ブログに思いを記してきた。

だが、彼女と別れた今、この閉鎖的なブログはもう意味がない。むしろ、このブログに終止符をつけ、新たなブログを始めたいと思う。

この2年間は自分にとってとても大切な時間であった。就職活動や社会人を経験、そして自分の中の価値観の変化。

この2年間で感じたのは、「幸せ」であった。僕にとっての幸せは「笑顔ある楽しい時間」と「小さな喜びが続く時間」であった。

僕は、彼女に感謝したい。そして、またどこかで会いたい。ありがとう。
P R
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