晩秋の陽を追いかけて 

November 30 [Wed], 2016, 12:34
もう、秋も終わるんだね。

ガレージにテキトーに据え付けた太陽光パネルと、太陽の角度がぜんぜん合わなくなっちゃった。


ネットで買った50wパネルが2枚。買った時期が違うので大きさも違う。夏場は夜間のガレージ照明、オーディオ、各種充電ぐらいはこれでまかなえた。


空を見上げれば、陽の射す角度があまりに違っているので、試しにテキトーマウントから外して傾きを変えてみたら、電圧がグン、と上がったのを見て愕然とし、角度の変えられるマウントを作る事に。


素材のアングルやパイプは知り合いの鉄工所さんのご厚意で戴いてきた端材。



このような構成となる。
良く考えたら、切断、穴あけ、溶接、研磨と結構電気を使ってしまった。











この時期は、こんな角度になってしまう。





にもかかわらず6Aって。72Wってこと?
ホントかなあ?



次はきっとトンビが鳴く頃。
春の陽を追い掛けます(^-^)

「記憶の旅」 ”キャニオンチュービングweb 更新雑記 ’04年11月24日版 より” 

June 27 [Mon], 2016, 9:35
ふと、何かのはずみである記憶が沸き上がり、そのまま動けなくなってしまう事がある。

本当の出来事から少々ずれていようと、”記憶”は、その人が思い出した時点での、過去の”事実”だ。
実際その時に辛い思いをしていても、時間が経って、思い出す事が楽しければ、それは楽しい体験だったと言える。

思い出す事が楽しいと、「もっとたぐりよせたい、」と思う。
しかし、記憶の糸をたぐり寄せているうちに、その記憶が新しく新鮮であればある程、些細な、どうでもよい出来事まで拾い上げてしまうのだ。

良い記憶。それは、”忘れる”という濾過や、”辛い”が”楽しかった”と言えるまでの発酵を繰り返し、初めて熟成される。

旅の記憶がそれだ。未熟な自分が、見知らぬ旅先で一人で居る事の自由や不安は、熟成すると僕の記憶に鮮やかな彩色を施すようになる。

学生生活最後の夏休み。僕はバイクに野宿道具を載せ、初めて北海道を旅した。

僕とバイクを載せたフェリーが小樽港に着岸し、北海道の地を踏んだ時、僕を囲んでいた壁は何一つ無くなり、かわりに現れたのは、僕を知る者の住まぬ台地と、その上に溜まった冷たい夜明けの空気だけだった。
そしてその全てが僕を刺した。

僕の破ち切れんばかりの不安は、握りなれた右手のアクセルを開ける事でのみ、打ち消された。

17歳の夏の出来事であった。



3年前。ヒッチハイクをしながら、当時に知り合った北海道の仲間を訪ねた。
最近、僕の中での北海道は、旅人に暖かい人たちが棲んでいて、各所に仲間が居て、気楽な旅をするには絶好の地、となりつつある。

しかし想った瞬間に手足が凍りつく程、僕の心を揺り動かす北海道の記憶は、仲間の家に泊まり、飲み歩いた事ではなく、初めて一人で走り始めた時の不安、僕を包んだ冷たい空気だ。

もう、僕が同じ季節、同じ場所に立ったとしても、同じ体験は出来ない。それはただ過去を懐かしんでいる以外の出来事ではない。



昨年、僕は初めてニュージーランドへ行った。

出発前、部屋においてあるザックが、テントや寝袋で膨らんで行く姿を見ているだけで、僕はもう既に十数年の年月を飛び越えようとしていた。

今思えば、僕は見知らぬ土地へ、記憶を拾いに行ったのかもしれない。




キャニオンチュービングweb 更新雑記 ’04年11月24日版 「記憶の旅」 より”



それでも粛々と年は暮れ明けるのだ:「嗚呼、憧れの薪割り機・その4」の巻 

January 15 [Fri], 2016, 10:32
年は暮れ開ける…などと言うタイトルでながながと書きつつ、気が付けば1月も中旬である。

全く薪の割れないまま、作成途中の薪割り機は壊れてしまった。

そもそもはと言えば、ある朝目覚めたときに閃いて、思い付きで始めたような工作である。
「もう、続きを作るの止めようか…」などと、また寝起きにボンヤリ考えていたが、よく考えたら年末に貰ってきた、ぶっとい薪の原木が2トン以上あるのだ。

アレを全て手で割ることを考えると、ゾッとする。

ネットで薪割り機を探せば、3万円せずに12トンの新品が売られているのは知っていた。

薪割り機作りの時間を賃労働し、新品を買う方がどう考えても経済的だけど、それでは自分がやろうとしている(薪を割るという)ジブンゴトへの関わりが薄くなってしまうようで、物足りないのである。

「12トンぐらいの能力のジャッキを、しっかりとした門型フレームに収めれば太い薪も割れるかな…」

ふとマブタの裏でその形状を想像してみた。

「あれー、なんだか見たことある形だなー…なんだ、ウチにあるわ、ソレ!」

と、いう事でガレージから安物12トンプレス(安物ばっかりだなあ…)を引っ張り出してきて、数日前に作成した矢を敷いてテスト。


おもむろに試したら、おもむろに薪が割れてしまった。


作成した矢も、しっかりシゴトした。



なんだこれでいいのか、カンタンじゃんか、出来たデキタ。と喜んでいたら、思い切り力が掛かっている状態で薪と矢が外れ、飛んできた。

どうしたんだろう、と思いながら何度かやり直してみたけれど、やり直す度に薪と矢の飛び出し率はどんどん高くなって行く。
どうやら、このプレス機のフレームの剛性が低すぎて、力が横へ逃げていってしまうようである。

そしてとうとう一番力が掛かる所のチャンネル材がヘタってしまった。

へしゃげてしまったチャンネル材。このプレス機は総じて材料が薄く、柔らかい印象である。



ちまちまとチャンネル材をプレスで直しても良いが、どうせまたへしゃげるのだ。
というより、そもそもこのプレスのフレームはあちこちぐにゃぐにゃ過ぎる。

新品一万円程度のシロモノに対してブツブツ言っていても仕方がないので手を動かすことにする。


ボルトをしっかり締めた状態で、この隙間である。改めて見てビックリである(というより忘れてた)。



これもボルトを締め付けた状態。
この製品に対してというより、過去の自分がこの事態を知りつつそのまま組み立て、使っていた揚句すっかり忘れてしまっていたことにハラが立つのである。




この隙間は、製作時に材料が溶接された時点で決まってしまうので、直すには一度切り離すしかないのだ。
安物の充電レシプロソーが活躍。



分離後、


隙間の出来ない寸法にして安物溶接機で溶接。
というわけで安物工具で安物工具を直すのであった。



12トンの力を受ける梁は、最初に作っていた薪割り機のフレームで使っていた角パイプをバラして使い、荷重が逃げても今後は薪と矢が飛んでこないよう薪割り専用治具を作成。




さらには調子に乗って、


買ってとて一本数百円のジャッキボルトを、限界まで使い切ったサンダーの砥石で作ってみたり、


油圧ジャッキのリリーフバルブのハンドルアタッチメントを、凹んで使えなくなったバイクのスネイルカムで作ってみたりして、
(取り付け角度をしっかり想定して作ると、とても回し易いハンドルになる)


昔、同級生が娘に買ってくれた三輪車の、


後輪を失敬し、色を塗って完成。



薪を割る様子の動画




出来たらホッとした。

2トン分の薪割りは、また今度やろっと。

それでも粛々と年は暮れ明けるのだ:「嗚呼、憧れの薪割り機・その3」の巻 

January 12 [Tue], 2016, 0:29
溶接機が煙を吹いたり自転車直したり燻製作ったりで、あまり進展の無かった憧れの薪割り機作成作業だけど、溶接機も奇跡の復活を遂げたので、矢の製作が一気に進んだ。




で、その取り付ける相手だとか色々作りこむ前に(意外に時間が掛かる)、実際に薪を試し割りしてみることにした。

なんせ初めての薪割り機なので、薪を割るのにどれぐらいの力が要るのかもわからないし、作ったばかりの矢の形状も、実のところどんな形が良いのか分かっていないのだ。

油圧シリンダーを固定しているフレームに薪と矢を差し込み油圧ポンプをキコキコやると、薪に矢が少し食い込み、途端にポンプのハンドルが重くなる。
かなりの力が必要になったポンプをぐいぐいやっていたが、良く見ると結構分厚い50ミリ角パイプのフレームが反って来ているではないか。
今まで、ひとりでアホな工作を繰り返し、何度も危険な思いをしてきた本能か、一旦ストップして保護ゴーグルを着用してから、さらにきこきこと加圧した。

それでも薪が割れる気配がすら感じられず、恐怖と怒りから派生したヤケクソで、
「もう壊れてもいいや!」
と思い切り油圧をかけると、

ガシャン!!

という大きな音と共に薪と矢が外れた割には、パッと見何も壊れていないように見えたが、良く見てみるとフレームの通しボルトが破断していた。


油圧ジャッキの力で角パイプの幅のまま3分割された通しボルト。この薪割り機はボルトカッターにしましょうか。



印象としては、ボルトが細かっただけではなく、フレームの剛性不足(これはガチガチの溶接構造にしたら回避できる)に加え、油圧シリンダー自体の能力不足も感じられた。

要するに、最初からやり直しである。
脱力感と寒さから、廃油ストーブの傍らにしばし座りこんだ23時。


年の節目のこんな時間に一体、オレは何をやってるのだろうか。


しつこくつづくのだ。


この廃油ストーブについては、今まで様々な所で何度か書いているが、こんな失敗をやらかした時は何よりも僕を慰めてくれる。その音の力強さに耳をあずけ、炎の揺らぎを眺めていると、このストーブがこの形になり、こうやってガレージや僕を暖めるに到るまでに、うまく行かずに何度も諦めては作りなおしをしたことを思い起こすのだ。





おまけ

薪割り機の失敗から心がなかなか前に進まず、気晴らしにずっとほったらかしていた、一番良く使っている腕時計、カシオDW-6500の修理をすることにした。



機能を欲して買った同じ中身を持つGショック以前のモデルから、失くしては買い直しを繰り返し、確かこれで4本目だったと思う(今まで3本無くしたのだ)。

圧力センサーを装備しており、気圧高度(今はGPSが有るから要らないケド)、天気を予測する為の気圧グラフ(スマホでネットの天気予報みれるから要らないケド)、そして水深を測る(これが大事!)ことが出来る。

先秋のキャニオン・チュービングの時、瀬に入る手前でバンドのピンが破損して外れ、そのまま川中に紛失しそうになったのを慌てて確保してから、使えないのでそのまま放っておいたらいつの間にか電池も切れていたので、修理に必要な物を全て買い揃えておいたままになっていたのだ。



田舎暮らしをしていても電池のみならず、ピンの大量セットやOリングの大量セットなど、全てネットで安価に揃うのでヒジョーに助かるが、このようにして使わない大量の部品達が溜まっていくのである。






時計は無事にメンテナンスを終え、また僕の腕に帰ってきた。
思えばこの時計、海山川ではいつも一緒だった。


(撮影:メタルおじさん)


再び動き出したこの時計を腕にはめガレージに行けば、すっかり止まってしまった僕の薪割り機造りの時間も、再び動き始めるだろうか。


それでも粛々と年は暮れ明けるのだ:「嗚呼、憧れの薪割り機・その2」の巻 

January 08 [Fri], 2016, 10:29
気が付けば、なんだかハナシが憧れの薪割り機からどんどん遠ざかっている気もするが、ここは先ず自転車を直さなくてはならないから、いいのである。

で、その農高長女に託された、爺ちゃんの形見のおんぼろ自転車であるが、あまりに錆びちゃって使用不能のフロントホイールについて、近所の茶飲み酒飲みギター友達の自転車屋さんにメールで相談すると、
「ウチに中古のホイールがあるかもです。」
との暖かい返信を頂き、早速娘と共にお店へ。


ドンピシャの中古フロントホイールを見つけてもらって喜んでいたら、これも換えたら?と綺麗なハンドル廻り一式や、センタースタンド(好意で出してくれたサイドスタンドを見た娘が、「センタースタンドがいい。」と自転車屋さんに言って換えてもらった)、ステンレスの前カゴまで揃えて頂いた。




帰宅し、ごろごろスマホタイムを迎えようとしている娘に、
「酪農家になるんだったら、少々は機械のことも自分で出来るようになっといたら?」
ということでツナギに着替えさせ、工具の名前と使い方を教えながら作業を手伝わせる。




部品交換をしていて、頂いたステンレスカゴの溶接がはずれていることに気が付いた。

やっぱり溶接機の必要を感じ、ちょっと手に負えそうな感じがしないでもないが、自分レベルで出来ることをとにかくやってみよう、ということで、もう一度TIG溶接機のカバーを外して、おそるおそる電源を入れてみたら、悪臭を伴った煙がガレージ内に充満。

で、盛大に煙が発生したと思しき箇所を見てみると、コンデンサーが盛大にお漏らしをしていた。




以前、アホみたいに買い揃えた電解コンデンサーとは、表記方法が違っていていささかコンランしたが、ネットオークションでより高精度な日本製のフィルムコンデンサーを5個500円で購入し、交換。




スイッチを入れても煙は上がらなかったのでアルゴンガスを繋いだら、早速自転車カゴの溶接が試運転である。娘にも溶接面を渡してその様子を見学させた。

僕:「オーッ、ちゃんと溶接できるぞ!ほら、ここんとこ溶けてるだろー!」
娘:「ほんまやー」
僕:「この溶接機なー、煙吹いて壊れてたのをオレが直したんだぞー(得意げに)」
娘:「そーなんやー」
僕:「100円の部品交換したら直ったー」
娘:「マジでっ!!」

と、ビミョーに関心の異なる会話をしている間にカゴはくっついた。




これで娘の自転車は直ったので、僕が「戻ってヨシ!」というと、
娘は「イエーい!」と言い残してソソクサと家に戻り、後で見てみれば、暖かい場所に陣取って僕のギターを弾いていた。






で、僕はというと、溶接機が直ったので作りかけだった薪割り機の矢の製作にソソクサと取り掛かったのである。


今回煙を吹いたTIG溶接機は、アーク溶接や、プラズマカッターとしても機能する。別にアーク機があるので今までアーク機能は使っていなかったが今回、コンデンサー修理の試しにやってみたらなかなか具合が良くて、これからアーク溶接もこの溶接機でやることになりそうだ。




矢の刃に当たる部分は、マンギョンボンゴ号の折れたリーフスプリングを使い、SS400(たぶん)材のフラットバーと溶接で繋いだ。
思えばこのリーフ、折れてからも何かと活躍しているのである。




しつこくつづく。


おまけ。

最近煙ネタが多いのでもうひとつ。
このところ、ウチの薪ストーブでは雑木を燃やすことが多く、家の周りには煙の良い香りが漂っている(実は家の中もだ)。

数年前のある日、その煙の芳香を嗅ぎながらふと思い立ってやってみたのが、薪ストーブの排煙燻製である。
たまに屋根の上で滑って地面に飛び降りるような事態なったことはあるものの、なかなか具合のよい燻製が出来る。

やはり今回も滑り落ちかけたので、梯子を掛けた。大人なので。


数日間味付けをしていた、地元産のシカ肉。
柔らかめに仕上げて食べるときに薄く切って、チーズの上に載せて食べるとビールやワインに良く合う。

それでも粛々と年は暮れ明けるのだ:「嗚呼、憧れの薪割り機・その1」の巻 

January 06 [Wed], 2016, 20:55
というわけで、突然にガレージ隠りをしたくなった僕は、その朝、目覚めて一番最初に思い浮かんだ薪割り機の製作に取り掛かることにした。

昔買った格安パイプベンダーに付属して来た油圧シリンダーが有るので、それを頂き物の角パイプで作ったフレームに載せればかんたんカンタン、直ぐ出来ちゃうじゃんか、と格安工具屋でパイプベンダーと一緒に買ったバンドソー、それらと一緒に買った溶接機で作り始めた。


夢中になると、作業場は足の踏み場もなくなるのである。工作少年とはそんなものである。




薪に食い込んで割り広げる役を担う、”矢”を作っている時、突然安物TIG溶接機から煙が上がった。

この溶接機は最近なんだか調子が悪くて能力が上がらず、厚物溶接の修正をしていたこともあって電流値を最大にして長い時間使っていたのだ。

煙が上がったので直ぐに電源を切って先ずは内部を確認するが、盛大な焦げ跡は確認できず。




ネットオークションで新しいのを探してみるとあまりの安さにくらくらするが、なんとも釈然としない。

新しい溶接機が自宅に届いた場面を想像しても、全く心躍らないのだ。

やはりココは自分の出来る範囲でとことん戦う(溶接機の修理を試みる)か、長年付き合ってきたこの愛着のある安価な溶接機とケツベツし、新たにさらに安価な溶接機を調達し、安全安易に安らかに、何事も無かったかの如くこの事態を安っぽくやり過ごすかどーしようかー、などと考えていたら、冬休みでまたまたウチにお泊りにやってきた農高(農業高校)長女が、この冬休み中に自転車が必要になったとのことで、急遽カミさん実家にあった使ってない自転車の修理をやることになった(新しいのを買うという選択にはならない)。

カミさんは長女に、

「アンタ、あの自転車はお父ちゃんのやってんで!お父ちゃんの形見やで!わかってるやろなァ!!」

などと引き渡す前にずいぶん勿体ぶっていたが、やってきた自転車はかなりガタがきていて、さて先ずは、とぺちゃんこのタイヤにエアを入れたら前輪のスポークがぽきぽきと次々に折れていった。

見たら、スポークを支えるニップルが恐ろしく錆びまくって膨らんでいたので、カミさんに電話して、
「あの自転車、雨ざらしにしてただろ!」
と問えば、
「せやで。」
と、亡くなった自分の父ちゃんの形見を、事も無げに雨ざらし放置していたカミサンは、事も無げに僕の問いに答えたのであった。

つづく。


今回の薪割り機製作では、この格安バンドソーが素晴らしい活躍をしてくれている。
画像は薪割り機の矢の部品を、分厚いフラットバーから斜めに切り出しているところ。




正直、こんな精度で切れるとは期待していなかった。

それでも粛々と年は暮れ明けるのだ:「マンギョンボンゴ2号始動不良修理」の巻 

January 04 [Mon], 2016, 11:40
ウチにある車バイクは、基本的に僕が面倒を見ている。
離れて暮らしてはいるが、カミさんの車も基本的に僕が見ている。

そのカミさん車のオイル交換の日の天気予報が雨だったので、二号ガレージの屋根の下で作業が出来るよういつでもマンギョンボンゴ2号(2号だらけだ)を動かして、作業スペースを空けようと思ったが、この車はマンギョンボンゴ1号のドナーとしてウチへやってきたときから冷間時のエンジンのかかりが非常に悪く、今回もやはり掛かる気配がない。

今までも散々、冬場に2号ボンゴを動かすときには面倒な思いをしてきたので、重い腰を上げてチェックしてみた。


確実にドナー化が進んでいる2号車。この車を直ぐに動かすことが出来れば、必要なときに屋根下スペースが確保できるのだ。



やはり普通にセルを回してみても掛かる気配はなく、クランキングも弱いのでマンギョンボンゴ(1号)でブースティングしたが、ダメ。

グローのリレーとか、グローコンピュータかしらと、ゴソゴソ探していると、ふと被覆の剥けたショートハーネスが目に入った。
見ればGLOW系統ではないか。
隣のHEAD系統から同じハーネスを引っこ抜いて差し替えてみた。




すると、エンジンは直ぐ掛かり一件落着、なーんだ簡単だった。

で、試しにエンジンを止め、もう一度やってみると掛からない。
見ると再びショートハーネスが断線してた。

流石にもう移植できるハーネスは無いので、VA線の切れっ端しを繋いで見ると、煙が立ち上がり車内がエライことになった。エコケーブルにすればよかった。




…というハナシではなくて、これは完全に過電流の仕業である。
どっかでショートしてる筈と、手始めにグロープラグの抵抗値を一本づつ測ってみると、3番シリンダの一本だけがなぜか0オームに近い。




よく見てみると、その3番用グロープラグ、ナンだかナンデか少し曲がってる。





3番シリンダーにはグロープラグの代わりにM10細目ネジをプラグとして突っ込んで(ショートバーへの接触ショート防止)、焦げたVA線を再び差し込んだら、今度は煙も上がらずにエンジンが掛かった。
VA線の銅は電気で焼き鈍されてすっかり柔らかくコシが無くなってしまったので、ラジペンを併用(新たな線をとりに数十メートルを歩くのがメンドくさい)




と言うわけで、ちゃんとしたショートハーネスは焼き切ってしまったので、復旧にあたっては普通のハーネスの芯線だけを使って耐熱被覆と端子をリサイクルして作りなおした。
端子は普通に売られている平型より大きかった。





おーし、これで雨でも何でもどんと来い!
いつでも屋根下(少し雨漏りしてるけど)オイル交換してやるからなー!!
と、高テンションな所にカミさんエブリイ号がやってきたが、結局雨が降る前に空の下オイル交換とスタッドレスの交換が終わってしまった。




今までいくら僕が頑張って直したり洗車しても、(過去のブログ:BJへの憧れ) 全く大事にしてくれないので前回のメンテの時にオリジナルコーションステッカーを貼った。




そして僕はずっとマンギョンボンゴ2号のグローが直ってすっかり嬉しくなり、年の瀬にも関わらずガレージ籠りして廃油ストーブの傍ら、いろいろ工作とかしたくなって来ちゃったのである。

それでも粛々と年は暮れ明けるのだ 

January 03 [Sun], 2016, 0:43
2016年ですね。
なんとか生き延びました(^_^)

まあ、今まで我が”生”を失いそうになったのは、全て自分の阿呆さ加減に因るものばかりなので、そのあたり本当に自分が生きてきた環境には感謝している次第であります。

ふらふらと生活している割りにはこの年末約束事というか、依頼仕事が何かと舞い込んできて慌しく過ごしている中、久しく伺い知らぬ家族の状況などを電話でカミさんに尋ねてみると(たまに尋ねてみないと、家族に色んな進展が有り過ぎてついていけない)、こちらの話はそこそこに、次女の中学校で伐採した木を引き取りに来て欲しいと言われた。

社会性に著しく乏しい僕は2度目の勤め先を辞め、所属も肩書きもないままに、おそらく十数年ぐらいふらふらとその日暮らしをしているけれど、そのふらふら生活を始めたあたりに生まれた次女も、気が付けばいつの間にか中学生になっていたわけで、さらに気が付けばカミさんはPTAの役員なんてものをしていて、気が付かなければなんてことは無いけど、気が付いてみると僕の周りは皆とても社会性を伴って進化しているのだと、それだけで関心してなんだか眠くなってしまった。

しかしそのまま寝てもいられないので中学校に行って見ると、思っていたよりはるかに極太の伐採木がごろんごろんと横たわっていた。





僕の300mmバーのチェーンソーでは一箇所とて切り離すだけで大仕事である。
休日の閑静な住宅街で混合2ストの音高々に轟かせ僕が動かせる長さに切って行く。

聞くとこれはニセアカシアという木らしいが、調べてみると重く耐久性が高い材として、かつては線路の枕木、木釘、木炭、船材、スキー板などに使われ、薪や炭に適しているとあった(Wikipediaより)。

渾身の力で車に積んでいて、ふと縦積みするというアイデアが浮かびやってみると、恐ろしいほど積めてしまい、車にも必死に頑張ってもらった。
後に自分の体重ぐらいかな、と思って一番重そうなやつを量ってみたら、120キロの体重計を振り切ってしまった。





後ろに大量の木を載せ、逆にフワフワになってしまった前輪上の助手席に、気が付けば高校生になってた長女を載せて帰宅。

すっかりまっ暗になってしまった中で、僕は再び渾身の力で積んできた木を片付け、家に入ると娘は薪ストーブの前で僕のギターをじゃかじゃかと弾いていた。




その日の晩御飯は、最近気に入っている鶏肉と野菜の水(無し)炊きを作った。
味塩コショーの味を濃い目に付けて、鶏肉と野菜を蒸し焼きにし、大根おろし(水気は切らない)とキザミ葱を大量に入れた取り皿に入れて食べる。




平和な年の暮れであった。

ナウマン象を狩りに 

December 28 [Mon], 2015, 17:01
瀬戸内海から日本海まで、山を越すことなく抜けているこの狭い谷。





この細く長い回廊が、何万年もの昔にはナウマン象達の通り道だったらしく、旧石器人達の狩猟道具なども発見されている。

寒い季節には、良く晴れる日の朝に丹波霧と呼ばれる濃い霧が現れ下界を白く隠してしまうが、天界では白い海に浮かぶ島々の遠景を望むことが出来る。

今まで、あまり深く考えずに眺めてきたこの地形に興味が沸いてきた。

石から刃物を削り出し、動物と真剣に命のやりとりをしていた人たちの目でこの山谷を見て歩けば、彼らが何処で、どうやって狩りをしていたのかが少しでも分かるのでは、とわくわくしてしまった。

二度、沁みる旅 

August 23 [Sun], 2015, 1:03
仕事で暫く外出して帰って来た夜、家の廻りは出掛ける前となんだか違う風が吹いていて、その短い間に季節がひとつ進んでいたのだと知った。

ポストを見ると葉書きが入っており、裏には紙いっぱいの、力強くておおきなアサガオが咲いていた。

差出人の名前をみた途端、僕の記憶の鼻腔に「白百合」という泡盛の、ペッタリとまとわり付く感触が通り抜けた。




仕事の予定が空いた今年の五月、僕は石垣島へ出掛け束の間のキャンプ生活を送っていた。




珍しくお金を払ってキャンプ場にテントを張ったが、ほぼ浜辺か海の中で過ごした。









滞在日程のちょうど真ん中あたりで季節はずれの台風がやってきたので、キャンプ場から一旦避難して街へ逃げ、明るいうちからひとり街中を呑み歩いた。




街では台風に備えて網を張っていた。










「オリオン生一杯100円」の看板に惹かれて入った大きな居酒屋は、何処の都市にもあるそれとあまり大差が無く、2件目のターゲットを探しに腹7分目のほろ酔いかげんで石垣市街地を縦横無尽に歩き倒し、見つけたのは小さな焼き鳥屋だった。


元々焼き鳥が好きということもあるが、小さな店の暖簾の向こうが油煙と地元の人達で満たされた焼き鳥屋のカウンターで、地元の酔客の笑い声や噂話、タメイキや寂悲を混沌と、あたかもその街の息づかいのように聞くことが、言ってみれば僕の観光である。


その日、無事に今宵の我が心の矛先である焼き鳥屋を見つけ、ヨシヨシとその引き戸を開け中に入ると、先ず目に映ったのは店の真ん中の長い机で、常連客と思しき面々が差し向かいに御機嫌模様であった。

肝心のカウンター席は、黙々と鳥を焼く親父のまん前に2席だけ設けられていたがしかしそこはどこか店の”気”から離れていて、なんだか持ち帰り用の焼き鳥の焼き上がりを待つ客の為の席のように思われた。

その他には個別のテーブルが壁沿いにいくつか有ったが、それらは一人で独占するには大きすぎたし、やはり店の喧騒から少し離れていた。


つまり、この店の活気は真ん中の大机と、先程からとてもコワい顔で僕を見ているオカミサンから発せられているらしいが、しかし情けないことにその中に飛び込んでいく鉄面皮を持ち合わせていない、だけどこの店には惹かれるし実際もう入っちゃったし、どうしましょうどうしましょう、、と誰が見てもわかるほどウロたえていると、大机で飲んでいたオジサンが、

「ここ座ればエエ。」

と、ひとつだけ空いていた自分の向かい側の席を指差し僕を見て言ったのだった。

てっきり地元の人だと思っていたそのオジサンは、定年退職してから八重山の島々を大小問わずくまなく滞在するという道中であったらしいが、石垣島にかなり長いこと居るらしいことは、一見の観光客をまったく寄せ付けぬこの店のど真ん中において、まるで自宅のごとき自然な所作を見ていても分かった。

僕などは、泡盛が飲みたくて品書きからあてずっぽうに飲み物を頼んだが、手渡されたジョッキには鮮やかに黄色い液体がなみなみ入っていて、初めてその「うっちん割り」と呼ばれる飲み物の「うっちん」が示していたのが、僕の予想していた何か変わった泡盛とかではなく、ウコンの事であったのだと分かったところでまたウロたえて他の客に笑われる始末であった。

そんな中、オジサンがこの店に並ぶ沢山の泡盛の中から、「白百合」を僕に振舞ってくれた。

その石垣島で造られている泡盛は、とてもクセのある独特の風味で、オジサン的にはそのチョイスは、それがとても美味いからというよりも、話のタネにというつもりだったらしい。

しかしその香りは、1700キロという距離が有るにも関わらず、2時間という、あまりにもあっけない移動でやって来てしまって少々混乱気味だった、僕のこの南の島との距離感をしっかりと鼻から正してくれた。



石垣市街の郵便局で見つけて買った「銘酒 八重山の泡盛」という切手シート。 
白百合はその中で、「白百合の花のような酒でありたいとの思いを込めて命名」 と記載されている。
匂いが強いので好みが分かれると思うが、僕は結構好きだ。






そんな、泡盛の香りを運んできたオジサンの葉書きの表面には、宛先の下にメッセージが書かれていて、それは、

「また沖縄のどこかの島で会える日を楽しみに。」

と閉じられていた。











胸の中に、わっと熱風が吹いて、先ほどひとつ進んだばかりの季節が、ふたつ逆戻りしてしまった。
P R
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