入会申し込み。

July 29 [Fri], 2016, 21:22
あ、暑いのは、夏ですからしかたないと思うのですが、今夜も熱帯夜か いま松江は気温29.0℃、湿度74%。。。このところ、夜中には湿度80%を越える日が続き。。。ムシ暑さがたまらないM士です



この度、『松江弓友会』及び『島根県弓道連盟』に入会を申し込みをさせて頂きました。

これまで、ブログの中で“はじめました”というカテゴリーで、たまに記事に書いていましたが、始めたこととは“弓道”です
(←イャ、みなさん、とっくにわかってるゾ はい、そうですよネ


私が弓道に興味を持ったのは、高一になって直ぐ。。。ギランバレー症候群に罹患し、二ヶ月ほど入院していたときでした。

薬効あって、病状は回復傾向に、そして入院生活にも慣れてきたある日、私のいた6人部屋の病室に一人の方が入院されてきました。

その方
(御名前は忘れていましましたが)は、弓道をされていて、このときが、私にとって弓道というもののお話を、具体に聞く初めての機会でした。

弓道は面白いぞぉ。

そしてお子さん三人のうち、弓道をされる当時中学生の次女さんを「高校になったらインターハイ、そして国体に行かせるんだ。

弓って、引くものと思ってるでしょ。違うんだよ、弓は押すものなんだ。

弓道をしている人は、見てわかるんだ。その人の肩から背中を見ると、服を着ていてもわかるんだよ」。。。等、など、ナド、熱心にたくさんお話を聞かせて頂きました。

けど、社会人になったとき、そしていま思い返してみても、覚えているのはこの四つ。

でも、とても印象に残っていて、“いつか弓道をやってみたい”と思いました
(←退院して、弓道を?いぇ、私の通う高校に弓道部はありませんでしたし、当時の私は、バレーボールをやりたくて。。。その話は、またいつか



社会人になり、転勤を繰り返すなかで、いま松江市に来て、通勤途中に弓道場があり、教室の生徒募集の看板が気になっていたのですが、道場という場に『もの凄い敷居の高さ』を感じ。。。怖じ気づいていた私

そんなとき、一年半前、同僚のT戸くんから「(M氏)さんがやりたいなら、やってみればいいじゃないですか。」との言葉をもらい、意を決し。

結果、昨年4月から教室に通い始めました。

月に3回の教室が、年前期と後期の半年毎。


昨年前期は畑地かんがい技士講習&試験のため、そして後期は福島県南相馬市へ震災復旧に行き、9月と2月から3月は教室を欠席


自主練習に道場へ通い。。。いまは訳あって手にした『強さ14kg』の弓を使って練習しています
(←強さ20kg前後まで、あげたいと思っていますが、いまはまだ基本の動作がブレブレですし


そして、 I 先生から「11月に、松江で審査会があるから、しっかり練習して、受けぇだがね
(受けてみなさい)」というお言葉を頂き。。。この度、松江弓友会県弓道連盟への入会申し込みをさせて頂きました。


いま、中国5県
(鳥取、島根、岡山、広島、山口)+和歌山で、インターハイが行われています。

私が通う弓道場も、全国のインターハイ出場校の練習予定が組まれています。

南相馬市に行っている間に、通った道場でも、近くの高校生が弓道部として練習していました。

学生のときから、弓道をたしなまれている方々が、いまの私から見ると、とても羨ましい


と、言ってみても、高校生に戻れる訳もなく

先生や道場の方々からご指導頂いた体配や所作を、ひとつひとつやれるよう、練習を重ねたいと思います。



【 島根県弓道連盟 】
HP ⇒

URL:http://www.mable.ne.jp/~smn.kyudo/


○関連記事
 2015年
  2月 松江も雪が積もってます。 ⇒

  4月 ふと思いつき、行ってみたら。。。 ⇒ 

  6月 始めました。。。⇒

     ある用具を用意しました。。。 ⇒

  10月 ある用具を用意しましたA ⇒

 2016年
  5月 もっと練習したい。。。⇒


広島ランチ_バリ・エー安佐北区民文化センター店、タージ可部店

July 26 [Tue], 2016, 22:13
このところ、仕事でとんと広島へ行く機会がなく。。。と、いうか、本来行くところをカカリチョーらとカチョーに任せっきり。ほぼ毎週、広島に行ってもらい、松江の事務所で留守番&現地回りをしているM士です


さて、この4月に仕事で広島へ行ったときのランチ2店舗です。

初日は『
お好み焼き Bali-A(バリ・エー)安佐北区民文化センター店』へ。

広島に来たらやはりお好み焼きが食べたい訳で

定番の「そば・肉・玉子」に、私は「海鮮四種(えび・いか・たこ・ホタテ)」をトッピングで。

焼き上がったお好み焼きに、オタフク・ソースマヨネーズ青海苔カツオ節をかけて


アツアツ、ホクホク、ウマシャスです


店舗は、テーブル席がテラスに1つと店内に3つに、あとはカウンター席で、


国道54号線バイパスから、ちょっと登った住宅地の中にあります。



翌日は、『
インド料理 TAJ(タージ)可部店』へ。

前回来た時に“ほうれん草カレー”だったので、この日はオーソドックス(?)に“チキンカレー”に、“ナン(小)+ライス(小)”、“サラダ”、ドリンク(ジンジャエール)のランチセット。


カレーは辛口の程度を選べ、私は『辛口2』をお願いしました。

同僚は、辛いのが得意ではないというのに『辛口2』を頼み。。。ほら言わんこっちゃない。。。的な(苦笑

店構えは、ピッカピカという感じではありませんが、インドの方が作られるカレー、また行きたいと思います




【 お好み焼き Bali-A(バリ・エー)安佐北区民文化センター店 】
住所 広島県広島市安佐北区可部六丁目13-12
TEL 082-815-4944
営業時間:ランチ11:00〜14:30、ディナー17:00〜21:00
定休日:月曜、火曜、祝日、祝前日

【 インド料理 TAJ(タージ)可部店 】
住所 広島県広島市安佐北区可部四丁目23-16
TEL 082-814-6531
営業時間:ランチ11:00-15:00、ディナー17:00〜22:00
定休日:不定休

○関連記事
 2015年4月 広島ランチ Bali・A(バリ・エー)本店 ⇒


相馬妙見三社参り『相馬太田神社』参拝_2016年2月

July 23 [Sat], 2016, 9:51


相馬妙見三社参りの最後は、相馬太田神社です。


太田神社は、谷筋にひらけた土地の中、小高い地にあり、そこは大きな木々に囲まれていて、遠くからでもよくわかります。

参道の入口と社号標


参道の両脇には、太く大きな杉が並木となっています。


本殿への石段を登り


本殿にお参り。



パンフレットり
御祭神
 天之御中主神(あめのみなかぬしのおおかみ)を祀る。

 天地始めて發けし時、高天原に現れた神で、天の中央に座まする宇宙の根源神であります。近世以前まで当社は、相馬妙見宮・妙見大明神とも星宮大明神・初發神社とも称し、現在でも『太田の妙見さま』としてあまねく親しまれております。妙見大明神とは、衆星の王、北辰尊(北極)星にて、時刻の神、人間の起居進退を定むる北斗(七)星です。また神仏混淆時代には、仏家にあっては北辰菩薩あるいは妙見菩薩と称し、法華擁護の仏天とされました。道家にあっては霊符の本尊として富貴延命を祈り、武家にあっては北辰玄武の神と、霊験あらたかにして神妙奇特なるがゆへ造化の神と称へました。慶応四年(明治元年)には、神仏が分離され、妙見宮は(同年六月十一日以来)相馬太田神社と改め、祭神も天之御中主大神天之御中主神と改め称へました。
 全国に奉斉されている妙見社・初發神社の総本宮として尊崇され、妙見信仰の中心をなしております。


看板より
御鎮座の由緒
 社伝によれば、今から一千数十年前の承平中(九三一から九三七)相馬氏(のちの相馬中村藩主)の遠祖平将門が、下総の国猿島郡守屋城に妙見社を創建し、国家安泰・国民所行の繁栄を祈念したことに始まります。平将門から十二代にあたる相馬師常公(相馬氏初代)が源頼朝の郡に従い、藤原氏との戦い(奥州征伐)の航跡により奥州行方郡(原町市 ※現在の南相馬市原町区 周辺)の土地を賜り、同族の千葉氏より出でて相馬を次奥州相馬野初代となりました。元亨三年(一三二三)四月二十一日、六代重胤公の時に家来をつれて数台のあいた住んでいた下総の国(千葉県)を後に、鎮守妙見と共に不在となっていた奥州行方郡・太田の別所(現在地)移り住み、氏妙見尊を奉じて舘の内(藩主相馬孫五郎重胤公居城-亀甲城)に宮祠を創建し祀りました。
 相馬氏の妙見信仰は遠祖桓武天皇の玄孫高望王夫人懐胎のとき、日月星の三辰に安産を祈り、めでたく男子を出産されました。また、妙見の化身とさい称された平良文(将門の叔父)が延長元年(九二三)潔斎断食して、将門らとともに護摩を焚き戦勝を妙見の心霊に祈ったところ満願の夜夢に護摩壇に葦毛の騎にまたがった童子が現れて、願望成就の旨をつげてお隠れになりました。醒めて庭前で、天に向かっていなないている二頭の白馬を見て、妙見の神馬と仰いぎ、妙見を一家の守護神として尊崇しました。現在の宮居は本殿は文政六年(一六に三)八月の再建で、相馬藩中興の藩主と言われる二十一代昌胤公は、とくに吉田神道に帰依され、吉田神道の教理による神事・大護摩祈祷が昔の名残をとどめ、今に伝わっております。


本殿に向かって、右側から。


本殿を、向かって右回り
(半時計回り)に、絵馬伝には白馬の像

凛とした表情で、柱に繋がれているところが、いまにも駆け出しそう。

白山神社

白山姫大神
(菊理姫神/「いのち」の祖神(おやがみ))が祀られています。

本殿を、左側から。

本殿を見るのに、右側からと左側からでその表情が違うのは、日本ならではと、いつも感じます。

足尾神社

猿田彦大神が祀られています。社の回りの法が、コンクリートで固められているのが、雰囲気的にちょっと残念。

男山八幡神社

応神天皇
(誉田別尊)、神功皇后(息長帯姫命-応神天皇の母)、比売大神の三伸が祀られています。


相馬妙見三社参りは、ここまでです。

この機会に、あわせて、と同じく中村城趾にある『相馬神社』や、相馬氏歴代の菩提寺『同慶寺』にも参拝させて頂きました
(←今回は記事に書きません。


さて、2016年は、今日7月23日から“相馬野馬追”の神事(祭り)が始まっています
(←松江にいる私は、もちろん見られませんが

今日23日は、三妙見神社で“出陣式”があり、明日24日は、雲雀ヶ原祭場地甲冑競馬神旗争奪戦が行われ、最終日(25日)は相馬小高神社野馬懸が行われます。


震災から一年半が過ぎた2012年(平成26年)9月、原釜尾浜海水浴場を訪ねた私は、浜を馬とともに歩かれている方を見かけていました。


当時の私は“相馬野馬追”という神事があることを知らず、『馬の散歩』と思ったことを思い出します。

地域の歴史在る伝統的な神事(お祭り)が行われることは、震災からの復旧、復興に向かっての元気につながる大きなひとつだと思います。

地域の方々はもとより、多くの観光客が訪ねられ、盛大にお祭りが行われます様に。。。遠地から、祈ります


毎度、長々しく、拙い文を読んでくださいまして、ありがとうございます<(_ _)>

こんな拙い記事でも、もし、お気になること、感じてくださることがあったなら嬉しいです


【 相馬太田神社 】
住所 福島県南相馬市原町区中太田字舘腰139 鎮座
TEL 0244-23-2058
FAX 0244-23-3144
Wikipedia ⇒ 相馬太田神社

【 相馬神社 】
住所 福島県相馬市中村字北町101
TEL 0244-35-3362
HP ⇒


【 小高山 同慶寺 】
住所 福福島県南相馬市小高区小高上広畑246
TEL 0244-44-2335
同慶寺/アメブロ ⇒


国指定重要無形民俗文化財相馬野馬追い 】
南相馬市観光交流課内相馬野馬追執行委員会公式ページ ⇒

URL http://soma-nomaoi.jp/

○関連記事
 2016年2月
  相馬妙見三社参り『相馬中村神社』参拝 ⇒

  相馬妙見三社参り『相馬小高神社』参拝 ⇒


※お祀りになっている祭神の表記は、出来るだけその社の看板や案内書に用いられている「字」を用いています。また社の表記も看板やパンフレットなど毎で異なる場合があります。同じ神様でも、このブログの他の記事に掲載・表記した「字」と異なる場合があります。

相馬妙見三社参り『相馬小高神社』参拝_2016年2月

July 21 [Thu], 2016, 2:38
3時間ほど掛かりました。。。昨日、今日の仕事に関する愚痴を、ブログ記事に書く

書いて。。。読み直して。。。とことん情けないうちの社の組織を改めて感じ、記事は保存せずに終了。

一方で、私が尊敬する方の一言、またひと言は、そうでないヤツの発言をいとも簡単に黙らせる。

当時25歳、小僧の私が、S末トウカツと東京
(本社)で一緒になり、お気に掛けて頂いたこと、いまでも感謝しているM士です



相馬妙見三社参りは、相馬中村神社の次に、相馬小高神社を訪ねました。



参道の両脇には狛犬ではなく灯籠社号標


石段を登ると、二番目の鳥居が見えてきます。

並ぶ桜の木々が、春には素晴らしい桜並木になるだろうなって思いながら。


ここで、福島県指定史跡という看板から
「小高城跡」
 小高城は、小高川の氾濫原に舌状にのびた台地の上にあり、その台地の頸部を切り空濠とし、四周を削り、濠及び池をめぐらし、頂には土塁を築いている。
 元亨三年(一三二三)四月、相馬重胤が下総国(今の千葉県)流山から移るにあたって、はじめ太田(現原町市※現在の南相馬市原町区)の別所館に嘉暦元年(一三二六)この城に移った。建武三年(一三三六)に次子光胤に命じて修築させ、以後相馬氏の本拠として、南北朝の乱には北党の重要な位置を占めた。小高城攻防戦は相馬文書のほか、岡田・大悲山・飯野文書などによって明らかである。
 慶長二年(一五九七)に相馬義胤が原町市の牛越城に移り、当城を支城としたが、同七年再びもどり、同十六年(一六一一)に相馬利胤が中村城に移って廃城となった。
 城内の相馬小高神社は相馬氏代々の守護神である妙見を祀った社で、相馬三妙見のひとつに数えられ、「相馬野馬追」の野馬懸はここで行われる。
 なお、小高城は別名紅梅山浮舟城とも称されていた。
 城郭としては小規模であるが、原形がよく保存されており、本県の中世城郭として注目すべもものである。
福島県教育委員会


本殿前の鳥居


御本殿


「相馬小高神社由来記」より
御祭神、社名
 御神祭は、高天の原に最初に出現した天地万物の中心神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
 社名は、幕末から明治の始めにかけての相馬藩の公式記録である『奥相志(おうそうし)』には、妙見神祠と記されています。他に妙見大明神、妙見宮、妙見社など称されました。明治五年二月五日に、妙見宮を小高神社に改号する「表見改号伺」が中村県に提出され、当時の合併で引き継いだ磐前県を通じて神祇省より「伺之通」と認可された公文書が現存します。明治三一年九月一五日県社に列せられ、昭和二六年三月二二日相馬小高神社とし改号して現在に至っています。

御由緒
 社伝によれば、垣武天皇の玄孫であり千葉氏の祖となった平良文たちが、承平元年(九三一年)に上野国(群馬県)の染谷川で苦戦に陥ったときに、童子の姿をした妙見尊(天之御中主神)が現れて味方し勝利に導いたといいます。それ以来、下総国を領地とした千葉氏とその分流である相馬氏の守護神として篤く尊崇されることになりました。
 下総相馬氏と分かれて奥州相馬氏の祖となった相馬孫五郎重胤が、奥州行方郡の小高に下向して小高孫五郎重胤を名乗って城を築き、その鎮守として妙見を移し参らせたのが当社の始まりです。そして国家守護・災厄消滅・寿命息災・福寿増進の神として累代の領主をはじめ家臣団や領民の篤い崇敬をうけました。



本殿を、向かって右側から。


本殿に向かって左回り(半時計回り)に、奥の院


天満宮とともに


雷神社などの末社があります。


境内のなかには、広場があり


相馬野馬追の祭りのひとつ、白装束の若者が素手で馬を捕まえる『野馬懸』が行われます。

そのときの情景を思い浮かべながら


【 相馬太田神社 】
住所 島県南相馬市小高区小高城下173
TEL 0244-44-2323
小高観光協会HPより ⇒ 相馬小高神社

国指定重要無形民俗文化財相馬野馬追い 】
南相馬市観光交流課内相馬野馬追執行委員会公式ページ ⇒

URL http://soma-nomaoi.jp/

○関連記事
 2016年2月
  相馬妙見三社参り『相馬中村神社』参拝 ⇒


※お祀りになっている祭神の表記は、出来るだけその社の看板や案内書に用いられている「字」を用いています。また社の表記も看板やパンフレットなど毎で異なる場合があります。同じ神様でも、このブログの他の記事に掲載・表記した「字」と異なる場合があります。

相馬妙見三社参り『相馬中村神社』参拝_2016年2月

July 19 [Tue], 2016, 22:33
今年の梅雨は、とにかく湿度が高く、蒸し暑い。ひどいときには湿度97%(気象台・松江観測所の値)。

それが、昨日(18日)に、やっと梅雨明けし、暑くなるかと思えば、気温は高くても、湿度が低い分、過ごしやすいなと思うM士です(←いぇ、熱中症には注意して、水分はとってますヨ



さて、今年2月、南相馬市へ行った際、週末をつかって相馬妙見三社参りに行ってきました
(←昨年2月にも行ったのですが、結局、記事に書くことなく

相馬妙見三社
 福島県南相馬市原町区の相馬太田神社、小高区の相馬小高神社、相馬市の相馬中村神社の三社を相馬妙見三社(そうま・みょうけん・さんしゃ)と呼び、
相馬野馬追祭が、祭礼行事として毎年七月最終の土・日・月曜の三日間行われます。

昨年も三社参りをし、そのとき最初に訪ねたのは相馬太田神社。 時間もあるしと、徒歩で向かったのですが。。。片道10kmは、徒歩で慣れない距離。脚の痛みをひたすら耐えるお参りになり。 今回は、最初から三社とも、自転車による輪行でのお参りです。


今回は、私が泊まっているホテルから一番遠い相馬中村神社から。

片道22kmは、自転車で約2時間。


駐輪場から参道へ、中村城の大手一の門から参ります。


中の門跡を過ぎると第一の鳥居社号標


中の門を過ぎると、左手は広いグランドになっていて、高校生をはじめ、一般の方々もいろんなスポーツをされていました。

社の入口前には馬の象が並び


その脇には、本物の馬が。

柵の中を行ったり来たりしていますが、人によく慣れている様子。手を差し伸べると、自ら顔を寄せ、その顔を撫でさせてくれました。

そこを通り、橋を渡ると境内へ。


境内に入ると正面左手に、諏訪神社八坂神社北野天満宮が並び、そこを右へ直角に曲がり、進むと、本殿へと登る石段とその前の鳥居へ。


石段の両脇には、馬の頭部が意匠され馬頭列柱と呼ぶそうです。


石段を登り、拝殿にお参り。


「相馬中村神社の由来とその歴史」より
御祭神について
 相馬中村神社は、神道の上からは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀る。
 明治以前のより古い神仏混清の時代から「相馬のミョウケンサマ」として親しまれてきたが、妙見とは仏教でいえば北辰妙見菩薩のことであり、北辰とは本来北極星を指し、北方鎮護をつかぎどる星の信仰がもとになっている。仏教時代のご神体は玄武に乗った菩薩像で周囲に七つの北斗星をあしらっていることの多いのはそのためである。明治になってから、神と仏は分離され妙見様は相馬中村神社と改め、祭神も天之御中主神としたのである。
 この神称は日本の国土が出来た時、すべての神の中でもっとも早く、天の真中に出現された神として、諸神の先祖にあたるわが国最古の神である。「古事記」に「天地初発の時になりませる神」とある神で初発神社とも呼ばれる由縁である。


看板より
相馬中村神社の歴史
 当神社は、相馬地方の旧藩主・相馬家と深いつながりのある神社でありまして、社伝によると承平年聞(九三一〜九三七)に奥州相馬氏の先祖・平将門が下総国(現在の千葉県)に妙見宮を創建したことにはじまります。奥州相馬氏初代の師常公は先祖にならい下総国相馬郡に妙見宮を祀り、「平泉の役」の戦功により本領のほか陸奥国行方郡を与えられました。
 六代重胤公の時代、元亨三年(一三に三)になり相馬市は一族郎党八十三騎を従え、それまでの本拠地・鎌倉下総の国流山からはじめて行方郡に移ってまいりました。その時、神社の祠官・田代左衛門大夫信盛も鎮守妙見の御輿に遷従し、重胤に同行したのです。
 妙見信仰の崇拝者でありました相馬氏は、はじめての居住地で会った太田(福島県原町市
※現在の南相馬市原町区)から建武三年(一三三六)に小高城(福島県相馬郡小高町※現在の南相馬市小高区)に居城を移した際も、またその後、十七代利胤公が慶長十六年(一六一一)に中村城に移り住んだ際も、その城内に妙見宮をお祀りしました。その中村城内に祀られました妙見宮が現在の相馬中村神社でして、中村城域(別名馬陵城)は現在県指定の史跡となっております。
 このように当社は、相馬家代々の氏神として崇敬とくに厚かったばかりでなく、その信仰は相馬地方に広がり、今日にいたっております。



本殿を、向かって右側から。


同じく、左側から。


社殿の造りのなかにも、馬が意匠されていました。


本殿の周りには、塩釜神社松尾神社足尾神社稲荷神社国王舎(星之宮)の各末社とともに、絵馬殿御輿殿がありました。


社務所にて、朱印帳をお願いするのとあわせ、お話を伺うことができ、「今日はあいにくの曇り空ですが、晴れた日の夕方にはこんな風景もあるんですよ。よければこれをお持ちください。」と1枚の絵葉書をくださいました。

そこには「夕刻になると本殿頭上に北極星を頂き、ますます神域の感を深めます。」の言葉とともに、拝殿の姿が写しだされていました。


相馬の地の方々が崇敬する妙見様の御社、そのいまひとつの姿を見ることができました。


【 相馬妙見 相馬中村神社 】
住所 福島県相馬市中村字北町140
TEL 0244-35-3363
HP ⇒

URL http://www.somanakamurajinjya.or.jp/

【 国指定重要無形民俗文化財 相馬野馬追い 】
南相馬市観光交流課内相馬野馬追執行委員会公式ページ ⇒

URL http://soma-nomaoi.jp/

※お祀りになっている祭神の表記は、出来るだけその社の看板や案内書に用いられている「字」を用いています。また社の表記も看板やパンフレットなど毎で異なる場合があります。同じ神様でも、このブログの他の記事に掲載・表記した「字」と異なる場合があります。

ゑびす様の総本宮『美保神社』参拝_2016年2月

July 18 [Mon], 2016, 12:31
海の日、三連休の最終日。。。昨日まで予定を入れず、普段できてないあんなこと、こんなこと(例えば、トイレの掃除用具の掃除とか)をやってすっきり。。。最終日はと、思っていたのですが、昨夜遅くから微熱が。。。予定をとりやめ、家でのんびりパソコンの前にいるM士です

2月、南相馬市へ行く直前に、美保神社を訪ねました


美保神社は、事代主神
(ことしろぬしのかみ)ことゑびす様を祀る全国三千三百八十五社の総本宮です。

ゑびす様というと、右手に釣り竿持ち、左脇に大きな鯛を抱えられる御姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。

その御姿のとおり、漁業の祖神として崇敬されてきたのは、事代主神が、ここ美保の地(沖ノ御前)において、日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以と云われています。


港の傍にある駐車場に駐めて、最初に見上げたのは、大きな灯籠

※訪ねた日は、冬の曇り空。写真が暗いことご承知ください。

港の縁を歩き、参道へ。


参道の脇には、干ばつを救ったという古井戸。

おかげ井戸 ・・・ 看板より
 その昔、長い干ばつが次いだためにどの井戸も干上がってしまい、民衆は暮らしに困窮していました。
 そこで、時の宮司が雨乞いをしたところ、お告げがあり、この場所を彫ってみたところ、こんこんと水が湧き出てきて、人々は難を逃れたと云われています。あまりのあいがたさに「おかげ井戸」と名付けられました。
 掘削には当地区の廻船問屋はもちろんのこと、廻船の用水として欠かせなかった諸国の北前船の船頭や船主も浄財を寄進しました。そのときの記録が美保神社に残されています。
 平成十九年には、美保灯台とともに登録有形文化財になりました。


大きな社号標は、二つ目の鳥居とともに。


収蔵庫の前を進み、階段を登ると、参道は左斜め方向に。その先に神門が見えてきます。


拝殿本殿


御祭神と御由緒 ・・・看板より
三穂津姫命
(みほつひめのみこと)
 高天原の高皇産霊命(たかひむすひのみこと)の御姫神で、大国主命(オオクニノヌシノミコト)の御后神である。
 高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣」「夫婦和合」及び「安産・子孫繁栄」「歌舞音曲(音楽)」の守護神として信仰が篤い。また、美保という字はこの神の御名に縁があると伝えられている。

事代主神 (ゑびす様)

 大国主命の第一の御子神であり、鯛を手にする福徳円満の神ゑびす様として世に知られ、「海上安全・大漁満足」「商売繁昌」を始め広く生業の守護神として信仰が篤い。また、古事記や日本書紀において高天原から国譲りを迫られた際、それに対してり大変重要な判断を委ねられた尊い神様である。

 当社は、天平五年(七三三)編纂の『出雲風土記』及び延長五年(九二七)成立の『延喜式』に記された古社である。
 本殿は大社造の二殿が連なった特殊な形式であり、美保造または比翼大社造とよばれている。国指定の重要文化財で、現在の本殿は文化十年(一八一三)の造営。


拝殿には壁がなく、梁がむきだしで、天井がありません。これにより優れた音響効果があるとのことで、鳴物(音楽)をお好みになるという祭神への崇敬から、年間に数多くの音楽の奉納が行われるそうです。

本殿も、左右二つの社殿とそれを繋ぐ
(装束の間)という独特な造り。

 ↑クリックすると大きな写真が見れます。

向かって右側の「左殿
(大御前/おおごぜん)」には三穂津姫命をお祀りし


向かって左側の「右殿
(二の御前/にのごぜん)」には、事代主神が祀られています。


社殿の千木が、それぞれ女造り
(水平)と男造り(垂直)になっています。

右殿と左殿の間にある装束の間には、末社が三社あり
大后社
(きさいのやしろ)には、神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)『事代主神の御母神』と沼河比売命(ぬなかわのみこと)『御穂須須美命の御母神』が、
姫子社
(ひめこのやしろ)には、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)『事代主命の御子神、初代神武天皇の御后神』と五十鈴依媛命(いすずよりめものみこと)『事代主命の御子神、第二代綏靖天皇の御后神』が、
神使社
(かみつかいのやしろ)には、稲脊脛(いなせはぎのみこと)『国譲りの使い神』が、それぞれ祀られています。
 ↑※装束の間に入る(お詣りする)ことはできません。


境内には、他に二ヶ所で多々の末社があり、境外には、以前私が釣行したこともある『沖ノ御前』をはじめ、一三ヶ所に末社があります。

また、漁師が海から引き上げ、奉納したという御霊石
(おたまいし)があり、


その丸い石を触るとお腹の子が健康に育つという『安産信仰』から、妊婦が撫で、御霊石は石の上部が磨り減っているのだそうです。


年に数多くの音楽の奉納がされるという。。。神門の横には、大きな鼓が納められていました。



さて、昨年の秋、『大国主命と因幡の白兎から始まる話』として、何回か記事を書きました。

ここ美保神社では、大国主命と御子神事代主命が登場する“国譲り”の縁の地です。

そのお話のなかには、現在、物事が定まったときの“手打ち”、いわゆる一本締めや三本締めの元となった云われもあります。

そぅそぅっ、ゑびす様って、鶏がお嫌いってご存じですか。

その御姿は、いつも脚を曲げていらっしゃるのはなぜでしょう。

そうしたお話も、また機会を得て、記事にしてみようと思います・・・あくまでM的にですが。


【 美保神社 】
住所 島根県松江市美保関町608
TEL 0852-73-0506
FAX 0852-73-0317
HP ⇒

URL http://www.mihojinja.or.jp/

※お祀りになっている祭神の表記は、出来るだけその社の看板や案内書に用いられている「字」を用いています。また社の表記も看板やパンフレットなど毎で異なる場合があります。同じ神様でも、このブログの他の記事に掲載・表記した「字」と異なる場合があります。

八戸から潮来まで

July 17 [Sun], 2016, 18:40
ブログに書くと、自ら書いたのは、一度目の福島県南相馬市に行ったときに、東北各地を見てきたときのことを、結局ブログに書かず仕舞いだったため、また書かず仕舞いにならないようにと。

しかし、案の定といいますか、二度目となる南相馬市での復旧関係の仕事から、こちら松江に戻ってきて、記事に書かないまま、もう3ヶ月半が過ぎました。


文章を書くのが苦手な私は、写真を記事にupして見てもらうスタイルな訳で。。。数えてみたら、各地を巡って撮った写真は4百数十枚。

それに、直ぐに記事に書いていれば『いま』な訳ですが。。。もう3ヶ月半も前の古い情報になってしまっています。


そこで、今回は、巡って来たルートのみを記事にupするのみにいたします。
※以下、掲載市町村名は、北からの順で、記載しています。
地図出典 ⇒ Google Maps

2月21日(土)〜22日(日)・・・岩手県釜石市で一泊

青森県 八戸市
岩手県 洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市
宮城県 気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町

2月27日(土)

宮城県 仙台市、名取市、岩沼市、亘理町、山元町

3月5日(土)

福島県 新地町、相馬市、南相馬市、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、いわき市
※制限区域では、国道6号線又は常磐自動車道を通過のみ。

3月13日(日)

茨城県 高萩市、日立市、東海村、ひたちなか市、大洗町、鉾田市、鹿島市、潮来市


次ぎに行ったときには。。。私が東北に赴任したときからの変化も含めて、記事に書けたらと思います。


神在の社『佐太神社』参拝_2016年1月

July 15 [Fri], 2016, 23:38
先週、岡山であった打合せ。。。しかし、打合せとは名ばかりで、松江(私の所属)のことは一切聞かず、岡山(支社)からの話をするだけと直前に聞き、話にならないと参加しなかった私。。。その日、延々夕方までやったと聞いているのに、来週、松江に来て打合せをすると言う。。。当日、別用を入れるか、いっそ休んで出掛けようと考えているM士です


さて、もう半年が過ぎますが、社参拝の記事です

出雲國三大社のひとつ、松江市鹿島町にある『佐太神社』へ行ってきました(←「さだ・じんじゃ」と読みます。



参道の鳥居。


御由緒←パンフレットより
 当社は出雲風土記【天平五年(七三三)】に「カンスビヤマの麓に座す」佐太大神社
(さだのおおかみのやしろ)或いは佐太ノ御子社(さだのみこのやしろ)と見える古社で、出雲國二ノ宮、出雲國三大社の一つとして杵築(きずき)(出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても、杵築、日御碕とともに「佐太大社」と称えられた御社です。盛時には神領七千貫・神職二百二十四人有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云います。
 また、江戸時代を通じて出雲國十郡のうち佐陀触下
(さだふれした)と呼ぶ秋鹿(あいか)、島根(しまね)、楯縫(たてぬい)、意宇(おう)西半の三郡半の神社を支配下に置く社頭職(やしろとうしょく)として、出雲國内でも重要な位置を占めてきました。(他の六郡半は杵築(出雲大社)の支配を受けた。)
 また中世には
伊弉冉尊(いざなみのみこと)の陸墓である比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った伊弉冉社(いざなみのやしろ)と伝え旧暦十月は母神を偲んで八百万(やおよろず)の神々が当社にお集まりになるとされ、この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから当社を、「神在の社(かみあり・の・やしろ)」とも云い全国各地から広く信仰を集めています。

参道を進むと、その先にあるのが神門。



神門をくぐると、その奥には御本殿。。。なのですが。。。


参拝したとき、御本殿三社は、修繕改装工事の最中。

佐太神社の御本殿は、大社造り三殿が並ぶ(南殿、正中殿、北殿)というもので、中殿を中心に正対で造られており、左手の南殿は、普通の大社造り構造と逆の造りであることは、佐太神社のみ見られる造りなのだそうです
(←参拝の帰りに、社務所で「修繕工事で、覆いがあってすみません。」と声を掛けてくださった社務所の方から伺いました。

この日は、御仮殿にお参りさせて頂きました。


御祭神は、正中殿に、佐太大神
(さだのおおかみ)(猿田毘古大神(さるたひこのおおかみ))、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)事解男命(ことさかおのみこと)速玉之男命(はやたまのおのみこと)
北殿に、天照大神
(あまてらすおおみかみ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)
南殿に、素戔嗚尊
(すさのをのみこと)秘説四座(ひせつよんざ)が祭られているほか、摂社、内社、末社がたくさんあります。

南殿と正中殿を。




南境末社。


松江に引っ越して来てから、こうした形の社をよく見かけるようになりました。

社が、長屋のように連なっていて、そのなかに複数の社があり、それぞれに祀られています。


更に奥へと歩を進めると、山手へと登る石段が見えてきます。


石段を登って行くと、その先には母儀人基社
(はぎのひともとしゃ)があります。


その佇まいは、古と今を感じさせてくれます。


御本殿前に戻って来て。。。気になったのが


看板から
藻汐祓
 家に悪戯があった時 青竹で 汐筒を作り 海に行き 汐を汲み ジンバ草を 採り 身を清め 当社にお詣りして 祓をするのが 古くからの習俗であります


いまに伝わるその習俗に、なお神話の世界からの古きと、それを脈々と受け継がれてきた地域を感じました。


【 佐太神社 】
住所 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
TEL&FAX 0852-82-0668(夜間0852-82-0345)
HP ⇒
URL http://sadajinjya.jp/

※お祀りになっている祭神の表記は、出来るだけその社の看板や案内書に用いられている「字」を用いています。また社の表記も看板やパンフレットなど毎で異なる場合があります。同じ神様でも、このブログの他の記事に掲載・表記した「字」と異なる場合があります。

外食。。。ですが。

July 13 [Wed], 2016, 12:23
このところ、東京(本社)や岡山(支社)から、えらい方々のお客が重なること重なること。。。

そして、今日はこんなところで





買ってきたマック食べながら、お客の到着を待ってます

出雲たたら村。。。って?

July 11 [Mon], 2016, 22:17
一昨日の土曜、出掛けているところに、母から電話がありました(←朝イチの電話じゃないので、安心してとる私

その内容は、たたら村がオープンするのにあわせて、関係者をはじめ、集落の方々も招待され、オープニングイベントが翌日曜にあると
(←母の郷里です。

EXILEのメンバーも来るので、イベントともに、フードコートで飲食の振る舞いがあるそうで、親父は行くのですが、母は別用があって行けず、招待状からあるから私に行かないかと。


さらっと話を聞いて、“たたら村”なるものがオープンする、この時点で私にはそれがなにか解ってない

メンバーの誰かはわからないけどEXILEのメンバーが来る。。。けど、私かEXILEの絶大なファンという訳ではないし。

で、日曜の予定を思い返すと。。。選挙に行かなきゃ
(←不在者投票に行けなかった

明日は選挙の投票に行かないといけんし、今回はいいや。」と行かないことにしました。


この話をしたら、今日も、まわりから、もったいない行けばよかったのに。。。等、など、ナド

よく聞けば、このたたら村とは、錦織良成/wiki監督による映画「TATARA SAMURAI たたら侍」/2017年公開予定の撮影が行われたオープンセットを、戦国テーマパークとして7月15日から期間限定でオープンするのだそう。

このオープニングイベントがこの日曜にあったみたいで、映画に出演されたEXILEのAKIRAさんとNAOKIさん、劇団EXILEの青柳翔さんがお越しになったみたいです。


まっ、それを知ってたら行ったかというと、そうでもないかもと思う私

たたら村は、10月2日まで開催されているみたいですし、場所は勝手知ったるところなので、また機会を作って行ってみようかと。


ちなみに、開催期間中には、またEXILEのメンバーも現れるらしいですよ。

興味のある方は、みなさんで訪ねてみられては


【 出雲たたら村 】
HP ⇒

URL http://izumo-tataramura.jp/

【 映画「TATARA SAMURAI たたら侍」 】
HP ⇒

URL http://tatara-samurai.jp/
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