私はデリンジャーのバレルに一年かけて二発を詰め込む

October 09 [Sun], 2011, 20:04
私はずっと、「答え」が欲しいのかと思っていました。
しかし、辞書で意味を調べたところ、どうやら私が本当に欲しいのは「解答」でした。
「答え」ではなく「回答」でもなく、「解答」。
もっと絞り込むと、「答」ではなく「解」。
「解」とは、ときあかすこと。
ただ答えたいだけではない。
私は、ときあかしたい。



以前は疑問点を見つけ、自分自身に問題提起をするだけで、満足していました。
それに、どうせ熟考を重ねたところで知識が足りないのだから、きっと得心がいくことなんてないんじゃないかと、解を求めることを半ば諦めていたのかもしれません。
それが、急に解答を得たくなった。
ここ半年位の間、ずっと探し続けています。




私は、解答を得るべき時と、得るべきではない時があるように思います。
自分の中で自己が高まり、溢れ出るか出ないか、自分で自分を抑制出来る最後の瞬間。
その時が最も解答を得るべき時で、また解答を得ることが出来る時だと思うのです。
得るべきではない時にいくら血眼になって探したって、その陰を踏むことすら叶わないのではないでしょうか。






自己を高める。
そして高まる。

その瞬間を上手く自分で操作し、自分が解答を欲している時に照準を合わせる。

なんて芸当、出来るのでしょうか。
私なんかに。

しかしそれが出来ないと、自分は一生何もつくれないままだと思います。
それに、自分が何かをつくるには、このことを身に付ける以外、道は無いとも思います。



まずはその予行演習として、照準を来年の二月と三月の某日に合わせ、一年かけて私は自己を高めている最中です。