新宿シャローム教会、ユースグループ「Youth Wave J」の為のデボーションガイドです。 毎日祈って聖書を読んで、Jesusについていきましょう!

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のろいが祝福へ / 2007年07月02日(月)
S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙3章13節 (エゼキエル書48章)
キリストは私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

O:今日のコラム 
 私たちの救いは、私たちの努力や力によるものではないことが今日のデボーションの箇所から分かります。ただ神様の恵みによって、イエス・キリストを通してのみ与えられるものです。イエス・キリストが私たちがすべて受けるべきだったのろいの代価を支払うために、十字架について下さったのです。私たちを愛して、そのいのちを与えて下さいました。

 私たちはすべてのことをイエス様のもとに持って行くときに、イエス様が全てのことをのろいから祝福へと変えて下さいます。『マイナス』が『プラス』に変えられるのです。イエス様は、私たちを滅ぼしたり、盗んだり、殺すために来たのではなく、私たちが豊かないのちを持つために来て下さいました。(ヨハネ10:10)このことを考え、思い巡らす時、ただ神様への感謝が湧き上がってきます。神様の恵みにこころから感謝します。お一人お一人の上に豊かな神様の恵みがありますように。

A:考えてみよう

今日、イエス様の十字架を思い巡らし、神様に感謝を捧げていこう!!




P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Aiko / この記事のURL
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お前はすでに死んでいる / 2007年07月01日(日)
S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙2章20節 (エゼキエル書47章)
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

O:今日のコラム 
 僕が子どもの頃、あるアニメで「お前はすでに死んでいる。」というセリフがはやりました。その当時は、よく友達を指でつっついては「お前はすでに死んでいる。」 と言っていましたが、聖書も実は「私達はもうすでに死んでいる。」という事を言っています。今日の箇所には、「私はキリストとともに十字架につけられました。」と書かれています。この「十字架につけられた」という言葉は、もうすでに十字架につけられて完了した。という意味があります。みなさんは、「もしも、人生をやり直せるなら。」と考えた事はありますか?僕は小学生の時に、すでに「もう一度人生をやり直したい。」と思っていました。私達は人生の中で様々な問題や試練にあう事もあり、様々な失敗や罪をしてしまう事があるものです。しかし、たとえ取り返しのつかないような過去の失敗や後悔があったとしても、神様に回復出来ない人生は一つもありません。たとえ、私達の罪が山積みになったとしても、神様の愛と恵みは、その上をはるかに越えるものです。イエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れたその瞬間から、私達の全ては、キリストと共に十字架につけられ完了し、それに変えて神様からの新しい人生が私達に与えられる事となります。続く節には、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と書かれています。イエス様を信じた後も、やっぱり失敗してしまう事があるし、罪を行なったり、様々な悪感情や、自己中心的な考えを持ってしまう性質が私達の内にはあるものです。その様な自分を見る時「ああ。やっぱり自分はだめなやつだ。」と思ってしまう事があるかも知れません。僕は昔いつも「自分は落ちこぼれクリスチャンだ。」と思っていました。しかし、それは真実ではありません。私達の内にどれだけ、弱く、失敗ばかりしてしまう部分があったとしても、神様はいつも、私達のその弱さを見ておられるのではなく、私達の内にキリストが生きておられる事を見て下さっています。だから私たちも自分の弱さではなく、キリストが私達の内に生きてくださっている真実に目を向け続ける事が大切です。聖書の別の箇所には「自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい(ローマ6:11)。」と書かれています。自分の弱さばかりに心が向く時、自分に「お前はすでに死んでいる!」と宣言してみて下さい。そして今は「イエス・キリストが私の内に生きておられる。」と宣言して、神様に目を向け続けて行きましょう。

A:考えてみよう

自分を悩ませる、悪習慣や、悪感情はあるでしょうか?今日それを十字架の元に持って行き 、神様の平安を受け取りましょう。




P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Shingo / この記事のURL
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恵みの中にとどまり続けよう / 2007年06月30日(土)
S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ1章10節(エゼキエル書46章)
キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

O:今日のコラム
ガラテヤの人々は、パウロの宣教によって一度は受け入れた福音から離れてしまいました。それは、彼らの教会の中に福音を曲解し、福音とは反する教えをする者がいたからです(7節)。
パウロはこのことを真っ向から反対し、人が救われるのはイエス様を信じる信仰によるものであって、それ以外の何ものにもよらないことを彼らに訴えました。

今日のみことばにあるように、イエス様は私たちを救うために、私たちの罪を背負って十字架に架り死んで下さいました。私たちはこのイエス様がなされた犠牲ゆえに、信仰によって救われ、永遠のいのちが与えられているのです。これが福音です。救いはあくまでも、信じる私たちに与えられる、神様からの一方的な恵みによるのです。周りの人々から何を言われても、私たちはこの恵みの中にとどまり続けましょう。


A:考えてみよう

あらゆる惑わしの声に揺るがされないために、聖霊さまを求めていきましょう。




P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 01:43 / Hisae / この記事のURL
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神様--比較対照 / 2007年06月29日(金)
S:今日の聖書の言葉
第二コリント13章11節(エゼキエル書45章)
終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。 一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたと ともにいてくださいます。

O:今日のコラム
 パウロは、第1コリントで争いと分割があったコリントの教会に、第2コリントの終わりに、教会という共同体の生活に常に愛と平和が保たれるよう知恵と勧めをしています。まず、喜びなさい。です。兄弟姉妹が集まると、楽しいこともたくさんありますが、傷つけられたり、傷つけたり、感情や意見がぶつかったりすることも少なからずあると思います。又、どんな人も何回かは人生で挫折を味わうものです。神様は、肉では喜べない状況へあえて私たちを置かれることによって、私たちに真の喜びを教 えて下さいます。また、不完全で罪深い私たちに、他でもなく、神様という完璧なお方を模範とし、神様のみを比較対照として歩みなさいと言っています。 (マタイ5:48?だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。)そして、失敗する度に、慰めを受けるように勧めています。主の慰めは尽きないからです。最後に、一つ心になり、平和を保ちなさい、と勧めています。同じ目標を掲げ、平和の君であられる主を全ての真ん中に迎えて教会生活愛と平和と喜びで満たしましょう!

A:考えてみよう

主の日は近づいています。一致と愛を保つために私に出来ることは何かな?・




P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / reiko / この記事のURL
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私の弱い時にこそ / 2007年06月28日(木)
S:今日の聖書の言葉
第二コリント11章2節、(エゼキエル書43章)

しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。



O:今日のコラム
 ベニー・ヒンという有名な伝道者の若い頃の話です。ある集会でメッセージをすることになっていたのですが、ベニーは恐れを感じ、身がすくんでしまいました。そして主にこう訴えました。「主よ、できません。主よ、できません。」そのとき、主である聖霊様は、こう答えられたそうです。「あなたが出来なくて良かった。さあ、私がしましょう。」

 私たちは、勘違いをしがちです。聖霊様は、私たちの力を増強させ補う、『パワーUPキノコ』のようなものではありません。私たちが自分の我を強く主張するとき、聖霊様の働かれる余地はあまりありません。むしろ我を張らず、自分を弱くし、主に主導権を明け渡すときに、主である聖霊様の力は完全に現れるのです。


A:考えてみよう
主である聖霊様に、「私は我を張りません。主に主導権を明け渡します。」と祈ろう!
また、この後の節にある『私が弱いときにこそ、私は強いからです。』を噛みしめよう!






P:祈り
                  
イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Majimako / この記事のURL
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成長を願う心 / 2007年06月27日(水)
S:今日の聖書の言葉:第二コリント11章2節、(エゼキエル書43章)
神様の深い思いやりをもって、あなたがたのことを心にかけています。ちょうど清純なおとめが、やがて夫となる人に愛をささげるように、あなたがたが、ただキリスト様だけをひたむきに愛するよう願っているのです。

O:今日のコラム
 親や先生から、みんなの成長を願うゆえにいろいろと言われた経験はありませんか?それを聞くとき、「その通りだ。」と思う心と、「わかっているのに何でうるさく言うの?」と思う心の両方が湧いてきませんか?わかっていてもできないことがあるとき、それを注意されたりするとあまり気分のいいものではないと思います。さて、神様は私たちが何かできないことがあるとき、方法は違っていても同じレッスンを何度も通されるときがあります。もし、赦す心を与えたいときには、赦しにくい人を周りに置かれるかもしれません。忍耐を与えたいと願っていれば、必要なものをギリギリまで与えないようにしたりするかもしれません。しかし、そうされるのも、みんなの成長を願う心からであり、みんなを愛していることが動機です。この世界には、神様以上に愛してしまう「偶像」となりえるものがあります。しかし、神様は神様ご自身だけをひたむきに愛してほしいと願っておられます。ですから、いつも神様に目を向け、そして神様の願いのうちに歩むことを日々選び取っていきましょう。

A:考えてみよう
神様に愛を示すため、何をすることができると思いますか?





P:祈り
                  
イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Maro / この記事のURL
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最高のパートナー / 2007年05月08日(火)
S:今日の聖書の言葉:第二列王記12章2節(第二列王記11章)★ヨアシュは、祭司エホヤダが彼に教えた間はいつも、主の目にかなうことを行った。

O:今日のコラム
 ヨアシュさんは7歳で王様になりました。小学1年生です。いくら天才少年だったとしても王として一
人ではやっていけないでしょう。しかし、彼にはエホヤダという主に仕えるパートナーが与えられてい
ました。エホヤダが忠実に主に仕える事を教え、国を治める方法をヨアシュに教えた時、ヨアシュは良い王でした。しかし、エホヤダも人間でした。完璧に主に仕える事はできず、いくつかの罪と問題を残していました。そして、最後には味方の謀反でヨアシュ王は殺されてしまいました。僕らには、最高のパートナーが必要です。僕らの最高のパートナーとなる為にイエス様がこの地に来られました。そして、僕らの問題や罪のために十字架に架かられ、すべてを消し去ってくださり、復活し、僕らに希望と歩むべき道を与えて下さいました。イエス様が僕らのパートナーとなってくださり、イエス様を信じる時に聖霊
様という最高のパートナーを与えてくださいます。だからこそ、いつも最高のパートナーである聖霊様
の教えに耳を傾けていきましょう。

A:考えてみよう
聖霊様の教えに従う為に僕らは何ができるだろう?



P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Hiromichi / この記事のURL
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生きたそなえものとして / 2007年05月07日(月)
S:今日の聖書の言葉:第二列王記10章31節(第二列王記9章)
★しかし、エフーは、心尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうとは心がけず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。

O:今日のコラム
 エフーは、バアルに仕える預言者や、信者、祭司を根絶やしにし、バアルの石の柱を壊し、バアルの宮も壊して、神様に喜ばれない物を自分たちの中から取り除こうとしました。そのような素晴らしい働き
をしたエフーでしたが、エフーの中に神様に対する妥協がありました。エフーは、心尽くしてイスラエルの神に仕えて歩もうとせずに、ヤロブアムの罪から離れなかったのです。私たちは、しばしばここまででいいやという『妥協』という道を選択してしまいそうになります。しかし、イエス様は、私たちのために命をかけて、完全な献身をして、そのいのちを捧げて、私たちを愛してくださいました。また神様は、私たちをねたむほどに愛してくださっている神様です。私たちもその愛に応えて、心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして主の道を求めて、神様に生きたそなえものとして自分を捧げていけたらと思います。

A:考えてみよう
デボーションの内に主を求めて行きましょう。




P祈り
神様、あなたの命がけの愛を感謝致します。あなたの愛の力によって、私も神様と人への愛の道をあゆまさせて下さい。
イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Aiko / この記事のURL
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子は親の鏡 / 2007年05月06日(日)
S:今日の聖書の言葉:第二列王記8章27節(第二列王記7章)
★彼はアハブの家の道に歩み、アハブの家にならって主の目の前に悪を行なった。

O:今日のコラム
 「子は親の鏡」という言葉をみなさんは知っていますでしょうか。子どもは、親とそっくりに成長し、
まるで鏡の様に親の性質を反映する者となっていくと言う意味です。列王記の中で最悪な王の一人に
アハブ王という王がいます。彼は、神様の前に数々の悪を行った王でした。今日の箇所にその子どものアハズヤという人物が登場し、彼が王となりますが、彼もまた父と同じように神様の前に悪を行い、結局彼は、王という最高の特権が与えられていたにも関わらず、2年間で王としての働きも、人生全てをも失ってしまう事となりました。みなさんはマイクタイソンというボクサーを知っていますでしょうか。彼はボクサーとしては天才的な才能と実力を持っていました。しかし、彼はその能力を、リングの上でではなく、実生活の中で人々に暴力をはたらく為に使いました。その結果、彼がボクサーとして最も活躍し、多くの収入を得られる年月を彼は刑務所の中で過ごす事となりました。どれだけ多くの才能や、実力を持っていたとしても、それを支える人格がしっかりとしていなければ、いずれ、その才能さえも失ってしまう事となります。
 私達は何よりもこの人格を磨いていく事が大切です。人格を磨いていくなら必ず全ての実力はついて来ます。どのようして私達は人格を磨いていく事が出来るでしょうか。たとえ私達の育った環境や、家庭環境が良くない状態だったとしても、親から充分に愛情を受けないで育ってきたとしても、あきらめてしまわないで下さい。私達はこれから十分に愛を受け、素晴らしい人格を持った者へと成長していく事が出来ます。
 イエス様を信じたその瞬間から、私達は神様に愛される、神様の最も大切な子どもとされました。私
達はこの天の父なる神様に似ていく者となる事が出来ます。その為に毎日デボーションを続け、祈る事
を続け、神様と共に過ごす時間を持っていきましょう。もし、この神様との時間を毎日持ち続けるなら、来年には、また数年後には、私達は誰の目から見ても立派に成長した者となる事が出来ます。またいずれ、私達と同じ素晴らしい心を持った人々がセルグループの中でも、友達の中でも、起こされて行く様になる事を信じて、今日から共に、人格を磨く歩みを聖霊様と共に始めて行きましょう。

A:考えてみよう
聖霊様によって結ぶ事が出来る人格の実にはどのようなものがあるでしょうか。聖書の中から探してみましょう(ガラテヤ書5:22〜23)。


P:祈り                 

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Shingo / この記事のURL
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栄光は主に / 2007年05月05日(土)
:今日の聖書の言葉:第二列王記5章16節(第二列王記6章)
★神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断わった。

O:今日のコラム
 ナアマンという人物は、なぜこんなにもしきりにエリシャに贈り物を勧めたのでしょうか。そ
れは、ナアマンが皮膚病におかされた時に、エリシャから告げられた言葉の通りに従ったところ
彼のからだがまったく元どおりになったからです(14)。彼は、このことでエリシャに豪華な贈り
物を捧げようとしました。しかし、エリシャはそれを拒みました。なぜなら、エリシャはこの奇跡
を起こしたのは自分ではなく、主がなされたことだと知っていたからです。また、エリシャはへり
下りの心を持っていました。主はへりくだる者と共におられます。そして、どんな小さなことでも
主に栄光を帰す時に、主は喜んで下さり、私たちを更に大きなことに用いて下さいます。エリシャ
のように、へり下りの心を持ち、自分ではなく、いつでも主に焦点をあて、主に栄光を捧げていき
ましょう。

A:考えてみよう
今日も力いっぱい主に感謝と賛美を捧げていきましょう。



P:祈り

イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
 
   
Posted at 00:00 / Hisae / この記事のURL
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