葛原妙子歌集『朱霊』

February 07 [Tue], 2012, 11:26
1970年、白玉書房刊。
ただし僕は短歌新聞社文庫版で読んだ。
葛原妙子さん19071985の第7歌集。
僕は葛原さんの歌はアンソロジーの類で読んだことはあるが、歌集というまとまったかたちで読んだのは初めてであった。
短歌新聞社が解散して、刊行物もすべて絶版になってしまうらしいという話を聞いて、過日、近頃のわたくしとしては珍しく大散財をなして同社の刊行物をたくさん購入したのだが、その中の1唐ナある。
一読、、このお方の歌は僕と波長が合うなどという言い方は大変におこがましいかも知れないが、と感じた。
何というか、ツボにはまる、という感じ。
今年の1月4日のこの日記で、松井冬子さんの絵がツボにはまった、と書いたが※、それと共通する感覚があるかも知れぬ。
※ownerid20556102短歌を読むということは、それ自体が何という快楽なんだろう、という感じを、久々に味わうことができた、というのが読後の最初の感想であった。
やまとことばを多用したやわらかい歌ではない。
どちらかというと漢文脈で詠まれる方だ。
ジェンーナ言えばおんなうたには属さないだろう、と思われる。
塚本邦雄が葛原さんの歌を愛好した、というのもわかるような気がする。
理解に苦しむような幻想が詠まれているわけではない。
しかし、現実界が現実界のまま詠まれているのでもない。
この世に居ながら、この世のことどもが、常人よりは少し幻想界の方へズレて見えたり感じられたりしてしまう。
そんな感覚を初めから持っておられた方なのではないか。
そんなふうに感じた。
わが子を詠んだ歌も一種独特で、この母にはわが子への愛情というものはないのか、とか、常識人ならそんなふうに言いたくなってしまう歌が多い。
そういうズレ方が、僕は大いに気に入ったのであった。
以下、朱霊より13首。
心臓の上に引きよせし生みの子の手首つめたし白昼淡し人死にて二十年の部屋にたたずめり寝形のごときはかすかうき出づ司祭館の静寂を破る他者ならず司祭の立つる堅き靴音疾風はうたごゑを攫ふきれぎれにさんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ猫などが立ちあがるときみるみるに人間よりも巨きかりけり半球に明る赤天せきてん一本の遠き電柱を芯となしつつかくおもたき母の睡りをいづかたに運ばむとわが子の姉妹ささやくあけがたのわが寝台にちかづける帆船はんせんありて人死に給ふゆふぐれはもの刻む音多さはなるを刻みゐる者刻まるる者他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水雁を食せばかりかりと雁のこゑ毀れる雁はきこえるものを仮眠の中わが尋ぬるは他ならず地上に杳と行方しれぬわれ創生の秘密を漠とおもはしめキリストの胸に乳二つあるだそく上記4首目疾風ははとても有名な歌だが、短歌新聞社文庫版では、きれぎれがきりぎれと誤植されライブチャットている。
校正おそるべし。
最近の日記2月5日新聞歌壇より41ownerid205561022月4日光の春ownerid205561021月31日びっくりしたこと。
ownerid205561021月28日短歌の中国語訳ownerid20556102
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