昨日、今日、雨が降っていたせいか、私は少し気だるい感じで休日を過ごした。A先輩の作品展示を土曜日に見に行こうと思っていたのに、どうしても家を出られず、見られずに終わってしまった・・・(最終日だったのに・・・)ダメな私。
で、何をしていたかと言えば、本を読んでいた。
前に借りて読んだ本「ミラノ 霧の風景」を何年もの年を経て、先週再び手に入れた。
なぜ、もう一度わざわざ買って読み直そうと思ったかといえば、学校の図書館報への執筆を頼まれたから。
赴任当初も一度頼まれて、オススメの本について原稿を書いた。
そして再び原稿依頼が来たので、前に読んで印象に残っていたこの本をもう一度読んで、原稿を書こうとしたわけだ。
須賀敦子「ミラノ霧の風景」は、大学時代に友人Tと二人イタリア旅行に行ってしばらくした後に、S先生が貸してくれた本だった。
この本を読んで、私の訪れたイタリアが、そしてミラノが、つい先日のことのように思い出されたのだった。
私たちが訪れたときも、ミラノは霧に包まれていた。
正確にはミラノを出発し、ベニスに向かう日だった。
朝起きてホテルから出ると、霧が立ち込めていた。
道の両側にある並木が、うっすらと濡れた焦げ茶色になっていて、妙に静かだった。
須賀敦子のエッセイにも書かれてることなんだけど、イタリア語では、霧が「立ち込める」なんて表現はなくて、霧が「ある」か「ない」かという言い方しかないらしい。
その日も日本ではなかなか見ないような、濃い霧が「あった」。
そんなわけで、この本を読むことで、私はミラノの風景がはっきりと目の前に「ある」感覚、立ち現れる感覚、を持った。
高校生には渋いかもだけど、このエッセイの瑞々しさが伝わればいいな。
あの霧の、たくさんの水を含んだ空気のかんじ。
このエッセイはまさしくそんな感覚になる一冊。
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