楽しい音楽の時間「だんだんかわること」
January 05 [Thu], 2012, 0:40



(photo by Hitoshi Ishii)
海野雅威氏との、ライブ、終わりました。
沢山の方にご来場いただきました、ありがとうございました。
今回は、デュオ3回、トリオ4回やらせてもらいました。
今年は、6月にもトリオをやれましたから、
うんちゃんとはほぼ半年ペースで一緒に演奏できたことになります。
今回は、デュオで新潟、トリオで長野県小布施のほうにいって、
たくさんのことをみんなでわいわい話して、充実した時間を過ごしました
また、今回は主催してくださった方とも、
かなり濃厚に話す時間が持てました。
特に、新潟「器」のマスター、小布施「bud」のマスター、
川口「u3chi」の家主とは、
これまで以上に、じっくりと話し込んで、音楽のことを語りました。
こういう年だったからかもしれませんが、
音楽に対するお互いの「想い」が剥き出しになって、
それをぶつけ合って語って、本当に良い時間でした。
どのお店の店主も、うんちゃんのサウンドを頭でなく、
心で感じてくれる方ばかりで、とてもやりやすい環境でした。
しかし、このような関係は、ほんのそこらで築けるものではないし、
回数を重ねることに、
お互いの「本質」が見えてくるのは、当たり前であって、
極めて自然で健全な良い関係が築けているのだと思いました。
人間関係というのは不思議なもので、
最初、お互い物凄く心地よい印象を与えたり貰ったりした場合、
それが持続すること、
もしくはそこからさらに増幅していくことは少ない気がします。
なぜなら、人間は承認欲求があり、知らず知らず、
自分を等身以上に演出します。
だんだんダウンサイズしてきた時にその人間の本質が見えてくる。
それで、関係がギクシャクしていくのは、よくある話です。
僕もうんちゃんとは10年近く一緒にやっていますが、その辺のことは、
二人とも客観的に見られるようになってきたなと思います。
サウンドを時間の経過共々楽しんでくれる方と、
深い関係が築けてきたんじゃないかな。
ビル・エバンスが
「僕は表面的なところじゃなくて深いところで聴衆とつながりたい。」
ということを言っていましたが、
年々その言葉が僕の中で重みを増してきています。
お客さんが喜んでかえってくれるのが一番です。
しかし、そこに基準を合わせると、音楽が歪んでしまいます。
「お客さんの求めている最良のものを提供する」という行為は、
商売の世界では当然ですが、音楽には結果論としてしか当てはまりません
「器」のマスターが、「お客さんがいてもいなくても、俺がいいと思ったらそれで大満足なんだ」と
「バド」のマスターも「自分が満足しない音楽は絶対にやらない」と仰っていました。
マスターには、失礼な言葉ですが、
これくらい「わがまま」な関係が僕はとても心地いいのです。
「お客さんが大勢入ったからよかった」
「すべてのお客さんが喜んで帰ってくれたから良かった」
あまりそこを基準にしていらっしゃらないのです。
顧客満足度で音楽の善し悪しをきめられたらたまったもんじゃありません。
音楽家とハコ主の関係というのは、それくらい「わがまま」でいいと思います。
本音で言わないから、誤解が産まれるのだと思います。
ところで、店主にさえ喜んでもらえばそれでいいのか?それも違います。
店主のテイストに合わせて音楽をやるのも変な話です。
これまで、うんちゃんとツアーした場所には、
僕たちの音楽に好意的でない店主にも出会いました。
そこで演奏するというのも一つの大事な縁です。
この縁がまたつながればよいし、
つながらなかったら仕方ない。
すべての人が僕たちの音楽を理解してわかってもらえるなんてことは絶対思わない。
ある方のtwitterで、
「音楽というのは返事を期待しない手紙のようなものだ」
というブラジル人作曲家、ヴィラロボスの言葉が紹介されていましたが、
まさにその通りで、僕にとって音楽は「壮大な独り言」なんです。
ただやりたいことを、仲間と一緒にわいわい楽しくやるだけ。
いい歳した大人が、利害関係抜きに、音で繋がった仲間とわいわい、
人前で汗や鼻水を垂らしながら
なんか幸せそうな顔して訳分かんないことやってる。。。
それが音楽のいいところ。
震災以降、「音楽の力」とか「音楽家の社会貢献」という言葉が、
やたら蔓延して、まるで音楽は何か凄い力が宿っていて、
それを社会に還元するのが音楽家の使命のような風潮を感じて、
嫌気がしています。
音楽家としてそのような活動をする人は素晴らしいし、
そうじゃない人だって素晴らしい。
「音楽」を限定しないでくれと、いいたい。
音楽家は魔法使いでも、権力者でもない。
ただの音楽が好きで好きでたまらない音楽バカの集まり。
音楽家が「音楽の力」を主張するのはただの自己満足だと思います。
あー話が脱線した。
結局、何がいいたいかって。
お客さんとのつながり、主催者さんとのつながりは、
「だんだん」築き上げていくもので、
しかも時間の経過とともに味わい深くなっていくものだということ。
何か一つの出来事や発言で、相手を限定しないこと、きめつけないこと。
去年うんちゃんと、北海道の真駒内養護学校を訪問して演奏した時に、
校長先生に後でメールを頂いた。
「二人のサウンドが”暖炉”のようでしたよ」
最初、まったく興味がなくて騒いでいた生徒さんが、
だんだんおもしろがってきて、
最後には僕たちの周りに集まって踊りだしてくれて、
最後はアレンジした校歌で大合唱。
その様子が、まるで暖かい暖炉を見つけたような喜びに溢れていたんですよって。
僕はその言葉にもの凄く揺さぶられて、
すぐウンちゃんに伝えました。
二人で、我々が目指す音楽の方向性はこの「暖炉」だね、
と話し合いました。
音楽について大切ことは、いつも音楽家以外の方から気づかされます。
今回のツアーもことあるごとに「暖炉でいこうぜ」と声を掛け合いました。
じゅあさ君には、その言葉を伝えなかったけど、伝える必要がないくらい
最高なサウンドと、空気感で僕たちを包んでくれた。
そして、ウンちゃんのサウンドは、いつもかわらない、
暖かく耐えない炎だったね。
リハとか、言葉のやりとりはいらない。敢えて一言「暖炉」。
それだけで伝わる仲間は最高ですね。
これからはバンドサウンド改め暖炉サウンドでいこう。笑
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