Natalie

July 23 [Wed], 2014, 16:03
0.

 ミレーヌ王国の最東端、ライル村を臨む山の中腹に、ひとりの少女が立っていた。
 若草色のスカートにエプロンをつけ、頭からはすっぽりと布をかぶっている。
 名前はナタリー。小柄だが、先日十三歳になった娘である。
 ナタリーは家の戸口に立ったまま、青空に輝く太陽を睨みつける。かぶったスカーフからこぼれ落ちるのは、自慢の赤毛。最近の彼女の悩みは、髪の日焼けだった。
 しっかりとスカーフを巻き直し、朝露にきらめく草原に踏み出す。それを待っていたかのように、家の裏手から茶色い毛並の犬が飛び出してきた。
「シーク、おはよう!」
 ちぎれんばかりに尻尾を振りながら、シークはナタリーの周りをぐるぐると走り回る。ナタリーは転びそうになるのをこらえながら、行くよと声をかける。少女と犬は家の隣に建つ小屋に向かって駆け出した。
 騒がしい足音と吠え声を横目に、草原では十数頭の羊と馬がのんびりと草を食んでいる。先日毛刈りを終えたばかりの羊たちは、身軽そうだ。
 小屋に駆け込んだナタリーは、三頭の牛の鳴き声に出迎えられた。手前の牛の目を覗き込み、体調を確認するように鼻先を撫でる。
「おはよう。今日もいい子ね」
 水場からコップを取り上げると、牛の乳をしぼる。温かい牛乳を一気に飲み干すと、シーク用の皿にもミルクをしぼってやった。続けて、出荷用の缶に乳を満たしていく。
二頭目に取り掛かったところで、よく日焼けした白髪の老人が牛小屋に入ってきた。
「終わったか?」
 年齢の割に張りのある声。たったひとりの肉親である祖父に、ナタリーは首をふる。
「もうちょっと」
「終わったら、小屋から出しておいてくれ」
 牛のエサ箱に飼料を入れながら、祖父が仕事を命じる。
 ナタリーはひとつうなずいて、口を開いた。
「ねぇ、おじいちゃん」
 祖父が顔を上げる。
「次の羊の毛刈り、わたしにやらせてくれないかなぁ?」
 老人は、渋面になる。
「だめだ。おまえにはまだ早い」
「教えてくれるだけでもいいから」
 ナタリーは懇願するが、祖父は首を振り続ける。
「そんなことより、糸紡ぎは終わったのか?」
「…まだ」
「早くせんと、あさってには商人が買い付けに来るぞ」
 はーい、とナタリーはむくれたまま答えた。
 手早く乳搾りを終わらせ、牛たちを小屋の外に出す。
 軽く息をつくと、ナタリーは周囲をぐるりと見回した。
 家と牛小屋、馬小屋、羊小屋が建ち、家畜たちを放牧する草原を含めた土地が、ナタリーの祖父が経営する牧場である。周囲には木々が密集し、ふもとのライル村に降りる山道以外は、森になっている。山の頂上は、隣国ウダとの国境だ。
 高くなりはじめた太陽、鮮やかな緑を食む家畜たち、日陰で昼寝をするシーク。順に目をやって、ナタリーはつまらなさそうにため息をつくと、家に向かった。日焼けは大敵だが、家の中での作業になる糸紡ぎは、なんだか損をしている気分になる。
 とは言え、そろそろ商人が買い付けにやって来るのは本当だ。
 陽光はあきらめて、ナタリーは部屋のなかで黙々と糸紡ぎの作業を進めた。
 どれぐらい経った頃だろうか。
 地面が揺れている気がして、ナタリーは顔を上げた。
 部屋の窓から、外を見る。特に変わったところはない。祖父は干し草を集め、そのそばでシークが立ったり座ったり鼻面を干し草に突っ込んだりと忙しない。
 羊たちにも異変はないようだ。
 …だけどやっぱり、揺れている気がする。
 ナタリーは家の外へ出た。
 シークも何か感じ取ったようで、ぴんと耳を立てて山の頂上の方を見つめている。同じ方向に目をやるが、木々に遮られているせいか何も見えてこない。
 だが揺れは続き、加えてドドド…というような低い音も聞こえる。
「おじいちゃーん!なんか変だよ!」
 ナタリーは軒下から声を張り上げる。祖父はよく聞き取れなかったようで、なんだと叫び返した。
 そのあいだにも、地面の揺れや低い音は大きくなる。――なにかが、近づいてくる。
「山からなにか――」
 ナタリーが言い終わらないうちに、森の中から黒いかたまりが飛び出した。地鳴りのような音と揺れを伴って、それは山を下ってくる。
 唖然と見つめるナタリーは、やがてそれが黒い馬の集団だと気がついた。ただの馬ではない。人が乗っている、騎馬の群れだ。
 森から現れた騎兵隊は、まっすぐ牧場に向かって、走り下りてくる。
 シークが狂ったように吠え、祖父が何か怒鳴っている声が聞こえる。
 ナタリーが一歩も動けず、ひと声も発することができないうちに、先頭の騎馬が牧草地の牛を弾き飛ばした。次々と家畜を踏みつけ、なぎ倒し、黒い集団は突き進む。牛が低い鳴き声を上げて草の上に倒れ、羊の白い毛が土に汚れる。馬の甲高い咆哮が上がる。千切れた草が無数に舞い上がる。
 ナタリーの鼻先をかすめるように、騎馬が走り抜ける。黒馬が蹴り上げた石が額に当たり、ナタリーはその場に倒れ込んだ。
 流れ出る血をぬぐって、顔を上げる。
 そのときにはもう、黒い群れの姿はなかった。シークの吠える声も、祖父の怒鳴り声も聞こえてこない。
 騎兵隊が舞い上げた砂煙が薄れていく。
「――――ッ―!」
 ナタリーは声にならない悲鳴を上げる。
 彼女の目に映る景色の中に、ひとつとして動くものはなかった。

Natalie

July 23 [Wed], 2014, 16:02
1.

 マリオーネ・ラスティは、ディマの街を歩いていた。――正確には、栗毛の馬をやや早足で歩かせていた。
 少し前から降り出した雨のせいか、大通りに人影はほとんどない。
 角を曲がろうとした彼は、手綱を引いて馬を止めた。後ろを来ていたルナリエールも、白馬の足を止める。
 ふたりの視線の先には、道端でうずくまる子供の姿があった。頭に巻いた布も、身にまとった衣服も薄汚れている。ディマは大きな街だが、住民は豊かな者が多く、浮浪者の類はほぼ見掛けることがない。
 マリオーネは、馬を下りると子供に近づいた。十歳ほどの少年のようだ。目を閉じたその顔は青白い。かがみこんで、軽く頬をたたく。
「おい。大丈夫か」
 重そうにまぶたが開いて、茶色の目がマリオーネを見つめた。
「どこから来たんだ?」
 考えを巡らせるように瞳が動き、やがて「ハノイ」という小さな声が唇から漏れた。子供の足では、三日ほどかかっただろう。
「親は?」
 少年は、けだるそうに首を振る。いないのか、一緒に来ていないのか、どちらかは計りかねた。
 もう一度、目が閉じられる。
 その瞬間、少年の腹が鳴った。
「腹が減ってるのか」
 マリオーネは、再度小さな頬をたたく。
「俺たちはいまから夕食に行くところだ。一緒に来い」
 戸惑ったような瞳が、マリオーネを見上げる。
「飯を食ったら、家までちゃんと送ってやる」
 そう言うと、彼は少年の脇を支えるようにして立たせた。小さな荷物は、代わりに背負う。手を引くが、わずかな抵抗があった。
 顔を強張らせた少年の目は、マリオーネの愛馬へと向いていた。馬が怖いのだろうか。
「大丈夫だ。こいつはおとなしい。少し触ってみろ」
 栗色の毛を撫でながら、マリオーネは口を開く。ゆっくりと手を伸ばし、少年は馬の鼻面に触れた。わずかに指先を動かして、撫でる。人に慣れた馬は、身動きひとつしなかった。少年の表情に安堵が浮かんだ。
 マリオーネは子供を抱き上げて、馬の背に乗せる。その後ろに座りながら、尋ねた。
「名前は?」
「――ナタ…」
「ナタ。俺はマリオーネ・ラスティだ。マリオでもなんでも、呼びやすいように呼んでくれてかまわない」
 後ろを振り返り、白馬に乗った相棒を見る。
「あっちは、ルナリエール・エタ」
 豊かな金髪を揺らして、ルナリエールが微笑む。
 その美貌を見てか、ナタは少し顔を赤らめた。
「しっかりつかまってろ」
 そう声をかけて、マリオーネは馬を走らせはじめた。



 鶏肉の香草焼き、クリームスープ、煮込み魚、ミートパイ――注文した料理は、次々と少年の腹におさまった。
 喉に詰まらせないようにと、二、三度注意したほどだ。その食べっぷりを、マリオーネは唖然と、次いで微笑ましく見守った。
 ルナリエールが、パンの乗った皿をナタの前に置いてやる。
「ありがとう…、ルナリエールさん」
「エールでいいわ、ナタ」
 彼女の言葉にこくんとうなずくと、ナタはパンをちぎって口に運んだ。
 店主に頼んで暖炉に近いテーブルにしてもらったため、雨に濡れた三人の服は乾きはじめていた。頭に巻いた布も取るように言ったが、ナタは首を振った。
 宿屋も兼業する食堂は、悪天候のためか客が少ない。
 ナタの食欲が落ち着くのを待って、マリオーネは口を開いた。
「家は、ハノイの町なんだな?」
 質問には答えずに、ナタは視線を落とす。
 何か事情があるのだろうが、ここで放り出して行くわけにはいかない。次こそ本当に行き倒れてしまう。
「心配している家族だっているだろう?」
 慎重に反応をうかがいながら、言葉を継ぐ。けれど、ナタは何も答えなかった。袖口を握ったり離したりを、繰り返している。
「どうして、ここまで来たんだ?」
 しばらくの沈黙のあと、ナタは意を決したように顔を上げた。
「僕……第十八分隊に入りたいんだ」
 その言葉に、マリオーネとルナリエールは顔を見合わせた。
 治安維持のため、一から三十の分隊に分けられたミレーヌ国軍は、国の要所に駐屯地を置いている。その十八番目、第十八分隊は、隣国ウダとの国境近くに配置された隊だ。
「十八分隊って…おまえ、まだ十歳かそこらだろう」
「十三歳になったもん」
 どうやら少年は、小柄なことを気にしているらしい。
 ナタは、両親は死んでいて、引き取ってくれるような親戚や知り合いもいないこと、父親が昔、第十八分隊に所属していて、その頃の思い出話をよく聞かされて入隊を決めたことなどを、たどたどしく語った。
 黙って聞いていたマリオーネは、少し考えるような様子を見せる。そして、分かったとうなずいた。
「それなら、俺たちと一緒に十八分隊の駐屯地まで行くか?」
「――え?」
「俺たちは、王都から第十八分隊への使者だ」
 マリオーネが懐から出した封筒には、複雑な封蝋が施されていた。国王の紋章だ。
「マリオーネ」
 ルナリエールが発した声には、咎めているような、一方で面白がっているような、複雑な響きが含まれていた。それには答えず、彼は言葉を続ける。
「目的地が同じなら、一緒に行ってやれる」
「ほんとうに?いいの?」
 おそるおそる尋ねたナタは、マリオーネがうなずくのを見て、顔をほころばせた。
「この宿屋で部屋を取ってあるから、とりあえず服を着替えたほうがいい。洗って干しておけば、一晩で乾くだろう。出発は明日だ」
 そう言って、マリオーネは立ち上がった。

 二階に上がると、廊下には等間隔にドアが並んでいた。
 階段からすぐのドアを、マリオーネが開ける。ルナリエールは、隣のドアノブに手をかけた。
「こっちの部屋だ」
 マリオーネの声を聞きながら、ナタはちらりとルナリエールを見た。
 目が合うと、彼女は艶然と微笑む。
「私と一緒の部屋がいいかしら?」
 わずかに頬を染めて、ナタはあわてて部屋に入った。
 マリオーネが、部屋の隅に置いてあった自分の荷物を探る。
「着替えなんてもってないだろう?大きいとは思うが、袖と裾を折って…」
 振り返ると、ナタは頭に巻いた布を外しているところだった。
 あらわになった髪は、見事な赤毛だ。
「綺麗な色の髪だな」
 素直に感想をもらす。
 ナタは、不揃いに切られた短い赤毛を触りながら、ふるふると首を振った。
 服を受け取ると、マリオーネを咎めるかのような上目遣いで見つめる。
「着替えを見られたくないのか?男同士だろう」
 それでも、彼を見つめる茶色の瞳は外れない。
「わかったわかった」
 苦笑を浮かべて、マリオーネは部屋から出てドアを閉めた。ちょうど、隣からルナリエールが出てくる。彼の姿を見て、口を開いた。
「マリオ。――本当に連れていくの?」
「あぁ。身寄りもないと言うし、そうするべきだろう」
「そうね…」
 そして、もし少年が第十八分隊の入隊試験に不合格となったら、何らかのかたちで面倒をみてやるつもりなのだろう。そういう男だ。
 ルナリエールは、わずかに目を伏せる。
「それなら、例の件は保留にするしかないわね」
「あぁ」
 低い声で、マリオーネは答える。
「手掛かりもないし、仕方がない。また出直そう」
 マリオーネとルナリエールのため息が、重なった。

Natalie

July 23 [Wed], 2014, 16:01
2.

 ナタは、夕闇迫る町を疾走する馬のたてがみに、必死にしがみついていた。マリオーネが操る栗毛馬は、狭い通りを駆け抜けていく。後ろからは、ルナリエールの白馬も追ってきていた。
 ディマの街から旅をして三日。第十八分隊駐屯地まで、二日ほどの距離にあるリノールの町に着いた三人は、今夜を過ごす宿屋を探していた。
 そこに、何かがぶつかるような激しい音と、女性の鋭い悲鳴が聞こえたのだ。
 マリオーネはルナリエールとうなずきあい、ナタにしっかりつかまっているよう命じると、馬を走らせた。
 悲鳴は、一本奥の通りから聞こえたようだった。狭い横道を抜け、家々が建ち並ぶ通りに出る。
 そこに広がる光景に、ナタは息を呑んだ。
 馬車が横転し、通り一面に積荷が散乱していた。その荷物を物色するように、三人の男が引っ掻き回している。扉が開いた家の前では、抵抗する若い女性の腕を、男がむりやり引こうとし、家の中からは赤ん坊が泣き叫ぶ声が聞こえていた。
「ナタ。馬から下りて、馬車の陰に隠れていろ」
「は、はい」
 マリオーネの低い声に、ナタはうなずいて馬から飛び降りる。
 馬上のふたりは、腰に差した剣を抜いた。マリオーネが、積荷を漁る三人、ルナリエールが、女性を拉致しようとする男のほうへと駆ける。
 ナタは、もつれそうになる足で馬車へ向かって走った。横転した馬車のそばで、老人が倒れているのが目に入る。足をはさまれて動けないようだ。苦しげなうめき声が口から漏れている。
「だいじょう…」
 ナタはあわてて駆け寄ろうとする。
 その耳に、甲高い馬のいななきが聞こえた。馬車に巻き込まれて転倒していた馬が、泡を吹きながら立ち上がる。黒い馬はたてがみを振り乱し、ナタと老人のあいだを猛然と駆け抜けた。
 蹄鉄をはめた脚が、投げ出された老人の手を踏みつける。
 皺だらけの手から赤黒い血が流れ出すのが、茶色の瞳に映った。
「あ…」
 ナタは、自分の鼓動が速くなるのを感じた。
 血を流し続ける老人の手から、目がそらせない。
 力が抜けて、その場に座り込む。息が苦しい。声にならない悲鳴が、胸の中で暴れまわる。呼吸が浅く、荒くなっていく――。
 一方、マリオーネは、それぞれ武器を手にした三人の盗賊と対峙していた。
 馬の脚を狙ってきた男の短剣を弾き飛ばし、後頭部に剣の峰を叩き込む。無用な怪我をさせないよう、注意を払う。
 ルナリエールは、狙われていた女性を家の中に逃げ込ませたようだった。これから不埒な男に、剣の柄をお見舞いしてやることだろう。
 男のパチンコから放たれた鉄球を避けながら、マリオーネはナタの無事を確認しようと振り返る。
 彼の目に飛び込んできたのは、横転した馬車のそばでうずくまる少年の姿だった。すぐに、尋常ではない様子だとわかる。
 動揺したためか、飛び掛ってきた男の肩を剣で斬りつけてしまった。顔や衣服に、返り血が飛ぶ。マリオーネは上着のポケットから砂をつかみ出すと、男の顔に投げつけた。
 目潰しに遭った男が転倒したところで、鋭い警笛が響き渡った。
 どうやら、誰かが町の警備隊を呼んだようだ。体格の良い警備隊員たちが、通りに踏み込んできた。ひとり残った悪党は、動けない仲間を残して逃げ出した。
 マリオーネは、馬首を巡らせて、ナタのもとへ駆け寄る。馬から下りると、肩をつかんで少年の顔を覗き込んだ。
「ナタ?」
 目は見開かれ、喘ぐような呼吸を繰り返している。
「怪我をしたの?」
 後ろから掛かったルナリエールの声に、首を振る。
「いや。外傷はないようだ」
 ナタの視線が、マリオーネの顔や服に散った血の跡を追う。そして、目をつぶると強く頭を振った。
「ナタ!……ナタ!」
 少し力を込めて、マリオーネは少年の頬を叩く。
 再び開いた瞳に、二頭の馬が映っているのが見えた。疾走と戦闘のあとで、まだ興奮を残している――。
 ナタは、そのまま気を失った。



 目が覚めると、ベッドの上で寝かされていた。部屋には誰もいない。
 ナタの体が、恐怖で強張る。
 あのときも、そうだった。気がつくと、見知らぬ部屋でひとり寝かされていた。呼吸が荒くなる。
 だが、あのときとは部屋の内装が違うことに気づく。記憶も、だんだんと蘇った。ゆっくりと深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
 壁にかかった鏡に、ターバンを外した頭が映っている。自分で短く切った髪は、お世辞にも似合っているとは言えない。
 部屋のドアが開いて、マリオーネとルナリエールが姿を現した。ナタが身を起こしているのを見て、ふたりとも安堵の表情を浮かべる。
「大丈夫か?」
 マリオーネの声に、ナタはうなずく。
「ごめんなさい、心配かけて」
 ルナリエールからコップを受け取って、少し水を飲んだ。
「何か食べるか?」
 この言葉には、首を振った。
 そして、低い声で尋ねる。
「マリオーネ。僕の前に倒れていたおじいさん…どうなったか、わかる?」
「あぁ。警備隊員が病院に運んだはずだ。怪我はひどいようだが、命に別状はなさそうだった」
 答えを聞いたナタの表情が、安堵にゆるんだ。
 マリオーネとルナリエールは、椅子をベッドのそばに置いて、腰掛けた。
 じっと、少年の顔を見つめる。
「ナタ」
 ゆっくりと、マリオーネが口を開く。
「はじめて会ったときも、そうだった。俺の馬を見て、怯えていた。さっきもだ。ナタは、馬が怖いのか?」
 ナタは、下を向く。
「もしそうなら、正直に言ってくれてかまわない。馬を預けて徒歩で行ったとしても、ここからならそうかからない」
「……」
 何の反応も示さないのを見て取って、マリオーネは重そうに口を開く。
「だが……馬を怖がる人間に、軍隊は勤まらない」
 ナタはマリオーネを見つめる。そして、わずかに苦笑を浮かべた。十三歳にしては、ひどく大人びた表情だった。
「そうだね」
 短い赤毛に触れて、真顔に戻る。
「でも、十八分隊にはどうしても行きたい」
 マリオーネもルナリエールも、何か読み取ろうとするかのように、幼い顔を見つめた。ナタも、目を逸らさない。
「どうしてだ?十八分隊に何かあるのか?」
 その問いに口を開きかけて――ナタは、力なく首を振った。
「話したら、たぶん、マリオーネもエールも僕を軽蔑すると思う」
 今度は、マリオーネが首を振った。
「俺たちは、ナタのことを軽蔑したりなどしない。おまえが、怪我をしたおじいさんを真っ先に心配するような優しい子だってことを、知っている」
 ナタを見据えたまま、言葉を継ぐ。
「俺もルナリエールも、ナタの味方だ」
 まっすぐに言われ、ナタの頬に赤みが差す。
 その瞳に、決意の色が宿ったのが、わかった。
「確かに……いまは、馬が怖い。でも、少し前まで、馬が怖いなんて思ったこともなかった」
 ナタは、伏せていた目を上げる。
「僕は、馬が当たり前にいる、牧場で育ったから」
「牧場…?」
 マリオーネの声に、赤毛の頭がうなずく。
 そのわずかな動きのせいで、マリオーネとルナリエールが目を見交わしあったことには、気づかなかった。
「嘘ついてごめん。本当は、ハノイじゃなくて、ライル村から来たんだ。村の裏に山があって、そこに牧場を作って暮らしてた」
 祖父と二人暮らしだったこと。祖父は、厳しいけど優しい人だったこと。平和で穏やかな牧場が、突如、騎兵隊によって破壊されたこと。
 祖父も、牛も羊も馬も、みんな死んでしまったこと――。
 ナタは、感情的になることなく、淡々と語った。
「気がついたら、村の人の家で寝かされていた。山から下りてくる騎兵隊を見た人たちが、心配して様子を見に来てくれたみたいだった」
 ナタは、自分の額にそっと触れる。そこには、赤く傷跡が残っていた。
「村中の人たちがお見舞いに来てくれて、いろんな情報が集まった。騎兵隊は、第十八分隊のものじゃないかっていう人が、多かった。山の向こうは隣のウダ国だから、国境を守る十八分隊と何かいざこざがあったんじゃないかって…」
 マリオーネもルナリエールも、一言も発さず、沈鬱な表情で聞き入っていた。
「僕は、こっそり村を出た。十八分隊に行って、いちばん偉い人――隊長に聞きたかったから。どうして牧場が破壊されなきゃいけなかったのか。どうしておじいちゃんが、死ななきゃならなかったのか」
 ナタは、一度言葉を切る。
 そして、少し躊躇したあと口を開いた。
「それから、復讐をしたかった。僕の大切なものを奪った、十八分隊に――」
 話し終わったナタは、ゆっくりと息を吐く。あどけないはずのその表情は、いくつも歳をとったかのように見えた。
「ごめんなさい。ここまで連れてきてもらったのに、裏切ったみたいになって。僕のことは、ここに置いて行ってもいいから」
 マリオーネとルナリエールを順に見て、ナタが言う。ふたりの顔は、日が暮れたせいか青白く見えた。
 沈黙のなか、マリオーネが口を開こうとする。
 だが、それよりも先に、ルナリエールの声が響いた。
「あなたを置いて行くなんてしないわ、ナタ。そうよね?マリオ」
 名前を呼ばれ、マリオーネは無言のままうなずく。それを確認して、ルナリエールは言葉を続けた。
「辛いことなのに、話してくれてありがとう。とりあえず一緒に、十八分隊の駐屯地まで行きましょう」
「……ありがとう、エール。マリオーネ」
 ナタがうなずく。
 その小さな頬に、ルナリエールはそっと触れた。
「今日は疲れたでしょう?この部屋をひとりで使うといいわ。もう一部屋借りられないか、交渉してくるから。――いいでしょう?マリオ」
「…あぁ。行ってくる」
 短く答えると、マリオーネは部屋を出て行った。

Natalie

July 23 [Wed], 2014, 16:00
3.

「あれが、第十八分隊の駐屯地だ」
 荒地の向こうに見える灰色の城砦を指して、マリオーネが言った。
 石壁が取り囲む敷地に、四角い建物とまるい塔が見える。門の上には、国旗が掲げられていた。
 緊張を感じているのか、ナタは唇を引き結んで、駐屯地を見つめる。
 リノールの町の一件以来、ナタが馬を怖がることも気を失うこともなく、穏やかな旅が続いた。しかし、目的地に近づくにつれ、だんだんと口数が減っていった。それに呼応するかのように、マリオーネとルナリエールもあまり口を開かなくなった。
「疲れてないか?休憩していってもいいが…」
 マリオーネの言葉に、ナタは首を振る。
「大丈夫。もう近いから」
「…わかった。行こう」
 ルナリエールにも声をかけて、マリオーネは馬を進める。
 細い道を、栗毛馬、白馬の順で進んでいく。
 無意識にか意識的にか、普段より栗毛馬の速度が遅いことにルナリエールは気づいた。
 やがて、砦の門へたどり着く。敬礼をした門番が、頑丈な門扉を開けてくれた。
 敷地をぐるりと囲む堀があって、そこにかかる橋の先には、内門が見える。内門の門番も丁寧に敬礼し、門を開けた。門番は一瞬だけ興味深そうにナタを見たが、何も言わなかった。
 門をくぐったところで、三人は馬から下りる。厩番に手綱を預けると、マリオーネはあとの二人を伴って歩き出した。
 石造りの四角い建物へと向かう。
 扉を開けて中に入ると、ちょうど一人の兵士が通りかかるところだった。彼は、姿勢を正して敬礼する。
「お疲れ様です。ラスティ隊長、エタ副隊長」
「…あぁ。いま戻った」
 マリオーネが低く答える。そして、ナタの視線から逃れるように顔を逸らした。
「あれ?この子供は…?」
 兵士が、ナタのほうへ視線を移す。
 ナタは、目を見開いて先ほど聞いた言葉を耳の奥で反芻していた。
 ラスティ隊長。エタ副隊長。
 マリオーネとルナリエール、ふたりに掛けられた呼称に、彼らの名前を思い出す。
 マリオーネ・ラスティ。そして、ルナリエール・エタ。
「うそ……」
 つぶやくような声が、小さな唇から漏れる。
 マリオーネは顔を背けたまま。ルナリエールは、唇を引き結んでナタを見ていた。
 マリオーネが、部下の兵士に向き直る。
「その子を、塔の部屋へ連れて行ってくれ」
「は…わかりました」
 戸惑った声で返事をして、兵士はナタの腕をつかむ。
「くれぐれも乱暴に扱わないように」
「はっ」
 隊長に敬礼すると、兵士は腕の代わりに肩をつかんだ。押されるようにして、ナタは歩き出す。
「マリオ!なぜちゃんと説明しないの?!」
「いま言ったところで、無駄だ」
「でも…!」
 マリオーネとルナリエールが言い争う声が、ナタの耳を通り抜ける。
 その顔には何の感情も浮かんでおらず、ただ呆然としていた。



 連れて来られたのは、三階建ての塔の最上階の部屋だった。
 小さなテーブルとイス、ベッドのみの殺風景な部屋で、窓は天井近くにある小さなものだけ。ドアに鍵はかかっていないようだが、外に見張りの兵士がひとり立っていた。
 ナタはベッドの上でうずくまり、差し入れられた食事にも手をつけていなかった。
 ――ラスティ隊長、エタ副隊長。先程の兵士の声と、ふたりの表情が頭を離れない。
 出会ったときは、都からの使者だと言っていた。おそらく、第十八分隊に入りたいと言ったナタを試すつもりで、身分を偽ったのだろう。
 では、ナタの復讐心を知ってもなお、一緒に旅を続けたのは?
 なぜ、どうして、という言葉ばかりが、胸の中で繰り返される。
部屋のドアが静かにノックされ、マリオーネが姿を見せた。彼の手振りで、見張りの兵士は塔の階段を下りていく。
 ナタは、うずくまったままの姿勢で、彼に視線を注ぐ。
 ゆっくりと、マリオーネが口を開いた。
「ナタ。騙したような形になって、本当に悪かった」
「――僕を殺すの?」
 低い声で、ナタは言葉を発する。
 マリオーネがきつく眉を寄せた。傷ついたような顔に、ナタは息を呑む。
 そんな表情をさせたくない――そう思うのに、ナタの口は止まらなかった。
「牧場をつぶしたなんて、体面が悪いから」
「違う」
「じゃあ、このまま監禁するんだ」
「ナタ、頼む。話を聞いてくれ」
 マリオーネがベッドに近づいてくる。
 ナタは首を左右に振る。
「…いや。こないで」
 これ以上、彼にひどい言葉をぶつけたくない。
 ベッドの上で後ずさる。
 十八分隊のせいで、祖父は死んだ。平和だった牧場は壊れた。だけど――。
 鈍い音を立てて、背中が壁にぶつかる。
「いやっ、近づかないで!」
 腕をつかもうとするマリオーネの手を避けて、手足をむちゃくちゃに振り回す。
「ナタ!…ナタ!」
 マリオーネが、名を呼ぶ。
「ナタリー!」
 ナタがぴたりと動きを止めた。大きく見開いた目で、マリオーネを見る。
「その名前、どうして……」
 リノールの町で事情を打ち明けたとき、それだけは告白しなかった。知られたら、十八分隊に行くことに反対されると思ったから。
 マリオーネが、沈痛な表情で口を開く。
「ずっと捜していたんだ。俺の部隊が牧場を壊滅させたと聞いたときから。ライル村の人から聞いた、生き残りの女の子を」
「……口封じのために?」
「違う!」
 マリオーネが大きく首を振る。
 ――わかっている。
 彼は、行き倒れかけていた自分を助けてくれた。
 味方だと言ってくれた。
 通りすがりの人を救うため、盗賊と戦った。
「……っ」
 そんな彼が、人を傷つけるはずがない。
 悲鳴を押し殺し、ナタは――ナタリーは腕で顔を隠した。
「お願い。それ以上近づかないで…っ」
 絞り出すような高い声に、マリオーネは差し伸べていた腕を力なく下ろす。
 やがて、階段を下りる足音が響いた。

Natalie

July 23 [Wed], 2014, 15:59
4.

 マリオーネは、隊長室で王都から持ち帰った書類に目を通す。
 ナタと出会う前、彼はルナリエールと共に都を訪れていた。
 牧場を壊滅させたのは、隣国ウダの動きを偵察するために、マリオーネが派遣した部隊だった。ライル村の人々の予想通り、ウダとトラブルがあったのだ。
 ウダの兵士が国境侵犯を犯しているという情報が多く集まり、真偽を確かめるために、偵察部隊を送り出した。
 情報は本当だった。
 十数人ものウダの兵士が、堂々とミレーヌ王国側に足を踏み入れている現場を目撃したのだ。こちらの偵察部隊に気づいたウダの兵士はすぐに撤退したが、自国の領土から攻撃を仕掛けてこようとした。
 小競り合い程度だとしても、ここで戦闘になれば、国同士の戦争に発展する可能性がある。そう判断した偵察部隊は、撤退を決めた。実際に攻撃されれば、応戦せざるを得なくなる。焦った偵察部隊の進路にあったのが、ナタリーが暮らす牧場だった。
 偵察部隊から報告を受けたマリオーネは、都に赴き、国王と軍の上層部に事の顛末を説明した。
 そのかたわらで、人を遣って牧場の情報を集め、ライル村からいなくなったという生き残りの少女を捜させた。王都に行く道程を利用して、自分でも情報収集に努めた。それでも少女は見つからなかった。
 リノールの町でナタの話を聞くまで、偶然会った少年がナタリーだとは思いもよらなかった。あの日、牧場が悲劇に見舞われた理由を聞きたいと、ナタは言った。だが、いまさら説明したところで何の意味もなさないだろう。
 不意にドアがノックされ、軍服姿のルナリエールが入室する。
「隊長、お呼びでしょうか」
 マリオーネは目を通していた書類を脇にやり、口を開いた。
「エタ副隊長――エール。頼みがある。ナタリーを、故郷に送り届けてやってくれないか」
 ルナリエールは、観察するように彼を見る。そして、笑顔で応じた。
「ご自分で行かれてはいかがですか?私は父が見合いをしろとうるさいので、忙しい身なのです」
「…見合いするつもりなどないくせに」
 嘘くさい笑顔に、マリオーネはため息を落とす。
「明日以降、いつでもいい。ナタリーに希望を聞いてやってくれ」
「……このままでいいの?」
 その言葉に、マリオーネは億劫そうに顔を上げる。
「仕方がないだろう。俺は、あの子を裏切って傷つけた。嫌われて当然だ」
 ここに来て二日が経つ今も、ナタリーは食事にほとんど手をつけようとしない。マリオーネが訪れても、身を固くするばかり。彼女を混乱させまいと、最後まで自分たちの正体を隠していた――その判断が正しかったのかどうか今でもわからない。
 彼女に言うべきことも、伝えたいこともまだ言えていない。
「俺は、あの子に何もしてやれない」
 ルナリエールは、目を伏せるマリオーネを見つめた。
 やがて静かな声で了解の意を告げると、退室する。その足で塔の最上階へ向かった。
 ナタリーはベッドの上でうずくまっていた。この二日のあいだに華奢だった体はさらに痩せ、赤毛からは艶が欠けていた。
「入ってもいいかしら」
 何の反応もないが、了承と受け取ってルナリエールはベッドのそばに歩み寄った。
「隊長から、あなたを故郷へ送り届けるように言われてきたわ」
 ナタリーが顔を上げる。頬が青白い。
「明日でも明後日でも、あなたの好きなときに出発しましょう」
 返事はない。
「…それとも、やっぱり復讐したい?」
 目が合う。けれど、すぐに茶色の瞳は伏せられた。
「かえる」
 かすれた小さな声を聞き届けると、ルナリエールは部屋を出た。

 翌日、ルナリエールとナタリーは、荷台付きの馬車で出発することになった。当面困らないようにと、マリオーネが用意した大量の食料や生活用品を運ぶ必要があったからだ。
 近くの村で雇った男が御者台に座り、ルナリエールは護衛として、ナタリーと一緒に馬車に乗り込んだ。
 走る馬車の窓から、ナタリーは横目で、離れていく駐屯地を見ている。
 顔色はやはり良くないが、今日は少し朝食を食べたようだ。
 ルナリエールの視線が自分に向いていることに気付いて、ナタリーは窓から顔を背けた。
 ルナリエールは、ゆっくりと息をつく。
「このままでいいの?」
 昨日とまったく同じ言葉を口にする。
 ナタリーはゆるゆると頭を振った。
「マリオーネは、わたしの顔なんてもう見たくないと思う。いっぱいひどいことを言って、傷つけたから…」
「似た者同士ね。誰かさんも昨日、同じようなことを言っていたわ。ナタリーを裏切って傷つけたんだから、嫌われて当然だって」
「嫌ってなんか…」
 驚いて顔を上げる。
 十八分隊のせいで、祖父が死んだことは、悔しいし悲しい。その気持ちは、一生変わらないだろう。
 けれど――
 嫌うわけがない。あんなに優しいひとを…。
「だから言ったでしょう?このままでいいの、って」
 ぎゅっと拳をにぎり、下唇を噛む。振り返ると、第十八分隊の駐屯地は、思ったよりも遠く離れたところに見えた。
 息を吸って、顔を戻す。
 ナタリーが何か言うよりも早く、ルナリエールが御者に声をかけ、馬車を停めてくれた。


「もう一度!」
 マリオーネが張り上げた声に、返事がいくつも返ってくる。
 今日は朝から、訓練場で新人兵士のトレーニングを続けている。それほど多くはないが、隊に志願してくる者は一定数いる。
 ナタがそうだったように。
 幼い顔が脳裏に浮かび、マリオーネは強く首を振った。
 少し前に、ルナリエールと共に出立したと報告を受けた。彼女が護衛をしているのだから、無事にたどり着くだろう。持たせた物資と金で、数年は暮らしていけるはずだ。
 マリオーネは二度三度と頭を振る。どうしても、ナタリーのことに考えが及んでしまう。
 少し休憩でも入れようか――口を開きかけた彼の耳に、足音が聞こえた。
 兵士のものではない。もっと、軽い――
「マリオーネ!」
 呼ばれて、振り返る。
 ナタリーが、こちらに駆けてくるのが見えた。全力で走ってきたのか、息が乱れ、足元がふらついている。マリオーネの前まで来ると、倒れこむように地面に膝をついた。
「なぜ…」
 咄嗟に言葉が出てこない。苦しそうに呼吸を繰り返すナタリーの背をさすってやる。
 深呼吸をして、ナタリーは口を開いた。
「ごめんなさい」
「ナタリー?」
「いっぱい傷つけて、ごめんなさい。ひどいこと言って、ごめんなさい」
 ごめんなさいと繰り返すナタリーに、マリオーネは首を振る。
「ナタリーが謝る必要はない。謝らないといけないのは、こちらだ。おまえの大事なものを奪って、本当にすまなかった。――何をしても、償いにはならない」
「でも、マリオーネはわたしを助けてくれた」
 マリオーネはさらに強く、首を振る。
「無理に俺を許そうとしなくていい。これ以上苦しまなくていい」
「でも……でも…っ」
 うつむいた瞳から、涙がこぼれる。
 大きく息を吸い、ナタリーはマリオーネの手を握る。彼を見上げる。
「マリオーネがどんなに優しいひとか、わたしは知ってるから」
 その言葉に、マリオーネは目を見開いた。澄んだ茶色の瞳を見て、ゆっくりと息を吐く。そして、口を開いた。
「ナタリー。もし、ひとりで帰るのが辛かったら、ここにいても構わない。近くの町の夫婦が、おまえを引き取ると言ってくれている。以前とは生活が変わるだろうが、きっと幸せに暮らせる」
「…そのために、わたしを捜したの?」
 マリオーネがうなずく。
 ナタリーは、考えるようにしばらく黙りこんだ。しかし、涙を拭くとはっきりと首を横に振った。
「ひとりで大丈夫。帰って、牧場を再興したいの」
 マリオーネがふたたび目を見開く。
「どこまでできるかわからないけど…おじいちゃんが、大切にしてた牧場だから」
 おじいちゃんと言うときだけ、表情に痛みが走る。だが、すぐに顔を上げ、マリオーネと目を合わせた。
「だから、成功したら見に来て」
 マリオーネは、強くうなずく。
「あぁ。楽しみにしている」
 小さな手を握り返すと、ナタリーを立たせる。
 そして、言い聞かせるような口調で続けた。
「何か困ったことがあれば、言ってくるといい。もし辛かったら、いつでもここに来い。それから、食事はちゃんと…」
 ふふっ、とナタリーが吹き出すように笑う。過保護すぎたかと、マリオーネは反省した。
 まっすぐな瞳と、視線が合う。
「――元気で」
 マリオーネの言葉にうなずいて、ナタリーは手を離した。
 そして、笑顔になる。
「ありがとう、マリオーネ」
 それは、マリオーネが見た中でいちばん明るい表情だった。


fin.

Natalie

July 23 [Wed], 2014, 15:58





最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

小説を書いていて悩むのは、名前です。登場人物の名前、国や町の名前。
いちばん苦労するのが、題名――作品のタイトルです。
ぱっと思いつくことなんてほとんどなくて、考えて考えて考え抜いて・・・・・・どうしても思いつかなかった今回は、結局主人公の名前がタイトルになりました。
ところで、「ナタリー」という名前の綴り、ずっと"Nataly"か"Natary"だと思い込んでいたんですが、調べてみたら"Natalie"が主流なんだそうです。
ひとつ勉強になりました。
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