■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙2章20節 (エゼキエル書47章)
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
■O:今日のコラム
僕が子どもの頃、あるアニメで「お前はすでに死んでいる。」というセリフがはやりました。その当時は、よく友達を指でつっついては「お前はすでに死んでいる。」 と言っていましたが、聖書も実は「私達はもうすでに死んでいる。」という事を言っています。今日の箇所には、「私はキリストとともに十字架につけられました。」と書かれています。この「十字架につけられた」という言葉は、もうすでに十字架につけられて完了した。という意味があります。みなさんは、「もしも、人生をやり直せるなら。」と考えた事はありますか?僕は小学生の時に、すでに「もう一度人生をやり直したい。」と思っていました。私達は人生の中で様々な問題や試練にあう事もあり、様々な失敗や罪をしてしまう事があるものです。しかし、たとえ取り返しのつかないような過去の失敗や後悔があったとしても、神様に回復出来ない人生は一つもありません。たとえ、私達の罪が山積みになったとしても、神様の愛と恵みは、その上をはるかに越えるものです。イエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れたその瞬間から、私達の全ては、キリストと共に十字架につけられ完了し、それに変えて神様からの新しい人生が私達に与えられる事となります。続く節には、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と書かれています。イエス様を信じた後も、やっぱり失敗してしまう事があるし、罪を行なったり、様々な悪感情や、自己中心的な考えを持ってしまう性質が私達の内にはあるものです。その様な自分を見る時「ああ。やっぱり自分はだめなやつだ。」と思ってしまう事があるかも知れません。僕は昔いつも「自分は落ちこぼれクリスチャンだ。」と思っていました。しかし、それは真実ではありません。私達の内にどれだけ、弱く、失敗ばかりしてしまう部分があったとしても、神様はいつも、私達のその弱さを見ておられるのではなく、私達の内にキリストが生きておられる事を見て下さっています。だから私たちも自分の弱さではなく、キリストが私達の内に生きてくださっている真実に目を向け続ける事が大切です。聖書の別の箇所には「自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい(ローマ6:11)。」と書かれています。自分の弱さばかりに心が向く時、自分に「お前はすでに死んでいる!」と宣言してみて下さい。そして今は「イエス・キリストが私の内に生きておられる。」と宣言して、神様に目を向け続けて行きましょう。
■A:考えてみよう
自分を悩ませる、悪習慣や、悪感情はあるでしょうか?今日それを十字架の元に持って行き 、神様の平安を受け取りましょう。
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■P:祈り
イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
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