モデラート・カンタービレ〜2〜 

2006年02月07日(火) 16時03分
「どうも、お疲れのところすみません。彼の知り合いの、涼と申します。法律家なんて因果な商売を今でこそやっていますが、学生時代にはオケでフルートをやっていましてね。音楽家になりたいなんて、夢抱いたこともありました。
あなたの演奏を聞いて眠っていた音楽への憧憬が甦ってきたのです。一言、お礼を言いたくて。」

彼は真ん中で分けた長い前髪を手でうるさそうに掻き揚げると、私に笑いかけた。

「演奏家冥利につきますわ。私、デビューが28歳と遅かったでしょう?ヴァイオリニスト一本で食べていけるようになったのは、ごく最近なのです。
こんな新米に過ぎたほめ言葉ですね。どの演目が、一番お気に召しました?」

「そうですね、全て、と言いたいところですが、「チゴイネルワイゼン」が最も気に入りました。幻想的にして熱情にあふれ、鮮烈にして甘やかな音色。
あなたの鮮やかな技巧に、魅了されてしまいましたよ。」
「それに…」
「それに?」
「髪を下ろした、鮮やかなあなたにもね。」

椅子へ座っていた私の側へ近づくなり、髪に触れた。

「こうやって長い黒髪を下ろしているのが、たまらなくセクシーですね。」

5秒ほど見つめあったあと、どちらからともなく唇が重ねられた。涼の骨ばった長い腕が、私の体を這っている。


モデラート・カンタービレ。
それは、大人の恋。
スピードは緩やかではない。けれど、性急過ぎない。

歌い上げるように、ほとばしる熱に翻弄されて。

彼と私の偶然にして、必然のめぐり合わせは、こうして幕開きを迎えた。

モデラート・カンタービレ〜1〜 

2006年02月06日(月) 0時15分
中ぐらいの速さで、そして歌うように。モデラート・カンタービレ。

このタームが、私とあの人との関係を最もぴったりと表現しているだろう。音楽用語が、二人のことを一番適切に言い表しているなんて、出来すぎだ、と思う。

始まりは、突然に訪れた。

それは、去年の暮れ、オーチャードホールでの公演最終日だったのは鮮烈に覚えている。
私の愛してやまないサラサーテのチゴイネルワイゼンが、公演の演目に挙がっていたのだ。

好きなのに、めったに人前で弾かないのは、単に難曲だからという理由ではなくて、愛しすぎて人目にさらすのには勇気がいるから。でも、なんだかその日思いつきで、ふとリストに加えた。

あの人を知らないうちに呼びよせようと、していたのかもしれない。

3度目のカーテンコールを終えて、楽屋に戻った。

「お疲れ様です!今日の演奏、特によかったですよ。あの超絶技巧、よく指がつりませんでしたね。」
「ああ、ありがとうございます。」
「終わった直後に申し訳ないのですが、実はあなたに会って頂きたい人がいるのです。」

3日間の連続公演を終えて、くたくただった私は、今すぐにでもホテルのベッドに潜り込みたかった。
明らかに歓迎していなさげな、私の表情を読み取った劇場ディレクターはすぐさまこう付け加えた。

「いや、ほんの少しでいいんです。私の友人で、あなたの演奏をいたく気に入った、ぜひ会ってお話したいと言っていましてね。」

彼は、私がデビュー当時から何くれと目をかけてくれて、ようやく演奏家として食べていけるようになった今でも、こうやって私のコンサートを折に触れて企画してくれる。
そんな恩人の頼みをむげに断ることなど、できそうにもない。

「ええ、では少しだけなら。この楽屋でお会いしましょう。」
「そう!よかった!いや、彼がどうしても会いたいと言い張るものだから。よろしくお願いします。」

用意してあった水を飲み干して、高く結い上げていた髪をほどいた。
もうすぐやって来るであろう、私のファンには悪いけど、下ろした髪のほうが楽で好きなのだ。

遠慮がちなノックの音に私は、「はい、どうぞ。」とそっけなく応えた。

すらりとした長身の男が入ってきた。

ああ、たぶんこの人と恋におちるのだと、なぜかとても冷静に自分の感情を見つめていた。











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