移転しました 

April 20 [Thu], 2006, 18:48
ゆめや徒然は移転しました。
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活字好き一家の読書傾向3 

April 12 [Wed], 2006, 22:12
 我が家の本棚には、かぶっている本が何冊もある。生活の場が違った時期にそれぞれが同じ本を買っていたり、読んだのを忘れてまた買ってしまったっりしたもの。家中本でいっぱいなのだが、不用になった家具や衣類・雑誌の類は処分できても、本だけはなかなか処分できずにいる。(私が仕事上必要で買ったものだけは処分してしまったが)
 最近になって親二人は図書館を利用するようにもなったが、娘は相変わらずお金が入るとすぐ古本屋にとび、10冊・20冊単位で買い込んでくる。
 我が家に本を置く空間がある間は、この状態は続いていくのだろう。

 若い身空で流行ファッションには全く関心のない娘は、稼いできたお金の大部分を本やCDに費やしてしまうようだ。これは、着るものに頓着しない両親譲りであろうから仕方もないことか。
 雪が降った年末最後の出勤日に、入ったお金を早速下ろし、O市の古本屋で以前から目をつけていたいたらしい久生十蘭全集を買い込んで意気揚々と帰って来たのには笑ってしまった。まるで腕白坊主がずっと欲しかった玩具を手に入れ、嬉しくてたまらないといった様子そのものだったから。
 若い女が男の子のような恰好で、息弾ませ目を輝かせながら久生十蘭を買っていくなど、古本屋のおやじさんもさぞかし驚いたことだろう。

 夫は今、生き方を考える延長線上、小林秀雄を通しての本居宣長世界に没頭している。
 娘は「読書はやはり、おもしろく楽しいものでないと」と、探偵・推理・怪奇小説や髷物に回帰し、ポー・クリスティー・クイーン・ルブラン・ガードナー・ダイン・夢野久作・久生十蘭・小栗虫太郎・中井英夫・江戸川乱歩・横溝正史・山田風太郎・吉川英治・司馬遼太郎・柴田錬三郎・南條範夫・五味康祐・池波正太郎などの世界に遊んでいる。「おもしろきこともなき世をおもしろく」ということらしい。 
 遠く大都会で下宿生活を送っている息子は、大好きだった歴史から方向転換し、意外にも哲学の道を選んでしまった。今や、彼の下宿の本棚には、ずらりと哲学書が並んでいるらしい。

 いずれにしても、娘も息子も活字好きに育ってくれて嬉しい。
 親子の間で本の話題に事欠かないばかりか、それこそ私達の両親が死ぬまで本を手放さなかったように、活字好きが人生を楽しむ術の一つとなってくれるだろうから。

活字好き一家の読書傾向2 

April 05 [Wed], 2006, 22:30
我が家で恒例になっている大晦日の本の買出しは、あまり買いたい本が見つからず、ここ数年低調になってきた。
 読みたいと思う作家のものはほとんど読み切っているので、新しく出る若い作家の本か、今までとは全く異なるジャンルのものに向かうか、かつて読んだ本を再読するか・・・しかない。
 最近では本屋に行く楽しみが失せ、新聞で新刊案内・書評を見てこれと思うものをネットで注文することが多くなってしまった。書評だけを頼りに買う訳だが、実際読み始めてみると、期待はずれで途中で止めてしまうこともしばしばである。
 古本屋にも滅多に足を運ばなくなってしまった。(娘や息子はせっせと通っているようだが)

 そういえば、昔は古本屋へ行くのが楽しみだった。どんな人の手に触れたのかも知れない古本など買う気になれないと言う人もいて驚いたことがあったが、私は古本屋へ行くのが大好きだった。勿論行くときはいつも一人で。k市やO市まで足を運び、ついでに街の雰囲気も楽しんでくる。
 薄暗い店内(今は古本屋も明るく小奇麗なところが多いようだが)に、これも暗い電灯が灯り、頑固そうなおやじさんが本を読みながら店番していたものだ。
 商店街から店内に一歩踏み込むや、その空間だけタイムスリップしたような文学・学問の世界が展開される。天井まで届くような書棚にぎっしり本が詰まり、棚に並び切らない本は山積みされている・・・まさしく梶井の「檸檬」の世界だ。
 読みたかった本が安く手に入ったり、レポートや論文に必要な資料が見つかったりすると大喜びしたものだ。
 無口で気難しそうなおやじさんに「いい本を見つけた」と言われたりすると、本通のおやじさんに認められたような気がして嬉しかったものだ。

活字好き一家の読書傾向 

April 04 [Tue], 2006, 21:54
 活字好きというのは、結構代々伝わっていくものらしい。
 夫の両親も私の両親も活字好きで、夫の両親も夫も活字に係わる仕事を選んでいるし、双方の両親共に、亡くなる間際まで活字から離れることはなかった。
 当然、その傾向は子へ孫へと伝わり、我が家の誰もが活字なしには一日が終わらないという有様だ。
 趣味は読書だという人の中で、漫画だけはだめだという人もいるが、我が家は漫画も雑誌も大好きである。
 これも活字好きの姪などは、目を悪くした小学生の頃に一時母親から本を取り上げられてしまったことがあったが、活字なしの生活など考えられない彼女は新聞のチラシを熱心に読んでいたという・・・それ程に活字好きなのである。

 新婚時代、我等夫婦はテレビをもたなかった。夕食後の一時、レコードをかけながら各々の本の世界に没頭したものだ。そんな夫婦を夫の両親は「変わった似たもの夫婦」と言い、本好きの尊敬する先輩は「文化的な生活」と賞賛してくださった。
 子どもが生まれてからもテレビのない時代は続き、二人の子ども達も、ミルク・オムツの頃から本屋にはよく連れて行かれている。
 長女が保育園に行くようになった時、私の両親が「友達同士で話が合わなかったらかわいそうだ」と、古いテレビを無理やり持って帰らせた。
 「あったら観てしまうから買わんかったのに」と、夫は本音を。その時初めて、夫が元来テレビ好きでもあったことを知り可笑しかった。

 テレビが我が家に常設されるようになってからも、本好き一家に変わりはない。
 これも新婚時代から続いている年中行事の一つに、大晦日にH市の大きな本屋さんに行くというのがある。お正月に読む本を買いに行くのだ。
 お正月を迎える準備が整うと同時に、本屋さん目指して車をとばす。まだまだ忙しく行き交う人が多い商店街だけれど、門松や注連縄が飾られ、そこだけにもう新年らしい静けさ・空気が漂っている。そんな雰囲気も好きだ。
 店に入るや、各自が好きなコーナーに散り、半時間ほど後に皆が何冊もの本を抱えてレジに集合する。
 帰りにはまた必ず立ち寄る喫茶店があり、好きなお茶を注文するや、各自が抱え込んでいた包みを開き、早速本に目を落とす。
 新年に読むために買い込んできた本も、こうして年末から読まれることになるため、我が家では紅白歌合戦というものをほとんど観たことがない。

病背たらい・・・2 

March 30 [Thu], 2006, 20:58
 検査入院は、母と義兄の入院先と同じであったので、親族が三人も同じ病院に入っていたことになる。検査の合間に、母や義兄の顔を見に行き、母の衣類の洗濯もした。
 リウマチで体中痛い上での数々の検査は苦痛であり、検査結果を待つ間の不安もたまらない。
 その間、検査入院にもかかわらず、お見舞いに来てくれた元同僚達がいた。不安で、悪い方にばかり考えたり落ち込みそうになったりする私を、いろいろな話題で気を紛らわせてくれ勇気付けてくれたりもした。どんなに心強く、ありがたかったことだろう。

 幸いにも、検査結果はシロであり、ほっと安堵した。
 「神さんが、罰当てへんと思てたわ」と友人達は喜んでくれ、夫は「無駄な検査して」と言いながらも、その後しばらくの間は殊勝にも私の前ではタバコを吸うのを止めていたようだ。
 しかし、私の検査入院の数ヵ月後に義兄が亡くなり、一年半後には母も逝ってしまった。私は、またぼんやり日を過ごすようになってしまった。

 この不条理な人間に分かっている事はただ一つ、“人は生まれた時から死に向かって生きていく”のだという事。最近、池波正太郎さんのそんな言葉に出会った。
 私の誕生日は4月22日、まさにシニニいく、ではないか。
 “死に向かって生きていく”のであれば、死までの“私の生”を、自分の心身が喜ぶ事に費やそう。今はそう思っている。

 気を取り直してやり始めた書道・油絵・陶芸・染色・織物・古典講読・・・何と贅沢なこと、今までやりたかった事を次々と手掛けられて。
 関節の痛みで、人よりは一歩も二歩も遅れながらの歩みではあるが、今の私の体を最大限に生かしてやればいいと思っている。
 病背たらいながら、今充実の日々である。

病背たらい・・・ 

March 30 [Thu], 2006, 17:32
 子どもの頃からよく病気をした。熱でうなされながら、眠れぬ夜がくるのを恐れた。家族が寝静まった夜半、天井が大きな岩となって押しつぶそうと迫ってくる幻想、逃げても逃げても得体の知れないものに追われ、ついには大きな黒い穴に落ちてしまう夢・・・何度見たことだろう。
 そんな体験が、子ども時代の絶えざる不安感、内向的な性格形成の一因となったようだ。

 50を越えて、慢性関節リウマチ炎を患った。母も長姉もこの病で長く苦しんでいたので、この時は“とうとう来たか”という思いだった。そして仕事を辞めた。
 “あなたの天職だから”とか“指令を出してくれれば私達が動きますから”など、友人や同僚達から仕事を続けることを勧められたが、体中が痛くて自分の体すら自由に操れない身ではどうしようもない。
 周囲の人達に迷惑を掛けたり、満足のいく働きができなかったりでは、自分が納得できない、許せない。で、きっぱりと辞めてしまった。

 ところが、仕事を辞めて2年目、今度は“肺癌の疑いあり”と診断されてしまった。この時ばかりは、正直ぎょっとなった。“私は死んではいられないのだ!”から。
 当時、入院中の母・生き方の定まらない娘・受験生の息子を抱えて、ここで倒れてしまう訳にはいかなかった。
 自ら病を呼び込んでしまう人もいると言われているが、私の場合も性格上、今までの数々の病気の中には自ら呼び込んでしまったものもあるのだろう。
 しかし、しかしである。何度も病気をしながらも共働きで頑張ってきたご褒美が“肺癌”では、ちと割に合わないではないですか!

45年ぶりの再会 

March 24 [Fri], 2006, 20:50
 三月は別れの季節である。あちらこちらで卒業式・送別会が行われている。
 若いころは、次に来るべき世界や人との出会いへの期待感からか、自分の卒業式に涙を流した記憶はほとんどない。
 しかし、ここまで年を重ねてくると、人との別れが本当に辛くなってくる。親しくしていた人達の死、死んでしまうかも知れないというほどの体験、今までの人生よりも残りの人生の方がはるかに少なくなってしまった己の年齢等を考えるからか。
 これからの人生も、影響し合い労わり合いながら家族と共に生きていきたい、共感し合ったり喜びを分かち合ったりできる仲間と共に在りたい、そう思うのである。

 一方、春は出会いの季節でもある。新しい環境の変化が、新しい出会いをもたらしてくれるのだから。
 出会いの季節だからというのではないが、私は最近、素晴らしい出会い(再会)をしてしまった。中学1年の時の友人と、何と45年ぶりの再会を果たしたのだ!彼女の消息を聞かされた時、どんなに懐かしく嬉しかったことだろう。
 k駅まで彼女を迎えに行き、真っ赤なコート姿の女性がE さん(旧姓)だと直ぐに判った時には、自分でも驚いてしまった。話し始めてみると、45年も経っているとは思えないほど直ぐに“あの頃”に戻れ、楽しく語り合えた5時間だった。面影や穏やかな語り口に昔のEさんを残しつつ、素敵に年を重ねてこられた様子も伝わってきて、長く生き続けていると、こんな素敵な再会をプレゼントされることもあるのだと喜んだ。

 お父さんのお仕事の関係で、2~3年毎に転校を余儀なくされたEさんには、幼馴染というものがいないのだとか。新しい環境に早くとけ込むためには、過去を断ち切ってでもその中に飛び込まねばと子ども心に思ったのだろう、そう言って彼女は寂しく笑った。
 中学1年の1・2学期を共に過ごしただけだが、Eさん、私達もれっきとした幼馴染ですよ。これからも、幼馴染として何度でも会いましょう!

手織りの楽しみ2 

March 13 [Mon], 2006, 20:42
 最初に織ったのは、毛糸のマフラー。初めてにしては、まずまずの出来ではなかったか。巾もほぼ一定し、糸と糸との間隔も整然と(?)織り上がり、私としては大満足。織り上がったマフラ-を首に巻き、さっそくカメラに納まったというから、その嬉しがりようは相当なものであった。
 卓上の、平織りしか出来ない織り機ではあるが、糸の色や質・配色・織り方等に変化をつけることで自分だけの作品に仕上がる。その妙味は、何ものにも代え難い。

 昔、恩師が、「職人芸というものに憧れませんか」と、おっしゃったことがある。若いころの私は、小さい人達相手の仕事を持ち、その人達の成長に心奪われていたので、職人芸はおもしろいとは思っていても、まだまだその世界にのめり込むまでには至らなかった。
 しかし今、私は織物が自分と非常に相性がいいのではないかと思い始めている。
 糸を選び、縞わりを決めると、後はただひたすら織りに織る。横糸の引き加減とへドルの打ち込み加減に気を配りながら、自分のリズムで織り続ける。
 その行為の中に、何もかも忘れてしまえる時間というものがある。目前の糸と織り上がっていく布以外の何ものも目に入らず、流し続ける音楽さえ耳に入らない。自分の存在すら忘れているという・・・
 職人芸の世界など到底解りようもないが、恩師が言われた言葉の意味は、少し理解出来るようになったこの頃である。

手織りの楽しみ 

March 12 [Sun], 2006, 15:49
 織りを始めたのは2年まえの秋のこと。
 染色をやり始めると、自分で染めた糸で織ってみたいという願望がむくむくと頭をもたげてくるものらしい。
 きっかけは、染色の初先生宅に初めてお伺いした時のことだった。
 先生宅の応接間から二階へ上がる階段横の白壁に、水色と茶色の糸で織り上げられたタペストリ-が掛けられていて、何と、糸と糸の間に少しずつ稲穂が織り込まれていたのだ!
 勿論、糸は先生ご自身が草木染にされたもの。

 草木染にされた糸の優しい色調と稲穂が絶妙にマッチしており、その見事さに息を呑んだものだ。
 大胆にも、草やドライフラワ-・木の実・小枝などを織り込んでしまうという発想。そんな作品を初めて目にした私は、すっかり参ってしまい、作品とその創作者である初先生丸ごと惚れ込んでしまった。
 因みに、初先生のご専門は、染色よりも織りの方であるらしい。

 初先生に織りの方も教えていただきたいと願ったが、諸条件整わずに断念。
 その後、高校時代の同窓会で再会した友人が織物を手がけていたのを思い出し、無理をお願いして教えてもらうことになった。
 この友人がまた、京都の専門学校で初先生と相前後して学んでおり、お互いに名前を知っていたというから、まさに世間は狭いと実感したのであった。

自然から色をいただく2 

February 24 [Fri], 2006, 20:50
 それ以来、自然の草木から色を出してみたいと思い続けていたが、仕事と家庭の間で忙しく日を過ごす身には、なかなか願い叶わず、いつしか遠い世界のことと諦めかかっていた。
 しかし、“念ずれば、花開く”である。
 仕事を辞め、小さなお店をもつことになったとき、草木染に触れるチャンスが再び廻ってきたのだ。

 最初は、草木染の商品を置かせていただくだけのつもりでお会いした初先生だったが、ワークショップもなさるということで、即弟子入りさせていただいた。
 商品を並べておくだけでは飽き足りない、私自身が草木染を手がけてみたかったのだから。
 初先生の、「主婦に草木染を広めたい」「失敗すれば、また染め直せばいい」「主婦の発想を大切に」等々のお言葉は、恐る恐る草木染の世界を覗いてみようとする者にとって、まさに救世主そのものであった。

 初先生宅で開かれるワークショップは、海外生活の長かった先生のおおらかさと、広々とした洋風のお住まい、その周囲に広がる田園風景に包まれて、実に楽しいものである。 伸びやかに自己解放された気分にもなれる。
 草木染独特の染液の香気の中で、思いもかけない色にめぐり会える瞬時に、毎回深い感動を覚える。
 染液の色、液から取り出した時の布色、水洗いしている時の色、空気に触れ乾いていく時の色など、その時々の色の変化を見るのは、楽しみでもあり、驚きでもある。
 染液を作るもとになる草木も、採ってくる場所・季節・年々の気候によって、微妙な色の変化をもたらす。 まさに、自然界の妙味である。

 自然から色をいただくという先人の知恵、またその色につけられた数々の美しい名・・・。
 今更ながらに、人間をも含めた自然界の不思議・偉大さに感嘆する私である。
2006年04月
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