星のように 

November 07 [Mon], 2005, 20:42
 私は夜空に輝く星のように何千、何億と存在する星のように地球に存在する。光と光がつながるように幾何模様の図形でつながり真っ暗な世界に存在する。有機と無機のつながりが精神世界を支配し、意識と無意識の流動性が私を包み込む。現実と非現実の区別もなく、ただ存在という空間と時間を行き来する。有刺鉄線に守られた自由と雲ひとつない虚の世界で・・・
 私は想像と現実の違いを忘れ、自分の意思かそれとも大きな流れによる意なのか感じることもできずにいる。

精神と肉体 

November 07 [Mon], 2005, 0:03
 人の精神、人の肉体このつながりは何だろう、自己を自覚する、考える、感じるこれらは人間の脳の電気信号のかたまりにすぎない。そんな無機的な電気信号より生まれる。しかし、ひどく雑に話してしまったが、人間の心とは細かく言うと電気信号だけではない、脳内を巡るホルモン血液すべてが渡したいtの心を支配する。
 SF小説などで人格が入れ替わるなどの表現があるが実際には考えにくい。人の心とは、肉体より生じる物であるからである。人の心と肉体は等しい存在でどちらが欠けても今存在する。その人とは成り得ない。心と体はひとつなのである。今ある体にのみ今の自分が宿ることができる。今の思考こそが自分であって心と体が離れれば他人である。
 この世界、この宇宙に人は一人だけである。過去から未来につながり一度きりの人生は紛れもない本物で、人は一生に一度しか自分を認識することができない。未来にどんな技術が発明されようと、今の時間は今にしかなく生きていると感じる今だけが真実である。

自殺の善悪について考える 

November 06 [Sun], 2005, 22:40
自殺について

 あまり真剣に考えすぎると黒い深い闇に落ちていくようだがあえて考えてみよう。題材として若きウェルテルの悩みより・・・

 ウェルテルの考えでは(ゲーテ)自殺に対して当たり前のように否定はしなかった、深い病気にかかった人間に対して責めるような行為だと論じている。幾分行き過ぎた表現かもしれないが、解決できない問題を抱えるという点では同じだとも考えられる。人によって対応できる問題は異なってくる。人によって認識が異なるので難しい問題だ。
 確かに他者から見れば、可能性を残す若者が(若者だけではないかもしれないが)自分でその可能性を否定するのは認めがたい点であり、いきどうりを感じるだろう、逆に複雑化している社会(ゲーテの時代でもこのような問題が論じられているので人間の作り出す社会や、人間の持つ複雑な思考は普遍的にこのような問題を内包しているのかもしれない)においてでは必然的な現象かもしれない。人間は「考える葦であると」表現されたとおりに複雑な思考そのものが自殺のひとつの要因になっているのではと考える。
 はたして自殺は善なのか悪なのか?自分という一人称で考えると、ひとつの決断であり、善でも悪でもない。個人が直面した現象に対するひとつの答えであり考えのひとつである。それでは他者とのつながりなどを考えると・・・・

 考えがまとまり次第続く・・・

自分の考えの保存 

November 06 [Sun], 2005, 22:38
自分の考えの保存に利用しようということでブログを使用してみようかと思います。
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